けして言葉や理解など たとえばこれが刀傷だったなら、呻き声ひとつで耐えきることなどいくらでも出来るのだ。膿んで熱を持ったそれを抱え、幾日もただ一人過ごしたこともある。日が経つにつれ癒され痛みは和らぎ、また少しの怯みもなく刀を握り、そのたびごとに歩を前に踏み出すたしかな実感を伴っていた。 だからこんな自分はついぞ知らないのだと、舌打ちを堪え背を向けながらゾロは考える。 「逃げんのか」 後ろからかかる声には挑発の含みすらなく、そのことはゾロを一層苛立たせた。叩きつけるようにドアを閉めると、指先から骨を伝う振動にぐらりと頭が揺さぶられるようだ。明かりを消してあったのは待ち伏せていたのだろう、夜更けのキッチンに満ちる空気はいがらっぽく濁っており、のど奥の違和感を消すためにゾロはねばついた唾液を飲みこんだ。 小窓から入るわずかな月明かりのみでは、蜜色の髪がまるで青い炎のように浮き上がって見えるばかりで、その表情は目をじっと凝らしても少しも判然としない。笑っていればいいと思った。小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべていればいい。もしもそうでないならばと、考えただけでみぞおちのあたりが鈍く強く、絞るような痛みを訴える。 そんなところには古傷のひとつもなかった。あれば少しは気も晴れただろうかと、無骨な指でそのあたりに触れながらゾロは思った。いっそ掻きむしってやろうか。そうしてこの馬鹿馬鹿しいほどの感覚に別の理由を与えてやろうか。 床板を叩く硬い音がひとつずつ近づいてくる。足を踏ん張るのが精一杯で、せめてこの男に無様を晒すことだけは避けたかった。そういう関係だったはずだ。 ことごとく遠く、けして言葉や理解など、ましてやこんな感情も。 「聞かせろよ」 「何をだ」 低い声に返せば、は、と短い笑い声が耳を打つ。乾いてはいない、むしろ湿っている、それがこの上なくゾロを痛めつけた。 すでにサンジは目の前にいる。馴染んでしまったその匂いも気配もごく近い。いつのまにこんな、と考えれば気が遠のくような感覚がする。 「てめえは、……てめえも、」 「言うな」 「違うのか」 「黙れ」 「俺はな、自惚れてるよ」 てめえがそうさせんだと、しわがれたような声で言うのどをぐ、と掴んだ。のど仏の隆起がてのひらに触れる。ころりとした軟骨の感触はまるでうずくまった小さな生き物のようだった。 それ以上言えば潰すと声を低めれば、しかしサンジはゾロ、と柔らかな声音で呼んだ。皮膚を介してその響きはまったく無遠慮にゾロの内部に入ってくる。ずくずくと溶けるような甘い疼きとともに、猛った性器を奥深く埋め込まれるときと同じように。 「ゾロ」 「やめろ」 「なんで」 「うるせえ」 「潰さねえの」 いまや添えられただけのようになったゾロの手に、サンジの長い指が絡まった。優しいような諭すようなその所作に、ゾロはそのままサンジを引き倒し頬を殴りつけた。 馬乗りに跨り、シャツの胸倉を掴んで上体だけを引き起こす。かならず応戦してくるはずの男はだらりと体の力を抜いている。皮膚は青白く見え、唇の端はみるみる腫れてそこから顎へとひとすじの血が流れていた。 「なんで歯向かってこねえ」 声は不格好にも震えた。弛緩させていた腕をゆっくりとあげると、サンジは己の唇を親指で拭い、それからその汚れた手をゾロの髪に差し入れた。 「おめえのほうがずっと痛そうだからだ」 「……見えねえはずだ」 そうだ、見えるはずがない。暗がりに慣れた目にも、顔の細部まではぼやけてわかりはしないはずだった。 「見なくてもわかんだよ」 「――」 「でも悪ィな、俺ももう限界でよ」 痛えのはおめえばっかじゃねえよとサンジは言う。わずかな光を集めた眸がゾロを捉えているのがわかった。昼に間近で見れば青く深く美しい海のそれ。みぞおちはいまや捩れんばかりだ。そんなことはとうに知っている、知っているからだ。 握ったままのシャツをぐいと引き寄せて唇にかぶりついた。よく知った鉄分の苦みはすぐに甘いような唾液に取って変わった。切れた口内をむさぼるように荒くまさぐっていたら、サンジは仕返しじみたやりかたでゾロの舌に歯を立てて強く噛んだ。過敏な粘膜はひりひりと痛み、しかしやはり腹からせりあがる感覚よりはよほど穏やかだ。 ごろりとそのまま体を入れ替えられる。お互いすでに獣のように息が荒かった。いまや逆にゾロに跨った男は、黒い血の染みたシャツのボタンをひとつずつ外し、締まった上半身をさらけだすと性急にそれを床に投げつけた。 それから深く身を折るようにしてゾロの体に触れてくる。忙しないのにその手の動きはどこか敬虔でさえあった。情熱的で激しい性交はあっても、乱暴なことははじめから一度たりとてなく、そのことはだんだんにゾロを苦しめた。腿に触れる硬いものに手を伸ばし握れば、ふ、と熱いサンジの息が耳朶にかかった。それだけで目眩がする。 「ひどく」 「……」 「ひどくしてくれ、今日は」 「――だめだ」 すげえ優しくする、とサンジは耳元で言う。せめてこの痛みを紛らわせたいと思ったのに、これでは見えもせぬ傷はきっと膿みゆくばかりだろう。 長く続く気のふれそうな愛撫に、後ろ髪を手荒く引っ張ればぶちりと抜ける感覚があり、けれどどれだけこんなのは嫌だと言ってもサンジは溶けるようなやりかたを止めようとはしなかった。 「俺だって同じだ、ゾロ」 同じなんだよ、とサンジは言い、それからゆっくりと腰を使いはじめる。大きく広がったそこは体液に濡れ、貫かれるのに合わせ粘ったような音を立てるのだった。 痛みの塊は膨れせり上がりのどまでをみちりと塞いで、意味のない短く叫ぶようなあえぎ声を発することしかできない唇に荒れた指先が触れる。 「は、ア、ぁ、てめ、痛え、んだよ」 「俺だって痛えさ、こんな、お前のことが、」 「言う、な、クソ野郎ッ」 「……ひとの台詞取るんじゃねえよ」 言葉なんかくれやがったら殺すと低く吠えれば、ほら、やっぱおめえが自惚れさせんだとサンジは苦しそうに呻き、腫れて熱を持ついっぽうの唇でゾロ、とそれでもまた柔らかに名を呼んだ。 (11.08.20) こういうのはやっぱり19歳。 |