I am here.





「ばとれー!」
部屋に入るや否や、自分の名前を呼びながら小動物のように飛び掛ってきたジェレミアに押し倒され、バトレーは思わず苦笑いをした。……仕方のない子だ。そんな風に思う。『子』というには年をとりすぎている男のはずなのだが、精神が幼くなってしまっているためバトレーは彼を『子供』だと認識している。
「ばとれー?」
「……何だ?」
微笑みながら聞き返すと、ジェレミアは首をかしげ、
「ばとれー、なんだか元気ない、ました?」
と訊いた。……無垢で何も考えていないように見えて、鋭いところを突いてくる。人をよく観察している。
全く、こいつには敵わないな。そう思いながらバトレーはこう吐露した。
「シュナイゼル殿下がご病気になられたのだ。医者はただの風邪だというのだが、高熱を出されているので心配なのだ……」
「でんか……びょうき……」
ジェレミアの表情が変わった。
純真な笑みが消え、完全な無表情になった。
初めて見る表情の変わり方だった。
バトレーは不安になった。こわごわ、バトレーは彼の名前を呼んだ。
「ジェレミア……?」
ジェレミアがバトレーの上から退いた。
床に押し倒された体勢のまま呆然としているバトレーのことなど見えないかのように、ジェレミアがガチャリと音を立ててドアを開ける。
「あっ……待て、この部屋から出ては……!」
ジェレミアは、バトレーの言葉など聞こえなかったかのように、そのまま部屋を出て何処かへ走り去っていった。
「くそっ……」
油断をした。
実験適合生体を野放しにするのは危険だ。たとえ普段の彼が無垢な子供だったとしても、彼がその強大な力で人を傷つける可能性はゼロではない。
もしもジェレミアが人を襲ったら……彼にはもう哀れな実験体として「処分」されるしか道は残っていないのだ。
それだけは……それだけは、避けたかった。
バトレーは慌てて部屋を出、廊下を歩いていた白衣の男にこう命じた。
「今この建物にいる全員に伝えろ!実験適合生体を探し出せ!できるだけ危害を加えず、刺激せずに連れ戻すんだ!」




自室で病に伏したシュナイゼルは妙な胸騒ぎを覚えていた。
何か。
何かが、来る。
そのとき、部屋の外で叫び声のようなものが聞こえた。

「そいつを取り押さえろぉぉぉっ!」

それとほぼ同時に、バタンとドアが開いた。 「でんっ……」
現れた聞きなれた声の彼を、倒れこむように数人の男たちが押さえつけた。
「何事だっ!」
シュナイゼルがそう声を上げると、男たちがこう答えた。
「こいつがっ……部屋から逃亡を図ったのでっ……」
シュナイゼルがベッドから体を起こすと、そこで男たちに押さえつけられているジェレミアの姿が見えた。うつむいていて表情は見えない。
「……離せ。」

「はい?」
シュナイゼルの鋭い目が、ジェレミアを押さえつけている男の目を射た。
「シュナイゼル・エル・ブリタニアの名において命ずる。その男を離せ」
「し……しかしっ!この男は殿下に危害を加える可能性が……」
「聞こえなかったか。私は離せと言ったのだが」
「……はっ!」
冷たい主君の声に、男たちが慌ててそこから退いた。
ジェレミアがゆっくりと身を起こすのを、男たちがひやひやしながら見守っている。
シュナイゼルは硬い表情を崩して彼に微笑みかける。赤子に話すときのように。
「怪我はないかい?ジェレミア」
「はい、でんか」
ジェレミアが何事もなかったかのように屈託なく笑う。
どうやらジェレミアはシュナイゼルに危害を加えに来たのではないようだ、とわかったのかドアのところに立って様子をうかがっていた男たちが胸をなでおろした。
シュナイゼルも内心ほっとしながら、
「わたしに何か用かい?」
そう訊いた。
「ばとれー、言ったました。でんか、びょうきですって、……だから、」
シュナイゼルはそれを遮って、
「わたしを心配してきてくれたのかい?」
と訊く。
「はい!」
とジェレミアが行儀よく返事をする。
「ありがとう、ジェレミア」
シュナイゼルは温かい気持ちになって思わず笑みをこぼした。
すると、
「でん、か」
そう消え入りそうな声で言いながら、ジェレミアがぽろぽろと涙をこぼしたので、シュナイゼルは慌てた。
「どうしたんだい、何かいけないことを言ったかな。それともさっき何処か痛めたのかい」
畳み掛けるように質問したシュナイゼルの目を見て、彼は泣きながらこう言った。

「でんかは、しなない、でした?」

シュナイゼルははっとした。
そして、彼の目を見て、心を込めて、こう言った。

「私は死なない。ずっと、ここに、君のそばにいるよ」

ジェレミアは涙をぬぐい、安心したように再び笑顔を見せた。
「よかった……!」
その笑顔を見て、シュナイゼルはジェレミアを抱きしめてやりたい衝動に駆られたが、 それをぐっとこらえて、ベッドの上で微笑んで見せたのだった。






070620



どのジャンルでも病気ネタが大好きで一度はやらかしてしまうのですが、今回もやっちゃいました。
書いていくうちに、あんまり病気ネタっぽくなくなってしまったのがちょっと残念です。
バトジェレも素敵なんじゃないかと思う今日この頃です。ほのぼの親子カプ。