トップページのリレー部屋にある、「いくつかの官能的なこと」の続きです。 唯野さんとの二人企画で、六つのお題(学校に行く、寿司、それを愛と呼ぶらしい、ネクタイを買う、鍵、もう俺が恋しくなったか?)に挑戦しています。 唯野さんは「紫陽花ブルー」で、同じお題を。 リレーを読んでないかた、どんな話か忘れたかたへのざっくりしたあらすじ→ サンジがコック、ゾロがソムリエで、年の差、サンジが年下です。 ゾロはゲイで、前の恋人の結婚式でサンジと出会って、いろいろあってくっつくまでのお話、でした。 いつか奏でられる美しい音楽に向けて 口が悪くて、面倒くさがり、感情を表に出すことが苦手で、すごくきれいな姿勢でワインを注ぐ、俺の、好きなひと。 「……は」 薄く汗の浮いた、うなじを舐めたらゾロは震えた。ぽこりと浮きでた、骨の突起を強く吸う。短い緑の襟足が、濡れて、いくつかの束になっていた。小さな水の玉が、その先にできている。しつけえ、と呻く、声もやはり震え、濡れている。 「お前、夜も――」 「だってよ」 若いし俺、とサンジは言って、湿った内腿に手を差し込んだ。膝裏を支えるようにして、片足を大きく開かせると、繋がりが深くなって、ゾロが、それとわかる声をあげる。 寝そべったままで、後ろから腰をゆるく動かすたびに、ベッドが軋んで、同じ速さで、互いに声が跳ねる。走りながら、喋っているときのようだった。ゆうべゆっくり味わった中は、眠ってからもまだとろけていて、たまらないような柔らかさだ。爽やかな秋の、朝の光が差し込むシーツは、ゾロが握りしめる形に皺を寄せていた。 どっちも同じ横向きで、ゾロの背を抱くような形でサンジは目を覚ました。時計を見てから、ああ、そうだ今日は休みだ、とぼんやりしつつ、緑の頭髪に鼻を埋めていたら、いつのまにかこうなっていた。 ゾロも悪ィだろ、と思うのだがどうだろう。ほんの少し腰を押しつけたら、寝起きの掠れた声で寝言のように名を呼ばれて、それで煽られパジャマの中にそっと差し込んだ手を、咎められることはなかったから、止まらなくなった。 先を含ませたときに、ゾロは大きく身じろいだ。それまでも、体は反応をしっかり返していたから、てっきり起きているものと思っていたら、そこではっきり目を覚ましたらしかった。 ず、と入り込むたびに、耳のふちが、赤く染まっていった。朝のせいもあって、気持ちいい、とサンジが言うと、クソガキが、と舌打ちが聞こえ、それでも、やめろとは言われないのだから調子にも乗るってものだ。 「は、も、」 「イく?」 答えはなかったけれど、サンジを締めつけるその強さで、知れた。前、さわれ、と言われ、いやだ、とサンジは言った。そのかわり、力の込められた、シーツを握るゾロの指に指を絡ませる。そうして、後ろだけでイかせた。ぐ、と腰骨からだんだんに、丸まっていく背中の動きを感じる。 ゾロ、と呼びながら、耳の後ろに唇をつけると、ふうう、と呻るように息を吐いて、ぱたぱたと白く散ったのを、見届けてからサンジも出した。 「ん」 うごめいて、強く吸いついてくる感覚に、思わず声が出る。最後は、ゾロにしがみつくみたいにして奥のほうに出しきった。余韻に浸っていると、ずる、と抜けていく。腕の中から出て行った、ゾロが起きあがった、かと思うと思いきりサンジの頭をはたいた。いて、と言えば、サカんな、とため息をつく。 「ったく、朝っぱらから」 「朝だから、だろ」 「こっちの年も考えろ」 「またまた。ゾロだってノッて――……むぐ」 最後がおかしなふうに途切れたのは、口を、口で塞がれたせいだ。顎を掴んで、軽く吸ってくる。生意気な口だ、と、耳元で囁かれた。ぞくっと来て伸ばした手を、けれど今度は容赦なく払われる。 かちゃり、と眼鏡をかけて、そのままゾロはすっくと立ちあがった。その拍子に、足のあいだからとろりと伝った白いすじを、サンジは寝そべったままで眺めた。 俺のが、ゾロから。どこかぼんやり考える。あまり器用そうには見えないのに、驚くほど巧みにソムリエナイフを扱うゾロの、指先が、後ろに回ってそれをするりと拭う。 内腿には、それでも跡が残っていた。 「なあ」 声をかけると、振り向かずに、なんだ、とゾロは言う。 「知ってる?」 「なにを」 「それを」 愛と呼ぶらしい、ぜ。 ゾロは、サンジに横顔を見せた。硬質な眼鏡の形が、涼しい造りにはよく似合っている。不審げな表情に、それ、とサンジは、ゾロの手を指差して、にやりと笑ってみせた。目で追ってから、これがか、とゾロは呆れたように言った。 「精液だろ」 「そうだけど」 「性欲、ってんならわかるがな」 「違うって」 勢いよく、サンジは起きあがった。 「俺の、たっぷりの愛だよ」 そう、今度はごく大真面目な顔でサンジが言うと、レンズの向こうの目をほんの少し見開いてから、ふは、とゾロは笑い、肩を震わせた。 「んだよ、本気だぞ」 「面白いな、お前は」 「な、」 憤慨しようとしてから固まった。ゾロが、見せつけるようにして、汚れたその指を舐めたからだ。薄いな、と頷いてから、足らねえんじゃねえか、お前の愛、とサンジに負けず劣らず大真面目な顔つきで、首を軽く傾げるのに、かっと耳が熱くなった。 「かわいらしい反応だな」 「――クソっ」 「風呂、浴びてくる」 遠ざかる背中を、ぼんやり見送ることしかできない。クソ、ともう一度呻いて、サンジはぼすり、と枕に顔を埋めた。 ゾロの匂いだ、とじんわり思う。年の差、ばかりじゃないんだろう。たぶん、俺のほうが多く好きなままだよ、フェアじゃなくていい。たしかに言いはしたけれど、それでもいいと、覚悟だってしていたつもりだけれど。 こりゃあんまりなんじゃねえの、と思うくらい、どんどん深みにハマッて、怖い、くらいだ。 「あれ?」 なんで、スーツ? 尋ねると、ああ、父兄参観でな、とゾロはさらっと言った。そういや言ってなかったか、とやはり、なんでもないことのように続ける。 サンジもざっとシャワーを浴びて、朝食の準備をしていたら、糊の効いたシャツに腕を通しながら、ゾロが、朝メシ、なに、と近づいてきたのだ。 下は、見慣れないスラックスを履いている。レストランでは、ソムリエのぱりっとした格好をしているゾロだけれど、日頃はラフな服装が多いから、サンジは不思議に思ったのだった。 「味噌汁は白菜か。いいな」 「ああ、あと油揚げな、……って、違うだろ!ゾロ!」 「あ?」 「……あんた……まさか、子供いんの……」 「はあ?」 「だっ、って、ふ、ふけいって!」 女もいけるのかどうかは、そういえば聞いたことがなかった。過去も、まだろくに知らないのだ。ゾロの年齢からすると、学校に通うくらいの子供がいてもおかしくはない。 まじまじとサンジを見つめてから、ぶ、とゾロは噴きだして、なんて顔すんだお前、と肩を震わせた。 「いねえよ」 「じゃあ……」 「ルフィの、だ。エースに頼まれた。ちょうど、どうしても仕事休めないらしくてな。寿司で手を打ったんだ」 「ルフィって、あいつ高校だよな?」 そうだ、と答えるのに、エースの奴ちょっと過保護すぎなんじゃねえの、とサンジは口を尖らせる。そう遠くない記憶を探っても、高校にもなれば、授業参観に父兄が来ないことなどざらだったはずだ。 小口切りにした、新鮮な匂いをさせるネギを、味噌汁にぱらぱらと散らした。緑が、湯気を立てる茶色に彩りを足していく。少し冷ました厚焼き卵に、包丁をすうっと入れると、均等に黄色い生地がきれいに畳まれたそこから、じんわりと透明なダシが沁みてきた。ゾロはそばで、胸元のボタンを留めながら、サンジの手元を眺めていた。 「なんか、いろいろ事情があんだろ」 「かもしんねえけどよ。巻き込まなくてもいいだろ」 「巻き込まれてるとは思ってねえが」 「……あんたって、あんがいお人好しだよなァ」 「そりゃそっちだろ」 そうかもしれない、が、ゾロは、一見すると近寄りがたくて、とてもそんなふうには見えないのだ。隣室の兄弟のために、ときどき、大量の食事を準備してやっているのも、はじめは少し意外に思っていたものだった。 懐に入れるまでは驚くほど頑なだけれど、一度入れてしまうと存外に、いろんなことを鷹揚に許してしまう傾向があるようだ。だからあんなクソ野郎に、と今度は、まったく別の男の顔を思いだして、舌打ちが出そうになる。 もちろん、自分だってはじめはつけいった部類なのかもしれないが。あんなのと同類だとは、思われたくないし思いたくもない。 「いただきます」 音を立てて手を合わせ、丁寧にゾロは言う。箸の握りかたがきれいで、大口でばくばくと食べるけれど、下品な感じはなぜかしない。和食のときのほうが、ペースが速いことにはもう気がついている。茶碗に米粒一つ、残さないところも好きだった。ちゃんと噛み砕かれて、栄養になっていくんだな、という気がして、とても作り甲斐がある。 「じゃあ俺はどうしよっかな、今日」 「昼前には戻るけどな。用があるなら――」 「帰らねえよ」 遮るようにはっきり言うと、ちらりとゾロが、こちらを見る。あ、失敗したか、と心がざわりとした。自分が不在のときに、部屋に、誰か他人がいるのを好まない人間は多いだろう。俺だって、とサンジは考える。心底から信頼していない奴を、部屋に一人だけにするのはたしかに落ち着かない。 自分が、ゾロの中でいったいどの位置にいるのか。サンジは恋人、だと思っているけれど、ゾロも同じ捉えかただとは限らないだろう、残念ながら。どうしても欲しかったから、押せ押せでなんとかここまで来て、でもゾロの迷惑にはなりたくなかった。それじゃ、あの男と同じだ。矛盾してる、とは、自分でもわかっている。 「……ゾロが、いいなら、だけどよ」 ぼそりと言うと、空の茶碗を置いて、別にいい、とゾロは言って、それから席を立った。服を置いているクローゼットにそのまま向かう。どうやら、ネクタイを探しているようだった。いくつか手に取って、見比べている。サンジも立ちあがり、食器をとりあえずシンクに置いてから近づいて、そのうちの一本を指差した。 「このスーツなら、これが一番合うと思う」 これか、とゾロが言い、サンジが頷くと、他のものを元の位置に戻した。あっさり、それに決めてしまったらしかった。 「助かる。正直よくわかんねえからな、こういうのは」 「俺が、結んでやるよ」 「おう」 ネクタイは扱い慣れている。首周りにかけてから、しゅるりと布を動かして、なるべくきれいな結び目を作っていく。ゾロは、じっと静かにしていた。視線を感じる気がして、顔を上げれば、レンズ越し、間近で目が合った。 わずかに細められた眦は、いつもよりもずっと柔らかい。どういう顔だろ、これ、とサンジは思った。かわいい、と思われているのはたぶんそうで、実際、さっきみたいに口に出して言われたこともあるけれど、年下だからってペットのような男に甘んじたくはなかった。 知りたい、正誤表でもあれば、と思う。正しい答えは、ゾロにしかわからない。 「――よし」 「終わったか」 「ああ」 「悪くねえな、こういうの」 「こういうのって……ネクタイ選んだり、結んだり?」 そんなとこだ、とゾロは言う。そして、サンジの頭を鷲掴むみたいにして、一度、大きく髪を掻き回した。なんだか、父親が息子を褒めるときにするような感じがして、微妙な気分になる。 どういうとこが、と問えば、さあ、なんだろうな、と答えが返った。しらばっくれているとか、からかっているそぶりは感じなかった。 「なあ、他の野郎がしても同じように思うかな」 「思わねえだろ」 答えは、早かった。あくまでも真顔の、当然、というようなそれに、急に、なにやらひどく恥ずかしくなってくる。 もしかしたら、意外と、ゾロは。 「何時、からなんだよ今日」 「なんかお前、顔赤いぞ」 「……それはいいから。覚えてねえの」 「九時は過ぎてたと思うが。たしか、プリントがあるはずだ」 ゾロが言い、エースから預かったという紙切れを持ってくる。二人で立ったまま、並んで覗き込んだ。たしかに今日の日付が記された、それを見てなにか思いだしたらしく、そういや、と唐突にゾロが言った。 「誕生日だな」 「誰の?」 「あー……」 めずらしく言い淀むのに、なにやら悪い予感がする。こちらを見ない、その横顔をじっと見て、まさか、あんたの、と声を押しだせば、でも明日だぞ、と、開き直ったのか今度は平然とした風情で言った。 「……あした……」 「十一日だ」 「…………なんっでもっと早く言わねえの!?」 大声をあげたサンジに、おおげさだな、とゾロは呆れたように言う。サンジは二の句が継げなかった。尋ねたことがなかったのが悪い、のかもしれないけれど、いくらなんでも前日に知るなんて思わない。 忘れてただけだ、とりあえず学校行ってくるぜ。 ゾロはそう言って、もう一度、呆然としているサンジの頭を、わしわしと掻き回した。 *** 機嫌を、損ねたらしいのは気がついていたけれど、帰ってみれば部屋にはサンジがいなかった。 いつ出たのかわからないが、鍵は開いたままだ。何時ごろ帰ってくる?と携帯に連絡を寄越してきたのに、もう俺が恋しくなったか、と返事を返したのも悪かったのかもしれない。 反応が面白いので、ついついからかいたくなりがちなのだ。青くなったり赤くなったり、きりっとしたりゆるんだり、笑ったり、怒ったり、年下の男は、感情と表情の振幅がじつに忙しない。でもそれが、面倒だとはあまり思わないから不思議だった。むしろ、自分と違って豊かだ、好ましい、と思っているからこそ、今日のようにやり過ぎてしまうことがあるのだろう。 テーブルを見れば、手作りだろうサンドイッチが皿に乗っている。卵とハム、それにレタスが、黒っぽいパンに挟まれて、紙切れが一枚、その横に置いてあった。スープは鍋の中、そのまま飲むんじゃねえぞ、温め直してください。サンジの筆跡で、偉そうなんだか丁寧なんだかわからない走り書きがしてある。それで台所に目を向けると、たしかに、凶器にでもなりそうな重さの、サンジが持ち込んだオレンジ色の鍋が置いてあった。 指で摘んで、ゾロはそのメモを目の高さに掲げた。もう一度読んで、少し笑ってから、軽く息をつく。 「怒らせた、か」 正面から言い合いをすることはあっても、こういう感じははじめてだった。基本的にマメな男だから、帰るなら連絡くらいしてきそうなもので、黙ってそうするほど、気分を害した、ということなのか。この年で誕生日など、本当に意識しないのだ。ゾロにとってはたいしたことのない、ことでもおそらく、サンジにとっては大切だったのかもしれなかった。 そういうことが、よくある。相手の感情というのを、慮るのはいくつになってもゾロには難しい。知らず相手を傷つけた、という経験は何度もあった。正直、サンジがどの程度の繊細さを持ち合わせているのかは、まだよくわからない。陰湿さからは遠くにいる、基本的に明るい性格のようだけれど、だからといってなにも気にしない、というわけではないだろう。 ジャケットを椅子にかけ、ネクタイをゆるめてから腰かけた。朝食のあとは、なにも食べてはいない。なのに胃の底に、粘度の高いものが漂っている感じがして、うまそうなんだがいまいち腹が減ってねえ、と思ってから、ああ、もしかして、俺はショックを受けてんのか、と愕然とする。 たかがこれしきのことで、だ。あまりに他愛ない、別に、少しも決定的なことじゃないだろう。 ただ、いるとばかり思っていた男が、拗ねて部屋を「勝手に」出て行って、おかえり、と笑って出迎えなかった、それだけの話、だというのに。 「……驚いた」 なんだそりゃ。 思わず、独りごちる。両肘をテーブルについて、額を支えるようにした、てのひらに、まだ冷気を連れたフレームがかちり、とあたった。 これじゃどっちが青くさいガキかわからねえ、とゾロは思った。自分の思ったとおりに、あの顔が見れなかった、たったそれだけのことに、いい年をした俺のほうこそ拗ねている。 お前が俺に言ってくれているくらいに好きになってない、と思う。そう、言ったのはゾロ自身だ。まだそれほど、あれから経ったわけじゃない。アホか、と、呻き声が漏れたのは自分にだった。 顔が、熱い。 いますぐ戻って、しまりのねえツラを見せろ、バカ野郎。 「――ただいま」 目の前の食事に手もつけずに、テーブルで一人頭を抱えていると、鍵をかけていなかったドアが開く音がした。足音に続いて、聞き慣れた声がする。ゾロは、それに返事をしなかった。不自然な格好で、固まったままぴくりとも動けなかった。 「外すっげえさみーなァ今日!あ、鍵悪かったけどよ、すぐ帰ってくるだろうと思って開けっぱなで…………ゾロ?」 なにしてんだ?瞑想とか? 後ろから、サンジが言う。さらに近づいてくる気配と、煙草の匂いが漂うのに、じわり、と体温が上がる感じがして、また、アホか、と呻きそうになった。 「……どこ行ってた」 「あー、っと、ちょっと買い物に」 「そうか」 「ゾロ?」 「……」 「なに、もしかしてよ、」 もう、俺が恋しくなってた? さっきゾロが送った言葉を、仕返しのように冗談じみた口調で言って、サンジは、テーブルの横に回って、すぐそばにしゃがみ込んだ。ゾロは反対を向き、覗き込んでこようとするその顔をぐい、と片手で押しやった。頬が潰れて、なにふんだ、とサンジが抗議の声をあげる。 見られたくなかった。図星、だからだ。 こっちがリードを取っている、つもりでいた。懐いてくるさまを、かわいいもんだな、とくらいに思っていた。ひどく、いたたまれない。余裕ぶっていたつもりさえなかったというのに、思い知らされてしまった気分だった。 こんな、自分よりもずっと子供相手に、恋、などと。 「悪いか」 「――え」 「悪いかと言ってる」 「…………ゾ」 ロ、と言い終えると同時に、思いきり抱き寄せられた。コートには、外の、湿った匂いが薄く残っている。 顔を押しつけられたサンジの心臓は、限界なんじゃないか、と思うほど早く打っていて、ざまあみろ、とほんの少しだけ、胸の空くような思いがした。 「ちょ、バカ、あんた、なにもうバカ」 「誰がバカだ」 「だって、どうしろってんだよちくしょ……あーもう……なんだこれ!」 「ハ」 「……プレゼント、買いに行ってた。明日だけど、最初に言いてえからフライングでもう言っとく。誕生日、おめでとう」 「おう」 「急で、なににするかとか迷ってよ、ちょっと遅くなった」 「お前でいい」 「……俺のこと殺す気?」 なあ顔見せろよ、と言われたのには、断る、と、断固としてゾロは言った。 ポケットに収められているらしい、四角い箱が体にあたっている。中身は、なんだってよかった。慌てて買いに行って、うんうんと頭を悩ませている姿が頭に浮かぶ。それごと、抱きしめてやるように思いきり腕を回した。 ぐえ、とアヒルのような声を、サンジは漏らした。 「ゾロ、ちょっと、苦し」 「我慢しろ」 全部もらう、と宣言すれば、もう丸ごとあんたのだろ、とサンジは笑った。 「ちょっと」 昼営業が終わり、休憩に入ろうとしていたら、物陰から手招きをされた。そちらも休憩らしい、コック服を着た、サンジの金髪がちらちらとする。 手を握られて、連れて行かれたのはワインセラーだった。厨房と店内のものではなく、ストックの貯蔵庫になっている大きいほうだ。明かりが点くと、整然と横たわる大量のボトルが、指を誘うように光を弾いている。 それでよく見れば、サンジはもう片方の手に、グラスを二つ、持っていた。 「選んで、一本。あんたの好きなシャンパン」 「……この中からか」 「そう」 「オーナーに話は。金、払わねえとだろ」 「してあるぜ、ちゃんと。給料から天引き。だけど値段は気にしねえで、一番飲みたいやつにしろよ」 あれだけじゃなんか、俺が納得行かねえし、とサンジは続けた。昨日、一日早くもらったプレゼントはネクタイで、持っているどのスーツにでも合いそうなそれは十分なものだった。ゾロには、不服など少しもなかったが、どうやら、準備不足だったサンジのほうが贈り足らないのらしい。 ヘタをすればひと月ぶんの給料くらい軽く飛ぶ、ヴィンテージものの赤ワインほどではないけれど、それなりに高額なシャンパンもこの中には並んでいる。 知らねえぞ、と言うと、だからいいって、と言う、サンジの表情は引き締まったものだ。ここは格好よく決めたい、のはひしひしと伝わったから、これ以上はなにも言わないことにした。 「じゃあ、これで」 一本、少し前に仕入れ先で試飲して気に入ったものを引きだした。まだ、客に出したことはなかったものだ。深い、緑の瓶の中で、水が揺れている。ゾロ、開けてよ、とサンジは言って、二つのグラスを、一つずつ手に持った。 「一杯なら、いまいいってさ」 「オーナーが?」 「ああ」 「甘やかされてるな」 「そうでもねえよ」 サンジは生意気な態度のわりに、目上のものに可愛がられる傾向があった。実家だという有名なレストランでも、そうだったのかもしれない、とゾロは思う。だが、サンジ自身にはあまり自覚がないようだ。 ソムリエナイフを取りだして、台帳を書くための小さなテーブルに、ボトルを置いた。キャップにくるりと刃を滑らせて、切れ目を入れてから外し、引き抜いたコルクを、隣に添わせる。もう身に染みついた、一連の動作だ。いつ見ても鮮やかだよな、とサンジが感心したように言った。 「なあ、客にするみてえに注いでよ」 「なんでだ」 「あんたのあの姿、好きなんだ」 「……へえ」 リクエストに答えて、型どおりの入れかたをしてやった。右手で底を掴んで、瓶を適度な角度に傾けていく。微細な泡が、グラスの底から、首飾りのように連なって液面へと消えていった。美しい、金に近い透明な色をしたそれは、目の前の男の髪を思わせる色だ。 ああ、それもあって気に入ったのか、と思う。まったく、思ったよりずいぶん俺は。 「乾杯しようぜ」 サンジが言って、それぞれのグラスに手を伸ばした。そのときにふと思いだしたことがあり、ちょっと待て、目え瞑れ、とゾロは言った。え、なに、と尋ねるのには、いいから三秒だけだ、と答えを返す。 「……わかった」 ゆっくりとまぶたを閉じた、サンジは、くちづけでも来ると思っているような神妙な顔つきで、笑いを堪えるのに苦労する。今日、あとで渡そうと思っていた、それをポケットから取りだした。 サンジのグラスの上で、指を離すと、沈んで、かち、とカーブで音を立てる。 もういいぜ、と言うと目を開いた、その、締まっていた顔が一気にへにゃり、とゆるんだ。 「……これ……ゾロんち、の?」 「ああ」 「合い鍵――」 「ねえと不便だろ。昨日、思ってな。家にあった予備だ」 じゃあ、乾杯するか、と唇の端を上げて言って、ゾロは、ぼんやりしているサンジのグラスに、グラスを軽くあてた。涼やかな音が響いて、それでようやくはっとしたように、サンジも、誕生日おめでとう、と声を出す。 それほど、値の張る酒ではなかった。けれど、口にふわりと広がった芳香と、舌を淡く刺激する炭酸と、フルーツのまろやかな酸味、それから、目の前のサンジの赤い顔に、これまでで一番うまいシャンパンだ、とゾロは思った。 「なかなかいいもんだな、誕生日」 「あーあ」 「なんだよ、そのため息は」 「ずりいよなァ……。今度こそ、格好よく決めたつもりだったのによ、逆にやられちまって。まだまだ、敵わねえみてえだ」 けど、見てろよ、いつかあんたのことメロメロにしてやる、とサンジは言う。そりゃもう叶ってる気がするが、とは、けれど、言わずにおいた。 腰に、するりと手が回されて、シャンパンで濡れた唇が近づいてくる。ゾロ、と呼ばれた。あまり真昼にはふさわしくない、その声にぞくりとする。 ここは密室で、扉はぶ厚く、もうしばらくは時間もある。 「――せいぜい必死になれよ、小僧」 年嵩の面子を、いつまで保っていられるかは、わからない。 (13.11.18) 当日にアップできてたはずなのに、よりによってその日にパソコンがクラッシュして一週間遅れです……。 ゾロお誕生日おめでとう!あいかわらず愛してる!! どのゾロも、サンジと幸せに過ごしてるといいなーと思います。 |