ジェレミアが目を覚ますと、そこは御伽の国だった。 正確に言うなら、巨人の国。 身の丈の何倍もあるデスクの上に、身の丈より少し大きいくらいの帳簿が乗っているのがかろうじて見える。ドアノブには背伸びをしても届きそうにない。そして自分はソファという名の断崖絶壁の上に横たわっている。 起き上がって、何度周りを見渡しても光景は変わることがなかった。 何だ、これは。 何の冗談なのだ? それとも夢か? そうジェレミアは自問したが、答えは出るはずもなかった。 K君の恋人 「……人形か?」 ドアを開けたその人物――キューエルが開口一番に言ったのはそんな言葉だった。 「人形にしてはよくできているな……」 そう言いながらカツカツと歩み寄ってくる巨人に、ジェレミアはできるだけ大きな声で叫んだ。 「人形ではないッ!わたしだ、ジェレミア・ゴットバルトだ!」 「!? この人形、しゃべるのか……?」 キューエルは驚きながら軽々とジェレミアを持ち上げた。 「なんだか温かいな……体温があるみたいだ」 「離せ!わたしは人形ではない!ジェレミアだ!」 キューエルはそこで初めてジェレミアの言うことに耳を貸す気になったらしく、 「ジェレミア卿……なのか?」 そう問うた。 ジェレミアはほっとしたように笑って、 「そうだ、ジェレミアだ!」 そう叫ぶ。 「わたしの知るジェレミア卿はもっと大きかったはずだが」 まじめな顔で、キューエルはそんなことを言う。 「わたしにもわからないのだが……この部屋のソファで仮眠をとっていて、目覚めたらこんな姿になっていたのだ」 そう言うジェレミアに、キューエルはそっとソファの上にジェレミアを立たせながら、 「とりあえず服が必要だな」 と真摯な口調で言った。そこでジェレミアはようやく自分の服がソファの上に乗ったままで、服までは小さくなっていない――ということに気づいて真っ赤になった。 「ヴィレッタに布きれをもらってこよう」 と、案外落ち着いたままキューエルは言った。 確かに、彼女は裁縫が好きだから、布きれくらい持っているだろう。 「あ、あの、キューエル卿。ヴィレッタには、わたしが、その、小さくなってしまったことは内密にしてほしいのだが」 キューエルは一瞬目を瞬いてから、 「ああ、了解した。秘密にしておこう」 そう言って部屋を出て行った。 「ふう……何故、わたしはこんな目に遭っているんだ……」 ジェレミアはソファに座り込みながらそう呟いた。 「くしゅんっ」 長い間裸でいたせいか、間抜けたくしゃみがでた。 そのとき、ドアが開いてキューエルが顔を出した。 「ジェレミア卿。とりあえずこれで我慢してください」 と、キューエルが差し出したのは洋服だった。 今のジェレミアにぴったりとはいかないまでも、なんとか着れそうなサイズ。 青い生地に、ご丁寧に純血派の羽バッヂまでついている上着と、ズボン。 「キューエル……貴様……」 着替え終わってから、ジェレミアは怒りに震えた。 「え……?ジェレミア卿……?」 キューエルはジェレミアが何故怒っているのか理解しかねるようだった。 「この服は、何だ。ヴィレッタが作ったのか?」 「いや、布切れをくれと言ったらこれをくれたのだ」 「嘘をつけ!わたしが小さくなったことを、ヴィレッタに言ったのだな……!!」 ようやくジェレミアが怒っている理由を理解できたらしく、キューエルはあわてて言った。 「いや、わたしは本当にただ布きれをくれとしか言っていない!本当だ!」 「言わないと約束したのに……信用していたのに……キューエルゥ!」 ジェレミアはソファから落下するように飛び降りた。足を痛めたがそんなことは今問題ではなかった。 ヴィレッタにだけは、この失態を知られたくなかったのに……! キューエルだけは、約束を守る信頼できる男だと思っていたのに……! 二つの思いが頭の中で交差して、思考回路がぐちゃぐちゃになる。 ジェレミアはドアに向かって走った。幸いにもドアは少し開いたままだったので、ジェレミアはそこから飛び出した。 「ちょっと待て!そんな姿で外へ出ては……!」 キューエルの制止なんて聞く必要はない。 ジェレミアはそう考えながら走った。 どこでもいい。ここではないどこかへ行きたい。そう思った。 「あーあ」 聞き覚えのある声が耳に入り、ジェレミアはその声が聞こえた部屋の前で立ち止まって、開いたドアの影に隠れた。 「やっぱり、あれはあげない方がよかったかも」 それは確かにヴィレッタの声だった。部屋の中には他にも誰かいるらしい気配がする。 「キューエル卿、「布きれ」が欲しいって言ったんでしょ?」 ヴィレッタではない女の声がそう言った。 「新しい人形の服、作ったから、古い服はもういらないと思ってキューエル卿に渡したんだけど……やっぱり、変に思われたかしら?」 おそらく女友達の前なのだろう、いつになく女らしいしゃべり方のヴィレッタに少し驚きつつ、ジェレミアは気づいた。 この、今自分が着ている、キューエルが持ってきてくれた服。 キューエルはヴィレッタには何も言っていなかった。 秘密は、守ってくれていたのだ。 ジェレミアは先ほどキューエルと二人でいた部屋へ走った。廊下はいつもよりも何倍も何十倍も長く感じられたが、それでも全力で走った。 ドアの隙間から飛び出してきたジェレミアを見て、キューエルはほっとため息をついたようだった。 「先ほどは、すまなかった」 ジェレミアはまず謝った。 「ヴィレッタには黙っていてくれていたのだな。ありがとう」 キューエルは珍しくにっこり笑ってそれに応じた。 「……さて。当面は、寮のわたしの部屋で一緒に生活するしかなさそうだな。一人では何かと不便だろう」 とキューエルは唐突に切り出した。 「風呂もベッドも、自前で工夫して用意するしかなさそうだし……」 と、説明を続けるキューエルをジェレミアは止めた。 「ちょっと待ってくれキューエル卿。お前にそこまで世話になるつもりは……」 「一人でろくに移動も食事もできない人間は、黙って世話されておけばいい。借りなど、元に戻ったときに返してくれればそれでいい」 冷たい響きの言葉だったが、その言葉の中のキューエルの細かい気遣いに、ジェレミアは気づいていた。 その言葉に秘められた、温かい……思いやりに。 「……ありがとう。」 ジェレミアは心の底からそう言ったのだった。 070310 同人の定番なのでもう誰かやっていらっしゃるかもしれませんが、お見掛けしたことはないのでやってしまえ!と書いてしまいました。タイトルでわかるように「南君の恋人」現象ネタです。一回やってみたかった……!! 言うまでもないですがオレンジ事件以前のお話です。甲斐甲斐しいキューエルは素敵だと思います。ジェレミアのためならなんでもやっちゃうよ!的な。意外に料理とか上手かったりしますようちのキューエルは。 「キューエルの私室編」に続く……かもしれません。 ヴィレッタはジェレミア君人形で遊んでるのかよ!というツッコミが入れられそうなので先に自分で入れておきます(笑) |