あまやどり




駅から家に向かう途中で雨に降られた。
あいにく傘の持ち合わせはなく、走りこんだ軒下で雨雲が去るのを待つことにする。
乾いたアスファルトが急速に水分を含み、むわりと湿った匂いを発している。
見上げた空は雲ごしにも明るさがあり、どうやらにわか雨のようだ。


ジーンズのポケットから携帯を取り出す。開くと待ち受け画面は不機嫌そうなゾロの顔。
頼んだって絶対に撮らせてくれないので、寝惚けているところを不意打ちした。
待ち受けにしていることがばれたら殺されるかもしれないが、そのときはそのときだ。
ゾロと付き合うようになって、サンジは随分と打たれ強くなった。


画面が変わると閉じ、また開く。雨が、激しさを増している。








サンジは少し前からゾロと一緒に暮らしている。
片思いから始まり、誠心誠意尽くし、思春期の女の子みたいに差し入れ攻撃まで使って口説
き落とした。
片時も離れたくなくて、絶対に一緒に住むのだと勝手に決めた。強くなる以外の大抵のこと
はどうでもいいゾロだ。毎日飯を作るといったらあっさり了承した。


サンジと付き合う前、ゾロは性別を問わずかなりの男女と寝ていたし、敷居も低かった。
抱きたいだけなら簡単だった。
だけどサンジは、ゾロの特別、になりたかった。


一緒に住むことが決まったとき、自分以外の奴と寝ないで欲しいと頼んだサンジに、ゾロは
お前おもしれぇ奴だなぁと言って心底感心していた。
ゾロにそんな事を言う奴は今までいなかった。
それから、お前のセックス好きだから別にいいぜ、とこれまたあっさり頷いた。
何事も、言ってみるものだ。









ゾロの携帯に電話をかけてみる。愛想のない呼び出し音が続くのをぼんやりと聞いた。

――寝てるんだろうか、昨日ちょっと無理をさせちゃったし。

あれやこれやを思い出して、頬が熱くなった。
自分でもあきれるくらい、ゾロのことばかりな自覚はある。湿った前髪を指で摘みながら、
サンジはふと考えた。

ゾロはこんな風に、俺を想ったりすることはあるんだろうか?

……ないかもな。

自問自答して、なんだか侘びしい気持ちになってしまう。
恋愛は勝負じゃない。だけど惚れたほうの負けというのも一つの事実。少なくともサンジ
はいつも、負けっぱなしだ。





そろそろ切ろうかと諦めた瞬間に、電話が繋がった。
すぐさま明るい気分になるのだから、我ながら現金なもんだと苦笑する。

「もしもし、俺」
「おう」
「今、雨宿り中。やんだらすぐ帰るよ」
そうか、雨降ってるのか。全然わかんなかった。
ゾロが寝起きの掠れた声で言う。
「やみそうなのか」
「うん、多分もうすぐ」

「もうすぐ?ならなんで電話なんか、かけてくんだ」

こんなことでわざわざ起こすなといわんばかりの物言いだ。
サンジは黙った。ここら辺の情緒というか繊細な恋心というものがゾロには全然分かって
いない。
まあそんなものを理解しているゾロというのもちょっと気持ち悪いが。


「……今声が聞きたかったから」
憮然として、しかしはっきりと答える。黙っていてもゾロには何一つ伝わらないことはさ
すがに学んだ。

「ふうん」
と、ゾロが答える。
どうでも良さそうだ、しかも解ってなさそう。正直、へこむ。




見返りが欲しくて一緒にいる訳ではない。
ただとにかく好きで好きで、それだけのはずだ。
そもそもあのゾロが、浮気もせず(多分)に自分と暮らしてくれているのだから、十分神に
でも感謝しなくてはいけないだろう。


それでも、ちょっとくらいは、俺を。

そんな風に思うのは、贅沢なんだろうか。

からから、と窓を開ける音がした。

「結構、降ってるな」
「うん」
窓際で話しているのだろう、電話越しにも雨の音が聞こえる。
溺れてしまいそうなほどの。
「……雨の匂い」
ゾロが落ち着いた声で呟く。
「え?」
「雨の匂いさ、」
呼吸一つ分置いて、ゾロが言った。

――終わった後のお前の匂いに、似てる。

一瞬何を言われたのか分からなかった。理解して、かっと顔に血が上る。

「なあ、今すぐ帰って来いよ、サンジ」

ベッドでしか呼ばない名前をこんな時ばかり、そんな甘い声音で。
見上げれば青空はもうすぐ近くまで来ている。あと少し待てば雨は止み、美しい夕焼け空
が広がるだろう。

でも、サンジの答えはとっくに決まっている。

「……待てねぇ?」
「待てねぇ」
即答された。こういう時のふん、と威張ったようなゾロの顔が目に浮かぶ。
「――俺もだ」

ああ、もう、クソかわいくてたまらない。一秒たりとも待てやしねぇよ。

片手で携帯を閉じフードをかぶると、サンジはどしゃぶりの雨の中を駆け出した。着く頃
にはすぶ濡れだが構いはしない。
いっそ玄関で服を脱ぎ、そのままゾロに飛びついてあっためてもらおう。
雨の匂いをまとった俺を抱きしめて、きっとゾロがああやっぱりお前の匂いだと言うだろう。


なあゾロ、少しは俺が、恋しかったか?

にやつく顔を抑えようともせずに、サンジは愛しい恋人の待つ家へ走った。

                                                           (08.04.30)


なんだかんだ言っても、すごく想い合っている2人が好き。