秘匿



キライって言えたら簡単なのにね。

君がキライ、キライ、大キライ。
顔も見たくないし声も聞きたくない…そもそも、一緒の空間にも居るのもイヤで。気配を感じるのもイヤだし同じ空気を吸ってるのも不本意。
もう、この世にいないものだと思えたらそれだけで天国?
どんだけ殺伐とした毎日を送ろうとも、世間から非難される日々でも、それこそ世界中の人間から嫌われても良いって思えるくらい…君がキライ。
キライキライ…キライなんだよ!大嫌いなんだってばっ!
何でこんなに思うんだろう。
キライの一言がずっと頭の中にあるし、胸いっぱいに詰まってる。
苛々、モヤモヤ、鬱積した負の感情がふつふつと煮えたぎりいつ、心の器から吹き零れてもおかしくない。
その所為で最近はトマトとかタバスコとか明太子やショートケーキにのっかってる苺とか、見るのもイヤだ。食べ物だけじゃない、日常に溢れる赤という色に過敏に反応する。どれだけ避けようとしても目に入ってくるし一旦その色を認識してしまえば、目を閉じても見えるんだ。
どうしてこの色は世に溢れてるんだろう。
道を歩けば標識に看板、見なきゃいけない信号機にも嫌味なくらいな真っ赤が灯る。ああ…ぼくのトレードマークの一つネクタイもその色で、毎日毎日首を締め付けてくる。
キライ、キライ…君も、君を連想させる色も…生業として選んだはずの法曹界…そのもっとも大切な法廷に立つのも苦痛。
法廷という場、戦わなければいけない検事、木槌を持った裁判官、傍聴人席や被告人席、証人席、重々しい木製のドアだとか…いや、何より嫌悪するのは検事席にある台なんだろう。どうしたって目に入るよ…睨まれたら睨み返せって訳じゃないけどついつい両目を見開いてみるじゃん。アノ、木製の机をさ…うっかり手の平で叩かれたりなんかしたら全身鳥肌が立つ。
検事が誰だって…初対面の人だって。
ぼくの目の前にソレがある限り嫌悪の対象になる。
いっそ、過去のあの時に戻って…戻って…どうすればいいかなんて分かんないけどとにかく戻って…消してしまいたい。アノ時間を…アノ時間を…。
その後のぼくの生活がどれだけ今と違ったものになっても…どうしようもないくらい荒んだものになっても…後悔なんかしない。
だから言っただろ?
君がいない世界はぼくにとって天国だって。
泥水に顔をつける生活でも天国だって。
そのくらいキライ、キライ、大キライ。
朝起きた瞬間から君がキライ。
あわただしい出勤前の時間でも君がキライ。
仕事中も休憩中も、書類とにらめっこしてても依頼人との相談中も、現場で直ぐそこに迫る法廷での証拠を探している時や尋問中の緊張感の中でも君がキライ。
無罪を勝ち取ったこみ上げてくる喜びや充実感の中でも、精根尽き果て抜け殻状態でベッドに潜り込む時も…多分、絶対、夢の中でも…君がキライ。

嗚呼、大声でキライって言えたら簡単なのにね。
夜通し、一日中誰かに君がキライだと言い尽くし、吐き出してしまえたら楽になるかもしれないのに…

ソレはできない。
ソレだけはできない。
自分でも分かってる。
だからこそ始終ぼくは思うんだ…君がキライだと。
呪文みたいに、呪詛みたいに、刷り込んでゆくんだよ。ぼくの意識に。
喉まで出掛かっている言葉だけれど強引に飲み込みながら、大きな塊を常に抱えている。
キライ、キライ…

ぼくを置いていった君がキライ。
君を信じていたぼくを置き去りにした…一言の相談もなく、僅かな素振りも見せず、忽然と姿を消したことが許せない。
憎いよ?恨めしいよ?哀しいし、怒りがこみ上げる。孤独感もあるし虚無感もある。
あの時も、今現在も…そしてこれから先の未来も。
大荒れさ。
ハリケーンに襲われ続ける。
大雨、暴風、雹も降るし…槍だって降っちゃうかもね!
ぼくの存在がゼロに等しかったのかもって考えただけで、ぼく自身が空から大地に降る。落ちて、落下して、叩きつけられ、瀕死の状態で生きて行かなければならない。

……だったのに。
………だったのに。

言葉にしてはいけない叫びを殺して…ぼくはソレをキライという言葉に篭める。
ひたすら連呼する。

溢れかえる言葉。
とめどなく溢れる想い。
絞りつくしても直ぐに湧き上がる情念。

キライって言えたら簡単なのにね。
言ってしまえば狂いそうなほどの憎念の正体が露になると知っているから
口にした瞬間逃れられない答えに囚われると分かっているから
ぼくは強く思う。
君がキライ、大キライ。
強く強く、ソレこそ意地になって頑なに思う。
気づかないふりをして、知らないと偽って、無自覚で構わないと頷いて、愚かだと自嘲しながら

ただひたすら、キライと思う。必死に足掻いてみる。
君が、キライだよ。大キライだ。




おしまいv





2007/09/09
mahiro