お茶漬けとビール



たまには外で呑もうか。
特にこれと言った意味はなかったれど誘った食事。
考え込むでもなくさらり、了解と頷いて二人は行きつけとまでは言わないまでもそこそこ利用している料理屋の暖簾をくぐった。

呑みたい。と思った時、気軽に足を運べる場所を二人は何店か押さえている。
成歩堂法律事務所の近くに一店、検察局から直ぐのところに一店。お互いの家近所に各一店。そして、其々が行動を拠点とする駅前にいくつか。出先からふらっと立ち寄った風な利用目的だった為、格式ばった趣の店ではないけれど、全国展開するような居酒屋でもない…そこそこ繁盛し、そこそこ居心地がよく、酒と料理が美味しい店。
カウンターや座敷、テーブル席と個室、その店々で選ぶ席は違うけどなんとなく二人の間でオヤクソク的な場所なんかもあって、都合がついた時こんな風に利用することにしている。
今日の店は居酒屋よりは少しだけかしこまった感じの割烹料理屋。和風モダンな造りの店内は和紙で和らげた証明が適度な雰囲気をかもし出していて気持ちが落ち着く。二人が腰を落ち着けたのは店の奥にある座敷で、足を崩して寛ぐ。差し出されたお絞りはひんやり冷たく、蒸した埃っぽい外からの汚れを心地よく拭ってくれてるよう。
「取り合えず、ビール。ジョッキでね。御剣は?」
「む‥そうだな、冷酒で‥お勧めの銘柄は‥」
冷酒にお勧めの銘柄を、店員の説明を受けながら決める御剣と、軽くつまめるようなものを適当にお品書きから選ぶ成歩堂。
食の好みを大方把握しているわけではないからこれはどうだろう?と言う品にはお伺いを立てつつ、冷えたジョッキと涼しげなガラスのお猪口を掲げて乾杯をした。
「あっ、この突き出しのイカオクラ旨い。御剣、食べてみて」
「なんだ、オクラは食べれてじゅんさいは苦手なのか。どちらも旨いと思うのだが」
「お造りが竹筒に入ってると、それだけで上品な気がしない?」
「ム‥すまないがそれは遠慮しておこう」
「ぅわっ、鱧?僕、鱧ってはじめて食べるよ。どお?美味しいの?」
「何かいいことでもあったのか?そのペースだと酔いつぶれてしまうぞ」
「あっ、そうそう!今日イトノコ刑事に会ったよ。元気なさそうだったけど、御剣心当たりない?あるでしょ?」
「すだちとカボスの違い?まぁ、見かけは殆ど変わらないしな‥だが香りはまったく別物で‥」
色目豊かに盛り付けられた皿に箸を伸ばし、口にしてはグラスを傾ける時間。
他愛もない話に華を咲かせ、食の好みを語ってみせる。笑ったり唸ったり、ちょっとだけ驚いたり意外だと目を丸くしたり、ささやかに楽しい食事。仕事を離れると少しだけ砕けた表情になる御剣をホクホク笑顔で観察する成歩堂と、仕事抜きにして立場上敵対関係となる弁護士なのに向かい合えば昔馴染みだからなのか会話が途切れない不思議さを心地よいと感じる検事と‥それなりに長居していることになんて気づきもせず空いた皿が増えてゆく。
「御剣もさぁ、なんかいいことあった?機嫌いいよね」
きた時と変わらぬ配分でお猪口を傾ける御剣を、ほにょんとした笑顔で見詰めながら成歩堂が訊ねた。
「私か?…いや、いつもと変わらぬ一日だったが‥」
言われて思い当たる節がないと首を傾けると
「う〜ん、僕の気の所為‥じゃないと思うんだけど。御剣ってさ、ザルかどうかはわかんないけど結構いける口だよね。それも酔いが顔に出ないタイプ」
「そう‥なのか?だが、それと機嫌の良さとどう関係するのだ」
その仕草を疑問系と取った成歩堂が心なしか弾む口調で説明する。
「そんなに呑んでないよね?そんなに呑んでないのに‥‥ほっぺたが赤い…。ちょっとだけど…赤い」
「…ほう、それで?」
「いつもは顔色一つ変えずサクサクお銚子を空けちゃうような人が、たいした量呑んでる訳じゃないのにほろ酔い気味。酔いを出せちゃうくらい気が緩んでるってことは、いいことがあったんじゃないかって僕は推測するんだけど…」
別に拗ねてるってわけじゃない。職場も違えば住処も違う。接する人も違うし日々の出来事も其々で、互いに知らない時間の方が圧倒的に多いのだから、その日の機嫌やその時の感情だって違って当たり前なのだ。
だからそのことで相手を咎めるなんてお門違いだって分かってるし、そんなことも受け入れられないようじゃぁあんまりにも狭量だなんてこと分かってる…分かってるけど、その上機嫌の原因に心当たりがないことや自分が関わっていないことはちょっぴり寂しくて、ちょっぴり悔しい。
あ、これってやっぱり拗ねてるってことなんだろうかと…気づいたら余計に情けない気分になってくるから嫌になる。
気持ちを紛らわせようと温くなったジョッキに手をかければ、中身が空だということに気づいて成歩堂は店内の通路に目を向けた。
「すみませんっ、ジョッキおかわり」
忙しなく店内を行き来する店員を呼び止め、空のジョッキを掲げれば
「そういう君も随分とすすんでいるが?」
くつり、柔和な笑みが向けられる。
それは君とは違う意味でね…悔し紛れに皮肉の一つでも言おうとしたが微笑があんまりにも綺麗だったから。イビツになりかけた心を手の平で丁寧に撫でられるみたいな優しくて綺麗な微笑みにごっそり心を奪われてしまったから
「御剣と‥一緒だから嬉しいんだよ」
ぽろり、本音が口を吐いた。
しまった‥顔を顰め今出た言葉を飲み込もうにもしっかり聞こえたであろう御剣は瞬きを一つする。こういうのは勝ち負けが決まるわけではないけれど、なんとなく負けた気がして俯く。まともに相手の顔が見れないバツの悪さがある。
「それを言うなら私も‥」
なのに、どうして。
「君との時間が嬉しくてたまらないのだよ」
どうして、この男は‥。
「言われるまで気がつかなかったが君と食事を共にすることも酒を酌み交わすことも、こうして話をすることも私にとっては特別なことで、今日一日仕事を頑張ったご褒美みたいだと改めて思ったのだ」
だから自然と気持ちが緩んでいるのだろうな‥と、普通思っていても中々口に出せないようなことを恥ずかしげもなく、それも真顔で言えたりするのか。
締めのお茶漬けにのった鮎の身を解しながら言えてしまうのか理解に苦しむ。
「み、御剣っ‥どうして君は‥」
どうして、そういいかけて
「うム、なんだ」
ひょいと鮎の身から視線を移した、薄い茶色の混じった瞳を目の当たりにし、成歩堂は次に続く言葉が喉から胸へと落ちるのを感じた。
タイミングがいいのか悪いのか、追加を頼んだ生ビールの中ジョッキが明るい掛け声と共にテーブルに置かれ、僅かに身を乗り出し口を半開きにしている成歩堂の目の前で空いたジョッキが下げられる。
どうして君は。出掛かった言葉。一呼吸置くとすごく幼い言葉。口にしたらそれこそ負けを認めているようで
「どうして、君は‥いや‥どうして、僕は‥僕は…」
年を一つとるごとに薄くなってゆく純朴な素直さと微妙に増えてゆく大人のこずるさとの間でぐるぐると回転してみせた。
「僕は‥違う、君は‥その、呑んだ後食べるお茶漬けみたいだ」
ぐるぐる考えて悩んで、今のこのどうしようもなく嬉しい気持ちを表現しようとして、やっとでた台詞がそれ。
なんだその喩え?!言いたいことはなんとなく分かるけど、喩えでお茶漬けなんて色気がなさ過ぎる…というか、意味不明?ちょっとどころか相当おバカ発言?情けなくて口にした後血の気が引いてきてへなへなと力が抜けた。
「‥‥そうか」
そして御剣は短く頷くと今度は山葵の盛ってある小皿に箸を伸ばす。
「えっ、えっ‥えぇぇ?!」
意味不明ながらも相応に気持ちは込めたはずの言葉に軽く頷くだけの男のソツのない行動に、訳が分からず悲しみのこもった嘆きの声を上げた。
憎むべきは上手く気持ちを言い表せなかった自分だけど、それだけ?!質問とか疑問とかそういったものは何もなくお茶と一緒に流されてしまうのだろうか。
「みつるぎぃ」
「なんだ、さっきから騒々しい。君も早く呑まないと温くなってしまうぞ」
ひょいと視線で泡の薄くなったビールを促され、小雨がぱらぱら降りしきる気持ちを抱えて取っ手を指に引っ掛けた。
一緒に居る時間がこんなにも嬉しい。ただそれだけのことなのに伝えきれない‥もどかしさ。解ってもらえたのか不安な間。
「私も…呑んだ後こうして食べるお茶漬けが大好きなのだ」
「‥‥え‥?」
さらさらと流し込まれる音の前に何か‥何か‥?イイマセンデシタカ?
器用だとか不器用だとか、豊かだとか貧相だとか、上手いとか下手だとか、熱いとか冷たいだとか、率直だとか回りくどいとか、稀だとか頻繁だとか‥想いの伝え方に違いこそあるけれど
「それって‥僕のこと‥?」
好きって気持ちに変わりなんかない。勝ったとか負けたとか、どうだっていいじゃん。
小雨がぱらついていた心模様もいつの間にか晴天。
答えこそ返ってはこなかったけれど、傾いたお茶碗の向こう側で附している目元はほんのりと赤く、例えそれが酒気を帯びているからでも成歩堂の気持ちを昂ぶらせるには充分すぎるものだった。
「また、呑みにこような‥一緒に」
さっくり、爽やかな笑顔でジョッキを傾ける。
真夏の現場めぐりの後、駆けつけ一杯一口目のビールくらい大好きだよ!今度一緒に呑みに行った時はそんな風に告白でもしてみようかなんて思うあたり、懲りない男だけれど。
それが素直な気持ちなんだって言われれば許せちゃうかもね。




おしまいv





2007/08/03
mahiro