この話は、オフ再録に載せているサン誕本「March two,too much Love」のなかの最終話(この本は短編集なので、最終話だけで独立しています)の続きとなります。







もしもお前が







朝起きてまずはじめにすることは、すぐ隣の温もりをたしかめることだ。
目覚めたてのおぼろな視界に目を眇め、ごそごそとシーツを探ると横向きに寝たゾロの丸い背に触れる。ゆったりと上下するそれにそっとてのひらをあてると、引き寄せられるような眠気に誘われる。
あらがってまぶたを開き、少しだけカーテンを開けた。朝のまぶしい光が帯となりベッドに降るように注がれる。
「おはよう」
身を起こし声をかけてもゾロが返事をすることはめったにない。ごくたまにではあるが、ん、とか、おう、といったくぐもった声が返ることもある。
脇に置いた煙草とライターに手を伸ばし、そのままそこで起き抜けの一本を吸った。草色の髪についた寝癖を撫でながら、あるいは、そのかさりと乾いた頬に触れながら。
指を這わせていると、ゾロがそれにむけ鼻をすりつけてくる。無意識なのか、すん、と追うように匂いを嗅ぐさまは獣の風情だ。そうしてどこか安心したような顔になり、ふたたび寝息をすうと深めていった。
そのこめかみに軽く音を立ててキスをした。
「よっと」
煙草を吸い終え、立ち上がるときかけ声をかけてから、いまのはおっさんくさかったかなと自省する。目尻の皺をなんとなく撫でて名残惜しい温もりを孕むシーツを出る。
そのまま洗面所に向かい顔を洗い歯を磨いた。つやりとした白い琺瑯、マグカップはひとつ、歯ブラシはふたつ。眠いと子供のようにそのまま寝てしまうゾロの、歯を磨いてやったことは一度や二度ではない。手のかかる男。ゆるんだ口の端から垂れる泡をふいに思い出しサンジは笑った。
着替えまで済ませて、洗濯機にパジャマを放り込む。そのまま向かったキッチンにはぞくりとくる冷気がわだかまっている。そろそろストーブを出さねばならない。窓から見える海は秋を飛び越え冬の色をして、空との境界となる曲線を際立たせていた。
波が高いのかと思ったら海鳥の群れが来ている。彼らの羽根の白は遠くから見れば、風の強い日の波しぶきによく似ているのだった。
「……さて、はじめるか」
二本目に火をつける。煙草を噛んで冷蔵庫を開ける。吐いた息が白いのが、寒さも混じっているのかわからない。
庭いっぱい花に埋もれる春と、砂浜が強い陽を弾く夏をともに過ごした。
ゾロがこの家にやってきて、もう八ヶ月が経ったのだ。



オレンジを切っていると後ろに気配があった。腹に腕がぐるりと回り、顎を肩に乗せて手元を覗き込んでくる。
ナイフを入れるたび、張りのある皮と締まった実は柑橘の清々しい香りを立てた。すん、とまたゾロが鼻を鳴らしている。行いがどこか動物じみているのは昔もだったけれど、構えが消えたぶんいまのほうがよりくつろいだ野生のそれだ。
「いい匂いだな」
「このあたりのオレンジはうまいぜ。ナミさんのみかんにゃかなわねえが」
「そうか」
あくび混じりのどうでもいいような口調だった。房の並ぶ断面を近づけると、大きく口を開けがぶりとそれに歯を立てて齧る。じゅ、とあふれた汁がサンジの指を伝いシンクにぱたぱたと跳ね落ちる。
何度か咀嚼して飲み込み、たしかにうめえと頷いたあと、でもなんでそんなに切ってる、と不思議そうに続けるからサンジは軽くため息をついた。
「ケーキを作ろうと思ってよ。苺の季節にはまだ早いからな」
「ケーキ」
「今日は何日だ?」
「知らねえな」
「そうだろうよ」
カレンダー。
ひとこと言うと、ゾロが壁のほうに顔を向けるのがわかる。一日が過ぎるごとに印を入れているから、今日が何日かは一目瞭然のはずだった。
「あー……」
「やっぱ忘れてたか」
「だな。つうか、あの船降りてから祝ったこともねえ」
「――へえ」
無関心を装うのに少しばかり苦労する。あえて尋ねはしないが、離れていたあいだのことが気にならないといえば嘘になる。ゾロの言葉が真実ならば、少なくとも、深い情を交えた相手はいなかったということだろう。
よく覚えてたな、と耳元で響く声は昔よりもなお掠れている。変わったところはたくさんあり、けれど変わらないところもたくさんある。
「……俺は、忘れた年はなかったぜ」
ケーキは焼かなかった。祝いの言葉を口にもしない。あえていつものように淡々とその日を過ごし、ただ眠りにつく前、もしもお前がといくつかの仮定を考えた。
黙り込んだゾロのほうを見る。細めた片目、茶色がかった水気の多い眸がサンジを映し、それに見蕩れていると握ったままだったオレンジを奪われた。
皿の上、剥き終えた実の横に置かれたそれはしばらくのあいだかたかたと音をさせて震えた。
「てめえ、変わったな」
「どこが」
「素直になった、っつうのか」
可愛げだしやがって。ゾロはなぜか不機嫌そうに言い、果汁がついたままの唇を首すじに押しつけてくる。熱い舌がわがもの顔でのたりと皮膚を這った。耳を齧られ、ふ、と息が震え、宙に浮かせた手がびくりと揺れる。
背中に貼りついたままでシャツのボタンをひとつずつ外された。大きな、分厚い皮をしたてのひらが胸を探る、腰のあたりにはすでに硬い感触がある。
そうしながらゾロはサンジの襟足に鼻を埋め、そこで何度かゆったりとした深い呼吸を繰り返し、それから昔より褪せた金髪をがじりと噛んだ。
「変わんねえな」
「どこが」
「あいかわらず獣だ」
「なあ、欲しいもんくれんだろう」
そういう日だなとくすりと笑えば、ふいに顎を掴まれ首をねじるようにして唇を貪ってくる。はじめに感じたオレンジの味はすぐにゾロの唾液の味に変わった。粗暴なくちづけに、不自由な姿勢のまま応えれば焦れたのか、腕を引かれなかば強引に床に押し倒された。
「おいゾロ、ゾロって」
「なんだ」
「言ったろ。ケーキの準備、あるんだけど」
「うるせえ。どうせ俺のだろうが」
俺の、というときにゾロはにやりと笑ってみせた。意味するところはどうやらケーキのことだけではないらしかった。
胴にまたがりシャツを剥ぎとり、その手はすでにボトムに掛かっている。下から見あげる逞しい体躯には見知らぬ傷も多かったが、斜めに断つようなもっとも深く長いそれはサンジの眼前で刻まれたものだ。
真横に潔く広げられた腕、白いシャツの背が、ゆっくりと倒れるのをこの目で見た。
「……はじめっからだから、まあ、しかたねえなァ」
「何の話だ」
「べつに。手のかかる男だって話」
「てめえが手ェかけてんだろ」
その通りすぎて二の句が継げない。ゾロはたしかに手がかかるが、それはサンジが放っておかないからだ。好きにさせておけばゾロは自分でなんとかするし、なんとかならなくとも気にもしないはずだった。
「だからしかたねえって。甘やかしてえのよ」
苦笑いで眉を下げ、両手をあげるのは降参のポーズだ。
ゾロは勝ち誇ったようににかりと笑んで、いいぜ好きなだけ甘やかせとサンジの耳に吹き込んだ。

「ゾロ、おいで」
唇をとんと指で叩くと、意図が伝わったらしくゾロは肩のあたりを跨いだ。
寝そべったまま、のぞかせた舌に触れたのはすでに少し濡れた先端だ。小さな穴には丸く水が浮いて、ゾロは己のものに手を添え、荒く息をつきながらそれをサンジの唇にぬるりとなすりつけた。
促すその動きに、口を大きく開けばゾロが腰を進めてくる。まだ柔らかさを残した幹を頬をすぼめてじゅうと吸う。じゅ、じゅうと圧をかけるたび、欲望に忠実な雄はむくむくと育ち、膝立ちになったゾロの開いた内腿が筋を浮かせた。
「ハ、」
上げた片手でシンクの縁を掴み、もう片方はサンジの耳の辺りに添えられる。そうしてしきりに髪を乱しながら伸びをするように背中を反らし、あ、あ、と短く声をあげゾロは腰を振る。
ゾロが出すものとサンジの唾液で、そこからはまるでゾロの尻を激しく突いているときのような音がする。下から両手で胸を揉んだ。尖った実を潰すようにこねるとゾロの動きが早くなり、口内にある硬い性器はとろとろとしきりに漏らした。
目はずっと合わせたままだった。サンジを見下ろす、眇められた目元がふわりと赤らんでいる。
「サン、ジ」
昔は呼ぶことのなかった名を、こうして呼ぶときはおねだりの合図だ。口の端から、混ざりあった体液をこぼしながら、サンジは腰骨を辿り指先を充実した尻たぶにかけた。
「う、んァ、ッ」
微細な皺を伸ばすように広げれば、慣れたそこは遅れてぱくりと口を開く。とろけたなかには冷えた空気が入り込むだろう。指先を湿った周囲で遊ばせていると、サンジ、サンジ、とゾロが首を横に振る。
腰の動きで絶頂が近いことがわかった。壮年を迎えてなお鋼のような体にはいつの間にかびっしりと汗が浮き、サンジの口を深く犯しながら自分の尻が犯されるのをゾロは待っている。
「ア、も、いれ、ろ」
命じられたままに指を奥まで挿し込んだ瞬間、髪を両手で思いきり掴まれた。後ろをきつく締めつけながら、丸めた体を前のめりにして、えづきそうなほどのど奥をゾロが突く。熱い精液を放ちぶるぶると全身を痙攣させるさまは、駆け巡る快楽を余すことなく貪っているようだった。
「ん、ン、ぅ」
出されたものを飲み込むときに、鼻から抜けるような甘い声が出た。たまらねえ、とゾロが笑い、ずるりと引き抜いて、そこから白い糸を引いたサンジの唇を指先でなぞった。
「なにがたまんねえの」
「てめえの声、あと、俺の飲むときの顔な」
いやらしい男だ。そう言って頬をするりと撫でる。
「……どっちがだよ」
はっと息をついて震えたのは、サンジが挿れたままにした指をうごめかせたからだろう。浅いところで出し入れする。二本に増やし、尻を浮かせ揺らしはじめてからふいに抜けば睨みつけてくる。
興奮に赤らんだ、不満げなその顔がサンジにはたまらない。自制が効かなくなったときの嗄れた声も、高まるにつれ放つむっと熟れた汗の匂いも、いつも強い眸の表面が感じすぎてとろりと潤むのも。
「どうして欲しい」
三本に増やしてふたたび突き入れる。太い喉仏を晒し声をあげるのに合わせて、ぐじゅりと粘った音をさせてそこを責める。
ゾロが腰をくねらすたびに、きつく反り返ったものからは水が飛び散りサンジの顔を汚す、それをゾロは陶然と見おろしている。
「うァ、あ、――あ、サ、」
「言えよ、ゾロ」
どうされてえのと、もういちど尋ねると唾液に濡れた唇を耳元に寄せ、ゾロは己の願いを目を細め囁いた。
「――……」
サンジは息を呑み、しばしためらって、しかし結局は目の前のゾロの肩を強く掴んだ。引き倒し床に這わせ、頭を片手で押しつけて尻だけを高くあげさせる。
いきなり奥まで突き込めばゾロは呻り声をあげて吐精した。びしゃりと何度か床に撒き散らす。ぎゅうぎゅうと締まるのにかまわず腰を打ちつけると、小刻みに身を震わせそれでも尻をすりつけてくる。
荒く揺さぶりながら、流れた汗が目に入って視界が滲み、サンジもほどなく低く呻いて吐き出した。

昔みてえに乱暴にしろ。そうゾロは言った。
後ろから、無理やりみてえにした後の、おめえの情けねえ顔がまた見てえとゾロは言ったのだった。
何かを忘れるような、恐れるような、奪うようなセックスばかりしていた。
それさえも愛おしかったのだと言われたような気がした。



キッチンの隅で寝息を立てている、ゾロのわき腹を軽く蹴りつける。思うさま暴れたあとすっかり寝入ってしまった男は、んあ、と間の抜けた声をあげてのそりとうごめいた。
ラグマットを敷いたそこはゾロ専用の昼寝スペースだった。自宅とレストランは扉ひとつで繋がっているが、家にいるときもサンジはやはりここに籠もる時間が長く、ゾロは料理をするサンジを眺めながらうたた寝をするのを好むからだ。
いちど遊びに来たナミが、剥きだしの床にごろごろとするその姿を見て、あんたまるきり駄目亭主みたいよとあきれ顔で笑い、しばらく経ってからこのラグが送られてきた。結婚祝いみたいなものだから気にしないで、でもお邪魔したときには腕を奮ってねと、つけられたメッセージに苦笑いをしたのを覚えている。
「そろそろ起きろよ」
「……なんだ」
「ケーキ。出来たぜ」
小さな作業台のうえを指差せば、まだ眠たげな顔でそちらに視線を流した。おう、と返事をして床についた肘で頭を支え、横向きに寝たまま億劫げにサンジに手招きをする。
目の前にしゃがみこむと首の後ろに手を添えられた。ふ、と笑えば嫌そうな顔をした。起きあがる前にはくちづけをひとつ、それもゾロがここに来てからなんとなく出来た習慣だ。
独り暮らしのときにはなかった他人との密な関わり、他愛ないけれど大切な二人だけの決まりごと。こうして少しずつ、ひとは生活というものを織りなしていくのだろうとサンジは思う。最後に出来あがるものが美しかろうが、たとえ目を逸らしたいほど醜悪であろうが、それはこの世にふたつとないものには違いない。
もしもお前がと、考えたのは幸せな結末ばかりではもちろんなかった。いまのこの生活がまるで夢のように感じられることもある。こんなことばかり考えるのは、やはり今日が特別な日だからだろうか。
ゾロが生まれた日、愛おしい俺の男。
「――なに、考えてる」
ふと気づけば物思いに耽っていたらしい。ゾロに髪を梳かれ、サンジはその閉じかけの唇に唇を押しつけた。
「お前のこと」
素直に言えばゾロは目を見開き、それからみるみる顔を顰めてチ、と舌打ちをする。
「気に食わねえ」
「は?」
「てめえを変えた女、どんなだ」
「……」
さきほど可愛げだしやがってと言ったときと、同じような悔しげな顔をサンジはじっと見た。そうして、昔を思い出すような抱きかたを催促したことと繋がってぶわりと一気に顔が熱くなった。
なるほど、知らない過去に焼いているのは俺ばかりではないらしい。
「はー……お前ってほんと」
「なんだよ」
「えーと、好きだよ」
「……ごまかすんじゃねえ」
ごまかしてねえし、と答える口元はどうしても緩んでしまう。
きっといまは何を言っても同じだろうから、ケーキに隠した指輪をその薬指にはめて、どれだけずっとお前を、お前だけを待っていたかを教えてやろう。
握った温かな手をぐいと引っ張りゾロを起こした。おぶさるように背中についてきたラグを乱暴に剥ぎとった、その不機嫌極まりない横顔に笑いながら、サンジは出来立てのケーキにすうとまっすぐナイフを入れた。






(11.11.11)





11年ゾロ誕。
おっさんになってようやく、穏やかな日々を過ごす二人もいいなあ、なんて思いながら書きました。いくつになってもいちゃいちゃしたらいい。
ゾロ、お誕生日おめでとう、変わらず好きです、ほんと馬鹿みたいに。