flowers テーブルの真ん中で、その花たちは揺れていた。 淡いピンクと、赤に近いピンク、それと、白。ゾロが空けたらしい酒瓶に今は水を満たして、可憐な三色の花が一輪ずつ、船の動きにあわせて穏やかに揺れている。 水気を切った皿を丁寧にふきあげながら、サンジはぼんやりとそれを眺める。レストランにいた頃、真っ白なクロスの上に一輪差しを置き、こうして季節の花々を飾っていた。なめらかに手を動かしながら、はあ、と何度目になるかわからない、ふかいため息をつく。長年の習慣で、考え事をしていても、作業に滞りがでることはめったにない。 ドアの開く音がして、サンジは勢いよく振り向いた。ロビンが少し驚いた顔をして、立っている。ただならぬサンジの様子を見て取り、大人の対応で、すぐに表情を柔らげた。 「あら、コスモス」 小さな笑みを浮かべ、テーブルの上に視線を落とす。 「ロビンちゃん、何か飲み物?」 「紅茶を頂けるかしら」 「いい茶葉が入ったんだよ」 「そう、楽しみだわ」 コックさんの淹れてくれるお茶は、いつだっておいしいけれど。椅子に腰かけながらロビンが言う。サンジは拭き終えた皿を重ね、ありがとう、少し待ってね、と声をかけた。 ケトルに水を入れ湯を沸かす。カップは二つ。ロビンに便乗して、サンジも休憩を取ることにした。ちょうど、気分転換がしたかったのも、ある。 茶葉を蒸らし始めると芳香が狭い室内を満たす。温めたカップに、オレンジに近い茶色の液体を、注意深くそそいだ。むわりと湯気が立って、鼻先に湿り気を感じる。 ――あいつの瞳の色、みたいだ。 思いの深さを知る瞬間は、こういう何気ない日常の中でも数え切れないくらいあって。そのたびにサンジは、今すぐ頭を抱えてうずくまってしまいたいような気持ちになる。 ロビンは頬づえをついてコスモスを眺めていた。口元が緩んでいる。 「これ、剣士さんに?」 ずばりとストレートに、ロビンは尋ねる。 「あー、うん、まあ」 苦笑いを浮かべつつ、サンジは素直に認めた。ロビンの前にカップを置いてから、向かいの席に座る。 ゾロとの関係は、鋭い女性陣にはかなり早い段階で気付かれていたらしい。サンジの片思いだった時代から、影ながら応援していたのだそうだ。おめでとうあんなトウヘンボクをよく落としたわねと、ゾロと初めて寝た数日後にはナミに肩をたたかれ、ふいをつかれて驚いたサンジは、ありがとう、と思わず答えてしまった。 ほんとうに落としたのかどうか、今だって、サンジは半信半疑なのだけれど。 「好きだって言ってたものね。喜んだでしょう」 指先で花びらを軽くつつきながら、ロビンが続ける。からかっている口調ではない。 「どうだろうね。女じゃねえぞって、怒ってんのかも」 自分の言葉に少なからず傷つきながら、サンジは力なく答えた。10ちかく年上のせいか、ロビンの前ではつい、弱音が出てしまう。 贈ったはずの花が、こうしてここに飾ってある意味。今朝からゾロはサンジと目を合わせようともしない。ゾロが考えてることなんて、サンジにはわかったためしがないのだから、頭を悩ますほうが愚かなんだろうけれど。 相手が悪すぎるのか、それとも自分が惚れすぎているのか。 おそらくは、その両方。 そう思えばますます、途方に暮れるばかりだ。 今朝まで寄港していた島でこの花を見かけた。 新しい武器を作りたいからと、その日の船番をかってでたウソップを残し、街までの道を歩いた。ルフィは降りた早々、チョッパーを引きずって風のように走っていった。ログは二日。どうやら栄えているとはお世辞にも言えない、のんびりとした島らしい。 ちょうど秋の季節で、舗装のされていない道の脇には、誰かが植えたのかコスモスが帯状に連なって咲いている。繁殖力が強いから温帯では世界各地で見れるのよ、とロビンがナミに説明していた。三色のグラデーションが目に楽しく、湿度のひくいからりとした風を受けて、踊るように揺れている。 懐かしいな。ゾロが穏やかな表情で言う。その顔を、サンジは少し後ろから見つめた。 「あんたにも花を愛でる感性なんかがあるのね」 すかさずナミがからかった。 「道場の裏に毎年咲いてたんだよ」 「好きなのね?」 今度はロビンが尋ねる。 わりいかよ。ゾロは眉間にしわを寄せて、むっつりした顔になって言った。ロビンはさらに、ゾロを追及する。 「どこが好きなの?」 「どこがって、なんか、けなげじゃねえか」 「け、けなげ!」 ナミがぷう、とふきだした。 「何がおかしいんだ」 「そう。剣士さんは、けなげなものに弱いのね。よくわかるわ」 納得するように頷きながら、ロビンがサンジにちらりと視線を送った。ゾロは意味がわからないらしく、なんなんだよ、と呟いている。 サンジは一人いたたまれない思いで顔を赤くした。 二人きりのときの自分の姿を、覗かれてしまった気分だった。 翌日、つまり昨日の船番は、ゾロだった。サンジは夕食まえに船に戻った。めったにない、二人きりの時間を過ごすために。一緒に食事をして、酒を飲んで、話をして、それから、ゆっくりと抱き合うために。 しめし合わせた訳ではないけれど、ゾロがやはり船番だったときに同じことをしたら、特に嫌がりもしなかったので、それ以来習慣になっている。だけどサンジが船番のときにゾロが来てくれるかというと、その確率は、かなり低い。船まで一人でたどり着けないからだ、とサンジは考えることにしている。 夕食はゾロの好きなものばかり用意した。ひそかに取っておいた酒を出してやり、たわいないバカ話をたくさんした。そして時間をかけて、丁寧に、ゾロを抱いた。何度も名を呼んで、すきだと囁きながら。顰めた眉、掠れた声、汗の匂い、熱い体。どこからともなくわきあがる感情の渦にのまれてしまいそうになる。 すきで、すきで、どうしようもない。 ゾロも同じ気持ちだったらいいのに。願うように、思った。 サンジの宿は街の方にとってあり、夜の間には帰ることになっていた。他の奴らにしめしがつかない、とゾロが言うからだ。たいがいのことに無頓着なゾロだが、変に律儀なところもある。 疲れはてそのまま眠ってしまったゾロを残し、船の外に出た。 金色の細い月が、密度の濃い闇に浮かんでいる。昼間の過ごしやすさとうって変わって、夜気はひどく冷たく、サンジはぶるりと体を震わせた。路傍のコスモスは、夜の静寂をみだすことなく、ひっそりと咲いている。 サンジがすきだと伝えたとき、俺は嫌われてるんだと思ってた、とゾロは言った。 これからはちゃんと伝わるようにするから、好きになってとはいわねえから、嫌わねえで。そう言ったサンジに、俺はお前のこと嫌いじゃねえよ、とゾロは笑った。 サンジは満開の少し手前のものを選んで、コスモスを一輪ずつ摘んだ。左手に持って、右手には煙草を持って、昔どこかで聞いた恋の歌をくちずさみながら船に戻った。 ゾロはすうすうと寝息を立てていた。その頭を何度か撫で、頬に唇を押し当てる。 けなげさじゃ、俺もまけてねえと思うぜ。 そう囁いて、脇においてある三本の刀に寄り添うように三色の花を並べると、静かに、サンジは船を後にした。 「どういう意味、なんだろうなあ」 紅茶をすすりながら、独り言のようにサンジはつぶやく。 夜が明けて皆で船に戻ると、珍しくゾロは起きていて、甲板で一心不乱に鍛錬をしていた。おはよ、と声をかけたら、おう、とそっけなく答えながらそっぽを向く。首をかしげつつそのままラウンジに入った。目に入ったのは、見覚えのある、三色の花。 いくらでも出てくるため息のかわり、サンジは白い煙をゆっくりと吐いた。 「好きすぎてどうしていいかわからない」 そういう顔、してるわよ。 ロビンが今度こそからかうように言う。 かなわないなあ。サンジはもう笑うことしかできない。 「言葉以外でも、気持ちをちゃんと伝えたい、だけなんだけどね。空回り気味みたいだ」 「でも、うらやましいわ」 「なにが?」 「とっても好きな人がいて、その人が自分のそばにいてくれて、気持ちを伝える機会があることが」 ロビンは静かに微笑む。 「……ロビンちゃんは?」 「私が一番伝えたかったひとは、もういないの」 言って、ロビンはカップを口元に運んだ。一口飲んでから、やっぱりおいしい、と笑う。 今でも鮮やかに残る母の記憶。 すきだと、愛していると、あのときちゃんと、伝わっただろうか。 「コックさんは、コックさんのやり方でいいんじゃないかしら。大丈夫よ、きっと、伝わるわ」 「だといいなあ」 サンジも笑って、紅茶をすすった。それ以上深くは詮索してこない、思慮深さと優しさを、ロビンは好ましく思う。 他人との距離のとり方がサンジはうまい。近すぎず、遠すぎず、けして、相手を不快にしないように。もともとの性格もあるだろうし、レストランで培われた部分もあるのだろう。その彼が、ゾロに対しては、どう接していいかわからずにいるらしい。 好きすぎるというのも考えものねとロビンは思う。 それでもたぶん、サンジはひどく、幸せなのだ。 紅茶を飲み干すと、ロビンはそっとカップを置いた。 「さて、私はもう退散するわね。さっきから、おまちかねみたいだから」 くすくすと笑うロビンの視線の先、丸窓から緑色の後頭部がのぞいていた。 「……怒ってんの?」 ロビンと入れ違いで入ってはきたものの、ドアに張り付くように突っ立って、黙ったままのゾロに尋ねてみる。座れば、とすすめてみたが、ここでいい、と頑なだ。紅茶は、すっかり冷めてしまった。 「怒ってねえ」 「じゃあ、嬉しかった?」 コスモスの方を指して言えば、ゾロはむっ、と口角を下げた。 「女じゃねえんだ。花もらっても、別に嬉しかねえ」 ああやっぱりねえ。サンジはがっくりと肩を落とす。 別に花が贈りたかったわけじゃない。ゾロが好きだと言ったものを贈りたかっただけ。いわば自分の自己満足なのだから、ゾロが喜ばなかったからといって、責めることはもちろんできないけれど。やはり、がっかりはするものだ。 「怒ってはないけど、嫌だった、とか」 「嫌でもねえよ」 「じゃあなんで、避けてたんだよ」 訊くと、ゾロはふいと横を向いた。 「さ、けてねえ」 珍しく歯切れが悪い。 「いやあ、避けてただろ」 「てめえが悪い!」 ええー、とサンジは情けない声をあげた。訳がわからない。 怒ってはいない、嫌だったわけでもない、だけどサンジが悪いとゾロは言う。剣呑な顔つきで、腕組みまでして、相変わらずサンジの方を見ようともせずに。 身に覚えのないことで、こんな風に言われるのはさすがに心外だ。 「何がわりいのか、ぜんぜんわかんねえよ。俺はなあ、」 少し口調を強めると、やっと、ゾロが顔だけこちらを向いた。視線はまだ逸らしたままだ。頼むからちゃんと俺を見てくれと、なんだか泣きたい気持ちになってくる。 それでもロビンの言葉を思い出して、サンジはへこたれそうな自分を奮い起こした。 ――大丈夫、きっと、伝わるわ。 「俺はただ、お前を、大切にしてえだけなんだよ」 ごまかしたり、意地を張ったり、自分に嘘をつくのは、もうやめると決めたのだ。ほんとうの気持ちを、ちゃんと、伝えたい。笑われても呆れられてもいいと思った。 だけどもゾロの反応は、サンジが思ってもいないものだった。 サンジが言い終えると、ゾロはおかしな呻き声をあげ、その場にしゃがみ込んだ。頭をしっかりと抱えこんで、くそ、とかちくしょう、とか、罵り言葉をぶつぶつと吐いている。両腕の間から見える耳と首が、真っ赤に染まっていた。状況がうまく呑み込めず、サンジは椅子に座ったまま、ゾロのつむじを見つめた。 「なんで、てめえはそうなんだ」 そのままの姿勢で、なんだか苦しげな声で、ゾロが言う。 「なんでって、言われても」 「これ以上、俺を振り回すんじゃねえ!」 「はあ?」 それはこっちの台詞だ。 ゾロの態度に、言葉に、一喜一憂して、振り回されて、あげくに混乱して。 「てめえがあんなことすっから、わけわかんなくなっただろうが……」 あー、とまた呻きながら、ゾロはばりばりと頭をかきむしった。 あんなこと、というのは、花を贈ったことだろうか。 「え?えと、あれ?」 サンジは慌てて立ち上がった。ごとん、とテーブルに足をぶつけ、振動で酒瓶がぐらりと揺れる。倒れそうになったそれを手で止めてから、一歩、ゾロの方に近づくと、気配でわかったのか、そこにいろ!と怒鳴られた。仕方なく、今度はサンジが立ち尽くす。 「ひょっとして……花贈られて、照れてんの?」 サンジが尋ねると、ちがう、とくぐもった小さな声で、ゾロが言う。 「じゃあ何だよ。俺にだけ本音晒させて、言わねえのは卑怯だぜ」 ゾロの腕がぴくりと動いた。卑怯、に反応したらしい。 ゾロはほんのすこしだけ顔を上げて、だけど視線はあくまで床を見つめたまま、一度大きく息を吐いた。それから、とつとつと、話しはじめる。 「朝起きたらこの花があって、こんなことすんのはてめえしかいなくて、俺の好きな花を、俺のこと考えながら、摘んだんだろうなって、てめえのゆるんだアホ面がありありと浮かんじまって……」 急に混乱して、どうしたらいいかわからなくなってしまった、のだ。 片手に花を持って格納庫をぐるぐると歩き回ったあげく、のどがかわいてラウンジに入り、朝っぱらから酒瓶を一本空けて、なぜかそれに水を注いで花を生けて、そのあとは狂ったように鍛錬をしていた。 サンジの顔を、見ることもできずに。 「……てめえ、俺をこれ以上、どうする気なんだよ」 しぼりだすような、途方にくれたような、ゾロの声。 同じだと、いうのだ。 好きでたまらなくて、相手のことを考えただけでどうしようもなくなって、自分でももてあましてしまうほどのこの感情を。ゾロも、感じていると。 「てめえこそ俺をこれ以上どうする気だよ……」 ふらりと眩暈のような感覚がして、サンジはへなへなと頭を抱えてしゃがみこんだ。 大の男が二人して、こんなふうに嵐に翻弄されるような恋をして。 馬鹿馬鹿しくて、恥ずかしくて、でも幸せで、顔なんかとても見れたもんじゃない。 またドアの開く音がした。秋の爽やかな風が入り込んできて、こつこつと高い踵が床を打つ音がする。だけど、ゾロもサンジも、もはや動くことすらできない。 うずくまってうなじまで赤く染めている、年長者ふたりを上から眺めてナミが笑う。 「二人して何やってんのよ。ほんと、ばかねえ」 あきれたようなナミの、それでも朗らかな声が響いた。 テーブルの上では愛らしいコスモスたちが、それに同意するかのように、ゆらゆらと優しく、揺れている。 花よりあんたたちの方が、よっぽどかわいいわよ。 年下の少女に、そんな風に言われては、ますます、体を小さくするしかない。 (08.10.20) はずかしい二人と、コスモスと、ロビンちゃんが書きたかったのです。 甘いサンゾロブーム、続いてます(なぜか海賊限定)。 |