木蓮の花ひらくころ





窓ごしの中庭で、ミモザの黄色が緑に映えている。
午前中の家事を終え、濃くいれたコーヒーをゆっくりと飲んでから、ゾロと庭を散策するのが近ごろのサンジの日課だ。ここ数日は日ごとに暖かくなり、冬のあいだ寂しい色合いだった庭にもようやく春が兆してきた。
「ゾロ、色のうすいものを頼むよ」サンジが言う。
もうなんども繰り返したことだから、それだけで、ゾロには伝わる。
「わかった」
言って、ゾロはクローゼットのほうへ向かった。サンジのシャツとカフスボタンを数組、選んで持ってきてくれるのだ。
そのあいだにサンジは、10本以上ある外出用ステッキからひとつを選び、テーブルに立てかけておく。今日は特別な日だからスネークウッド材のものにした。数年まえにひとめで気にいって、かなり高価だったが迷わず買った。グリップの部分はシンプルなL字型で、象牙でできており、つるつるとしているが不思議と手によくなじむ。
ゾロが並べてくれたカフスボタンもそろいの象牙にし、シャツも同系色であわせた。ボトムはいつも黒と決めている。ステッキとカフス、そしてシャツの組み合わせはとても大切だ。一日の気分を左右する。
片づけてくる、と言うゾロの、顎に手をかけ軽く唇を吸ってから、サンジはありがとう、と微笑んだ。どういたしまして、というふうに、ゾロも吸いかえす。
着替えをすませ、薄手のコートをはおったら、あとは靴を選べば準備はおしまいだ。
もちろん、最後まで気は抜けない。
「毎回よくやるな」
感心したようにゾロは言う。
「紳士のたしなみだよ」
サンジが笑って答えると、紳士のたしなみ、とゾロは、不思議そうに繰り返した。
ゾロの手を取り、靴を履いて、外にでる。
ゾロと暮らしだしてからはじめて迎える、今日はサンジの誕生日だ。


ゆるやかに弧を描いて連なる敷石の上を、ステッキの音をさせながら二人で歩く。沈丁花があわく香っていた。眠たくなるような日差しがすこし伸びすぎた芝をみずみずしく光らせている。
倒れてからは家にいることが多くなったから、サンジは庭師をやとい季節の花木をたくさん植えさせた。これから春にかけて、花たちが盛りを迎え、かわるがわる競うように咲いては目を楽しませてくれる。
とりわけ木蓮が、そのかぐわしい白い花をいっせいにふわりと開くさまは見事で、はやくゾロに見せてやりたいと、サンジは今から気がはやってしかたない。とおりすがりに近づいて黒い枝を見上げれば、すでに蕾が膨らみつつあった。
サンジの左手を握り、ほんのすこし後ろを、サンジの歩調にあわせしっかりとした足取りでゾロは歩く。ステッキの音を軽快なゾロの足音がわずかに遅れて追ってくる。
サンジの足は、ゾロほど力づよくは、地面を蹴らない。

リサイタル会場の控え室で倒れ、病院で意識を取り戻したとき、サンジの左の上下肢は自分の力ではぴくりとも動かなかった。脳の腫れがひかないことには、どれくらいの障害が残るかは予測がつかないと医者は言った。
出血した部位がよかったのと早期にはじめたリハビリが奏功して、サンジの麻痺は、いまではごく軽い。ステッキを使うのは、歩行の補助というより転倒を防ぐためだ。日常生活をおくるのに困ることもそうない。
命をおとす可能性だってある病気だ。そこまでいかなくとも、言葉を失ったり、手足がまったくかなわなくなった者は多くいる。幸運だった、と思うべきだろう。
けれど、もう二度と、昔のようには、左の指が鍵盤を叩くことはない。

「どうかしたのか」
知らず歩調が落ちていたのか、ゾロが立ち止まり、サンジの腕を掴む。心配そうな顔をしている。
なんでもないよ、とサンジはその手の甲をそっと撫でた。水分を多く含んだ、なめらかな、生命力にあふれた肌だ。性的に高ぶってくると、この肌がどれほど艶を帯びてしっとりとうるおうか、サンジはよく知っている。
「すこし歩き疲れたのかもしれない」
サンジは言い、蔓バラのアーチにゾロのからだをもたれさせた。左手で後ろから抱きしめて、短い髪に、頬をすりよせる。しばらくそのまますこやかなゾロの息づかいを感じていた。遠くのほうで、庭師が剪定をする、ぱちん、ぱちんという音がしている。
ゾロの首すじにはちいさな赤いあざがいくつか刻まれていた。昨晩、ゾロに立ったまま自慰をさせながら、いたるところにつけたうっ血のあと。サンジが唇を寄せるたび、ゾロは甘い声をあげ、前をとろとろとしたたらせた。
そのひとつにそっと唇を押しあてた。規則的だった呼吸がすこし乱れる。ゾロの肌は舌に甘く、すでに、発情しているのだとわかった。
「……サンジ」
「もう興奮してるね?」
唇をつけたまま喋ると、はあ、とゾロが肯定するように、息に色を混じらせる。
ゾロはこころも、からだも、若々しくのびやかな素直さを持っていて、それがサンジにはとても好ましい。
「君は抱きしめただけで感じるのかい?」
片手で前をゆるめ、後ろにまわし、隙間から、下着のなかに手をいれる。
ゆうべもサンジを迎えいれ、ながく愉しませてくれたそこは、春の花のようにほころんで、ひくりひくりと息づいていた。すこし湿っている。はじめのころはかたかったのに、いまではすっかり、受けいれるためのやわらかな性器だ。
そのまま、指を吸いこませた。あ、とゾロがちいさな声をあげてサンジの指を食む。
「それとも外だからかな?」
言わないでくれ、というふうに、ゾロが耳のきわを赤くして、頭を振る。
くちゅくちゅと、ゆっくり出入りさせながら、甘い汁をすするようにうなじを吸うと、ゾロはアーチに顔を押しつけて尻をさしだすみたいに、からだをくん、と反らせていく。
サンジ、とせつなげに名を呼ぶ声が、ゾロを知るまで忘れかけていた欲望をかきたてて、めまいにも似た感覚を覚える。ゾロが気をやるまで、もうやめてくれと涙をこぼすまで、やさしく、愛撫しつくしてやりたくなる。
「年寄りをそんなふうに誘って、悪い子だ」
噛み殺したひそやかな声にあわせるように、まだ蕾すらない蔓バラの葉が風にさわさわと揺れている。
指で我慢しなさい。耳元で声を低めると、ゾロは吐息をもらしながらそこを、濡らした。 





「なあ、うれしくねえの?」
唐突に問われ、なにがだい?とサンジは訊きかえす。
「誕生日が」
「……そう見えるかな?」
見える。ゾロはサンジをじっと見ながらうなずいた。
せっかくだからと照明を落として、かわりに灯したキャンドルの火が、ゾロの顔をほんのりと赤く染めている。
「まあ、さすがにこの年になればね。君に祝ってもらえるのはとてもうれしいけど」
サンジは微笑んで言う。低くピアノが流れていた。ゾロが気に入っている、サンジの昔の演奏だ。ときどきゾロに弾いてやることもある曲。オリジナルのままではもう弾けないから、左手のパートをアレンジしていることを、たぶんゾロは気がついていない。
「それだけじゃねえだろ」
「?」
「あんた今朝から、ちょっとおかしいぜ」
「おかしい?」
「なんか、ぼうっとしてる」
いつものあんたらしくない、とゾロは続けた。そうかもしれない、とサンジは思う。今朝からいろいろと考え事をしていて、気が逸れることがあったのは確かだった。
ゾロがサンジを見たまま、ワイングラスに手を伸ばし、唇をグラスのふちにあて、ひとくち、飲む。プレゼントなど何もいらない、ディナーも自分で作りたいと言ったサンジに、それでは気がすまないとゾロがいうから、昔好んで飲んでいたデザートワインをリクエストした。すでに食事は終わり、いまはそのワインを飲んでいる。
サンジが食事の準備をするあいだ、ゾロはすぐそばに椅子を引きずってきて、白いクロスで銀食器を磨いていた。ときおり手を休めてはサンジの背中に後ろからぺたりとくっついて、肩越しに料理をのぞきこみ、構ってもらおうとキスをねだった。とうとう根負けしたサンジが振り向いて口付けると、誕生日おめでとう、あんたが生まれてきてよかったと、ゾロは、うれしそうに言ったのだった。
いぶかしげな顔のゾロを見ながらサンジもワインを口に運ぶ。
色も、味も、香りも、蜂蜜にすこし似ているそれを、まるでいまの自分たちの毎日のようだとサンジは思う。とろりと甘い、蜜のような、幸せな日々。
何もいらないといったのは本心だ。
これ以上何を欲せばいいのか、サンジにはまったくわからない。

「おいで、ゾロ」
サンジはゾロを手招いた。
ゾロは黙ったまま近づくと、サンジの椅子の横にしゃがみこんだ。床に膝をつき、両手をサンジの腿のうえに置いて、頬をそのあいだに乗せる。あたたかな重みが、そこからじんわりと伝わってくる。
心配をかけてすまなかったね、言いながら、ゾロの頭のうえにてのひらをのせると、ゾロはうたたねをする猫みたいに心地よさげに瞼を閉じた。
「私はいちど、おおきな病気をしただろう?」
そのことは話したね、とサンジが言うと、ああ、とゾロは答えた。
「いくらリハビリをしても、元どおりにはピアノが弾けないってわかったとき、死んだほうがましだったと思ったよ」
空いた手を、ゾロの手にのうえに重ねる。慣れた手触りと高い体温に、気持ちがすうっと落ち着いてくるのがわかる。
音楽が、ピアノが、サンジのすべてだった。
恋人はたくさんいたけれど、誰もサンジの欠落を埋めることなどできなかった。
「でもいまは、一分でも、一秒でもいいから、長く生きていたいと思う。もちろん、君と一緒にね。君には迷惑をかけるかもしれないけれど、それが本心だ」
ゾロが顔をあげてサンジを見る。サンジもゾロの方を見た。ほの暗い部屋のなかでも、みずみずしく光るその瞳に、サンジは見入った。
なんてきれいでまっすぐな目なのだろうとはじめて会ったときに思った。
思って、サンジはゾロに、最後の恋をした。
「こんな年になって、こんな誕生日をすごせるなんて思ってもいなかった。なんだか怖くてね。年甲斐もなく、恥ずかしい話だ」
そう言って、サンジは苦く笑った。
静かに話を聞いていたゾロが、黙ったまま、立ちあがる。サンジの頭を抱きよせ、自分の腹にぎゅう、と押し付けた。
「あんたにも怖いもんがあるんだな」
「そりゃあね」
ゾロの腰に腕を回しながらサンジは言った。
どんなに年齢を重ねても、恐怖の対象が減っていくわけではない。それはかわらず、ひっそりと、すぐそこにある。ただその存在に慣れ、対処する方法を覚え、感じる力が鈍くなっていくだけの話だ。
倒れてからの五年間、単調な日々を無為にすごしていたころ、サンジには失って怖いものなどなにもなかった。
けれどゾロとであってからは、すべてのものが愛おしく、色あざやかにきらきらと輝いて見えて、老いのはじまりかけた目にはそれがすこしばかりまぶしすぎる。
世界がこれほど美しいことを、サンジはゾロに教えてもらった。
「怖くねえよ、大丈夫だ。あんたが嫌だって言ってもずっとそばにいるから」
言って、ゾロがサンジの髪のあいだに指をさしいれる。いつもサンジが、ゾロにするように、ゆっくりと髪を梳いてくれる。からだの奥に暖かな灯がともるような感じがした。
40も年若い恋人にこんなふうに甘やかされるのは、気恥ずかしいけれど、でもけして、悪くはなかった。
「あんたとであえて、俺はしあわせだ」
抱きよせる腕にちからを込めて、ゾロが言う。
それはこちらの台詞だと、言おうとして、のどが詰まった。
その言葉がなによりの贈り物だと、サンジは思った。

椅子に座ったままのサンジの腿の上に、ゾロがまたがるように腰を下ろす。
「弱音を吐いてしまってすまない」
サンジはゾロの首元に鼻を押しつけ、こうばしいその匂いをかぎながら言った。
弱いあんたもけっこうそそるけどな、とゾロは言い、サンジの首の後ろに腕をからめる。顔を寄せてきた。耳たぶを噛む、ゾロの息は熱い。
背中を指先で撫でおろし、尻を触ってやる。ゾロはときおりびくんと震えながら、サンジの耳を舌で愛撫しはじめた。舌の動きにあわせて水音がする。サンジも、荒く息をつく。
「ゾロ」
「……ん」
「したい」
ゾロの胸を撫でまわしながら言う。
「俺も。すごくしたい」
ゾロはかすれた声で言って、サンジのシャツのボタンに指をかけた。その手を押しとどめる。すでに目のふちを赤くしているゾロが、ぼんやりとサンジを見る。
「君はなにもしなくていい。今日は、私がしたいんだ」
「あんたの誕生日なのに?」
「そう。したいようにさせてくれるか?」
手の甲に唇をあてながら言うと、ゾロがうなずく。グラスをどけ、テーブルクロスを床にしき、そこにゾロをあおむけに横たえた。一枚ずつ、丁寧に、服を脱がせていく間にも、ゾロは息を荒げつづけた。いつものくせで自分で触ろうとするゾロを、手は横だよ、とたしなめる。
「腰をあげて」
ゾロが膝を立て尻をあげる。ゆっくりと、濡れた下着を下ろしていく。ゾロのペニスは色づいてかたく勃ちあがり、すでに糸をひいていた。
引き締まったからだのうえに、のみ残したワインをすこしずつ、垂らす。傾けたグラスからしずくが落ちて、濡れたところを、舐めとっていく。胸から流れて臍にたまった液体を、じかに唇をつけて飲んだ。乳首を口に含み、じゅっ、と音を立ててなんどか吸うと、声もださずにゾロは腰をふるわせ前を弾けさせた。
ぱたぱたと散った精液をワインとともに指にからめ、舐める。
「蜜の味だ」
ゾロのすこし開いた唇にも近づけてやる。ゾロは酔いが回ったかのようなとろけた顔で、熟れた桃色の舌をだして、それを舐めた。
「前に言っていたね?若い私に、乱暴に抱かれるのを想像したと」
一緒に暮らしだして間もないころだった。思い出したのか、ゾロの顔がかっと赤くなる。アルコールの芳香と、発情したゾロの匂いが混じりあって鼻腔を刺激し、サンジをじんと痺れさせる。
そんなふうにしてほしい?尋ねながら、ふたたび潤んできた先端を、指の腹でこする。
「して、ほしい……」
言葉だけで、ゾロが期待にとろりとそこをあふれさせる。
「後ろからなんども突いて、最後は顔にかけてあげるよ」
サンジがささやくと、ゾロは絶頂のときのように腰をくねらせて、はやく、と甘い声をもらした。





いつもどおりの時間に目を覚ましテラスから庭を眺めれば、待ちわびていた白木蓮が、いくつかほころびはじめていた。
「ゾロ、ほら起きて」
部屋に戻り、まだ毛布にくるまったままのゾロに声をかける。んー、とゾロはうなり声をあげるばかりで、なかなか目をあけようとしない。
「ねえゾロ、やっと咲いたんだよ。見にいこう」
起きなさい、となんど揺すっても、もうちょっと、と幼いような声で言う。
「だってあんた昨日、すごかった……」
ふいにそんなことを言うものだからどきりとする。そう言われる覚えは確かにあり、思わず絶句すると、ベッドに腰かけているサンジに、ゾロが裸の腕を伸ばしからめてきた。見れば、いたずらっぽい目つきでサンジを見上げている。
足に頬をすりよせ、なあサンジ、と呼ぶその声は、さきほどの幼さとはうってかわってひどく艶っぽい。ずしん、と腰にくる。
「……君は、あれだけしてまだ足りないのか」
「あんたといると、ずっと発情期なんだ」
俺専用のなんかが出てんじゃねえの?と笑いながら言って、ゾロはそのまま、サンジを温かな毛布のなかにひきずりこもうとする。
あきれたようにため息をつきながらも、サンジはあらがわなかった。
とりあえず今は花はあきらめることにしようとサンジは思う。
しかたがない、春はすべての生き物が、その盛りをむかえる季節なのだから。

「勃たなくなったら捨てられそうで、心配だよ」
サンジがなかば本気でそうつぶやくと、ゾロはすこしばかり考えて、俺はあんたの匂いだけでいけるから平気だ、とけろりとして言った。



                                           (09.03.02)



サン誕09年第1弾、ぎりぎり間に合った!
「アンダンテ」と、唯野さんが書いてくれた「モデラート」の続きになります。
サンじいとゾロのこの組み合わせは、とっても愛着がありまして、ぜひこの二人でサン誕をやりたかった。どの世界でもサンジとゾロが幸せでありますように。
サンジ、誕生日おめでとう!