こんなにも、ここは物語が溢れているのに。
なのにわたくしの物語はいまだ、始まろうとしないのです。


バイトのアキモトさんが「お先に」とエプロンを外し、わたくしは一人カウンターに残りました。 時刻は23時。 ここから先閉店の1時まで、このちいさな店はわたくしの城。 恋するわたくしが砂糖菓子の溜息で満たす、甘く切ない逢引きの隠れ家となるのです。 

尤もそれは、わたくしだけの秘密なんですけどね。 

えぇ、あの人は知りません。 あの人はまだ、コレッぱかしもわたくしの気持ちに、焦がれるこの思いに気付いてはいないのです。 そしてもうすぐ、あの人はここにやってきます。 白い頬に香る憂いを連れて、黄色いケースに入った3本のビデオを手に、金曜23時過ぎのこの店へあの人は必ず訪れるのです。 それが、わたくしにとって唯一の幸福。 週に一度の密かな逢瀬でした。

今夜のあの人は闇色のシャツ。 キチリと終いまでボタンを止め、夜の空気に紛れるように、するりと細い身体を店内に滑り込ませました。 ウォーホールみたいな眼鏡の向こう、あの人から発するシグナルは『来たよ』と点滅します。 だからわたくしは、『逢いたかった』のシグナルを無言の会釈に託します。 

えぇ、言葉なんてなくともわかります。 わたくし達は長い事こうして来たんです。 わたくし達に言葉はいりません。 ですからわたくしはあの人がそこで立ち止まり、何を思ったかを即座に察しました。 戸惑うあの人にわたくしは、すかさず的確な指示を発信したのです。

―― おやめなさい、それは酷い駄作です。 主演のマチダナナはなかなかの美少女ですが、実際出てくるのは冒頭の数分のみ。 あとは小太りの娘と尻にニキビのある女が、やる気の無い男優とぞんざいなレイプ風本番を披露する駄作です。 レイプモノならその隣、【非情!!ケダモノ学園〜蜜の誘惑〜】マチダナナなら向こうの棚の【痴漢トレイン*ナナの揉み揉みジャンケンポン!!】これがわたくしの一押し。 

あの人の視線がわたくしの視線を辿り、すうっと斜向かいの棚へと移動します。 そして、一つのタイトルを認めハッと息を呑むのが、ここからでも容易に見て取れました。

―― そう! それですよ、えぇえぇわかります、あなたの好みにドンピシャリでしょう?半脱ぎセーラー服、痴漢プレイ、嫌よ嫌よのソフトレイプ。 わたくしはね、あなたの好みはもう、全て熟知しているのです。

いつも寂しげなその口元に、微かな笑みが浮かびます。 瞬間、チラリとこちらに向けられた黒耀の瞳は語るのです『素晴らしい!!』。 いまやあの人の手には二本のビデオ、しかしまだ名残惜しげな立ち姿は、何かを求め向かうべき先を逡巡するかのごとく。

―― おやまぁ、もう一つ、もう一つの後押しが欲しいのですね?

わたくしは目で語り、左端の棚に視線を移動させました。 
《今夜も大発射!! 店長のお勧めヒットランキング!!》
ピンクのマーカーで大書きのそれに、あの人は吸い寄せられ近付きます。 そして振り向き問い掛ける眼の、あぁ、あなたって人はどうして、なんとも頼りきった幼子のそれ。

―― さ、慌てないで御覧なさい。一位二位に惑わされてはいけません。 それは獣姦とスカトロです。 いずれもあなたの守備範囲ではありません。 今夜のあなたにぴったりなのは3位の【プロジェクトファッカ−vol.2 素人美少女乱れ打ち】ヤラセにしては出来の良い「嵌め撮り風」が楽しめます。 もしくは4位の【教えてセンセイ〜僕のカテキョはFカップ】主演のアヅサリカコは巨乳で童顔、しかもフェラと騎乗位には定評のある芸達者です。 基本は少女趣味、だけど時には大人の技できりりとイキたいなんて言う、我侭なあなたの欲求は全て、これが満たしてくれるでしょう?

延ばされた細い指先がアヅサリカコの、何故かアン●ミラーズの制服に身を包んだ大股開きのそれに引き寄せられ、小さな吸気とともに背表紙の角をカタリと引き出します。 今やあなたは三本のビデオを大切な宝物のように抱え、少し高潮した頬でカウンターへと近付くのです。 そんな姿を見たなら思わずにはいられない。 なんて愛しくなんて憐れな人なんだろう!! 

そうして、わたくしはテキパキと、あなたが少しも恥じを感じたりせぬよう手続きを行い、軽く目を伏せたあなたへと黄色いバッグを手渡すのでした。 はやる心に指先を僅かに震わせ、あなたはそれを受け取ります。 これで、終わりです。 これで、わたくしとあなたの週に一度だけ、ほんの数分の逢瀬は終わるのです。 触れ合う事もせず、言葉一つ交わされず、濃密な魂の交感はここで、この瞬間終わるのです。 えぇわかっている事です、それでも良いのです、多くは望めない縁なのでしょう? わたくしは心の中、囁きます。

―― さようなら、そして存分におやんなさい愛しいあなた!!

あなたはカウンターを離れ盗難センサーのアーチをくぐり、七日間の別れに歩を進めます。 そしてドア前マットの青を踏みしめようとするその瞬間、あなたはくるりと小さくわたくしを振り向いたのでした。

『あ、ありがとう……』

そそくさと踵を返す後姿はシュンとしまるガラスの向こう、ビロードの闇に溶け込みもう、見えません。 だけどもわたくしは確かに聞いたのです。 小さな、僅かに語尾が掠れる繊細な声を。 あの人の、あの人が、わたくしに向けたその言葉を確かにわたくしは聞いたのです。 

気付けば、わたくしは泣いておりました。
ポタポタと顎を伝う涙は静かに、あの人の返却したテープの上、【快感レポート**コギャル対抗おしゃぶり作戦!】長すぎるタイトルを雨だれの如く濡らします。

嬉しくてわたくしは泣いているんじゃありません。 あの人との距離がこうしてまた、ある意味離れた事実をこの身に染みらせ涙するのです。 なんて皮肉!なんて惨いんでしょう! わたくしは隆々としたムクツケキ己の肉体を恨みます。 わたくしは、あの人好みでない太い首、衣文掛けのような肩、何より道を違えたこの性別を恨みます。 わたくしはただ、あの人に愛されたいだけなのです。 だけどもわたくしはその術をこんな方法でしか持てないのです。なんて皮肉! なんて惨い現実!!


だけども、わたくしはまた、そうするに決まっているのです。 
現にわたくしは、四列の棚を前に、あの人好みのそれらを物色し、あの人の目に付く位置に
それとなく並べ替え始めているのですから!



物語の溢れる深夜、物語の始まらないビデオショップの片隅に、今夜も水色の想いが降り積もる。

     葛飾、柴又、駅近く、恋にやつれたわたくしがココに。





      :: おわり ::



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