それはまるで、瞬く星のような

キューエルは迷っていた。何について迷っていたかというと、隣の席に座っている青い髪でオレンジ色の目をした男のことだった。
ここは士官学校で、今は授業中である。キューエルはつまらない講義をぼんやりと聴いていた。隣の男の異変に気づいたのはついさっきのことだ。
まだ入学したばかりなので名前は知らないが、立ち振る舞いからして貴族の出らしいということは知っていたし、噂にもなっていた。逆に言うと、隣の席の男に関することはそれくらいしか知らない。
今、隣の席の男の様子ははっきり言って異常である。脂汗を額ににじませ、左手で腹を押さえている。顔色は土気色になってしまっているし、眉間にはものすごい数のしわがよっている。右手にペンを持ってノートをとってはいるものの、今にも倒れそうな様子である。
これは教鞭をとっている教師に言うべきなんじゃないだろうか、そうも思ったが、余計なお世話だと後で男に言われるのも癪である。いかにもそう言い出しそうな、偉そうな雰囲気の男なのである。
どうすべきだろうか。小声で大丈夫かと聞いてやるべきだろうか。そんな風に考えたとき、教師が言った。
「ジェレミア・ゴットバルト。48ページ冒頭から音読しなさい」
隣の席の男がぴくりと反応したのをキューエルは見逃さなかった。 青い髪の彼は右手で机の端を持って立ち上がろうとした。
ジェレミア・ゴットバルト……それが彼の名前らしい、とキューエルは思った。そのとき。
ガッシャーン、と派手に音がして、机ごと男が床に転がった。
「え……!!」
キューエルは慌てて立ち上がって駆け寄った。男は起き上がらない。
「おいっ、大丈夫か……!?」
そう尋ねるが、うめき声しか返ってはこなかった。
教師や他の生徒もこの突然の出来事に驚きを隠せない様子で、唖然として成り行きを見守っていた。
「先生、救急車を……!!」
キューエルは教師に向かってそう言った。急に我に返ったように、教師が、
「あ、ああ、わかった」
そう返事をして電話があるのであろう職員室に駆けて行った。
「うう、うう」
そうジェレミアのうめく声だけが、教室の中に響いていた。

結局のところ、ジェレミア・ゴットバルトは虫垂炎にかかっていた。
平たく言うなら盲腸だ。
普通ならとても普通に座って授業など受けられないくらいの痛みが彼を襲っていたはずだが、 彼のプライドは弱音を吐くことを許さなかったらしい。手を上げて、保健室に行くことすら、汚点になると 彼は考えたのだ。後で考えると、それはものすごく彼らしいエピソードだった。
その日授業が全て終わってから、キューエルは病院に向かった。自分でも何故、ジェレミアを見舞おうと、ジェレミアと関わろうと決めたのかはわからなかった。気づいたら体が自然に動いていたのだ。

「失礼する」
キューエルはそう言ってドアを開けた。
ベッドの上に横たわる男――ジェレミアがキューエルを弱々しく見た。怯えた小動物のような目だった。その目からは、突然襲ってきた病に彼が憔悴していることがうかがえた。
「誰だ、君は」
とジェレミアが言った。落ち着きのある深い声だった。
「キューエル。君の隣の席だよ」
キューエルがそう答えると、
「ああ。あのとき駆け寄ってくれたのは君か。その節はありがとう」
と形式的にジェレミアは言った。
「もう大丈夫なのか?」
キューエルが聞くと、
「ああ」
と短くそっけない答えが返ってきた。
ジェレミアはふっと笑いながら――何故そのタイミングで 彼が笑顔を浮かべたのかはわからない――言った。
「で、君は何のためにわたしを見舞いに来てくれたんだ?」
キューエルはこの質問をされて初めて、自分が何故、彼を見舞いに来たのかという疑問にぶち当たった。
キューエルは困惑した。親しいわけでもなく、言葉を交わしたことすらなかった者を、何故見舞いになど来たのだろう、自分は。しばらく考えたが答えは出なかった。
「なんとなく、君を放っておけなくて。隣の席のよしみもあるし」
キューエルはそう適当にお茶を濁した。ジェレミアは案の定、理解できない、と言いたそうな表情になる。
「それだけで? とんだ物好きもいたものだな」
キューエルは馬鹿にしたようなその言葉にむっとした。
「見舞いに来た者に対して物好きとはずいぶんな言い草だな、ジェレミア・ゴットバルト」
「ジェレミアでいい。だって事実、物好きだろう? 重病ならともかく、たかだか盲腸にかかったぐらいで見舞いなど必要ないし、第一そういう馴れ合いは軍人にはいらないものだろう」
冷たくジェレミアは言い放つ。
「わたしたちはまだ軍人ではない」
キューエルはそう反論した。
「だがいずれ軍人になる身だ。そういった甘い感情は捨て去るべきだろう」
ジェレミアの答えはあくまでそっけない、冷たい響きを持っていた。
キューエルにとっては、それがなんだか、とても嫌な響きに思えた。
「君には他に、見舞いに来てくれる友人はいないのかい」
キューエルのこの問いに、ジェレミアは当然だというようにこう答えた。
「わたしは立派な軍人になる、ただそれだけのためにこの学校に入った。友人など、そんな馴れ合いなど、軍人として大成するために必要ないものだ」
キューエルはこの言葉にむっとした。
「そんなことはない! つらいときに支えてくれる同志が、戦友がいてこそ軍人として本当に尊いものを手に入れることができる。わたしは、そう思う!」
それは誰にも見せたことのない、おそらくはキューエル自身も知らなかった、心の底にあった本音だった。キューエルは普段斜に構えている自分の口からそんな言葉が飛び出したことに驚き、困惑した。
「ならば」
ジェレミアは嘲笑のようなものを浮かべながらこう言った。

「君自身が、わたしの同志となり、友人は軍人にとって必要なものだ、ということを証明してみせる、というのはどうだい」

キューエルはジェレミアの突然の提案に驚いたが、すぐに挑戦的な微笑を浮かべてこう言い切った。
「ああ、受けてたってやる。わたしたちで、ブリタニアを……この国を、共に変えていこうじゃないか」
キューエルは最後にこう付け加えた。
「友人など必要ないという、その考えが間違いだということを、きっと証明してやる。君の鼻を明かしてやるから、覚悟しておけ。ジェレミア」
「ああ。せいぜい頑張れ。キューエルよ」
「……このわたしが、君の最高の友人になってやる。最高のライバルにな」
キューエルはベッドの上に投げ出されたジェレミアの右手を両手で包むように握って、そう言ったのだった。

そのとき、キューエルの中に芽生えた感情は、消えることなく今もここにある。それが、友情なのか恋なのか、それともまったく別の何かなのか。それはキューエル自身にも、未だに、わからない。



06/12/30




士官学校でのジェレミアとキューエルの出会いがこんなだったらいいな、 という妄想を形にしてみました。しょっぱなからジェレミアが酷い目にあってるのは ご愛嬌です(私が書くジェレミアはいつも酷い目にあってるな……)
キューエルのサド分が少し不足してる感があって非常に歯がゆかったです。まあさすがのキューエルでも出会ったときから サディストモード全開ということはないだろう、と。