おとついの風でよしずが曲がってしまったので、一つハルトに直して貰おうと、マキは二階に声を掛けようとした。 が、玄関先に転がる小汚い運動靴を思い出し、吐く息と一緒に、あぁ と言葉を引っ込める。 ハルトの部屋には今、友達が居る。
『ばぁちゃん、プライバシーだろ?』
17歳の孫は、ここの所すぐにそう言って、威張った顔をするから腹立たしい。 縦に横にでかくなり、頭二つ分マキを見下ろして、鴨居を掠めるようにウロウロするようになったハルトは、いつの間にか一丁前の顔をするようになっていた。 筋金入りのばぁちゃん子だった癖に! こないだまで夜はひっついて眠ってた癖に、何がプライバシーだ、生意気め!
マキは面白くない。 面白くないし、置いて行かれるような寂しい気持ちがした。 不思議な事に、息子のアキヒトの時はこんな風に思わなかった気がするが、それは多分、夫が急遽した後で生活に追われていた為だろう。 一人息子を女手一つ大学にあげたのは、マキの誇りでもあった。 しかし、その息子のアキヒトと嫁のミカが たまのふたりっきりだから と出かけたコンサートの帰り道、多重衝突に捲き込まれ死んだのは、ハルト4歳の時だった。
参ったねぇ、あたしは、余程一人で頑張る星なんだろうよ!
苦笑いするマキだが、暢気な老後に向かうべく計画は、これで見事に崩れ去る。 かくして、いきなり孤児になった孫の為、マキは60過ぎての子育てに大奮闘する事になった。 夫の残したタバコ屋兼駄菓子屋を切り盛りしつつ、夏は氷、冬は仕舞い込んでた火鉢を店先に持ち出し、子供らに餅を焼いてやった。 店番をしながら、少しづつ仕上げる手提げ袋はここ数年、通り向こうの呉服屋に出来上がりを卸している。
古い着物をほどいて作ったそれは、中々に評判が良く、並べた順にあっという間に売れて行くらしい。 気を良くした二代目は、最近 「コレ、使って下さいよ」 と、店で持て余す半端布や攣れ傷で売れない反物を、マキに譲ってくれるようになった。
そうして、贅沢はせず、しかし不自由もせず、マキはハルトを育て養って行った。 雑に育てたわりにハルトは優しい子に育ったと、マキは密かな自慢に思っている。 ばぁちゃんばぁちゃんと纏わり付きながら育ったのだから、甘えん坊はしょうがないなどと、とんだ孫馬鹿に目尻を下げていた矢先が「プライバシー」と来たものだ。
『でもねぇ、ハルちゃんもう、高校生じゃないかぁ、ソリャしょうがないさぁ、ばぁちゃん離れしたってさぁ、』
愚痴りに行った乾物屋の店先 『どんどん、あたしら置いてかれるんだよう、』 と節をつけるミツの手元、注がれるお茶は良い匂いがした。 娘二人片付いたミツは、店番だけでは持て余す時間を、小物細工で紛らわしている。 それは、タバコの包み紙を折り畳んで組み合わせた番傘だの、小さな萱葺き屋根の家だの。 小さなタバコの包みでよくもまぁ、 タバコ? ・・・・・・そう、もう一つの杞憂をマキは思い出す。
『ハルの奴、店のタバコくすねてるみたいなんだよ、あぁ、確かじゃないんだけどどうも少しづつそんだけが減ってるんだ。』
『ヤダねぇマキちゃん! 今日び、高校生じゃミンナだろ? うちの娘どもなんざ、ハルちゃんくらいの頃には隠れもせずにスパスパスパスパ、あはは、だもんで腹立ち紛れにこんなん細工始めたんだけどねぇ、うちの亭主は地味なタバコばっか吸ってからに、仕上がりが辛気臭くていけないよう!』
『今日びそんなかい? あぁ、そんなならそんでもまぁいんだけど、でも、あたしはね、くすねてコッソリってのがヤなんだよ。 やじゃないか、縁の下のネズミみたいに、こっそり、コソコソなんてさ、』
『ハハそら、仕方ないよ、 ボク、タバコ吸いたいんです ってアンタに言ってサ、アンタが『あぁそうかい!』なんて言うと思うかねぇ? そりゃ、普通コッソリやるもんさぁ、うちみたく二人グルになると、まァ、ちょっと違うけどもねぇ!』
二杯目の新茶を辞退して、今一つ解せないマキは、急ぎ足で店に戻った。 雲行きはにわかに怪しい。 このままじゃ、よしずは斜めに傾いだまま雨に打たれ、ちゃんとさせんのにはコレまた厄介な事になる。 いよいよ降る前に、ハルトに上を結び直して貰わねばと、マキは店先『留守です』の札をひっくり返した。
ふと、店の上がり奥、出掛けと違う何かに気付く。 赤い、タバコの包みが箱の中こちらに倒れている。 キチリと整列していたそれが倒れるのは、隙間がそこに出来たからで、それはすなわち
ーーー ハルト!!
言ってやらねば、今こそ言ってやらねば、家族なのにコソコソすんなと、店のモンくすねるなんてネズミみたいな真似すんなと、今こそハルトに言ってやらねば! マキはどかどかと狭い階段を昇り、プライバシーも何もあったモンじゃないだろうよと、千代紙の補強がアチコチ当たった引き戸をグイと引き、部屋に向かって息を吸い込んだ。
『ハルトッ! タバコッ! ぉ?!』
『!!??』
学習机の上、空き缶から立ち上る灰色の煙。
その足元のささくれた畳の上、ハルトの大きな背中の下、肌色の、剥き身の裸の肌色の肩の、
『よ、よそ様のお嬢さんになんてコトをアンタッ!!』
『ち、』
『え?』
憮然としたハルトの肩越し、居た堪れない赤い顔で畳の縁を見つめるのは、カナモト家の三男坊。
『・・・・・・ヒロちゃん、かい?』
言葉を失う本人の代わり、ハルトが 『そうだよ』 と低く答えた。 そうかい、と、部屋を出て行くマキの背中に 『俺、間違ったこたしてねぇよ!』 と、ハルトの声がかぶさった。 あぁそうかい、そうだろうけど、あぁほんとにプライバシーってのはほんとに全く必要なんだろうよ と、マキはお腹の中呟いた。
ショウケースの奥二段目、赤い包装のタバコの包み。 定位置の座布団にへたり込み、マキは暫し考える。
今日び、ああいうのも流行なんだろうか?
あれはつまり好き合ってると言う事なんだろうか?
間違った事はしていない と言ったハルトの、意外なほど落ち着いた声は、やけにいっぱしの、例えるならば所帯を持ちたいとか言う時の、娘親に見得を切る男のそれを思わせた。 つまり、腹は決まっている。 そういう決意が滲む声。
よいしょと腰を上げ、マキは取って置きのお茶を冷凍庫から取り出す。
ハルトはマキの自慢の孫だ。 その自慢のハルトがそうと決めたのだから、コレはソウソウ間違っちゃぁいない。 なに、カナモトのヒロシがうちの嫁になるのか婿になるのかはわからないが、女手一つの人生よりは男手二つの方が何かと楽は出来るだろう?
急須から注がれる、取って置きのお茶は、取って置きの湯飲みで三人分。
やがて、躊躇うような、おっかなびっくりの足音が、頭の上から聞こえてくるだろう。
『お茶だよぉッ!!』
見やればマルボロの、赤い包み紙。
めでたいその色で番傘でも作るかねと、マキは少し笑った。
雨は、どうやら夜半までもちそうだった。
:: おわり ::
イキリたって脅したり、ドヤシたりしない普通のババァを書こうと思ったのが、何と無く敗因かも知れない。 今回のポイントは、段落毎にヒトマス空けたとかそう言うんだろう。 当たり前の事なのに、それをやると自分の文でナイ気がするからなんかやだな。 それにしても長い。 そして、とりあえずどうよ? と出したホモネタは蛇足かと思う。 中々に反省は多い。
百のお題 004 マルボロ
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