航路捏造。まだ二人のときです。
ゾロとルフィ。






グラウンド







雨の音だけが、している。
鼓膜を、ぶるぶると震わすようなひどい土砂降りだった。ゆるやかに蛇行した細い道のわき、名を知らぬ大きな木の下に一人でいる。
いつのまにかだいぶのぼっていたらしく、ふと後ろを振り向けば海からずいぶん遠くに来ていた。天気がよくて、青は目に痛いほど青くて、ただでさえ小さな船はなおさら小さく見える気がした。戻ろうと思えば戻れるものを、ゾロはそのままのんびりと歩き続けた。
そうしたら、この木があったのだ。ひとめ見て、昔、くいなとよく木登りをしたものに似ているなとゾロは思った。葉の形は違うが枝ぶりが似ている。くいなはゾロよりもずっとすばやく、がっしりとした幹に足をかけてそれを登った。金色の木漏れ日のなか、下から見あげるくいなの姿は、ちょうどさきほどの船のようにとても遠くに思えたものだった。それから、そんな細かいことをいまだに自分が覚えていたことに、ゾロは少し驚きもした。
座り込んだ地べたはひんやりと冷たかった。てのひらで触れてみた土はさらりとして乾いていた。風がゆるく吹いていて、鳥が高く鳴いていた。埃っぽい、懐かしいような匂いに、ゾロは、がさついた木肌に背中を預けて緩慢にまぶたを閉じた。
そして目が覚めたら、この雨だった。雨粒は土をえぐるように激しく降っている。海も、道も、木々も、遠い街並みも、目に映るすべてのものがぼんやりとけぶって見えている。バケツをひっくり返すってのはこういうことだな、と、まるでひとごとのように薄くゾロは思った。
ぼた、とちょうどつむじの辺りに水が落ちて、ゾロは顔を上向けた。青々と茂った葉の隙間から、たまった雨粒がときおり落ちてくるのだった。髪を濡らすそれはうなじから背中へと伝い、白いシャツを体にべたりと張りつかせている。気温が高めなのは幸いだった。奪われる体温を気にすることなく、ゾロは生ぬるいそれに身体を濡らすままにしていた。
上を向いたまま、口を開けた。舌を少しだけ伸ばしてみる。ちょうど先端に、また透明な水が落ちて弾けた。味はしなかった。もしかしたらするのかもしれないがゾロにはよくわからない。
叩きつける雨音に混じって、水を踏むばしゃばしゃという音が耳に届いた。ゾロは視線を道のほうへと戻した。それとともに聞き覚えのない、たぶん自作の鼻歌が聞こえてきて、少年らしいシルエットがだんだんとはっきりしてくる。そうして、ゾロの目の前で、ルフィは、立ちどまった。
全身がくまなく雨に濡れている。ルフィは傘をさしていなかった。二人だけのあの小さな浮き舟に、そんなものがあるはずもなかった。
すべてがぼうと濁った曖昧な風景のなか、彼のまだ華奢といっていい姿だけが鮮やかに浮きあがって見えていた。それはあのとき空腹で霞みきったゾロの視界に、何の前触れもなく現れたときと同じような鮮烈さであった。
ゾロ、とルフィは笑った。
なんだ、とゾロも笑った。
ルフィはゾロの隣にごく自然に座った。びしゃ、と濡れた布が潰れる音がする。麦わらはかぶっていない。ルフィは水浴びのあとの動物のように、首を左右に勢いよく何度か振った。その水が顔に降りかかってゾロは眉を顰めたが、とくに何も言わなかった。どうせもうずぶ濡れなのだ。
「何してる?」
衒いのない、大きな瞳でゾロを捉え、ルフィは尋ねた。別に、とゾロは、その目を見て答える。実際、自分の行動に自覚できる意味など無かったし、ルフィにはそれで通じるような気がしたからだった。
「ふうん、そっか」
ルフィが思ったとおりの反応をする。ぽた、とその髪から水滴が落ちた。
すげえな、雨、とルフィは続け、立てた両膝の上にぺたりと顎を乗せた。腕で足を抱え込み少し唇を尖らせる。すねた子供のような所作だった。
「お前は、なにしに来た」
「んー。ゾロいねえなって思って」
「探しに来たのか」
「おう」
雨降ってきたし。ルフィは言って、頬を膝に預けたまま首を横にねじった。ゾロを見あげるようにして、にしし、と歯を見せて笑う。どうやら迎えに来たつもりらしかった。それで傘ひとつ無いのだからこの男らしい、とゾロは思って、だが実際にには、ルフィのことをまだたいして知らないことに思い至った。出会って数日だというのに、もうずいぶんと長くこの男とともにいるような気がする。
それきり二人は黙った。ゾロは耳を塞ぐはげしい雨の音に身をゆだねた。小道は茶色い水しぶきをあげている。もはや道というより川のように流れている。空はいまだ暗く、雨が止む気配はまったくなく、遠くのほうでは雷の音が低く鳴っている。
またしずくが落ちてきて、襟足を濡らした。思わず見あげた天は濃い緑と枝で覆い尽くされていた。
ルフィも、ゾロにつられるように、顔をあげる。
「へえ、懐かしいな」
ルフィは言った。轟音にもかき消されることのないはっきりとした声だった。
ゾロはルフィを見た。ルフィは一番低いところにある太い枝を見ていた。その口元はやわらかく綻んでいる。まるで、そこによく知った、記憶のなかの誰かが座っているのが見えているかのようだった。
「……お前のところにも、あったか」
こういう木、とゾロが言うと、あった、とルフィは答える。よく登ってた、そう続ける。おれもだ、とゾロは言った。
「競争とか、してなかったか?」
ルフィが尋ねる。
「してたな」
「どうしても勝てねえ奴がいてよ。悔しかったなあ」
「――そうか」
おれもだ、とまた言おうとして、だが、唇は動かなかった。視線を感じる。ルフィはふたたび頬を膝に預けゾロを見ていた。
ちょっと冷えてきたな、とそのままの姿勢でルフィが言う。たしかに体は冷えはじめていた。海風をふくんで自由に踊るルフィの髪は、いまは額にびたりと貼りついている。ゾロは、その髪に指を入れてかきあげた。
水が、その額を音もなく流れ落ちる。ルフィはゾロを見つめる目を細めた。今度はひどく大人びた表情になる。たぶん、色んな顔を持つ男なのだろう。
海賊王になる男。
まさか、自分が海賊になるだなどと思いもしなかったが。
ゾロ、とルフィが呼ぶ。
「なあ、お前の競争相手さ。例の親友だろ? おれに似てんのか?」
「なんでだ」
「なんとなく」
「――いや、似てねえよ」
似ているのは髪色とその長さくらいだ。
彼女は、女では夢を叶えられないと言った。
「ふぅん」
ルフィはそれで興味を失ったらしく、眠そうに一度まばたきをした。お前が勝てなかったその相手はまだ生きているかと、聞こうとして、ゾロはやめた。喪失を深く知る者の眼ではなかった。だがきっと、なににも損なわれることのない男だとも思った。だからともに進むことを選んだのだ。
これまで、誰かとともにある自分を想像したことがゾロにはなかった。
血でぬかるんだ道を、一歩一歩、ただ一人で行くのだろうと、そう思っていた。

指のあいだの黒髪をしばらくゾロは眺めた。ルフィはゾロを見ている。はげしい雨の音が耳を塞ぐ。
圧倒的なその音に二人して身を浸している。
「なあ、ゾロ。どこへでも行けそうだな」
ああ、とゾロは答えた。
いつのまにか体は沿うている。
触れあうところから伝わる体温はちょうど同じくらいのようだった。
奪いも与えもしない、まるで、もともとひとつの生きもののように。





                                           (10.05.07)





サンジとゾロとはまったく違う、この二人の関係性をいちど書いてみたかった。