手の平に包み、ナオハルさんがそれを吹く。
ぷかぷかと、愉快に、ぷかぷかと、物悲しく。

ナオハルさんの手の平の中、音楽は夕暮れに、プワンと鳴る列車の警笛に、
どこかの家の夕餉の匂いに、しゃがみ込み見上げる空の墨色の彼方へと。

音楽はぷかぷかと流れるから、
愉快に、ぷかぷかと、物悲しく、ぷかぷかと、


農夫は黄金色の麦藁を、美しい三角に積む。 
豊かな豊穣を祝い、実り多い季節を喜び、傍らの愛しい人に微笑むだろう。
日々の労作で荒れた手と手を重ね、陽射しに色褪せたシャツのこなれた薄い布越しに、
抱きしめる愛しい肌を、伝わる鼓動の暖かさを。
辛い日々の労いと、御褒美と、至福のひとときとして、農夫等は晩鐘の音に耳を澄ます。


ねぇ、ナオハルさん。 どうして僕らはそこに並べないんだろう?


農夫の横には農婦が佇み、孤独な農夫は夕暮れを仰ぐ。

美しい収穫を囲む、横並びの幸福。 

楽しきかな豊穣の夕暮れに独り、列一つ違え、交じり合えぬその農夫は、ただ立ち尽くし、
憧憬と寂寥に疲れた身体を深く沈める。 


7年前あなたは僕らに手を差し伸べてくれたから、僕らは横並びに幸せだった。
若いあなたは、必死で僕らの父親をやってくれたけれど、
でもね、あなたを父親だと思った事は一度だって無い。 一度だってね。 
だってそうでしょう? 
父親にはこんな気持ち抱かない。 父親にならこんな執着は抱かない。
だからあなたは、一度だって僕らの父親ではなかった。
僕にとっても、妹にとっても、あなたは一人の男だった。
いつか横に並びたい一人の男だった。
そして、あなたの横には、今、僕の妹が並ぶ。

ねぇナオハルさん、いつかずっと前の夕暮れに、ハモニカを吹くあなたは僕らに言ったね。

ハーモニカは息をするのと同じなんだよ、と
吸って吐いて、生きる呼吸そのままに、ドレミファソラシド音は流れる。
だけども列一つ隔て、横には並ばないドレミ。
列一つ隔て必要な時に必要な息で、それでもドレミを繋ぐから大切な音。

僕は、その時悲しくなった。
それはまるで僕のようで、悲しくなったよ。

そして例外は、ラとシ。そこだけは、横並び。 そこに並び、離れない。例外のラとシ。
まるであなたと妹のようではないですか?


あぁでもね、僕は妹を祝福する。 妹とあなたを心から祝福する。
列一つ隔ててはいるけれど、僕はあなたの声にすぐさま駆けつけ、戸惑う妹が助けを求めるなら、
その手を握り励ますだろう。 
そんなこと、僕は一つも厭わない。

けれど、けれども、僕は思うんだ。
僕は、どうしてナオハルさんと並べないのかと。


美しい夕暮れに、ハモニカは、楽しき農夫を奏でる。
ぷかぷかと、愉快に、ぷかぷかと、物悲しく。

幸せな農婦は農夫と寄り添ってお互いを慈しむ。
愉快に、ぷかぷかと、物悲しく、ぷかぷかと。

幸せな妹はナオハルさんと寄り添い、笑い合う頬が緋色に染まるから、
僕は、孤独な農夫のようにそれをずっと眺めた。

少し離れて、眼を細め、憧憬と寂寥に身を浸し、それを眺めた。






      :: おわり ::


  *楽しき農夫 〈子供の為のアルバムより〉 シューマン作


         百のお題  018 ハーモニカ