*やや物騒、流血あり、薄暗いので注意










シガーロ







生と死は分かちがたいものだろう?
サンジーノが言う。遠くを見るように目をすがめ、噛むようにしていた葉巻に指をかけた。吸いこみ、煙を吐く。嘘くさいほどあまりに青い空を、唇から出したか細い白で汚していく。それから首を傾げるようにしてゾロシアを見た。水のような、視線だった。
返事を求められているのだろう、それがわかったが、特に言うべきことも見あたらずゾロシアは視線を前向けた。石畳の硬い道を、靴で踏みにじりながら歩いている。空気は乾いていた。ここの空気はいつも乾いている。ときおり風が吹く。
ゾロシアの気のない態度についてはとくに言及せず、サンジーノは、ふたたび話をはじめた。
「生の行くつく先には……かならず死がある。人生は素晴らしいものだ、誰だって死にたくはないさ。けれどそれは仕方がないよ、神が決め給うたことだからね。お前と俺が愛しあうことと同じくらい、仕方がない」
「愛しあう」
ゾロシアは口のなかで噛むように繰り返した。
愛しあう、とサンジーノも繰り返す。
「それは何かの冗談か?」
ゾロシアが平坦な声で言うと、ゾロシア、俺は冗談が嫌いだ、とサンジーノは言った。道のずっと先を見ているゾロシアにはサンジーノの顔は見えていない。けれどおそらく微笑んでいるのだろう、そういう声だった。
昼下がりの煤けた旧市街は、時間がゆっくりと流れているかのように、ひとびとの顔つきもどこかのんびりとしている。主に食料品を扱う店が集まっていて、ところどころには屋台が出ていた。緑色の庇の下、ジェラードを舐めている幼いこどもがいる。母親のほうが、サンジーノに気がつくと手をあげた。青みがかった黒髪で、腰回りの肉付きのよい女だ。サンジーノも軽く手をあげて返す。顔見知りらしい、この区画にあるリストランテで、サンジーノは育ったのだった。
つまりサンジーノがマフィオソであることを知らないものはこの辺りにはいない。けれどサンジーノの姿に警戒するものもまた、いなかった。そういう街だった。無為に転がった石ころにさえ、マフィアの息がかかっている。
癒着し、浸透し、同化している。
「人間は生を愛し、死を憎む。それはわかるだろう?だが考えてみろ、愛と憎しみはとても近しい感情だよ。生を憎み、死を愛してもなんら矛盾はない」
「……まるで禅問答だな」
ゾロシアが言うと、サンジーノはごくみじかい笑い声を立てた。片側だけ垂らされた、蜜色の髪が陽射しを跳ねさせる。
「禅、か。刀といい、お前は日本びいきだなゾロシア。俺も日本はすきだよ、あの国の女性はじつに奥ゆかしい」
「奥ゆかしいのが好みか」
「もちろん、お前のような獣も悪くないが」
視線を感じ、ゾロシアはサンジーノを見る。
よほど獣の風情で笑っている。



ここに来る前に、すこし時間があった。
隠れ家として使う部屋が近くにあることを思い出し、二人は、そこで暇を潰した。ベッドなどはなく机と椅子が一組あるだけの、古ぼけた小さな部屋だ。抗争に入れば、寝袋を持ち込んで使う。マフィオソとしてはまだ「駆け出し」と言っていいサンジーノとゾロシアも、幾度かここを使ったことがあった。
性急にいちど探りあったあと、サンジーノはゾロシアを這わせた。尻だけを高くあげさせ、顔を埃の薄く積もった床に押しつけ、後ろから、己の形を感じさせるようにひどくゆっくりと入り込んだ。内臓をすこしずつ、けれど確実に犯される感覚に、ゾロシアは首を振って呻き声をあげた。
最奥まで届くと、サンジーノはゾロシアの片手を取って、その周囲を指先でぐるりとなぞらせた。繋がったところは大きく開き、排泄器であるにもかかわらず、サンジーノのものを深くのみこんで蕩けていた。これでは、まるで欲深な性器だ、とゾロシアは思った。
「俺は、女をこんなふうには抱かないよ」
サンジーノは、息を混じらせた声で言った。とても優しくするんだ、愛の言葉をなんども囁いて、壊れもののように大切にね。そう言いながら、粘った音を立ててゾロシアの穴を激しくかきまわした。
ゾロシアはそれに喉を鳴らし、サンジーノをきつく締めつけた。スーツは着こんだまま、局部だけを晒していた。板目に爪を立て、背骨を反らし、腰を振ってあからさまな悦びの声を絞りだした。滲んだ視界には黒い椅子の脚が4つ、揺れていた。
「うァ、ア、も、ッ――」
「……いやらしい男だ」
しゅぼ、と音がした。よく知った煙の匂いがした。ゾロシアは押さえつけられた頭をめぐらし、サンジーノを見あげた。のどが引き攣り、額がささくれた板で浅く擦れた。
サンジーノはまるで踊るように腰を使いながら、葉巻を吸っていた。ゾロシアの痴態を、嗄れた井戸の底のように昏い目で見下ろしていた。目を合わせたまま、ぐちゅ、ぐちゅ、という湿った音の合間、薄く開いた唇から煙を長く吐いた。
ゾロシアは高い声をあげた、止まらなくなった。
「ア、あ、あ、あッ」
「情熱的だね、ゾロシア」
覆いかぶさるように、ゾロシアの背にサンジーノは身体を近づけた。整えられた顎鬚が、ざり、とゾロシアの首すじを荒く撫でた。長い灰が耳たぶ近くに熱を残し離れていった。視線は捉えられたままで、目尻は慈しむように眇められていた。
サンジーノは唇に弧を描き、そのまま深く息を吸った。
赤い光が大きくなった。
くすぶった灰が突き出した尻に落ち、そのときに、ゾロシアはたっぷりと射精した。呆けたように開けた口から唾液を垂らした。痙攣しながらびしゃりと大量に吐き出すと、葉巻と、濃く青臭い匂いとともに、自分の肉の焦げる匂いがかすかにしたような気がした。
サンジーノは引き抜いて、そこに精液をかけた。



「俺がまだこんなガキのころから、世話になっていてね」
サンジーノは葉巻を持っていないほうの手を、自分の腰の辺りで漂わせた。視線はまっすぐ、立ち並ぶ店のひとつに向けられている。鮮やかな発色のくだものや野菜が、老朽化した青果店の店先に彩りを与えていた。話が唐突に変わったのは、目的の場所が近づいたかららしかった。
ほんの数メートル先で、腹の出た恰幅のよい男が、感じのよい笑みを浮かべて客の相手をしていた。そのてのひらに収められた、丸っこいレモンの黄色が見えていた。
「買い出しも重要な仕事だからな。鮮度のいいものを見分ける方法を、あの男にはたくさん教わったよ。ずいぶん、よくしてもらった」
サンジーノは言った。いい思い出だ、とゾロシアが言うと、まったくだ、と懐かしげに笑った。
「会うのは久しぶりなのか」
「いや。ときどき顔を見せてる」
買い物を済ませた客が離れて行き、店主がサンジーノの姿に気がついた。笑顔を深めると、頬の横あたりに皺が何本か刻まれた。
「行ってくるよ」
ああ、とゾロシアは答えた。
サンジーノは、店主に歩み寄った。
二人は大きく腕を広げて抱擁を交わした。男の芋虫のような太い指が、サンジーノのすらりとした背中に回った。ゾロシアはそのすこし後ろに、緩く立っていた。立ちどまっただけで眠気が来るような穏やかで鈍重な午後だった。尻の火傷がボトムに擦れていたが、それすらも、とても平和な感覚のように思われた。
顎を軽くあげると、低い建物の向こう、空に突きだした教会堂の白い尖端が見える。美しい曲線を描く屋根の部分がまだら模様に見えるのは、鳩たちがところどころで羽を休ませているせいだろう。サンジーノは、葉巻を銜えたまま、店主と頬を合わせ親愛の情を示した。耳元に唇を寄せ何かを囁きながら、片手を、自分の腰へと回した。
婚礼か葬式でもあったのだろうか、周囲に鐘の音が高く鳴り響き、道を行くものも店先にいるものも、みながそろって教会堂のほうを仰ぎ見た。ゾロシアだけが、サンジーノを見ていた。
男の大きな身体がびくびくと跳ね、その手がサンジーノのスーツに縋りついた。ゾロシアがオーガズムに達する際の痙攣にも似た、見ようによっては滑稽な動きだった。てのひらはやがて愛撫するように、サンジーノの腰から足へと這い滑り、最後には地べたにずるりと力なく垂れ落ちた。目は何かを凝視するように見開かれている。伏せた背中の空洞は、まだかすかに煙をあげ、乾いた路面に血溜まりがじわじわと広がっていった。
「待たせたな」
サンジーノは振り向き、声音だけで笑った。革靴の足元を、太陽のした黒光りして見えるすじが道の凹凸をならすように流れていく。ちょうどその流れの向かう先に、さきほどのレモンが転がっていた。
サンジーノはそれを拾いあげた。土を払い、表面を指先で撫で、いい色だ、と感想を述べてから、店先に丁寧に戻した。そうしてゾロシアのもとへ帰って来た。
ゾロシアの頬に、手を伸ばす。そのまま顎を掴み、男の穴倉を注視していた視線を引き剥がした。硝煙の匂いは、こびりついた葉巻のそれに掻き消されていた。
「そんなに、他の男を見ないでくれ」
妬いてしまうだろう、とサンジーノは甘く言った。
ゾロシアはサンジーノを見た。
空よりも青い瞳の奥に一瞬、何がしかの熱を見たような気がしたが、すぐにそれはふたたび暗く翳りそれきり、見失った。
「……さっき、何を言った」
「さっき?」
「こいつに何か囁いていただろう」
男を視線で示しゾロシアは言った。マフィオソである一人息子が引き起こした、不始末に巻き込まれた形だった。とうに家を出て帰らなくなった息子より、幼いころから親しくしていたサンジーノのほうが、彼にとってはよほど近しい存在だったろう。
さきほどまで笑っていた。
いまは死んでいる。
生と死の境は鮮明なようで曖昧だ。
続いている、同化している、分かちがたい。
サンジーノはもはや死んだままの男に一瞥をくれ、ああ、とうなずいた。
「愛しているよ、と言ったんだ」
「お前の愛は軽いな」
ゾロシアが言うと、サンジーノは心外だ、というふうに眉を顰めた。
「俺の話を聞いていなかったのか?」
お前は、いつもそうだねゾロシア。
長く続いた鐘の音が止み、ゾロシアは、ふたたび空を仰いだ。
装飾じみていた鳩たちが一斉に飛び立ち、澄んだ空に灰色の細かい塵のように霧散していく。
気だるい街並には、次第に喧騒と日常が戻ってきた。
男の頭髪が、そこだけはまだ生きているように乾いた風にときおりなびいていた。







                                       (10.08.17)







ドンじゃない二人。20代でしょうね。ゾロシアもだけど、サンジーノを書くのが、とてもすきです。
シガーロは葉巻、マフィオソはマフィアの構成員。