戦争と平和と君




戦争の終わり。
明確な「終わり」などありえないが、確かに今彼はこの長い争いの「終わり」の只中にいた。
民たちの笑いあう姿。平和を享受する人々の笑顔。瓦礫の中に生まれた一筋の希望。それらを彼は呆然と眺めていた。
彼の隣には、この国の権力者の一人がいた。
シュナイゼル・エル・ブリタニア。
シュナイゼルもまた、笑顔だった。
彼――ジェレミアだけが笑顔でなかった。笑うことができなかった。
何故だろうな、とジェレミアは考える。
答えは簡単だった。
彼が、戦うためだけに生み出された実験適合生体だからだ。
戦争の終わりは、すなわち彼の生きる理由の終わりでもあった。
もうジェレミアに生きる場所は――戦場は、ない。
だからこんなにもむなしいのだ。
もう誰の役に立つこともない。
生きていたって、仕方ない――。

「平和とはいいものだね、ジェレミア」
シュナイゼルが言った。
ジェレミアはただ頷いた。……心の中では、平和なんて訪れなければいいのにと思っていたが、それは今口に出すべき言葉ではないことくらいは承知だった。
「……なんだか元気がないね」
「でんか……」
ご心配には及びません、殿下。
そう言いたかったが言葉が出てこない。
目覚めてからずっとそうだった。
言いたい言葉が出てこない。結果的に、たどたどしい言葉使いになってしまう。
歯がゆかったが、仕方のないことだと諦めてもいた。
これが、一度死んだ自分が、再び生きるための代償。
人間になるために言葉を捨てた人魚姫のごとく。
自分は、人間であることを捨てて、それでもなお生きるために、言葉を思い通りに用いることを、失ったのだ。

「ジェレミア」
シュナイゼルがふと真顔になってジェレミアの名を呼んだ。
「君は、これから……何を望む?」
「………」
ジェレミアは無言だった。
シュナイゼルはやれやれというように首をゆるく振って、
「君の望みを、なんだって叶えてあげる。だから、言ってごらん」
と言った。
「望みなんて、ありません、ました」
ジェレミアは少し考えてからそう返した。
何も望んではいけない気がするのだ。
もう自分は、人ではないから。
人並みの幸せなんて、きっと望んではいけない。
「そうか」
シュナイゼルは低い声でそう呟いた。

「では、お別れだ。ジェレミア・ゴットバルト」

「え?」
シュナイゼルが懐から何かを取り出した。
次の瞬間、信じられない光景がそこに在った。
ジェレミアの額に突きつけられた銃口。
その銃を持っているのは、他ならぬシュナイゼルだった。
「な……んで……でん……かが…わたし……を」
「わたしだって人殺しなどしたくはないよ。でもね、君という存在――軍内部での非道な人体実験――のことがもし外部に漏れたら、わたしの地位が危うくなるんだ。だから、前々から、いずれ君を『処分』することは決定していたんだ……残念なことだけどね」
シュナイゼルは笑顔だった。仮面を被っているかのごとく、底の読めない複雑な笑顔。
ジェレミアは、初めて目の前の男に得体の知れない恐怖を抱いていた。
「しかし、だ」
シュナイゼルは無理に口の端を吊り上げるようにして笑みを作る。
「わたしは君を愛しているんだ。だから、他の者に君を処分させたくなかった。君は、わたしだけのものだ。だから、わたしが、君の命を絶ってあげる。これが、死にゆく君への、最後の愛だと。自己満足かもしれないけれど、思わせてくれ。君の主君として、そして、君を愛する者として……」
シュナイゼルが引き金を引こうと手に力を込める。
ジェレミアは思った。
私は、……死ぬのか?
殿下に殺されるのか?
……殿下になら。
殿下になら、私は殺されてもかまわない。
もう、誰にも必要とされないこの命。
惜しくなど、ない。
「ジェレミア・ゴットバルト」の意識はこのとき、そう心に決めた。
愛する人の手で命を奪われるのなら、きっとそれはこれから無意味に生き続けるよりも、幸福に違いないのだから、と。



しかし――
シュナイゼルが発砲せんとする、まさにそのとき。
そのとき、ジェレミアの中にいた「何か」が目覚めた。
それはジェレミアの意識など無視して、ジェレミアを突き動かした。
その「何か」は、おそらく、ジェレミアの中にある、動物としての本能だった。

『……生きたい。死にたくない……』

パン、と軽い音がして銃口から火花が散った。
今のジェレミアにとって、銃弾を避けることくらいはたやすいことだった。
銃弾を避けられたことに驚いて動きを止めたシュナイゼルを、ジェレミアは軽々と押し倒して、彼の首に両手をかけた。
(やめろ……!! 殿下に、殿下に危害を加えるなんて……!!)
ジェレミアの意識はそう叫んでいたが、体は最早生存本能に完全に支配されていて、言うことを聞かなかった。
(くそぅ……何故だ、何故、やめない……!! わたしは死んでもいい、殿下を殺すのだけは、やめるんだ……!)
考えていることとは裏腹に、ジェレミアの両手はシュナイゼルの首をどんどん締め上げていく。
「ぐっ……」
シュナイゼルの美しい顔が苦痛に歪む。
(嫌だ……わたしは死んでもいい、どうなってもいいから、殿下、殿下だけは……)
やがてシュナイゼルはぐったりとして動かなくなった。
その瞬間、ジェレミアの中で大切な何かがはじけて、……消えた。





「うわあああああああっ!」
尋常ではない、悲痛な叫び声が聞こえ、シュナイゼルは目を覚ました。
「どうした!?」
それは同じベッドの少し離れた場所で横たわっている男――ジェレミアの声だった。
自らの叫び声で目を覚ましたらしく、ジェレミアはすっと起き上がって、
「でん……か!」
そう言って飛びつくようにシュナイゼルに抱きついた。
「でんか!でんか!ごめんなさい!ごめんなさいでした!」
謝りながら泣きじゃくるジェレミアを、しばし呆然と見つめていたシュナイゼルは、よしよし、と赤子をあやすように彼の頭をなでてやった。
「わたし……でんかを……でんかを殺したでした…でんかを……」
震えながらジェレミアはそう言った。何度も何度も、己の罪を告白した。
「全部、悪い夢だったのだよ、ジェレミア。私はこうして生きている。君は私を殺してなんかいないよ」
「ごめんなさいでした、ごめんなさい、でんか……」
「謝らなくてもいいんだよ。君は悪夢を見ていただけなんだから」
「でんか……怖かったでした……」
シュナイゼルはジェレミアの柔らかな髪を撫ぜながら頷いた。
「うん」
「わたしは、わたしは、死ぬのが怖かったでした……でも、でんかが死ぬ方が、もっと……」
シュナイゼルはジェレミアを抱きしめて、
「君は優しいね」
と、声を落とした。
「でんかぁ……」
涙声でジェレミアがシュナイゼルを呼ぶ。
「何だい?」
「もう少しだけ……ぎゅっとして、でした」
「わかったよ」
他ならぬ君の頼みだからね。
いつまでだってこうしていてあげる。
君の涙がおさまるまで。
君がいつものように笑ってくれるまで。
そう心の中で呟いて、シュナイゼルはジェレミアを強く抱きしめたのだった。






070625




夢オチですみません。そしてありがちですみません。
書きながら泣きかけてすみません。ついいつもの感情移入癖が発動してしまいました。
好きなキャラ見る&書くときは思いっきり感情移入してしまいます。生ぬるく見守っていただけると嬉しいです…