釦
せねばならないものを目の前に残すのは厭だった。
俄かに冷気を纏った空気に、サトナカはパーカーの前を合わせる。 先月省エネに目覚めた校長が、壁に取り付けた箱型のエアコンに 「23℃」 の張り紙をした。 どこから出てきた数字か知らないが、人の出入りも途絶えた放課後、その設定では些か厳しい。 だだっ広い部屋に、ポツンと残るのは自分を入れて三人。 見る見る下がる室温に、皆音を上げ持ち帰りを選んだ。 しかしサトナカは 「職場」 がプライベートに流れ込むのを嫌った。 全て一直線に並ぶ、切れ目のなさは不快だった。 かじかんだ手を擦り、用紙の右上に赤で67と記す。
2センチほどの厚さに積まれたB5サイズの紙束。 週始めに行った、小テストの束。 答えが一つの数学とは異なり、文章解釈は、例え正解であっても読み手の表現により様々な色彩を放ち微妙なニュアンスを添える。 十人十色の生徒らの回答は、実に興味深かった。 そして時として、ハッと胸を打たれる。 例えばこの解答のように。
筆圧の強い右肩上がりの癖字。 主人公の弱さ、優柔不断さを、微塵の同情もなく卑怯と言い切る簡潔な言葉。 彼は、これをどんな顔で書いたのだろうか? サトナカはそれを、容易に思い浮かべる事が出来る。 ほの暗い冷えた炎のような視線、滅多喋らない唇が 『卑怯』 と糾弾する様を思い、サトナカは鉛を飲み込んだような息苦しいつかえを感じる。
「先生、眉間に皺。」
ふと顔を上げれば、間近に見る顔。 ただでさえ細い目を糸のようにして、惜しみなく振り撒かれる邪気の無い笑顔は、先刻まで頭の中に描いたそれとはまさに正反対の明るさ。
「まだこないだ遣ったばかりでしょう? そんなに根つめなくても、」
ハの字に眉尻を下げて、タオカが言う。 タオカは数学の教師だった。 去年の四月、サトナカと同時期に赴任したタオカは、以来何かとサトナカを構う。 けれど飄々としてサラリと入り込むタオカには、少しの押し付けがましさもなかった。 寧ろ人との距離を取り過ぎるサトナカにとって、なんやかやと気を回すタオカの存在は有り難かった。 大丈夫だと曖昧に笑うサトナカに、タオカは 「元気ないですよ?」 と表情を曇らせる。 元気がない・・・・ 確かに無いだろう、元気で居られる訳が無いだろう。 思い当たる事は山ほどあるのだが、それをサトナカが口にする事は無い。
言葉を濁すサトナカを見下ろし、寒いですねぇとタオカは大袈裟に震えた。
そしてガサゴソと上着のポケットを探り、差し出された紙片。
「これ、行きませんか?」
試写会のチケット。
寡作で知られた監督の、およそ商業ベースには乗らない地味で重厚な作品。
「確か先生、好きだって言ってましたよね?」
そう言えばそんな話もしたかも知れない。 タオカは聞き上手だから、ついサトナカは喋り過ぎてしまう。 口篭もって居るサトナカに、タオカはカード会社の抽選に当たったんですよ、と笑った。
「当たったは良いけど一人で観に行くのもアレだし、えぇと先生、彼女は居ないって言ってたでしょう? 独り者同士、たまにはブラッと行きましょうよ?」
そう言って、スイと一枚をコーヒーカップの下に挟み、タオカは力の抜けた表情で 来週の日曜 とサトナカを覗き込んだ。 隙間を満たすような遣り取りに、思わずサトナカは頷く。 そんなサトナカをタオカは、何故だか驚いたように見つめ、それからもう一度目を細め、残りの一枚をまたポケットに仕舞った。 ひらひら手を振り 戸締りよろしく! と部屋を出て行く背中。 社交辞令でなく自分を誘ってくれたタオカにサトナカは、どうしようもない後ろめたさを感じてならない。
わかっている、彼は違う、彼はそういうんじゃない。 けれど怖いのだ。 怖い。 そこに近付き過ぎる恐ろしさをサトナカは嫌というほど知っている。 迂闊に踏み込む痛みは、未だサトナカの内に癒えぬ傷を残す。
モヤモヤが頭を占め、もう採点には集中出来そうになかった。
気付けば、最後の一人になっていた。 冷えたコーヒーを飲み干し、テスト用紙を束ね、折れ曲がらぬよう鞄に仕舞う。 そうして順繰りに窓の鍵をかけ、カーテンを引き、サトナカは戸締りをして回る。 用務員の巡視は八時だが、それまで無人になるここの後始末は最後に残った者の仕事だった。 エアコンと照明は帰りしなに切るつもりでその前に、デスクの鍵を閉めようと屈んだ拍子、退かしたカップの下のチケットが、ふわりと机の下の隙間に吸い込まれていった。 スチールの四角い空間に潜り込むようにして、 膝を着き、手を伸ばし、引出しのほぼ真下にあったそれをサトナカは指先で摘まむ。 ほうと溜息を吐いた。 袖口についた埃を払った。
そして自分を見下ろす暗い視線に出遭い、サトナカは凍った。
「怖いの?」
薄く笑う
「あんた、俺が怖いの?」
薄い笑いの瞳。
逃げたい、今すぐ逃げ出したい、大きな声を上げて逃げ出したい。
サトナカを見透かし、否応なしに解体して行く瞳。
あの日と同じ切迫した瞳。
なのに動けなかった。
身体は膠のように強張り、縮こまった舌は一つも働こうとはせず。 サトナカはただ、見つめて居た。 抉るような視線にギリリと射貫かれながら、サトナカは背中をスチールに押し当て、無意識の後退を試みていた。
目の端に見る上靴の甲、癖のある右上がりで 『マツダ』 と書かれた油性マジックの黒。
「・・・やだな、またそんな風に、俺だけのせいにする・・・・」
微かに歪めた唇がサトナカを責める。
「あんた卑怯だよ」
トンと至近距離に着地した制服の膝。
あぁ言われたな・・・・・と。
しかし真正面からの断罪を、どこかでホッとしている自分をサトナカは感じる。
「卑怯でずるくて、自分一人関係ない顔をしようとして、」
なるほど、自分は卑怯なのだろう、反論するつもりもない。
言われるまでもなく、サトナカは自分が卑怯でずるい大人だという事を知っている。
サトナカは自分の卑怯を知っている。
だがそれを、マツダに責められる筋合いは無い。
卑怯で何が悪い?
だってしょうがないじゃないか?
大きく頭を捩じり、触れようと伸ばされた指を避けた。
けれど、そんなサトナカを男は憐れむ。 痛みを堪えるように、憐れむ。
「・・・・そんな、傷ついたみたいな顔して・・・・なのに簡単に、人を打ちのめすんだから・・・・」
暗い輪郭が近付き、両手で包まれた頬。 至近距離で見る熱の篭る瞳。
逃げられないとわかっても、サトナカは目を閉じる事が出来ない。
そこに流される事が出来ない。
躊躇いがちに重ねられた唇は記憶のそれよりも温かく、やがて深く。 貪り尽くすように奪い尽くすように、息があがる、蹂躙されている、自分が自分で無くなるような、境界線がもろもろと崩れて行くような、
たかだかキスなのに酷い事をされているような気持ちがした。 けれど、あまりに苦しいマツダの表情は、何故だか自分の方がより傷つけているような罪悪感をサトナカに感じさせた。
何を期待している?
被虐心を煽られ、後ろめたさに焚き付けられ、尚且つその先に流されようとする己の不可思議。
サトナカは奇妙なパニックに陥る。
「・・・・・・ずるいな、」
吐息混じりに囁かれた言葉。
微かに聞こえるのはエアコンのファン、時計の音、忙しい二人分の呼吸。
湿った音を立て、唇が離れた。
プツンと解けた緊張。
凭れた首筋に、あぁ と、サトナカが声を漏らす。
声は予想外に響き、己の発した淫靡さに、弾けるように身を起こしたサトナカが男の肩を押し退ける。
逃げよう、ここから逃げなければ。
今更のようにサトナカは逃げを打ち、立ち上がろうとする。
だが男はいざるサトナカの身体を引き、もがく両手を掴み抵抗を封じた。
「ほらもう、また・・・・・・ 逆らわない癖に、そうやって引き摺る癖に、」
俄かに質量を増す空気。
圧し掛かられ、床に押し付けられた背中が冷たさに竦んだ。 見下ろす顔は、やはり影になって見えない。 見えないから余計に、震える。 指がサトナカの生え際を梳き、剥き出しの額を廊下からの冷気が刺した。
「・・どうして?・・・・」
ようやくサトナカが発したのは、子供の質問のような言葉だった。
「・・・訊くの?・・・」
問い返すマツダは途方にくれた顔をする。
けれどサトナカは訊かずには居られない。 それは、保身の為。 サトナカの26年が、この先も平坦に真っ直ぐ伸びて行く為。 何故? どうして?
何故それは自分だったのか、どうしてそこまで執着するのか?
「わかってるんでしょう?」
わかっている?
わかっている。 その答えゆえにサトナカはこの男を踏み躙り、己の残酷さから目を背け逃げた。 あの時はそれが互いの為だったのだ。 けれど、実際サトナカはマツダの答えを聞いてはいない。 いや、聞きたくはなかった。 本当は知りたくはないのだ。 だってしょうがないじゃないか?
だけど、呆気なくこんな風に、
指は脆い何かを慈しむように、サトナカの髪を梳く。
哀願するような反復は、容赦無い揺さ振りをかけるから、
「・・・マツダ・・・・俺は、」
名前を、呼んだ。
「・・・やっと、呼んでくれた。 ・・・・酷いよね、二ヶ月も無視しといて・・・・」
もう一度唇が重なる。 もう一度、触れる。
捻れたまま、何処に?
* *
最初にその話しを持って来たのは叔母だった。
私立高校の二年。 常磐津の師匠の孫なのだと言った。
剣道の特待生であったが、親としては一般受験も可能な成績に引き上げたいらしい。 だが、何しろ人見知りが酷く、集団行動が苦手なので塾にはやれないのだと言う。 かといって家庭教師を雇うにも、今日日バイトの学生ばかりだからそれでは頼りない、もっと年上の社会人にそれを頼みたい。 七十を越えた件の師匠は叔母に漏らし、ならば家に良いのが居ると叔母は安請け合いしたらしい。
叔母は、公務員のアルバイトが禁じられている事を知らなかった。 それだから、持ち掛けられてもサトナカは断り、規則だから出来ないと叔母には何べんも伝えた。 だが一時期、身体の弱い母親に代わりサトナカを見てくれた叔母には逆らえないものがあった。 泣き付く叔母に絆され、教師は教師でも塾講師という事にしておいてくれと念を押し、夏休み中だけの約束で、サトナカはその話しを受ける。
そして、マツダと逢った。
剣道と聞けば、いにしえの青春ドラマも斯くやな、どちらかといえば能天気なタイプをサトナカは想像していた。 だが、そこに居たのは違った。 無口で陰鬱な、けれども瞳の奥には暗い炎が燃えているような、冷えた熱を持つ男だった。 男。 少年というには、すっかり完成された強固な体格、浮ついたところの無い硬質な表情。 そんなマツダは暗い目でサトナカを見つめ、低く小さな声で どうも とだけ言った。 そして前評判通り、マツダは喋らない男だった。 馴れ合わない、距離を縮めない、踏み込ませないマツダ。 必要な問いには答えるが、それ以外の遣り取り、例えば雑談などは一度だって交わされる事は無かった。
だがそれを、人見知りと呼ぶには違和感があった。 マツダはサトナカを拒絶しては居なかった。 訪れるサトナカをマツダは、およそ飾り気の無い部屋で軽く頭を下げ向かえる。 マツダはいつも、机の前に座って待っていた。 いつから座っているのかはわからないが、サトナカが予定より早めに着いた時も、10分ばかり遅れた時も、マツダはいつもと寸分変わらぬ様子でそこに座り、小さくサトナカに頭を下げた。 もとより仲良しになるつもりなどないサトナカは、それを幸いに用意した課題を与え、指導し、主要教科の基礎を叩き込む。 決して飲み込みの早い方ではなかったマツダだが、淡々と問題を解き、忍耐強く力を物にしていった。 これならば叔母に申し訳の立つ成果が望めるのではと、サトナカは胸を撫で下ろす。
しかし、思わぬ誤算が生じる。
ある日、唐突に、サトナカはマツダの感情に気付く。 息苦しい熱に、巻き込まれてしまう。 言葉よりもずっと、肌が、空気が、視線が伝えるリアルな欲望。 それは一度気付けば厭になるほどあからさまにサトナカを脅かし、マツダと言う存在をより鮮烈なものにした。
サトナカを認め、僅かに高揚する暗い瞳の奥。 盗み見る視線の、熱さ、息苦しさ。 二人きりで過ごす焦燥に、いっそ言葉で言ってくれとサトナカは叫びそうになる。 そして始末が悪いのは、そこに嫌悪感がなかった事。 困惑こそすれ、サトナカはそれを不快には感じなかった。 本来そんな風に同性から見られるのはゾッとする出来事な筈なのに、サトナカが感じたのは純粋な困惑。 恐れとは、そんな自分自身の在りようにのみ向けられ、不安定な対峙は徐々にサトナカのバランスを崩し、二人の間に針先で踊るような緊張感を孕む。
磨耗して行くのは二人とも同じだった。 言葉の無い攻防に疲弊し、二人は追い詰められて行く。
つまり限界だった。
そうして、残り一週間を切った八月、マツダはサトナカに触れる。
緩く空調のかかった部屋、ノートに屈み込んだサトナカの、ペン先を包んだマツダの竹刀ダコのある掌。
睨むような目をしてマツダは、サトナカに触れる。
手首から肘、肘から肩、耳朶を掠め頬から顎、唇へと逡巡する指、
「逃げないのか?」
そう言って、苦しそうに見つめたマツダの切迫が、触れた指先からサトナカへと流れる。
何故逃げないのか、何故抵抗しないのか、振り払わなかったのか?
流されたのか、巻き込まれたのか、マツダの熱に浮されたのか。
おずおずと重ねられた唇、どちらからともなく舌を絡ませ、息を上げた。 性急で荒々しい行為。 やがて穿つ身体に腕を回した自分とは、幾度も熱っぽく不安げに名を呼ぶ唇に、自ら唇を寄せた自分とは一体何だったのかサトナカには解からない。 解からないのだ。 けれど解せないそれは同時に、解き明かしてはならない禁忌であるとサトナカの本脳は悟る。 だから逃げた。 Y県の外れ、およそ中央から外れた不便な場所への赴任を、サトナカは希望した。
マツダに語ったのは出鱈目の履歴だから、大手進学塾のそこを探したとてサトナカは居ない。 最初から存在しない。 そして互いに忘れ、気の迷いだと、やり直せば良い。 それはちょっとした掛け違い、二つ飛ばしに捩れた釦の掛け違いに過ぎないのだから、そうするのが、そういう風に曲げるのが、大人としての自分の責任なのだとサトナカは思った。 思おうとした。
だが、捩れたままマツダは求める先へと進む。
二ヶ月前、突然転校して来たマツダに、サトナカは爪先が冷えて行くのを感じる。
何で? 何でここまで?
けれどマツダは口元に笑みを浮かべ、サトナカに初対面の挨拶をした。 ほの暗い瞳は変わらなかったが、目の前のマツダにあの陰鬱さは無い。 無線部があるからここに来たのだと、転入時の自己紹介でマツダはにこやかに語ったが、そうして二ヶ月、マツダは見事なほどサトナカの存在を無視した。 仲間とつるみ、はしゃぎ、笑い合うマツダは寧ろ饒舌と言って良いほどに言葉を発したが、サトナカにはまるで関心を示さず、只の一教師として接した。 そんなマツダの振る舞いに、サトナカは微かな苦味を感じる。
何を隠している? 何故ここに来た? 何を企んでいる?
無線部だなんて馬鹿を言うな。 ましてや特待生であったのに。
捲くれ上がったYシャツが首の下で捩れ、日に当たらない肌が蛍光灯の白を弾く。
薄い皮膚を味わうマツダは、胸郭の縁に唇を滑らせ、サトナカの疑問に答える。
「指がね、折れたんです。 それじゃ、竹刀握れないでしょう?」
持ち上げた腕、サトナカの唇を掠めマツダは軽く指を曲げて見せた。
意外に節のある指、竹刀ダコのある指は人差し指だけがピンと伸ばされたままだった。
「折れ方が良くなかったみたいで・・・・・・もうこれ以上曲がんないから。 でも、おかげで同情されて、転校も出来て、だからまァ・・・ね。」
曖昧な笑みはサトナカの肌に落とされ、乾いた指先が胸の突起を摘む。
痺れに似た痛み。 甲高い声があがる。 気まずさと、気恥ずかしさと、反射でしがみ付いたマツダのごわつく制服越しの背中。 そんな自分をマツダがどんな目で見ているのか、自分は今どんな顔をしているのか。 自分が居た堪れなくなり、サトナカは斜め下に視線を反らす。
だが、マツダは片手でサトナカの顎を押さえた。
見ろよと。
そんな自分を俺に見せろと、マツダはサトナカの逃げを許さない。
「やっぱ、ここ弱いんだ・・・」
軽くもう一度摘まみ、じんわり痺れるそこに舌先で触れた。
執拗な刺激に零れ落ちそうな声を殺し、額を擦り付ける肩口。
押し当てた身体越し、白濁の中に居るサトナカを呼び覚ますのはくぐもるマツダの声。
「・・・・ねぇ、もう逃げないでよ、時間はあげたから、二ヶ月もあったじゃない? 二ヶ月あったのに逃げなかったんだろ? あんた、また俺に捕まる気だったんだろ?」
「違うッ・・・」
違う、あの時は違う、そうじゃない、あの時サトナカは覚悟を決めて逃げた、そうする他に無かった、仕方が無かった、
だがマツダは、
「嘘吐き・・・ 」
きつく抱き締められ溜息が洩れた。
指が、唇が、死に物狂いでサトナカを欲するマツダは、自分勝手な子供だから。 自分勝手で、狭量で、愛だの恋だの自分の昂ぶりを、無理矢理相手に押し付ける傍迷惑で未成熟な子供だから。
でも、マツダは卑怯ではない。 誤魔化して逃げる、卑怯者なんかではない。
「見てよ、ねぇ、センセイ見て、俺をちゃんと見て、そんな顔しても駄目だ、俺はココに居る、解かるだろ? もう誤魔化せないだろ? ここであんたに触れてんのは俺だよ、俺なんだよ?」
だけど、そんな風にされるのは辛い。
身喰いする馬のように、自ら流す血をもって愛を訴えるマツダは痛々しくて苦しい。
でも、そうさせているのは自分だった。
マツダがそう在る事を望んだのは、サトナカ自身であったから。
ぎこちなく、それでも的確に、マツダはサトナカの欲望を高める。 そして曲がらぬ指はたどたどしく縦一列の釦を外し、毟り取るように脱ぎ捨てた濃紺の制服。 コンと乾いた音をたて、埃だらけの床を転がって行く山吹色の釦。 マツダの匂い、熱、覆い被さる汗と、埃の匂いがする身体。 あの頃より少し、筋肉が落ち細くなった身体。
ふと、マツダはわざと指を折ったのだと思った。
捩れを捩じれとも思わず、布を切り裂くような遣り方で、釦はとうに外れてしまったけれど、マツダはサトナカを追った。 サトナカだけを求めた。
転がる釦の軌跡。
やり直しなんで、出来ない。
今から自分を犯す男の、蒼褪め強張った頬に触れる。
「・・・そんな顔、するな、」
苦しい男にくちづけをした。
掛け違えたまま、いっそ、溺れる。
1/25/2005
イシノアヤ 様 > 『職員室・陰気な攻め・世間のしがらみ』