止まない雨は


朝見た天気予報では今日は晴天だと言っていたはずなのに、仕事を終えて外に出てみると、バケツをひっくり返したような大雨だった。
今日に限って傘を忘れた自分に気づき、ジェレミアは舌打ちをした。自分の運の悪さを呪いつつ、ジェレミアは空を見上げてため息をついた。

「おや、ジェレミア辺境伯ではないですか?」

妙にかしこまった口調ではあったが、背後から聞こえたその声は、旧友のものだとすぐにわかった。
「……キューエル卿か」
ジェレミアは振り返ってそう言った。
「傘を……持っておられないのですか」
そう問うキューエルの手には紺色の傘がある。
「あ……ああ。忘れてしまったようだ」
ジェレミアのその返答を聞き、キューエルは少し首を傾げて何かを思案したのち、
「この傘、お貸ししますよ」
そう言い、仏頂面のまま傘を差し出した。
ジェレミアは、眉間に皺を寄せて言う。
「……待て」
「何か?」
キューエルは顔色一つ変えない。ジェレミアはこう質問した。
「お前は傘を二本持っているのか?」
「いいえ。一本です」
とキューエルが返答した。
「では、その傘をわたしに貸したらお前はどうするんだ」
キューエルはその問いに、眉一つ動かさずにこう答えた。
「わたしは、濡れても構いませんので」
ジェレミアはその態度に少しむっとして言った。
「……お前が構わずとも、わたしが構うのだ。その傘はキューエル、お前が使え」
「卿はどうされるので?」
「濡れて帰るさ」
ジェレミアは軽く笑いつつ言ったが、
「閣下に風邪をひかれては困ります。どうかおやめ下さい」
キューエルはクールな外見に反して、妙に頑固な男である。
言い出した意見は曲げず、最後まで押し通そうとする……そういう性質なのだ。
その目は毅然としてジェレミアを見ている。絶対に、傘なしでジェレミアを帰らせるつもりはないらしい。

「仕方がないな」
ジェレミアはキューエルの気迫に圧し負けて思わずこう言った。
「わかっていただけましたか?」
と傘を差し出すキューエルに、ジェレミアはこう提案した。
「部下が風邪を引いても仕事に差し支えるのだ。ここは、近くの店まで一緒にわたしの分の傘を買いに行ってはどうだ?」
「……それは……」
キューエルは不服そうにうつむいたが、断る理由が見つからなかったようで、
「仕方ありませんね」
と言って笑った。その笑顔を見て、ジェレミアはほっとした。

いつのまにかキューエルがジェレミアに対してよそよそしい敬語を使うようになっていた。
上司と部下である以上、当然のことだ。
しかし、ジェレミアはそれを、仕方ないことだけども寂しいことだと感じていた。
だが、口調は変わっても、彼の根本的な部分は変化していないのだとわかるときが、時々ある。
今が、そのときだった。

キューエルが、彼らしい機敏な動作で傘を開き、
「……どうぞ、辺境伯」
ダンスパーティで女性をエスコートするときのような笑みを浮かべ、傘の下へとジェレミアを招いた。
「ありがとう、キューエル」
微笑みながら歩き出したジェレミアは、ふと気づいた。
(………これって、もしや、俗に言う『相合傘』、という奴か……?)
自分で言い出したことのはずなのに、急に恥ずかしくなってしまい、ジェレミアは下を向いて黙った。

「あれ、どうしたんですか、卿。顔が赤いようですが」
「な……なんでもない」
そうごまかしながら、ジェレミアは曇った空をちらりと見た。
……雨は、まだ、止みそうにない。
その事実が少しだけ嬉しかったのは、自分だけの秘密にしておこう……そんなことを考えつつ、 ジェレミアは隣を歩くキューエルの歩みにあわせて歩を進めたのだった。



070813





忠実な部下モードのキューエルと、頼れる上司モードのジェレミアを書いてみたくてこんな話になりました。
オレンジ事件さえなければこんな関係でずっといられたんじゃないかと思うと泣けてきます…