突然の、何の前触れもない、雰囲気も情緒もない、そんな、キスだった。
彼の舌からまとわりつくように自分の舌へ伝わる甘ったるい洋菓子の風味に、吐き気がした。
ただでさえ甘いものは嫌いだというのに、 それが最上級に胡散臭くて苦手な男の、強引な口付けによってもたらされた味だと思うと余計に不快だった。



辺境伯の陰鬱な午後




「あれえ?なんだか不機嫌なお顔ですねえ。キス、お好きかと思ったんですけど」

唇を離して、茶化すように言ったのはロイド・アスプルンド――ジェレミアがこの世で最も嫌いな男だ。
今ジェレミアの執務室にはロイドとジェレミアしかいない。
いつもジェレミアのそばにいるはずのキューエルとヴィレッタは、先ほどロイドが無理やり追い出したのである。
『ジェレミア辺境伯と二人きりでお話がしたいので』……とか何とか、口からでまかせを言って。
ヴィレッタはともかくキューエルは追い出されることに対して不服そうだったが、仮にも爵位を持つ人間の言うことなので、仕方なく従うことにしたようだ。

「嫌いな人間にキスされて嬉しい人間などいるはずがなかろう」
ジェレミアがにべもなく言い切ると、
「あれえ。閣下は僕のことがお嫌いだったんですか。初耳だなあ」
あくまで飄々とそんなことを言う。ますます腹が立つ。相手にするのさえ嫌になる。
この男と自分は根本的に相性がよくないようだ、とジェレミアは思う。
「僕は、閣下のこと……わりと気に入ってるんですけれども……」
言いながらロイドは、少しずつジェレミアに歩み寄ってくる。二人の間の距離を縮めてゆく。
ジェレミアは警戒して言った。
「……それ以上近づくな」
「なぁぜです?」
「貴様はわたしに何をするかわからないからだ。また昔のように怪しげな薬を盛ってこないとも限らないしな。 もう貴様の実験台になるのはごめん被りたい。大体何度も言うがなロイド伯爵、 わたしは貴様が嫌いなのだ。用がないのならさっさと出て行ってはくれないだろうか」
ロイドはにやりと笑った。
「用ならありますよ」
「……どうせろくな用ではないだろうが、一応聞いておこうか」
ロイドは意味深な微笑を浮かべてこう答えた。

「閣下に、会いに来たんです」

ジェレミアはその返答に一瞬目を丸くしたが、すぐにこう言った。
「もう会っただろう。とっとと帰ってくれ。部屋からしめだしてしまったキューエルにも悪いしな」
「僕よりキューエル卿の方が大切だと?」
眉間に皺をよせて不機嫌そうにロイドが尋ねた。この男のこういう表情はすごく幼く見える。
まるで、お気に入りの玩具を独占していたいと願う子供のようだ、とジェレミアは思う。
「そういう問題ではないだろう。ここは執務室で、キューエルもわたしもこなさなくてはならない仕事がある。 貴様のような暇な人間に関わっている時間などないのだ」
「酷い言われようだなあ。僕もわりと忙しいのに」
「忙しいのならば職場に帰ったらいかがかな?」
もう相手にするのも面倒くさい――そう思いながら投げやりな口調でジェレミアが言った。

「目の前に美味しそうなデザートがあるのに、それを食べずに帰るなんて、僕にはできかねるんですけどねえ、閣下」

「何ぃ?」
その言葉の意味がわからずジェレミアが問い返すと、ロイドがその細く長い腕を伸ばしてジェレミアの頬を冷たい手で撫ぜた。
「……っ!?」
驚いてびくんと体全体で反応したジェレミアに、
「あっは。かわいいですよ、閣下」
からかうようにロイドが言った。ジェレミアの頬が朱に染まる。
「……ふざけるのもいい加減にしろ、ロイド」
頬を赤らめたまま早口でジェレミアは言った。
「ふざけてなんていませんよぉ。僕はいつでも本気ですから。でも、そういう反応の一つ一つが、すごく興味深いと 僕は思いますよ」
「………っ」
声にならない声をあげ黙り込んだジェレミアに、ロイドは畳み掛けるように言う。

「もっとあなたを"研究"したい。
あなたの舌に僕の舌を絡ませたら、
あなたの胸の突起を嘗め回したら、
あなたの陰部をしつこく愛撫したら、……
どう反応して、どんな表情になって、どんな声で鳴いてくれるのか……
僕はそれが知りたいんですよ、ジェレミア卿」

「な……!? 何を言ってるんだ!? ふざけるのもいい加減にしろ!この変態がッ!」
ジェレミアが思わず叫ぶと、ロイドはにやりと何かを企むように笑い、
「ふざけてなんかいませんよ閣下。僕はいつだって真剣なんです」
ジェレミアはその答えを聞いて、こめかみに手を当ててため息をついた。
「……お前がわたしのことをそんな目で見ていたとはな……」
ジェレミアは軽蔑しきった調子でそう言った。
「あはぁ、怒っちゃいましたか、閣下?」
「いや、前から想像はついていたから呆れるばかりだ」
ジェレミアはやれやれと言った調子で首をふって、
「貴様のような奴との会話に時間をこれ以上割くのは無駄だろう。今の言葉でそれがはっきりとわかった。もう出て行ってくれ」
「仕方ないなあ、今日のところは撤退させていただきます」
「さっさと出て行け」
ロイドは妙に素直に、軽い足取りでドアの前まで歩き、ドアを開けながら振り返ってこう言った。

「さっき言ったこと……絶対、実現させるつもりですから。覚悟しておいてくださいね、閣下」

「なっ……!?」
ジェレミアは、ロイドが『さっき言ったこと』の内容を思い出して真っ青になった。
「………勘弁してくれ………」
俯きながらぼそりと呟いたその言葉は、無論ロイドには届いていなかった。










070714





オレンジ事件前でも辺境伯は全力で受けっ子だといいなという話。
ロイドはすごく変態になっちゃいましたが、変態じゃないロイドさんも好きです