いつだって願っている。
お前が何に煩わされることなく、高く、ただどこまでも高く、とべるようにと。





Fly high





肺にめいっぱい吸い込んだ煙を細くゆっくりと吐き出しながら、眠るゾロの顔を眺めている。
暖かみのあるカンテラの灯りに淡く照らされた頬は昼間より血色が良いようにも見えて、ほん
の少しだけれど気持ちが落ち着くのを感じた。おだやかな寝顔を見ていると、あのできごとが
夢だったみたいに思える。だけど全身を覆ったまぶしいくらいに白い包帯が、あれが現実だっ
たことを思い知らせる。

夜の間ゾロの傍で眠る番を割り当てた。今日は俺の番だった。傷ついたゾロの横で熟睡なんて
できるわけもない。燻った匂いを放つ吸殻ばかりが増えつづけていた。今日あたり目が覚める
かもとチョッパーが言っていたから、なおさらだった。

ミイラみたいにぐるぐる巻きにされた胸が規則的に上下している。そっと、草色の頭に手を触
れた。手のひらで包むようにすると、じわりと熱がつたわってくる。指の間からのぞく髪が、
のびかけの芝生みたいだ。

生きてるんだ、と思う。ゾロが、生きている。


腹なんかもちろん立った。なんでもかんでも自分ひとりで背負おうとするゾロにも、止めるこ
とが出来なかった自分にも。

みぞおちの鈍い痛みに耐えながらゾロを探す間、生きた心地がしなかった。最悪の想像が頭を
掠めて、冷たい汗がいくらでも背中をぬらした。

だけどそれでも、ゾロを責める気にはなれない。あきらめじゃない。
ゾロがこういう男だということは俺が一番よく知っている。何より、やろうとしたことは同じ
だからだ。

「何も無かった」なんて、んなわけねーだろ、とこういう時でなかったらつっこみをいれたく
なるような台詞も、俺だってたぶん同じように言っただろう。とことんそりが合わないのにこ
んなところだけ驚くほど似ている。ほんと俺たちらしいと、少しおかしくもあった。



ふと気配を感じてゾロに注意を戻した。閉じた瞼が小さく震えている。慌てて銜えていた煙草
を揉み消し、その顔を覗き込んだ。ゆっくりと、こじ開けるようにゾロが目を開ける。何度か
瞬きをした後左右に軽く首を振った。包帯の巻かれた体をぎくしゃくと撫でる。次第に瞳に生気
が宿るのをみて、思わずためいきがこぼれた。

ゾロがこちらを見てゆっくりと口を開く。乾いた唇がぱり、と音を立てそうだった。
「……馬鹿が」
いつもより掠れた声で、ゾロは言った。久しぶりに聞いたゾロの声。見据える目にはいつもほど
の力はまだない。

「お前なあ。開口一番それかよ」
こう、感極まって名前呼ぶとか、涙ながすとかさ。
声が震えそうなのを何とか抑えて、あえて、軽い口調で返した。にやにやと薄っぺらい笑い顔
までこしらえて。

「てめえの夢こそ、どうした」
俺の必死の努力にも関わらず、体を起こしながらゾロはそう続けた。
だけど責めている風ではなかった。お互いさまだとゾロもわかっているはずだ。言われっぱなし
は気に入らない、そんなところだろう。こんなときでもやっぱりゾロはゾロで、そういうところ
もまたたまらなく好きだと思う。俺も終わっている。

「あやまんねぇぜ」
俺はゾロの頭をぽすぽすと叩いた。とたんに、ゾロの眉間にたてじわが寄った。
久々にみるいつものその顔は、わるくなかった。

「俺は何度だって、おんなじことをする。てめぇが野望に挑むまえに、死のうとしたらな」
「俺は死なねぇ」
ゾロがむすりとしたまま言った。この男が言うと本気に聞こえる。馬鹿だから、案外本気なの
かもしれない。

「首とらせようとした奴が、よく言うぜ」
あきれるように言ってやれば、うるせえよ、とゾロが言う。俺はへへ、と笑った。
なるべくいつもどおりの会話がしたくって、いまのところそれはうまくいっていた。
湿っぽくならずに、感傷的にならずに。
ゾロを失いかけた恐怖に、飲み込まれてしまわないように。
「心配、かけたか。ひでえツラしてる」
なのに似合いもしないおだやかな口調でゾロが言うもんだから。ぎりぎりで踏みとどまってい
た涙が堰をきって流れ出した。

喉が震えて漏らした嗚咽と一緒に、ゾロと気持ちが通じてから、そのすべてを受け止める覚悟
を決めてから、ずっと、持ち続けてきた想いがあふれてとまらなくなった。



どんなに眩しくてもけして目を逸らさないと決めたんだ。馬鹿で無茶ばっかりするお前が、夢
を追う途中であっけなく死んじまったりしないように。

地面に這いつくばるお前の姿なんて、笑っちゃうくらい似合わねぇから、そんなのは、俺の
役目でいいよ。

だからお前はただ高く、振りかえらずに、どこまでも高く、飛んでくれ。
はるか高みにたどりついたら、一度だけ、地上を見下ろしてくれればそれでいい。
そんで脳みそのほんの端っこでいいから、その情景を、ありんこみてぇな俺の姿を、覚えてい
てくれたらとてもうれしい。

でも、もし、もしもだぜ、ほんのちょっとだけ欲を出させてもらえるんならば。
そこからの眺めを、一瞬でもいい、お前の横で見れたらいうことねぇなあ、なんて思うよ。


「またくだらねぇこと考えてんだろ」
泣きながら黙り込んだけなげな俺に、ゾロが顔をしかめて言う。ぎこちない動きで手を伸ば
して、仕返しのようにわしゃわしゃと俺の頭をかきまわした。

お前の夢が叶うことは俺の夢でもあるんだと言ったら、こいつはどんな顔をするのだろう。
「くだらなくねぇよ。あいしあう俺とお前の、輝かしい未来のことだ」
言いながらも涙はまだとめどなく溢れた。かっこわりぃ、と思うんだけれど、ゾロがこれまで
見たこともない優しい目をしてるからもういいや。

手首を掴んでやわらかく引き寄せる。めずらしく抵抗はされなかった。ごつい手を俺の背に
回し、ゾロが胸に耳を押し当てた。俺の心臓のリズムに合わせて、頭がかすかに動いている。
そんな風にしたままで、ゾロが静かに、でも力強く言う。

「俺もお前も、生きてる」
「おう」
「一緒に見るぞ、高みからの景色を」
「……おう」
何でこいつはこう、鈍いようで鋭いんだろう。考えを覗かれたようにどんぴしゃり胸を打つ
言葉を吐かれて、俺はわんわんとみっともなく泣いた。
ゾロは少し困ったみたいな顔をして、ほんとよく泣くなあ、お前、とため息まじりで言った。
それでも背中を撫で続けてくれて、もっと俺を泣かせた。



ロビンちゃんが言っていた。男ってこういう生き物よ。
ナミさんなら言うだろう。男ってほんとあきれるくらい馬鹿。
うん、そうだね、その通り。俺たちは脊髄反射で生きている。
命を粗末にするつもりも、夢をあきらめるつもりもさらさらないけれど、守りたいもののため
なら体がかってに動いてしまう。何度同じ機会がきても、きっと同じことを繰り返すんだろう。
それを止めてくれるのが賢いレディ達だというのに、頭の足りない野郎同士で惚れあっちまっ
て、ほんと、救えない。

それでも馬鹿ふたり、運よく生きながらえることができたならば、そのときには。
そうだなゾロ、一緒に見れるといい。
そこからの景色はどんなだろう。空は、海は、どんな色をしているんだろう。
きっとお前は、別にどうってことないぜ、みたいないつものすかした顔をしてるんだろうな。
それともいつかみたいに、今の俺みたいに、鼻水たらして泣いてるんだろうか。

そして俺はといえば、大剣豪とやらになったお前の隣で、かっこよく煙草なんか吹かしてみせ
るのだ。てこずったなマリモマン、なんて、悪態の一つもつきながら。



泣きに泣いてようやく落ち着いた俺は、そっとゾロの両手を取った。一度目を合わせてから、
ゆっくりと顔を近付ける。はじめてのときみたいに神妙な気持ちで、ひび割れた唇にたどたど
しい、触れるだけの口付けをした。
涙と鼻水だらけのキスは塩辛くて糸をひいて、ゾロはきたねえ、と笑った。
きたねえとかいうなばか、でもクソだいすき、と俺は泣き笑いで言って、ぼろぞうきんみたい
だけれどたしかに生きている、その体を抱きしめた。


                                                         (08.07.08)


10000hitリクエスト、第二弾として、485話関連話を。というより、これは485、486話のサンジのために書き
たかった話です。あのサンジになら、ゾロを任せられる!と思った(笑)。ほんとうにいい男だとおもいます。
まあ、この話ではいい男にかけているかはわかりませんが。泣くサンジ大好きです。
こういう思いを、覚悟を、常にサンジは抱いていて、それをひとっこともゾロに言わないといい、と思う。