散歩の途中、道端で遭難してるナガミネ君を拾った。

ねぇ、なにしてんの?

『・・・・・・ モリカワ君、僕の鋏は、もう、錆びてしまった……』

は?

『わぁ〜〜駄目だ駄目だ、空虚な胃は思考をも凌駕するッ! 僕はこの肉体の欲求を憎むんだぁッ!』

つまり腹、減ってるんだね。

『うん……モリカワ君ち、こっから近いだろ?』

近いけどナニ?

『……ごはんを食べさしてください。』


というわけで、私はヘロへロのナガミネ君を自宅に連れ帰える。 

元サブカル系少年ナガミネ君は、スキゾとかパラノとか唯物とか形而下とか、結局ナニ? な夢見がちな話が好きな弱虫だった。 色白痩せ型前髪長めの眼鏡、見ようによっちゃ『アンニュイ』に見えなくもなく、例えるならサバンナで草を食みオドオド逃げ道を捜すインパラのようなナガミネ君。 そんなナガミネ君を女豹のような私の友達は、ラフ〜に摘み喰いラフ〜に捨てた。 食後の女豹は言う。 『ま、普通?』 つまり、ダメなんだよ、ナガミネ。

そんなナガミネ君が、リボンと手作りとおフランス大好き! な元オリーブ少女と結婚したのは去年の暮れ。 あんたら似合いだよ、と思った。 お洒落で読み難い【新居です!】の葉書は多分、妻マミカの手作りなんだろう。 で、新居は意外にも家の近所。 

『モリカワ君、一度もホームパーティに来てくれなかったね、』

行く訳ないじゃん。 

私はハーブってのが苦手だ。 アレを見ると祖母が、庭だの土手だの道ッ端だので毟ってきた怪しげな草を想い出す。 そして『身体にいい』という、実にアバウトな説明のみで、飲食を強要された幼い記憶がウズウズするのだ。 

しかし、ナガミネの妻はそういうのが大好きな女だった。 マンションのベランダに所狭しとプランターを置き、今日の気分はレモンバーム! などと千切ってうっとりするタイプ。 ならば当然そのホームパーティはハーブ満載のカフェ風で、腹の足しにもなんない変な臭いの雑草を、勿体つけて澄まして突付くのは真っ平だった。

『ま、アレも慣れるんだよ、ジキに』

そう言うナガミネ君は、昨夜の残りの肉じゃがをフハフハせせこましく貪っている。 うちに着くなりアレを食べてイイか? とナガミネ君は聞いた。 ほら見ろ、こう云うのに飢えてたんだろ?

『僕とマミカの朝はね、コーンミールのマフィンと発酵バター、ハチミツを添えたカスピ海ヨーグルトと、フルーツ、そしてハーブティ……』

うちは納豆とアジだよ。

『あぁ……もう二年食べてない。 マミカはね、少女というブランドに支配されているんだ、』

へぇ〜。 で、そのマミカさんはどうしてるの?

『彼女と僕の関係は、既に形骸化した社会的コロニーの一つに過ぎない』

ははぁ、ぶっちゃけ、家庭内別居ってやつ?

『……家庭外別居。 マミカはもう、違う男と住んでいる。 ル・コントの映画がわかる人が好きって言ってたのに! 恋人にするならジャック・タチみたいな、素敵な伯父様がイイって言ってたのにッ!!』

元オリーブ少女はいきなり、婦人口論へ宗旨変えしたらしい。 妻マミカは先週、行きつけの美容院の、ドレッドの美容師と駆け落ちをした。 またしても、ある意味オヤツにされたナガミネ君は、一人、マンションに篭りメロウを満喫。 しかし空腹に耐え兼ねふと、近場の私の家を想い出し、苦手なオリエンテーリングを敢行。 が、向かう途中遭難。

『マミカとは感性のベクトルが同じだと思った。 僕らは快適な世界を創れると思ってた。』

ナニ言ってるかわかんないけど、でも多分こう云う事だろう。 あんたたち、グラビアと現実の違いが今、ようやくわかったんだと思う。 夢見がちなあんたと、夢見がちな女房とじゃ、そりゃ絵空事しか生まれない。 多分、マミカはあんたより先にそれに気付いたんだと思う。 そして必要な方へ流れたんだと思うよ。 

半べそのナガミネ君は丼の底を箸で懸命に突付いている。 あぁ、と思い当たり私はスプーンを出した。 

底のドロドロ、杓って食べたいんでしょ?

『……うん……。 ねぇモリカワ君、僕はどんどん俗っぽくなって行く。 僕の鋏は錆びる一方だ。 感性をサクリと切り取る鋏がもう、僕には、僕には無いッ!』 

クタクタの玉ねぎと糸コンニャクを、鼻水と一緒にズズズと啜るナガミネ君。 俗っぽさを嫌うナガミネ君だけど、食生活の嗜好はモロ、俗っぽい。 そもそもナガミネ君はそう言う見掛け倒しな男だ。 小難しい空想に浸り、現実は見ようとせず。 高尚な愛だのを掲げるくせに、容易く女豹に狩られ、捨てられても言い訳を考える。 ほらな、ナガミネ君って、基本は俗っぽい。 

だから、思うに、ナガミネ君にはもっとラフで、ジャンクで、生活感満々な人のほうが合ってるんじゃないか? 夢見がちなナガミネ君を、うんとリアルに支えてくれる人。 あぁだこうだの薀蓄を、面白そうに聞き流してくれる右脳派な人。 つまりそれは、


『イラシャァ〜〜イッ! オキヤクサマァ?!』
『!』


そう、つまりコイツ。 スチュ、私の義弟。

『シホ、フ・リ・ン・ダメダヨォ〜〜』
『ち、違いますッ!! モリカワ君ッ、こ、この人ご主人ッ?!』
『オァァ〜〜、シホノラヴァァ〜チガイマスカァ?! ナァイスミチュッ、オヒトリデスカァ?』
『ひ、一人ですが何か? え?』
『ニホンゴォ、ボクニヤサシクオシエテネッ!!』

スチュ、それはナンパの基本形。 

でも、まぁイイ。 ソンナでもこの際イイや。 義弟のスチュは、極めつきに悩まない男。 例えばある夜、いきなり彼女とセックスがしたくなれば即、訪ねる。 訪ねれば彼女は不在、ならばまぁイイやと、バツイチのその母を口説く、そう言う男だ。 そしてダメなら家に戻り、ルームメイトの留学生(赤ら顔のドイツ人)を試しに口説く、そう言う男だ。 

しかし悪気もなく裏表も無い。 気立てもよく面倒見の良い、憎めない奴だ。 ラフでジャンクでリアルな右脳派の極みである。 だから、私はコイツをナガミネ君に推薦する。

『サトシィ、カワイイデスネ〜』
『や、あああの可愛いって言うのは普通女性に使う形容で、あの、』
『オイシイピザ、タベマショウ? エイガ、スキデスカ?』
『ピ、ピザ? え、えと、映画は色々観るんですけど、え、トリュフォーとかわかります? 僕は観るんならあの辺の……』

ほら、早速、噛み合わずに会話は弾んでる。 

スチュは、怒鳴り・殴り・ガサツな兄嫁で、すっかり大和撫子の夢を砕かれていた。 だからこそ、一見儚げでおとなしいナガミネ君などストライクゾーンど真中、今晩にでもがッぷり狩られてしまうだろう。 そして、二人はお洒落で訳のわからない映画を、カウチに寝転んで観る。 ナガミネ君は嬉々として薀蓄を垂れ、スチュはニコニコと聞き流し、タコスを摘んだりナガミネ君を摘んだり二人でそこそこ楽しく過ごすんだろう。

ねぇ、ナガミネ君、鋏が切れないのは錆びたからじゃない。 
ガラスだのプラスチックだの、無理してそんな物を切ったから、歯が欠けただけなんだよ。 

だから、ナガミネ君、アンタの鋏はまだまだ平気。

暢気なライオンの横、タンポポだの、鼻歌だの、欠伸だの。 ナマクラなそんなのを、鋏は綺麗なハートの形に切り抜いて。 

だからナガミネ君、そう言うのもイインじゃない?







      :: おわり ::



         百のお題  021  はさみ