予兆

空が青い。気持の良い澄んだ空。
今日はこのまま一日中晴れだろうから、洗濯物もよく乾いて、母さんも喜ぶだろうな。
デリアは剣の稽古の休憩中、そんなことを思いながら、空を見上げ、山の遥か向こう側まで雲一つないことに安堵し、明日も明後日もいつまでも晴れつづけるように思えた。
「そろそろ、もう一本いくか」
剣術の師匠の声にデリアは黙ったまま、すかさず立ち上がった。
キィーンキィーンと剣と剣かぶつかり合う鋭い金属音が山奥の小さな村中に響き渡る。
かなり長い間その音は強くなり弱くなり、絶え間なく続いていたが、やがてその鋭い金属音が一瞬鈍く響いたかと思うと、片方の剣はカランと小さな音を立て、地面に落ちた。
剣を落としたデリアは、体中に玉のような汗をかき、ハアハアと肩で息をしながらそのまま地面に座り込んでしまった。
剣術の師匠であるレオンは、剣を手に持ったまま立っていて、額にうっすらと汗が滲んでいるものの、息一つ乱していない。
「どうしたデリア。もう降参かい?」
師匠の言葉にデリアは首を縦にも横にも振れず、ただ息が落ち着くのを待った。
「そうだな。今日はこのくらいにしておこう……」
疲れきっていたデリアはそう言われて、今度は首を縦に振る事ができた。

デリアは全身に貼りついた砂埃や草を汗とともに拭いながら、丁寧に剣の手入れをするレオンを見て、いつも考えていたことをふと口にしてみた。
「ねぇレオン。いつかレオン勝てるようになったら、その剣くれるかなぁ?」
デリアの急な申し出にレオンは戸惑いながら問いかけた。
「えっ……あぁ。どうして、これが欲しい?」
「だって、その柄に付いた紅い石……ルビーがとても綺麗」
デリアがそう言いながらその石に触れようとすると、レオンはさっと剣をかわした。
「これはだめだ。大事ものだからね」
「大事なもの?」
「そう……形見というべきだろうな……」
レオンが石に触らしてくれなかったことに、デリアは一瞬面食てしまった。だか、そんな風に言われては仕方かないと思い、さらに違う要求をしてみた。
「じゃあ。同じ石はもうないの?それだけでも欲しいな」
「これと、同じ石はないんだよ。もう二度と……」
レオンはいとおしそうに、剣柄にはまった紅い宝石を見つめた。デリアはその姿がなぜか悲しげに思えた。
「しかしなんだな。宝石好きとは、やっぱりお前は本能的に女の子なのかな。まぁ『勇者』は女で男でも関係ないか」
レオンは苦笑しながら、大きな両手をデリアの肩に置いた。
「それより本当に俺より強くなってくれよ……俺の役目は、はやくお前を一人前に育てることだが……まぁ、あせってもしかたあるまい」
そして小さくため息をつき、両手をデリアの肩から上げた。
「さて。もどるとするか。デリアも家でゆっくり休むといいだろう」
背中を向け、そのまま後ろ手を振りながら自分の寝床へと向かうレオンをデリアは見送った。

デリアも家に帰ろうと歩きだすと、一匹のカエルが突然目の前に飛び込んできた。
「勇者さま……勇者さま、どうかたすけて……」
言葉をしゃべるカエルに戸惑っていると、カエルは一方的にデリアが正直者だとか、自分はある国の姫でのろいかけられているとか、と捲くし立て、誰か来たといって突然去っていた。
デリアが呆然としていると、カエルと入れ違うようにシンシアがやってきて、なんだかやたらと、にこにこしながらデリアに話かけた。
「あ、デリア剣の稽古、もう終わったみたいね」
「うん。ねぇシンシア。さっき、なんか……えーと、カエル、おおきなカエル見なかった?」
「え? おおきなカエル?なんのことかしら……。わたしはずっとここにいたけど、カエルなんて見な……見、見なか……」
デリアの途切れ途切れの問いかけに、シンシアは満面の笑を浮かべながら答えていたが、やがて腹を抱えて大きな声で笑いだした。
「うぷ!あはははは……もうだめ!!デリアが見たのはこのカエルでしょう」
シンシアが呪文を唱えるとその姿が、さっきのカエルに変わった。
「さっきの物語、ぜんぜん続き考えていなかったのよ。そんなことより、デリアにはやく見せたかったのね。これをね。びっくりしたでしょ!わたし いろんなものに姿を変えられる呪文をおぼえたのよ!」
シンシアはカエルの姿のまま、誇らしげに話しつづけた。



少し風が吹いている。周りの森の木の枝や葉を揺らす音がざわざわと村の中まで響いて、今夜は静かとはいえない夜だ。だが夜の風はひんやりとしていて気持ちがいい。デリアはその感触を楽しんでいた。
寝床についてから、デリアは今日あったことを色々と考えていると、寝付かれず、家を抜け出して散歩に出ていた。
デリアは夕食の席で、レオンのルビーのことを両親に聞いてみたが、父さんも母さんも「知らない」とはいったものの、どこか歯切れの悪い返事だった。ちょと気まずくなったので、シンシアが変身呪文を見せるため、デリアの前にカエルで現れた話をすると一緒に笑ってくれ、変身呪文の習得したことにしきりに感心し、うなづいていた。
それから、いつか自分が村を出たときどんな人と出会い、どう暮らしていくのだろうという話を父さんが始めると、母さんがここでずっと一緒に暮らすのだといって、少し泣いた。
この村は外から人を入れない。それはデリアが物心ついたときからのこの村の習慣──いや掟というべきものだった。そして、デリアも村の外に出ることを今は禁じられていた。村の外には興味はあったが、それほど外へ行きたいとは強く思っていなかった。剣術や魔法が強くなれば、外へ連れて行ってくれると約束されていたし、むしろ外に出るということをそれほど真剣に考えた事はなかったからだ。たとえ村の外に行くことがあっても、暮らすのはこの村だと思っていたデリアにとって、父さんがなぜあんなことを言い出して、母さんが泣いたのかと思うと少し不安になった。

ふと、レオンの家の前を通りかがると、玄関の扉が僅かながら開いていて、そこから灯りが漏れていた。
中からは聞き覚えのある声かすかにが聞こえてきた。レオンとシンシアの声だ。デリアは扉に近づき隙間をそっと覗いた。だか、そこにはレオンと見知らぬ女の人だったのだ。だが、切れ切れに聞こえてくる声はシンシアのものであった。
デリアの知っているシンシアはデリアと同じぐらい歳か、むしろ幼いくらいなのに、それよりずっと年上のレオンと同じぐらい歳の大人の女の人になっていた。変身魔法なのだろうとは思ったが、なぜあんな姿をしているだろうと思い、扉の裏に隠れながら二人の話に耳を傾けた。
「わかっているわ。たとえ偽りの姿だとしても、今はこうしていたいの」
「だが、俺の……俺たち村人で犯した罪は大きい」
「私も同罪。だからここにいるのに。その贖罪のためにこの村が……」
「長老の予言では『試練』が迫っている……その前に『彼』にデリアを託すことが出来れば」
「でも私、予感がするの。やっぱりその前に……」
「よせ。今はデリアを一人前の『勇者』にすることだけを考えなければ」
「……ああ。レオン愛しているわ」
「俺もだ……シンシア」
しばらく会話が途切れたので、デリアはまた、そっと扉の隙間を覗いてみた。すると、レオンとシンシアは抱き合い、『接吻』をしていた。『接吻』……書物で読んだ事はあるけど、初めてみるその行為にデリアの心臓はどきどきと高鳴った。同時になぜかそこに居たたまれなくなって、足早にその場を離れた。



今日も空が青い。朝の光がまぶしい。
今日もずっと晴れだろうから、母さんは今日あたり敷布を洗うかな。今晩は洗いたての敷布の上で寝られたらいいな。
デリアはそんなことよりを思いながらも、昨夜見たシンシアとレオンが接吻を交わす光景が目に浮かび、気になって仕方がなかった。
大人のシンシア。レオンとこの村の人たちが犯した罪。その贖罪ためのこの村。それに『彼』とは誰のことだろう?そして『試練』とは?デリアはこのことを村の長老や誰かに聞いてみようと思ったが、きっと誰もこれらのことには答えてくれないだろうとも思った。今だに『勇者』の意味さえ誰も答えてくれないのだから。

デリアは空を見上げながら、今日もいい天気であることを疑わなかった。山の向こう側に黒い雲が覆っていることに気がつかなかった。空を見上げながら歩いていると、花畑に寝転がっているシンシアにうっかりとつまづきそうになり、よく見ることが出来なかったのだ。
「あっ!ごめんシンシア。だってこんなところで寝転がっているなんて思わなかったから……羽根帽子。蹴飛ばしちゃた」 
「おはようデリア。いいのよ。こうして寝っ転がっていると とてもいい気持ちよ」
シンシアはいつものシンシアだった。いつものシンシアであることに、デリアは安堵した。デリアもシンシアと同じように花畑に寝転がってみた。花と草の香が気持ちよく、ずっとこのまま寝ていたくなった。だが、やはり昨夜のことを確かめたくなり、デリアは神妙な面持ちでシンシアに話しかけようとしたが、シンシアが先に口を開いた。
「ねえデリア。わたしたちずっとこのままでいられたらいいね。最近夢を見るの。私たちが、この村でいつまでも幸せに暮らしてる夢……。わたしね、この村が大好き!デリアのことも大好き!だからいつまでもいっしょに居られたらいいのに……」
シシンシアの言葉は昨晩デリアがレオンの家でのことを見ていたのを知っているかのような言葉だった。本当にここでずっと一緒にいられるのだろうか、そうでなくなる日がやってくるのだろうかと、考えるとデリアはまた不安になった。

そうしていると、広場の向こうで村の人達がざわざわと何かを言い合っているのが、聞こえてきた。
花畑から身を起こし、聞こえてくる皆の話では、どうやら外から「旅の詩人」と名乗る者が村に迷い込んだらしく、今は以前に宿屋だった場所にいるということだった。
昨日のことと、さっきのシンシアの言葉に少し不安になっていたデリアはそう聞くと、その不安を拭うように、その人に会って皆が話すことや書物に書いてある外の事が本当なのかを聞いてみたい衝動に駆られた。
「あっ、ちょとデリア、待ちなさい」
シンシアは一瞬そんなデリアを止めたが、それさえも耳に入らずデリアは宿屋の方へと駆け出した。

「ほほう……。この村にはキミのような子供もいたのですか」
デリアは一目その旅の詩人を見るなり、デリアはぽかんと見とれてしまった。整った顔立ち。流れるような銀の髪。そしてあの宝石と同じ紅い瞳を見た瞬間、初めて人に対して「綺麗」だと思った。
「わたしは旅の詩人。山道で迷ってしまって、この村にたどり着いたのです。しかしこんな山奥に、このような村があったとは……。まったくおどろかされましたよ」
話つづける旅の詩人をよそに、デリアの心臓は昨夜シンシアとレオンの接吻を見たときように、どきどきとし始めた。それと同時になぜかをそれをつかまれたような感じがして、息がつまりそうだった。今まで感じたことのない感情にデリアは落ち着かなかった。
「……私はデリア」
外の話を沢山聞くつもりだったのに、そう名前を告げるのが精一杯だった。旅の詩人はゆっくりと優雅に頷き、薄い笑みを浮かべて、デリアを見つめた。





瓦礫の山と、木や草が焼ける臭い。生臭い血や肉の臭いもした。デリアは地下の倉庫を這い出て見た光景に愕然となった。
『魔物が攻めてきた』
『狙いはお前』
『私たちは本当の親ではない』
村の人達や父さんと母さんが次々とそう怒鳴りあって、レオンに大きな袋を渡されて、それから……それからシンシアが……自分と同じ姿になって……
『さよなら』と。
皆の言葉がぐるぐると頭の中を巡るが場面が上手く繋がらない。が、デリアは必死に思い出し続ける。
『…………様、勇者を仕留めました』
『おお、でかしたぞ!よくぞ勇者をしとめた!ではみなの者、引き上げだ!』

デリアはそこまで思い出すと、少し考えるのをやめて、積み上げられた瓦礫や焼けた木片を動かし、誰が生きていないかと探した。
だか、なぜか誰の亡骸さえ見つけることはできなかった。どうしてなんだろうと涙があとからあとから溢れた。
それでも瓦礫や木片を掻き分けながら、その前に何かあったはず。何だったのかなと、また少しづつ今日の事を思い出していく。
そして村の外から来たあの旅の詩人の姿が浮かび、そのとき感じたなにかを思い出そうとしたが、よく思い出せなかった。だが、最後に聞いたあの『声』がその人と同じであることは思いだし、聞いた名前を呟いてみた。
「デスピサロ様……か」
そして、レオンのあの言葉。
『お前には秘められたチカラがある。いつの日かどんな邪悪な者でも倒せるくらい強くなるだろう』
これがきっと『勇者』という意味なのだろうと思った。だが、それを皆に確かめてみることはもう出来ないのだ。
ふと足元をよく見ると、シンシアの羽根帽子だけ殆ど焼けず残っていた。デリアはそれを拾いあげると、レオンに渡されたふくろと共に胸に抱き、何かを待つように、だだその場に立ち尽くしていた。
やがて、ゴロゴロと雷がなると同時にきつい雨がばたばたと降り出した。
今日は雨なんて降らないと思ったのに。洗濯物入れるように母さんに……洗いたての敷布で……。
当然、洗濯物も敷布もなかった。だが、雨だけはデリアの上に容赦なくばたばたと降り続けた。空は山の遥か向こう側まで、黒い雲が覆ったままで。デリアはこの雨が、明日も明後日もいつまでも止むことがないように思えた。

−fin−


あとがき

ライアン×女勇者中心サイトと銘打って立ち上げたはずなのに、新作はこのようになりました。期待された方とりあえず。ごめんなさい。
山奥の村での話ですが、今後の書きたいお話の伏線を沢山盛り込んでしまいました。それを収集する話を本当に書けるのか私。……書く……書きます。一応そのためにサイト立ち上げましたから。


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