なつのとも




走ったあとみたいに、どきどき、したね。




カナカナと鳴いているのはヒグラシだ。
夏を楽しんでるみたいなアブラゼミやクマゼミの、うるさいくらい元気のいい声と違って、その声はなんとなくさみしい感じがする。
何日か前からきゅうに、朝と夕方はずいぶんすずしくなった。
入道雲をあんまり見なくなって、こい青色だった空は、みずいろに白をまぜたみたいな色に変わっている。
もうすぐ、夏が終わるんだなあ、とぼくは思う。

夕方の、どこもかしこも赤くなった部屋で、スイカを食べながら、ぼくとゾロはたまりにたまった宿題を片付けている。たぶんこれが、ここで食べるさいごのスイカ。
スイカをたべるとき、ぼくはタネをきちんとスプーンでとってから食べる。
だけどゾロは、そんなのめんどうだ、と言って、がぶりとかぶりつくタイプ。
そうすると顔も手もべたべたになってしまうから、ぼくはぬれたおしぼりをゾロのために用意する。
そんなぼくにゾロは、おまえかあちゃんみたいだよな、と言っていつも笑う。
「ね、ゾロ」
「ん」
「もうすぐ夏休み、終わっちゃうね」
「そうだな」
ゾロはぼくと同じ学年(六年生だ)だけど、ときどきすこしじじくさい言葉づかいをする。剣道をやっていることと、なにか関係あるのかもしれない。
下を向いたゾロの横顔をじっとみる。
ゾロのまつげがけっこう長いことに、ぼくは今年はじめてきがついた。
耳のうしろに、小さなほくろがあることも。

あれに、さわってみたいなあ。

とたんに心臓がばくばくといいだして、ほっぺたが熱くなるのを感じた。
まただ。ぼくはさいきん、すこしおかしい。
ゾロといると、ゾロを見てると、すぐに、こんなふうに、なってしまう。





ぼくはいわゆる、都会っ子、というものらしい。
親がどっちも働いていて、だけど大人には長い夏休みがないそうで、ぼくは毎年、夏休みを、ジジイが住んでいるこの山奥ですごす。
ジジイはここでレストランをやっている。いったい誰がくるのかわからないような、ほんとうに山奥。イノシシがでるようなところだ。
なのに店はいつもお客さんでいっぱいで、それはたぶん、ジジイが作る料理がほんとうにおいしいからで、ぜったい口には出さないけれど、ぼくはちょっとジジイをかっこいいと思っている。

このあたりには、魚がたくさんいるきれいな川や、カブトムシがいる木なんかがあって、毎日遊んでいてもぜんぜん、あきることなんてない。
でもなによりもぼくが、夏休みがはじまる一か月くらい前から、そわそわしながら、楽しみにしているのは。
ジジイの家の近所に住んでいる、ゾロと遊ぶことだった。

ゾロは真っ黒に日焼けしていている。
背は、今のところ、ぼくのほうがちょっと高い。
セミをとるのが、すごく上手だ。
でも、勉強はできない。
虫取りや魚釣りを教えてもらうかわり、夕方になると、ぼくはジジイの家でゾロに宿題を教える(じっさいは、まんがを読んだりテレビを見たりしてることが多いんだけど)。
そして暗くなるまえに、ゾロはうちに帰る。
じゃあね、またあした、あそぼうね。
そう言って、手を振って、にっこり笑って、別れる。
でもそれも今日までのはなし。
あしたになれば、ぼくの両親が迎えに来て、ぼくはゾロにさよならを言って、都会っ子にもどらなくちゃならない。
そんなの毎年のことなのに、今年はなんだか、すごく、さみしい。
ぼくは少し、センチメンタル、というやつになっているらしい。


ひさしぶりに会ったゾロは、去年よりずいぶん、背が伸びていた。
ゾロの声は、去年よりずいぶん、低く掠れたようになっていた。
その声でゾロが、サンジ、って呼んで、真夏のおひさまみたいに笑う。
そうするとぼくはきゅうに、くっ、とおなかがいたくなる。
そして、ぼくの声が高いままなのが、とても、とても、くやしいと思うのだ。
そのきらきらした顔を、ぼく以外のひとに見せないでほしい、と思うのだ。
ゾロはいまや宿題よりも、スイカを食べるのに必死になっている。
ゾロはぼくと会えなくなることが、さみしくないんだろうか。
こんなふうに、おなかがいたくなったりするのは、ぼくだけなんだろうか。
ナミさんやロビンちゃんもかわいいとおもうけど、こんな風に、走ったあとみたいにどきどきするのは、ゾロといるときだけなんだ。
 
「来年は、もう中学生だね」
またぼくが話しかけると、ゾロはだまったままうなずいた。
「おれ、来年から、もしかしたら、これなくなるかもしれない」
これはまあ、大げさな言い方だった。
ほんとうは、どんなことをしてでも来ようとおもっているけれど、ゾロをためしたい気持ちがあったのだ。
あと、ぼくは、ゾロといるときには、自分のことをおれ、と言うようにしている。
「そうなのか?」
ゾロがスイカにかぶりつきながら言う。
「塾の夏期講習とか、そんなのに行かされるかも」
「ふうん。大変だな、都会は」
その、どうでもいいような言い方に、スイカのほうが気になってしかたないみたいな言い方に、ぼくはかなりかちんときた。


ゾロがいるこの夏がずっとつづけばいいって、ぼくは思ってる。
秋になっても、冬になっても、ほんとうはゾロといっしょにいたいって、そう思ってる。
だけどゾロにとっては、ぼくがいてもいなくても、きっと変わりがないんだ。
ぼくのことなんかより、スイカのほうが、大切なんだ。


考えたらますます腹が立って、ぼくはゾロをぎろりとにらんだ。
「なんでおこってんだ?」
「べつに。わかんないならいい!」
「……へんなやつ」
言って、またスイカにかぶりつく。
くちからたれたピンク色の汁が、ゾロのあごを伝って、下に落ちた。
それを見ていて、ぼくはゾロをこらしめるいいことを思いついた。

両手でスイカの皮のとこをにぎったままの、ゾロの手首をつかんだ。
スイカをじゃまにならないよう下にさげさせて、そのまま、顔をちかづける。
あごについた汁を、べろを出してぺろり、となめた。
甘ったるい味が口のなかにひろがる。
ついでに、ずっとさわりたかったホクロのとこをちょっとだけなでた。
ゾロをちょっとおどろかせてやろうと、思った。
それだけの、それだけのつもりだったんだ。
だから、ゾロもわるいんだと、ぼくは言いたい。

「なっ!お、おま、な、なに、いま、え、ええ!?」
平常心、がゾロの口ぐせだ。
剣道の修行のために、とても大切なことらしい。
だけどいま、ゾロの顔はまっかで、からだはふるえて、声はひっくりかえっている。
にぎった手首から伝わる、ゾロの心臓のリズムは、ものすごく早い。
う、とゾロがからだを曲げてうなった。
「……どしたの?」
「なんか、はらが、いてえ」

あ、ぼくとおんなじ。

思ったら、きゅーっとぼくもおなかが痛くなる。
熱いかたまりが、そこから、体中にひろがる感じがして、気がついたら、ぼくはまた顔をちかづけていた。
テレビで見たのをまねて、少し顔をかたむける。たしか、目をつぶるんだった。
こんどはくちびるの上に、くちびるをくっつける。
ぎゅっ、と押しつけるように、一回だけ。
 
目を開けたら、ゾロはもう顔をとおりこして、Tシャツからみえる胸のあたりまであかくなっていた。
ふと見ると、あんなに一生懸命たべていたスイカは、床に落ちてべしゃりとつぶれている。落としてしまった、らしい。
「えと、ゾロ、ごめんね。おれ、なんか、つい」
顔をのぞきこむと、ゾロはぼうっとして、きいているのかどうかもわからない感じだ。
「はじめて、だった、よ、ね」
いちおう聞いてみた。
「……うん」
「……おれも」

それから二人して、手をにぎったまま、しばらくぼうぜんとした。
まだ、心臓はばくばくいっている。
そうか。
ファーストキスか。
ぼくのファーストキスは、スイカ味か。
ぼくのファーストキスの相手はゾロで、ゾロのファーストキスの相手はぼくか。

そこまで考えて。
ぼくは自分がしたことの重大さに、ようやく気がついた。
「ててててがみ、書くから!」
どもったうえに、声がうらがえった。
「今年は冬休みも来る!春休みも、来年の夏も、どうにかして、ぜったい来るから!」
待ってて、くれる?
必死のおもいで、ぼくは言った。
ゾロはだまりこくっている。
きらわれて、しまったんだろうか。

「……電話に、しろよ」
 はずかしそうに下をむいて、やっと、ゾロが聞こえないくらいの小さな声をだした。
「うん!わかった!」
「あと、連休とかも、来れたら、来いよ」
「うん、うん!」
 
ゾロもぼくと同じくらい、ぼくに会いたいんだとわかって、飛び上がりそうにうれしかった。
ゾロにしばらく会えないのは、そりゃあすごくつらい。
でもぼくのパパがタンシンフニンしていたとき、会えない時間があいをそだてるって、ママは言っていた。
毎日、ゾロのことを考えよう。
朝起きたら、すぐに。
寝る前も、もちろん。
昼のあいだだって、できるだけいっぱい。
そしたら、つぎに会えるときなんてすぐだ。
つぎに会ったときは、ゾロとなにをしようか。気が早いと笑われるかもしれないけれど、ぼくはもう、そんなことをかんがえる。

とりあえず、ぼくがいちばんに思いついたのは。

「なあ、ゾロ」
「?」
「こんど会う時は、おとなのキス、しても、い?」

そういうことは、いちいち聞くな!
まだ顔中が赤いままのゾロに、思いっきり、げんこつで殴られる。
宿題のことなんか、いつのまにか二人とも、すっかり忘れていた。



                                    (08.09.19)



20000hitリク第一弾です。お題は「夏の終わりと恋のはじまり」。
ちびなす萌え。どうしても一人称はぼくでやりたかった。おぼっちゃんイメージ。
リクエストくださったかた、素敵なお題、ありがとうございました。