大理石の白いテーブルの上のふたつの杯に私は紅いワインを注ぐ。
ひとつは私の杯、もうひとつはあのひとの杯。
もうすぐあのひとが帰ってくる。
私は指輪に触れ、仕込まれた秘薬をひとつの杯に落とそうと考える。
エルフ族にとっては恍惚の秘薬。
だか、魔族にとっては……。
私は罪を犯した。
天空の主は私にどのような罰を与えるのだろう。
だが、私は今だ罰を与えられていない。
天空の主は、この島この搭にいる私を見つけていないのだろうか?それとも私を監視しているのだろうか?
大地のエルフに名前はない。かつて私もただの地のエルフ。大地の一部であるルビーの石そのものだった。
だけど、あの日あの時あのひとから「名」を貰った瞬間から、私の中の何かが変化した。
否。変化したのはあのひとに出逢ったあの瞬間。
あの紅い瞳。私のルビーより澄んだ瞳。あの力強い瞳を見た瞬間。私は囚われた。
他種族と交わり契ることは、エルフ族の禁忌。
でも、私は……。
この搭がある島の動物達は皆、言葉を持っている。これもあの方のお陰と動物達はあのひとを称える。
時折、搭へやって来る鳥達が、私に外の世界の噂を教えてくれる。
「人間と契ったルビーのエルフは罰を受けているよ」
「そうそう。あの大陸の山奥の村」
「だけど不思議だね。罰を受けているのに幸せそうだよ」
「そうね」
「そうだね」
「どうしてなのかな?」
「どうしてだろう?」
罰を受けているという、そのエルフは、どんな想いで人間と契ったのだろう。
罰を受けているのに幸せとは……?
私は扉の向こうに控えている守人に問い掛ける。
「お前は今、幸福なの?」
「おっしゃる意味がよくわかりません」
「では、ただひたすらこの扉の守をしているだけの日々をどう思っているの?」
「それが私の役目。それ以外何も思わない」
「以前の自由な自分を取り戻したとは考えないの?」
「私に取り戻すものはありません。今、私はあの方の命に従う者。ただそれだけ」
「それがお前の幸せなの?」
「…………」
守人はそれ以上何も答えない。そう。彼もまた他種族と契ったエルフ族。
彼は身も心も魔物になり変わった。それが彼の受けた罰。だが、純粋な魔族でもない彼は、魔族の中でも生きられない。あのひとに従い、この搭の中でしか生きて行けない囚われの身。
私もまた囚われの身。あのひとの紅い瞳の囚われ人。それは自ら望んだ事。
今、私はこの搭の中であのひとを待つ。それが私の幸せ。あのひとと過ごす時が至福の時。
もう、あのひとなしでは生きてゆけない。
でも……。
ああ。私は恐ろしい。私に課せられる罰とは一体何なのか?
この恐怖から逃れる為には……。
大理石の白いテーブルの上に紅いワインが注がれた、ふたつの杯を私は眺める。
そして窓の外を自由に飛び回る鳥達を見つめながら、指輪に触れる。
窓の外の鳥達はくすくすと笑い私を見て囁く。
「見えたよ」
「来たよ」
「帰ってこられたよ。あの方が」
やがて、聞こえるあやかしの笛の音に、私の胸は一気に高鳴った。
一歩一歩、あのひとが搭の階段を上るたびに聞こえる外套の衣擦れの音に、呼吸が乱れてしまう。
守人が開けた扉の中の、あのひとの紅い瞳が真っ直ぐに私を見つめる。
「いいこにしていたかい?ロザリー」
「お帰りなさいませ。ピサロ様」
「ふふ。もう『いいこ』は可笑しいな。お前はこんなに美しい大人の女になった。契ったエルフは皆こうなるのかい?」
「……わかりません。私はもう他のエルフとは逢うことができませんから」
「そうだったな……。だが、ロザリーもう少し待っておくれ。私がこの世界をすべて支配する時がくれば、天空の主を恐れ、こうしてこの搭の中に閉じこもっていることはなくなる。その時がくれば堂々と他のエルフ族に逢いに行くがよい」
「……その為に人間達を滅ぼそうというのですか?」
「いけないかい?お前も人間が嫌いなのだろう?」
「好きではありません。でも……」
「まあよい。それよりこれを見てご覧。ようやくそれらしき者を見つけたのだよ。天空人の血と人間の血を併せ持つ者を。この者を始末すれば、もう私に恐れるものはない」
外の世界を映し出す水晶をピサロ様が指差す。水晶の中には翠の巻き毛髪の少女。平凡な人間の少女にしか見えない。だが、ピサロ様は水晶の中の少女をじっと見つめる。
「楽しみだよ。早く見てみたいものだ……君の体から飛び散る紅い血を。苦痛に歪むその顔を」
恐ろしいことを口にしながら、ピサロ様はいつものように優雅な微笑みを私に向け、テーブルの上のワインを飲み干す。
「明日もいつものように、用意しておいておくれ。ロザリー。明日飲むワインは格別な味になるだろう」
「はい。ピサロ様。とっておきのワインを出しておきます」
大理石の白いテーブルの上のふたつ杯に私はワインを注ぐ。
そして、あの水晶の中を覗き見る。
水晶の中には人間に姿を変えたあのひと。そして翠の巻き毛髪の少女。
あのひとが少女を熱く見つめる。
今までにないくらいに熱く。熱く。熱く。
ああ。お願い。ピサロ様。その少女を見つめるのはおやめ下さい。
早くここへ来て、私を……私だけを見つめてください。いつものように。
丸い大理石の白いテーブルの上には紅いワイン二杯。
ひとつの杯にこの秘薬を落とし、あのひとに渡す。私は時折、そんなことを考える。
そうすれば、ピサロ様は永遠に……。
─fin─
ロザリーの愛ゆえの葛藤と、色々妄想設定。
守人=ピサロナイトの相手については、実はあまりよく考えていません。魔族なのか人間なのか、女なのか男なのか。お好きに想像してください。
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