「目覚めの気分はどうだ?」

ゆらりと男が顔を上げた。
きつく縛りつけられた手首を捩じる。粗末なパイプ椅子が軋んで高い音を立てた。低い呻き声、荒い呼吸音が続き、虚ろな視線がふらふらと漂いやがて足元へと落ちる。
正面、やはりパイプ椅子に腰かけ、ゾロは男の様子を眺めていた。道端に落ちた石を見るような薄い視線、その斜め後ろにはサンジが、添い従う影のように控えている。
よくみると男の顔には殴打の痕がいくつもあった。同じものがおそらく体にも。光の下で見れば、新鮮なそれは、まだ赤い色をしているだろう。
男の全身が小刻みに震えだし、カタカタと椅子の鳴る音が密閉された空間に響く。
「てめえが除籍で済んだのはひとえにオヤジの温情だ。他の組に拾われたのも、まあいい」
ゾロが口を開く。温度の感じられない平坦な声。
男は少し前までゾロが所属する組の構成員だった。組の方針で売るのもやるのも厳禁とされている覚醒剤に手を出した。密売を生業としていたようだが、今は自分自身も中毒になり果てている。
「だがな、うちのシマでシャブ撒いたのはまずかった。恩義に唾ァ吐きかける真似だ。それとも、もう日本語もわからねえか?」
男は下を向いてぶつぶつと何か呟いている。わずかに聞き取れるかどうかのそれは、どうやら罵り言葉のようだった。サンジが大きく一歩前へ出る。片手で男の首元を締め上げた。
「手ェわずらわせんじゃねえよヤク中が」
ぐう、と潰れた声が漏れる。だがそれが刺激になったのか、男の目が焦点を結びサンジを捉えた。黒い汚れのこびりついた唇がわずかに開き黄ばんだ前歯が覗く。
「犬が」
男は顔を背け床に唾を吐いた。血液混じりの唾液がぴしゃりと床に散る。
「男にケツ振って悦ぶメス犬が」
声には濃い侮蔑の色が滲んでいた。だがサンジは眉一つ、指先一つ、動かさない。
陰で自分がどう呼ばれているかサンジは知っている。

若頭お手付きの、飼い犬。

「ハ、おもしれえこと言うなァ、お前」
ゾロは立ち上がった。
革靴が床を叩く音。男の横に回る。ゆっくりと腰を下ろし、下から顔を覗き込むように、首を傾けた。
どろりと濁った男の目を、感情を伺わせない涼やかな双眸で見据える。
「確かにこいつは俺の犬だが、」
耳元に唇を近づけた。熱い息が男の耳朶を刺激する。
無骨な指で男の頬を撫ぜながら、愛を囁くように、ゾロは声を低めた。

「サカリのついたオス犬だぜ?」

男の顔面にサンジの膝が沈んだ。
骨の砕ける鈍い音と細かな血飛沫、椅子ごと男が飛ぶ。
「すまねえなァ。躾の悪い犬でよ」
おかしそうに言い、ゾロはふたたび立ち上がった。男は聞くに堪えない苦痛の叫び声を上げている。
「サンジ」
「はい」
「俺は先に帰る。これ以上このクソの顔を拝むのはごめんだ」
「わかりました」
「片が付いたら、部屋に来い」
虫のようにのたうつ男を冷ややかに見やった後ゾロは背を向けた。そのまま去ろうとする後姿に、サンジが声をかける。
「若頭」
ゾロが歩を止めた。
「今日は加減が、効かないかもしれませんが」
何の、とは言わなかった。
聞く必要も無い。
ゾロが振り向く。口角が傲慢な形に上っている。
腕を伸ばし金髪を鷲?んだ。ぐいと後ろに引けば、サンジの顎が上がり、白い首筋があらわになる。

「――てめえの、好きにしろ」

背骨が震えた。
察したかのようにゾロは低く笑い喉元を掌で覆った。
こくりと小さく音を鳴らして、サンジが唾を呑み込む。
軟骨の動きをじっくりと楽しんでから、ゾロは反らされたそこに齧りついた。
いっそのこと食い千切って欲しいと願った。



                                            (09.01.21)



09年1月インテのペーパー再録。若頭ゾロ。テキストに載せてるやくざサンゾロの二人です。