Unhappy birthday?
「緊急連絡!緊急連絡です!」 唐突に頭上のスピーカーから声が聞こえ、ジェレミアは廊下の途中で歩を止めた。 「……何だ?」 その声は、こんなことを口走った。 「現在、B棟の廊下を歩行中のジェレミア・ゴットバルト卿を捕まえてください!」 「はぁ!?」 今のは聞き間違いだろうか。 なんだか、自分の名前が聞こえたような……しかも、捕まえろ、とか。 続けざまに、放送はさらに信じがたいことを言った。 「見事捕まえた方は、事務室まで卿を連れてきてください! もれなく、卿の貞操を献上します!」 「て、……ていそお?!」 ジェレミアは素っ頓狂な声を上げてしまった。 (何だったのだ、今のイカれた内容の放送は……いたずらか?) 聞き間違いかもしれない、いやそうに違いない、と一瞬ジェレミアは思ったが、ドタバタと背後から聞こえる大量の足音が、先ほどの 放送が嘘や聞き違いでないことをジェレミアに知らしめたのだった。 「ジェレミア卿――!」 「オレンジだ!あそこにいるぞ!」 「卿、止まってくださーい!」 さまざまな声を上げながらこちらに向かってくる軍人の集団。 それを見て、ジェレミアは自らに切実な危機が迫っている、ということを肌で理解したのだった。 「くそう!」 ジェレミアはそう吐き捨てて全速力で駆けた。 (とりあえず、何処かへ逃げなければ……!!) 走りながら、廊下の角を曲がり、空いているロッカールームへとジェレミアは身を隠した。 ドアを閉め、ため息をつく。 「はあ……」 「ジェレミア卿じゃないか」 唐突に、部屋の奥で声がした。 「……!!」 驚いて身構えると、そこには見知った顔の大柄な男が立っていた。 「だ……ダールトン将軍!」 「そんなに息を切らしてどうしたのだ?」 ダールトンは落ち着いた調子で問う。先ほどの異常な内容の放送は聞いていないのだろうか? とりあえず、どうやら彼は自分を狙ってはいないらしい――ジェレミアはほっとしてこう言った。 「追われているのです。……事情は、自分でもよくわからないのですが……」 「そうか……」 言いながらダールトンはジェレミアの方へ一歩、一歩少しずつ歩み寄っていたのだが、外の様子ばかりに気をとられていたジェレミアはそれに気づくことができなかった。 「はあ……何故、こんなことに……?」 うつむきながらそう呟いた瞬間、ぽん、と――ジェレミアの肩に手が触れた。 そのとき初めて、ジェレミアはダールトンが自分の目の前に迫っていることに気づいた。 「へ……? ダールトン将軍?」 目を見開いて驚いていると、ダールトンはにっと嫌な笑いを浮かべて、口をジェレミアの耳に近づけてこう囁いた。 「捕まえたぞ、オレンジ君」 その言葉で。 ジェレミアは怖気立った。 彼には聞こえていたのだ、先ほどの放送が―――! 「ひ、ひぃっ!?」 肩に乗せられたダールトンの手を払い、急いで振り返って、夢中でドアから外に躍り出る。 「待て!」 ダールトンが追ってくるのを視界の端に捉える。 彼に同調するように、先ほどの軍人たちも距離を詰めてくる。 「く、くそ! 何故、わたしがこんな目に……!!」 悪態をつきながらジェレミアは、また、目に付いた部屋に駆け込み、ドアを閉め、外から誰も入れないように鍵をかけた。 その部屋は妙に薬くさかった。どうやら研究室か何からしい。 「あっれぇ? ジェレミア卿じゃないですかぁ」 嫌な声がした。そこでにやつきながらこちらを見ていたのはロイドだった。 「何か御用でも? オレンジ卿」 さっきの放送と外の騒音や足音を聞いていないはずはないのに、ロイドはあえてそう尋ねてきた。 「ちょっと、ここにいさせてくれ。少しの間だけでいい」 ジェレミアはそう言った。 「ふうん……ところで、ジェレミア卿?」 「何だ?」 「それって、僕がジェレミア卿の貞操を頂戴しても構わないってことですか?」 「なっ!?」 ジェレミアはその言葉に思わず後ずさる。ロイドの目はぎらぎらと危険な光を帯びている。こいつは本気だ。 幸い、先ほどと違い、ロイドとの間には5メートルほどの距離がある。今なら容易に逃げられるはずだ。 そう思い、ドアノブに手をかけた。瞬間、 「甘いなあ。僕をなめてもらっちゃ困りますよ、ジェレミア卿」 ロイドがそう言った。いつのまにか手にスイッチのようなものを持ったロイドが、それを見せながら言う。 「このボタンを押すと、睡眠ガスが約3秒で部屋に充満する。非力な僕でも容易にあなたを捕獲して差し出すことができる、というわけ」 「なっ!? 何故そんな仕掛けを……!?」 無断でそんな危険なものを設置するなど、明らかな軍規違反である。 しかし、ロイド・アスプルンドが"軍規"などというものなど全くお構いなしに自分のやりたいことをやりたいようにする男だということくらいはジェレミアも承知していたので、ジェレミアはそれ以上追及するのはやめにして、一か八かの賭けに出ることにした。 ………逃げるアクションをとってから、約三秒の猶予。決して長い時間ではない。 しかし、このままこの男に捕まるよりは、小さな可能性に賭けたほうがいい……!! 「ロイド。」 ジェレミアはできるだけ平静を装いつつ、窓の外を指差しながらこう叫んだ。 「あそこに、プリンがあるぞ!」 一流の科学者がこんな手に引っかかることはないかもしれない――失敗したら大恥だ。そう思っていたが、天才科学者は案外簡単に引っかかってくれた。 「えっ!? プリン!? どこどこ!?」 そう叫びながら、ロイドが窓に寄った。彼は窓の外にありもしない洋菓子を必死に目を凝らして探している。 その隙に、ジェレミアはなんとか研究室から脱出することに成功したのだった。 しかし、安心はできない。廊下に出た瞬間、また追手達の足音が迫ってきていた。ジェレミアはひたすた足音がしない方へと走る。もう息が切れかけているし、足の筋肉の疲労も限界だ。さすがにもう、逃げ切れないかもしれない――そんな風に思考していると、前方からも軍人の集団が駆けてきた。 「……っ!?」 慌てて立ち止まる。背後からの追手がどんどん迫ってきているのは振り返るまでもなくわかる。 このままでは捕まってしまう……!? しかし今までのように逃げ込める部屋はなく、一本道だ。 頭の中が真っ白になった。 ここで……終わりか? そのとき、誰かが乱暴にジェレミアの手を掴んだ。 「!?」 強い力でそのまま真横に引っ張られて、ジェレミアは倒れこんだ。 「な……んだ!?」 「しっ……黙っていた方がいいですよ、ジェレミア卿」 倒れたジェレミアを抱きすくめるようにしてそう言った男は、ディートハルト・リートだった。 「……ここは?」 起き上がりながらジェレミアは小声で尋ねた。 なんだか狭くて暗い部屋のようである。家具も荷物も置かれていない。……ジェレミアが知る限りでは、この棟にこんな部屋はなかったはずだ。そして、 「わたしは、逃げ込むドアのない廊下で挟み撃ちにされたはずだが……」 ディートハルトはふっと馬鹿にしたように笑ってこう言った。 「隠し部屋ですよ。イレヴン流に言うのなら『カラクリ』というやつです」 「何故ここにそんな非常識なものがあるんだ。そして、何故軍の関係者でも何でもない貴様がその存在を知っている?」 信じられない、と言いたげな調子でジェレミアが問うと、ディートハルトは平然とこう答えた。 「わたしが、ある男――彼は軍人です――を脅迫して極秘に作らせたのですよ」 「は!? 何故そんなことを」 呆れて聞き返す――"脅迫"という単語にはあえて触れずに。 ディートハルトの異常なほどの情報収集能力についてはジェレミアもよく知っている。 一軍人の弱みを握って脅迫することくらいは容易だろう。 それについてとやかく言っても、彼は多分、言い訳すらしない。 そういう男だ。 ジェレミアの問いに対するディートハルトの答えはこうだった。 「ここであなたと秘密の逢瀬を重ねるために決まっているでしょう?執務室だとキューエル殿が邪魔をしてくるに決まっていますからね」 「おう……!? その、なんだって?」 不毛だとは思いつつ、ジェレミアは聞き返した。 「お・う・せ。具体的に言うのなら、セッ……」 「具体的に言わなくていい!黙れ!」 ジェレミアは顔を真っ赤にして怒鳴った。 ディートハルトは肩をすくめてみせる。 「おやおや。純情ですね」 「貴様の思考が汚れているのだッ!」 「まあそういうことにしておきましょうか」 「……っ!」 ジェレミアは頭を抱えた。……この男は……!! 「ところで」 と、ディートハルトは絡みつけるような視線をジェレミアに向け、何かを言おうとしたが、ジェレミアは慌てて制止した。 「ちょっと待て。もう、このパターンは三回目なので言っておくが、それ以上わたしに近づくな。触るな」 「ご命令と在らば仕方ありませんね。わたしは無理やりに奪うほど野蛮ではないつもりですので」 と、ディートハルトは珍しくあっさりと引き下がった。ジェレミアはほっとため息をつく。 (いつまでもこんなところにいるわけにもいくまい) そう思い立ちあがるジェレミアに、ディートハルトが言った。 「入った扉から出たらまた袋のねずみですよ。そちらから出れば、卿の執務室に着きますから」 と、先ほど入るのに使った扉とは逆方向を指すディートハルトに、 「……ふん。たまには貴様も役に立つのだな」 そう言い捨てて、ジェレミアはその扉を開けた。真っ暗な部屋に、一筋光が差した。 「ああ、ジェレミアか」 こちらに気づき、机に向かい、肘をついてぼんやりとしていたらしいキューエルがそう言った。 明らかにドアではない、壁の一部が不自然に開いたところから現れたジェレミアは、少し身構えた。キューエルも、あの軍人達と同じようにジェレミアを狙っているかもしれないからだ。 「ジェレミア卿」 キューエルはこちらを見ずに、少しかしこまった口調で言った。 「本日の余興は……楽しんでいただけたかな?」 その言葉の意味を。 少し考えてから、ジェレミアは理解した。 「きゅ、キューエル……!! あれはお前の仕業か!」 「ええ」 頷きながらこちらを見たキューエルの目は、邪悪な光を帯びていた。 「オレンジには、ふさわしい茶番劇だったろう?」 「………!」 「な、何故……何故あんなことを! 放送係までたぶらかして!」 キューエルは涼しげに笑った。流し目でジェレミアの方を見て、彼はこう言った。 「オレンジへのバースデイ・プレゼントだよ。貴様の誕生日など、どうせヴィレッタくらいしか祝ってくれないのだろう? それでは貴様が哀れだと思ってな。盛大なサプライズ・パーティに仕立て上げたわけだ。感謝しろ」 「きゅ、キューエルゥ……!!」 ジェレミアは怒りに震えた。すべてはキューエルの陰謀だった。今日、限界近くまで走らされたり、他人の得体の知れない欲望に怯えたりしたのはすべてキューエルのせいだったのだ。震えずにいられようか。 「そうそう」 ジェレミアの怒りなど自分には関係ない、興味もない――そんな風に言いたげに、キューエルが呟いた。 「一応、わたしも祝っておいてやるよ。ハッピーバースデー、……ジェレミア」 いつもの冷たい口調とは違った言い方だったので、驚いてジェレミアはキューエルの顔を見つめた。 優しげな、オレンジ事件の前までの、かつて共にブリタニアに忠誠を誓った頃のキューエルが、そこにいた。 「キューエル……おまえ……」 (本気で、祝ってくれているのか……?) ジェレミアは少し微笑んだ。キューエルは、完全に変わってしまったわけではないのかもしれない、そう、思ったからだ。 しかしながら――次の瞬間、キューエルはあの悪魔のような表情に変わって、こう言った。 「さて……この部屋に外から錠をとりつけるように部下に言いつけてある。わたしからは逃げられないぞ、ジェレミア」 低い声で楽しげにまくしたてるキューエルの顔に、もう昔の面影はない。そこにいたのは、瞳に狩人のような光を宿した一人の男だった。ジェレミアの、敵だった。キューエルは徐々にジェレミアとの距離を詰めつつ、こう言った。 「どうやらお疲れのようだし、抵抗する気力はなさそうだな? このゲームは、私の勝ちだ。貴殿の『貞操』とやらを……いただこうか。」 「う、うわああああっ! 来るな、キューエル! やめろっ!」 叫びながら後ずさったジェレミアがその後どうなったのかは、……キューエルだけが、知っている。 いや、正確には、あらかじめ執務室に小型カメラを設置していたディートハルトも、リアルタイムでその情事を楽しんでいたとか、いないとか。 とにかくその年の八月二日は、ジェレミアにとって不運すぎる誕生日だったことは、間違いない。 070802 24&25話では気の毒なことに(ある種幸せそうでしたが)なってしまったジェレミア卿ですが、 バースデイくらいは幸せに過ごして欲しい! そんな願いをこめて書いた話がこれです。欠片も幸せになっていませんね。ごめんなさい、卿。 全攻キャラ×ジェレミア、を目指したのですが、ギルジェレとか皇族ジェレとかバトジェレとかスザジェレとかゼロジェレとか書けませんでした! というか尺の都合上入りませんでした!特にギルジェレが書きたかったので無念です。ネリ様に対してはドMなのにジェレミアに対してはドSなギルフォード卿が書きたかったです!いつかきっと書きます! |