ココロのチカラ 2


 平日の遊園地は休日の顔とは違い、大人の雰囲気が漂う。三時を回る頃にはカップルと思しき人影が増え始めてた。
 その中でひときは目を惹く二人が、ヴォルグとだった。

 厳冬の国生まれを物語る白い肌に、自らの色で光を透かす髪。鍛え上げられた筋肉が、ソレを隠す長袖のシャツをより立体的に引き立てる。
そして、それ以上に視線を惹きつけて離さないのが、傍らで微笑む黒い髪のだった。

 そんな他人の視線など気づく余裕がないほど、ヴォルグはの、はヴォルグの世界を見つめながら過ごしている。
 心地よい緊張感と些細な事でも楽しいと感じられるしあわせ。そして、ヴォルグの心の片隅で揺れるへの愛しさ。
カタチにして刻みたいと願うのは、男の性(さが)。しかしソレは、ヴォルグにとって試合とは全く異なる緊張を教えていた。


『アイシテイマス』



 空港で告げた言葉をは覚えてくれているのだろうか?



 自分が理解できていない別の意味で彼女は受け取ってしまったのではないだろうか?





 ベルトを取ってに交際を申し込むつもりだたヴォルグにとって、今ここにと一緒に居られるだけで、満足しなければならないのかもしれない。
失う事を恐れて一歩が踏み出せないなど、ヴォルグが今まで経験したファイトではただの一度もなかった。

『恋愛も経験が必要ですネ・・・・』

 心の中でため息混じりに呟きながら、未だ繋げていな左手で自販機の二度目のボタンを押した。

 しかし、この状況は、梅沢の『出国前にそれなりの関係に』との適切なアドバイスと、ジムの鷹村を筆頭とするケダモノに成り下がるが如くの不適切な恋愛感がもたらした事など、経験値の浅いヴォルグに気づける訳もなく、太陽がまたその緋さを増した。


「お待たせしマした。疲れていませんカ?」

 ベンチに座るに缶ジュースを手渡すと隣へと座った。大丈夫と向けられた笑顔は何度見ても、ヴォルグの鼓動を速める。
ロシア人の白とは少し違う白さの肌に黒い瞳。薄っすらと紅を差した頬は白桃のピンクで、その先のサクランボ色の艶やかな唇は、とても柔らかそうだ 。
男なら誰でも触れてみたいと、自然に思わせる顔立ちは、本当に自分だけのモノなのだろかと、ヴォルグの不安を優しく煽る。
 ゆっくりと潤いを満たすように揺れるの白い喉元に、ドキリとして思わず視線をそらした。

「少し疲れてるかな。でも、すごく気持ちいい疲れだよ。だってヴォル?!・・・」
「? ドウしましタ?」

 逸らしていた視線をへ戻すと、彼女の視線は前方を見つめていた。

「ごめん、ちょっと持ってて」

 ヴォルグが前方へと視線を向けるより早く、先ほどまでの喉を潤していた白い缶が差し出された。ソレを受け取った事を軽くなった指先で感じたのだろう。
 少しだけ視線を戻したはヴォルグに小さく微笑んだ。


 どうやら、転んだ子供の世話を焼きに行ったようだ。
そんなおせっかいにも見える優しさも彼女の魅力の一つでもあるのだが、置いてきぼりを食った事に苦笑いを浮かべて視線を落とすと、白い缶に薄っすらとサクラ色が付いている。
 つい先ほどまで、の唇が触れていたこと教えられ、ヴォルクの心臓がコクンと鳴った。


・・・・ 触れてみたイ

 キスなんてとても切り出せないのだから、せめてと思うと鼓動が速まる。指先に力が入るのだが、それ以上は缶を見つめるばかりだ。

『やっぱりダメだ! こんなコト・・・・』

 心の葛藤に決着がつくと、指先の力が緩み小さなため息が漏れた。



「いいよ、飲んで」
「?!!!! !!!」
「どうしたの?」

 下心など知る由もないは、ヴォルグの表情が飲みたそうに見えたのだろう。
しかし、ヴォルグは下心を見透かされぬよう必要以上に必死で言葉を探す。おもわずロシア語で言いかけて、慌てて日本語へと置き換えた。

「デっでも、それじゃの分が ・・・・」
「大丈夫よ。私は、こっちもらうから」
「 アっ・・・・ ?!!!!!」

 言葉と同時に、もう片方の手から先ほどまでヴォルグが飲んでいた缶をそっと引き抜くと、うふっと微笑んで、まるで先ほどまで自分が飲んでいたかの様に、自然に飲み始める。

 青い瞳を優しく細めながら、との距離が縮まった実感に包まれたヴォルグは、少し残った不安を飲み込もうと、つい先ほどまで焦がれて止まないさくら色へと唇をあて一気に飲み干した。


「次、どこへ行こうか?」
「あっ、あの良かったら、『オバケ屋敷』イきませんカ?」
「えっ? いいけど ・・・・」

 距離が縮まった勢いを借りて、幕之内のアドバイス通り、オイシイと教えてもらった場所を提案した。
の返事に、下心がばれやしないかと鼓動が速まる。

「何か心配デスか?」
「ううん。私はぜんぜん平気だけど、ヴォルグは大丈夫? 怖くない?」
「大丈夫です! 問題ありまセン!」
「うん、じゃ行こう!」

 は、にっこり微笑むと、ヴォルグが持っていた空き缶と自分の空き缶を捨てに行った。
戻るのを待って歩き出す歩幅は、いつの間にか広く速くなってしまって、少しずつとの距離が開く。

「待って、ヴォルグ」
「あっ、スミマセン。つい嬉しくテ」
「私もだよ。だから、置いてかないでね」

 可愛らしい物言いに、また自分の気持ちが湧き上がる。

「置いて行くなんてトンでもないデス!絶対に、離しませン!」

 へと伸ばした手に、頬を染めたもまた、自然にその手を重ねた。
その柔らかな感触で、また一歩距離が縮まった事に気づいた。それほど、自然に、ヴォルグはへと手を差し出していたのだった。

「約束だよ ・・・・」
「ハイ! 約束シます!」

 手をつなぎ横に並ぶの横顔は、やはり綺麗で、目が合うとお互いに微笑を交わす。
とても穏やかで優しい時間は、夕暮れも風さえも暖かくする。

「あの ・・・ いつでモ ・・・」
「ん? 何?」
「缶ジュース、飲んでるノですカ? ・・・ あのヨウに」

 異国の風習はまだまだ知らない事ばかりで。
ましてや、恋愛の事となるとヴォルグ自身、最も疎い部分でもありお手上げだ。

「えっ? ヴォルグとじゃなきゃしないよ。 ってか、そんな事聞かないでよ、恥ずかしい」

 もう、とすねるとは対照的に、ヴォルグは満面の笑みをへと向けた。

「嬉しいデス! とってモ、とってモ、ウレシイです!」

 その端正な顔立ちを優しく崩して、少し下がり気味の瞳を飾る少年のような素直な笑顔は、ひと目での心を捉えたものだ。
この笑顔に抗う術を持っていないは、小さく微笑むとそっとヴォルグに寄り添った。






 神様は本当にいるらしい。

真っ直ぐな想いには真っ直ぐに、ねじれた想いにはねじれて答えてくれる。







 おばけ屋敷から、勢いよく駆け出したヴォルグは、ベンチ脇のまだ若いクスノキの幹にもたれて荒げた呼吸を整え始める。
呼吸の乱れが疾走からだけではない事を、傍らでヴォルグほどは息があがっていないが教えている。

「大丈夫? 何か飲むもの買ってこようか?」

 息の静まりきらないヴォルグは、首を左右に振って否定をしめした。そして、大きくゆっくり深呼吸をすると、スミマセンと苦笑いを浮かべた。
 ドラキュラやフランケンなどを想像していたヴォルグにとって、日本のオバケなるものは、想像の域をはるかに超えていて、恐怖と言うよりは驚きに逃げ去るという、の前では絶対にしたくない行為を晒す羽目になった。
 足が竦んで動けなくなるよりはマシと思えるように、やっと頭が回り出して、ようやく言葉が出来てきた。

「スミマセン、急に走り出しテ。 情けないでス・・・・」
「そんな事ないよ。誰でもおばけ屋敷は怖いんだから。それに・・・・ ちゃんと約束守ってくれたらから」
「?! ・・・・・ ・・・」

 先ほどからずっと離さずに握られている手に、少しだけ力を入れてにっこりとヴォルグへ微笑む。

「かっこいいヴォルも、優しいヴォルも、情けないヴォルグも、大好きだよ。ぜーんぶ」

 優しく微笑み見上げた青い瞳は、少し切なげで真っ直ぐで、もっと優しくの瞳を捉えた。そして、頬を染めて伏目がちに近づく瞳に、もそっと目を閉じた。

「・・・・ アイシテマス、

 そう囁くと、繋いでいない方の手をの頬へと添えた。






 バキィィィ!!



 沈んだ夕日は周りを隠し、街頭の下の二人を照らしていた。しかし、みつめるのは二人だけではなかったようだ。

「!!!ちょっと!何してるのよ!」
「えっ?! わぁ! 〜」

 さすが、おばけ屋敷でも、微動だにしない実績は、迅速な行動で証明される。
その矛先は、いつもこういった場面では貧乏くじを引く、幕之内だった。
逃げようとする彼の後ろ襟を掴んで、腕を首に回す手前で、ヴォルグはの腕をつかんだ。


 鷹村の誤魔化しばればれの堂々とした説明と、木村と板垣の友好的なフォローで、首根っこを捕まえた彼が、ヴォルグの居候先の幕之内である事や、親睦もかねてと、いかにも後から取って付けた様な夕食の誘いに二人は合流する事となった。

 見守りという名の覗きをしていた彼らなのだが、心根の優しさは十分感じる。
も、世話になっている幕之内が必死で詫びるので、逆に恐縮してしまった。
それ以上に、誠意を持った謝罪や、いろいろな話をしていくうちに、ヴォルグを思いボクシングが大好きな幕之内に、本当の優しさと強さを感じ始めていた。


「いい人達だね」
「ええ、みんなイイ人。お母さんも、優しいし、幕之内は幸せデス」
「だから強いんだね。心の力いっぱい持ってるから」

 先に歩く鴨川ジムの面々の後ろ姿をみつめならが少し離れて二人は歩いていた。

「ココロノチカラ?」
「うん。辛くても、もうだめだと思っても、助けてくれてる人の事思い出すと、もう少しだけがんばれる。
 そして、また、ダメだと思ったら、また思い出してって、がんばれるんだよ」
「素晴らしいデス。だから、幕之内は、とっても強イ。僕なんか、とても」
「ん? どうかしたの?」
「いえ、幕之内のスパーリングの相手、頼まれているのデスが、とても、今の僕じゃ、役に立てないデス」
「そっか・・・、ブランクけっこうあるんだ・・・。でもさ ・・・」

 夕日が映す影とは異なった、小さく短い影が立ち止まると、片方の影が小さく動いた。

「やってみなきゃ解らないよ。最初からあきらめてたら、なんにも始まらない。
 ヴォルグだって、みんなから、たくさん心の力もらってるんだもの。
 きっと何か、できる事がみつかるよ」

・・・・」

 真っ直ぐに見上げる黒い瞳に、自分の姿が映っている。そして、優しいけれどしっかりとした言葉が、心に広がってきた。
何かをしたいと願う思いが、の言葉で勇気へと変わっていった。

「そうですネ。何が出来るか解らナイ。でも、出来るコト、きっと何かあるハズ」
「うん。ヴォルグなら、大丈夫って、信じてるから ・・・ ?! ・・・・」

 にっこりと微笑むの頬に、グローブをはめている時からは、想像も出来ないほど大きな掌が、躊躇いがちに触れる。

がいれば、僕は前に進めル。いつも、ココロノチカラをくれるカラ」
「そんな ・・・・ こと ・・・・」

 熱く見つめるヴォルグの瞳に、言葉が途切れる。 その先の言葉は、互いに必要なかった。
 ヴォルグは触れた掌で柔らかい頬を包むと、少しだけ顔を傾けて、の柔らかい唇に自分の唇を重ねた。
体は紅く湧き上がるのに、心は春の雪解けのような暖かさに満たされ、この想いを永久に守りたいと祈りにも似たヴォルグの願いがへとあふれ出す。

 守られ包まれていた愛から、守り包む愛へとチカラを変えて、若き狼は世界(みらい)を目指す。






20111026 執筆者 天川ちひろ
 すっごく時間がかかってしまいました。
私にしては、めっちゃ長い1話です(苦笑。
書きたいネタ全部書いたらこんなになってしまいました。
間接キスなんて、いまどき中学生でもどきどきするかどうか怪しいですが、
ヴォルグの恋愛レベルでは、かなりドキドキだったかと。
そんな彼ですが、次はちゃんとオオカミになるはず・・・・です(笑。