いらっしゃいませ、とサンジは慇懃に頭を下げた。純白のコックコートは、黒衣を見慣れた目には眩しく見えて、ゾロはその完璧な微笑からわずかに顔を逸らした。
柔らかく撓められた眦、左右対称にあがった頬の筋肉、赤みの強い唇に描かれる一本の流麗なカーブ。真昼の、あの狭い玄関でゾロに向けられる笑顔とは違う、親密さを排除したそれになぜだか呼吸は浅くなった。あんな顔をするくせにと思う。とろりと膜を張った、抑えられない欲情を孕んだ瞳で、俺を映し甘い愛の言葉を囁くくせにと。
ミホークも黙ったまま頭を下げる。随分抵抗はしてみたのだけれど、またあの店に行きたいと唐突にミホークが言い出し、そしていつものことだがゾロの言い分はすげなく却下された。数か月前もそうだった。広い屋敷にはもう飽きた、手狭な団地暮らしをしてみたい、言ったかと思ったら翌日にはもう越すことが決まっていた。そして、そこでサンジに出会ったのだった。あれからすでに何度かサンジは部屋を訪れている。一枚ずつ、そっと花弁をめくるように、ゾロの官能の扉はサンジの手で開かれていった。料理は中盤を越えている。サンジはメインとなる肉の焼き加減を尋ねている。
イチボ肉、とサンジは言った。イチボ肉?とゾロが思わず口に出すと、ええ、牛の、腰の部分の肉です、とサンジはまったく表情を変えないままにゾロのほうを見た。目が合った。持ったままのゾロのナイフが、皿にあたるかちり、という音がして、サンジは微かに笑みを深めた。
「説明をしてもよろしいでしょうか?」
ミホークに向かって言う。ワイングラスを傾けながらミホークは頷いた。
「一頭の牛から、ほんのわずかしか取れない、霜降りの稀少な部分、それがイチボ肉です。先ほどは腰と申し上げましたが、正確には、……尾?骨の上あたり、臀部の先端部分を指します」
サンジは空気を指先で撫でるように流れるようにすうと動かした。ゾロは自分がそこを撫でられでもしたかのように、その部分、椅子につけた、すっかり敏感になった場所から、悪寒にも似たぞくりとした感覚がせりあがるのを感じた。酔いでも回ったか。身体の芯がじわりと熱くなる。
「マデラ酒とマスタードを使った、特製ソースを絡めてお召し上がりください。とろけるように柔らかく、甘い、旨味のある肉です」
一口噛むごとに、それがおわかり頂けるかと思います。
サンジは響きのある声でそう続ける。照明の加減で、金の髪が短く光を放った。あの髪の、指のあいだを滑る感触を知っている。楽しみだ、とミホークは言った。
「どうかご堪能くだされば幸いです」
――奥様も。
耳に息を吹きかけられたようだった。微かに肩が震えた。
ゾロを見て、ミホークが口を開きかけたが、何も言わずそのまま閉じる。サンジは二人に交互に視線を流すと、やはり来た時と同じように丁寧に一礼をし、個室のドアを開けて出て行った。気配が消えてから、ゾロは、腹の底から長い息を吐いた。
「……なんで否定しなかった」
「中々おもしろいことになっているようだな」
ゾロが睨みつけると、あれは厄介そうだ、まあせいぜい気をつけろとミホークは言い、めずらしく楽しげに口の端をあげ表情を緩める。それからグラスを置き、ナフキンで口元を軽く拭った。ゾロはもう一度深い溜め息をついた。
厄介なことになど、とうになっている。
 


下に敷かれたサンジのスーツからはサンジの匂いが強くする。
銘柄が決まっているらしい煙草と、サンジ自身の体臭とが複雑に混ざりあったそれは、いつだってゾロの身体を痺れさせ、抵抗する力どころか意志さえをも奪ってしまう。
「……う、」
中指に、その場所を探りあてられ、唾液をたっぷりと含んだ黒い布にゾロはぎゅ、と歯を立てた。足がぶるぶると震え、サンジがふ、と息を吐く。笑ったのだろう。背を服越し撫でられたようで、ゾロはきつく瞼を閉じた。
ぼやけていた視界がすこしだけ明瞭になる。廊下の突きあたり、リビングに繋がるドアのガラスに、獣の姿勢をとらされた自分と、その後ろにサンジの姿が映っているのが見える。唾液が口の奥からわきあがった。
サンジはけして玄関から先に入り込もうとしない。靴すらもいつも履いたままだ。あなたとご主人の生活の場など見たくないんです、とサンジは言う。仕立ての良さそうなスーツに乱れはほとんどなく、行為が終わり、荒い息と滲む汗が収まると、何事もなかったようにサンジはいつも去っていく。
――あなたは俺の愛を試しているんですか?なんて……罪作りなひとだ。
いつものようにチャイムが鳴り、玄関に入ってくるなりサンジは言った。ミホークと店に行ってから、サンジがここを訪ねてくるのは初めてで、この前のことを言っているのだとはすぐにわかった。
眉を憂いに顰め、力無くうな垂れて、サンジは失意に打ちひしがれたように左右に何度か頭を振った。違う、俺は行きたくなかった。そうゾロは言ったが、奥さんはご主人を愛していらっしゃるんですねとサンジは悲しげに笑い、だからそもそも、と言いかけた言葉は情熱的なくちづけで塞がれた。
サンジの舌が這い回ると、ゾロは何も考えられなくなる。もっとも大切な事実はいつもこうしてうやむやにされる。言いかけてもサンジは聞こうとしない。あなたの口からご主人の名前を聞くなんて、俺には耐えられない、と苦痛に満ちた表情をする。
ゾロの身体の多くは、服で覆われたままだった。大抵は靴下のみ残して(どうやらサンジは白い靴下を好むらしかった)すべて剥ぎとられるのだが、今日は違っていた。ズボンだけを膝上まで中途半端に下ろされ、下着はつけたまま、片方の尻たぶを晒すように横にずらし、秘所ばかりをずっと責められている。
「奥さん、あなたは本当に、いやらしい身体をお持ちだ」
ほら、聞こえますか。
指の動きを激しくされ、濁った水音が大きくなる。んう、とゾロはこもった声をあげた。噛みしめた奥歯に力を込める。あられもない声をあげてしまわないためだ。そう厚くもない金属を一枚隔てれば、誰がいつ通るともわからない廊下がある。
ゾロの両手は縋るようにスーツを握っている。自分でしてはだめですよ。優しく諭すような口調で言われただけなのに、ゾロはサンジの言葉に抗うことができないでいる。それが、自分でも不思議だった。
「こんなところを、もうこんなに濡らして」
サンジは囁く。耳の下辺りがかっと熱を持つのがわかる。すっかりサンジに躾けられたそこは、そんなことがあるとは知りもしなかったが、自分でもぬめりを帯びるようになっている。まだサンジを受け入れたことすらないのに、と考えて、ゾロは自分の思考に眩暈がした。
はやく、あれを、そこに。待っている自分がたしかにいる。
さきほどから何度かいきかけていて、いまも、下着を押しあげる先端から、とろりと蜜が溢れるのが自分でわかった。サンジの指を食むように、吸うように粘膜がうごめく。ああ、すごい、ここだけでいけそうですね。サンジがうっとりとした声をあげ、ひどく恥ずかしいと思うのに、ゾロは尻をつきだしてしまう。
指が増え、そこにじわじわと力が込められた。拡げる動きに、日頃は奥まった場所が空気に触れすうすうとする。息の湿り気が腿の後ろ辺りに触れた。
「ご自分のここがどんなふうだか……知っていますか、奥さん」
なかを覗かれているのだ。
わかった瞬間、ふうう、とゾロは荒く呻った。サンジに、ゾロ自身さえ知らないそんなところを見られている。想像しただけで、全身が熱くなった。後ろを見ることはどうしても出来なかった。唇からとうとうスーツがはずれ、声が漏れはじめる。
「教えてさしあげますね」
「い、やだ、」
「この前の肉料理を覚えておられるでしょう?表面だけを、軽く焼きつけてお出ししました。ナイフを入れるとそのなかは、ちょうど――こんな色をしていたはずです」
ゾロは思い出す。ナイフは滑らかに肉を切った。透明な肉汁がじゅわりと溢れる、フォークで刺したときの柔らかな感触、その断面は、卑猥なほど目に鮮やかな桃色をしていた。
全身が極まったときのように震え、はちきれそうな雄芯が下着でこすれた。すでに、滴るくらいに沁みているはずだ。
「感触もよく似ています。柔らかくて、濡れて……とろとろだ」
「も、い、言うなっ、はッ、ア、」
「そう、ちょうどこの辺りの肉です」
サンジがふいに尻たぶを噛み、ゾロはその刺激で射精した。サンジの手が前に回り、噴きこぼす先端の辺りを丸く包む。熱い、とサンジはため息まじりに言った。ぐじゅ、ぐじゅ、と音を立てて、暴れまわるそこを握った。窮屈な布の中に何度も放ちながら、ああ、ああ、とゾロはたまらず声をあげた。
「――あ、ああ、はな、はなせっ、やッ」
「気持ちがいいんでしょう?」
交尾をする犬みたいに、腰が揺れていますよ。
ゾロは片手で血がのぼった顔を覆った。その通りだった。サンジの手にすりつけるように腰を振るのを止められない。下着の脇から、白いものがどろりと溢れ、サンジのスーツにぼたぼたと垂れ落ちた。出しきってすこしだけ萎えた欲望も、執拗に揉みこむその動きで、またすぐに硬く勃ちあがりはじめる。
「こんなにいやらしい姿を見せるなんて、あなたはほんとうに罪なひとです。俺もそろそろ我慢の限界だ……!」
サンジが切迫した声を出す。こいつが我慢したことが一度でもあったろうか。そうぼんやりと思いながらも、いまだ残る余韻と、新たに燻り出した火種にゾロは身を浸していた。
サンジはゾロの、四つん這いのままの足に片手をかけ閉じさせた。硬く濡れた、ひどく熱いものが股のあいだに挟まり、そこでぬるぬると前後に動きはじめる。
「あなたの中は、きっと、もっと素敵なんでしょうね」
ため息まじりのその言葉で、サンジの意図がわかり、ゾロはふたたび身を震わせた。あまりの恥ずかしさのためだった。ゾロの内腿の隙間を、あろうことかサンジは、ゾロの蜜壺に見立てているのだ。
「サン、ジッ、うあ、あ、それ、それ、やだっ、」
嘘つき、と声を低め、腰の動きに合わせ、サンジは中に入れたままの指を動かし掻き回した。どろどろになったゾロの下着は脱がされないままで、そこに後ろからサンジの男根が繰り返しこすれる。二つの場所から、みだらな濁った音がして、行為を連想させるそれにゾロはひどく乱れた。背がきつく反り返り、サンジのスーツでしこった乳首をすりつぶすようにゾロは身体を揺らした。途中でチャイムが鳴り、それを耳にした途端、ゾロは声をあげてまた放った。廊下にもこの声は漏れているはずだったけれど、ゾロにはどうすることもできなかった。足音は慌てたように遠ざかった。
「あなたは……なんて、なんて素晴らしいんだ」
「ちくしょ、こ、のっ、ばか、ばかあッ――!」
「ああ、奥さん!!」
うつぶせていた身体をふいに返される。その胸にサンジはまたがった。興奮に朱を履き、陶然としてゾロを見下ろすサンジの顔を見あげた瞬間、自分の体液にまみれたゾロの顔に、サンジの粘った熱い体液がふりかかった。口を開けて、とサンジは囁くように言った。途中のものを唇に押しあてられ、顔を背ければいいだけの話なのに、やはり、ゾロはそうしなかった。
びゅくり、とのど奥にサンジの精を受けながら、ゾロの全身にはみたびめの絶頂が稲妻のように走りぬけた。



まだ細かな震えが止まらないゾロを抱きしめ、手を取ると、サンジはそっとその甲にくちづけた。それから指に指を絡め、汚れたゾロの唇にも唇を寄せる。愛してる。くぐもった声で言われ、ゾロはひどい胸苦しさを覚えた。サンジと出会ってからはじめて知った感覚、サンジとこうしていると感じる、理屈で説明できない感情の正体に、ゾロはようやく気づき始めていた。
「サンジ」
今しかないと思った。サンジが口を挟む前にゾロは続ける。途中で邪魔されないよう、要点だけを短く伝えなければならなかった。
「俺とあいつは夫婦じゃねえ」
「……でも、養子縁組をされているでしょう」
いったいどうやって調べたのだろう。疑問が頭をよぎったが、とりあえずその件は今は置いておくことにする。
「たしかにそうだ。あいつは親のいねえ俺を引き取った。俺はほんとうの意味であいつの養子で、夫婦ってのはあんたの勘違いだ」
だから今度からは、ゾロって、名前をちゃんと呼んでくれ、とゾロは続けた。柄にもなく顔が熱くなり、さきほどさんざんされた恥ずかしいことよりも、ずっと恥ずかしいことを言ったような気がした。
ゾロが言い終わると、サンジは驚愕したような表情を浮かべ、それから、はらはらと涙をこぼしはじめた。ようやく誤解が解けたのだ、そう思い、ゾロも泣きたいような気持ちになった。しばらくサンジは黙ったまま泣き続けた。その手を握って、ゾロも何も言わずただサンジのそばにいた。やがて泣き止むと、サンジはポケットからハンカチを取り出して頬と目元を何度かぬぐった。
「あなたの気持ちはよくわかりました、本当に、心からうれしいです」
 奥さん、とやはりサンジは言う。瞳をきらきらと潤ませ、憂いを帯びたような微笑を浮かべている。は?とゾロは思わず呆けた声をあげた。嫌な予感しかしなかった。
「だから……奥さんじゃねえって……」
「わかっています、俺を慰めるためなんでしょう?奥さんはとても優しいひとだ。俺のような間男にも気遣いをしてくださるなんて……。そんな嘘までつかせてしまって、潰れそうなほど心が痛みます」
でも大丈夫、奥さんと出会えただけで、俺は、幸せなんです。
上等そうなハンカチの、濡れていないほうの面で、サンジは汚れたままだったゾロの顔を優しく拭きながらそう言った。言葉には情感がこもり、ときどき、感極まったように語尾を震わせた。
なるほど、とゾロは思った。
それでこれまでのこともすべて納得がいった。
「……サンジ」
「はい」
「てめえ、奥さん、て言いてえだけだろう」
「――奥さん……!」





                                                (10.11.24)





イチボ肉のステーキを食べたことと、そこのシェフの尻がいかす尻だったことから出来た話でした。
使ったことのない、使うことがあるとも思ってなかった単語(ex.蜜壺)や言い回しを使うのも、このシリーズの楽しみのひとつ。
あとけっこう、イチボ肉食べるたびに思い出すんですけど…という感想をいただきましたねすみません。