彼の光




春島が近いらしい。
穏やかな波の上を進む船には暖かい日差しが降り注いでいる。空気が白く霞んで、ただでさえ心地よい気候
のなか、更に、眠気を誘う。
パラソルの下では、ナミとロビンが、優雅にティータイムを楽しんでいる。
サンジがナミのカップにハーブティーを注ぐ。
真っ赤な、ローズヒップティー。
――ビタミンCが豊富でお肌にいいんだよ、ナミさん。
同じ甲板の上で残りの男達は午睡を楽しんでいる。
サンジの目は先ほどからある一箇所を凝視している。
とぽとぽとぽとぽ。

「サンジくん、こぼれてる」
ナミの声ではっとしたサンジはあわてて謝罪する。
――ごめんねナミさん、気候のせいか、ぼんやりしちゃって。
サンジが言う。視線は動かない。
かわいそうに、とナミは思う。
「わざとやってんのかしら」
ナミが顔を向けた先にはゾロの腹部、ちょうど緑の腹巻部分を枕にして、すやすやと眠るルフィの姿があ
る。ゾロの呼吸に合わせ、頭がわずかに上下している。
いやだあいつ、腹式呼吸なんだわ。赤ちゃんみたい。
「剣士さんは違うんじゃないかしら?船長さんはそうかもしれない」
サンジに変わってロビンが答える。ナミには到底理解できない古代文字で書かれた本を眺めながら。
ロビンは活字中毒だ。
「ゾロもどうだか。気をつけてね、サンジくん」
ナミがそう言うとサンジは、ええなんであいつらのことが俺に関係あんの別に何も関係ねえしどうもねえ
し大体マリモなんて、とあたふたしている。
ナミはソーサーにこぼれたお茶を傍にあったおしぼりでふき取り、液面が盛り上がったカップを慎重に口
元へ運ぶ。
――ああ、おいしいわ、サンジくん。



     *



先程から確実に寝たふりをしているゾロの、腹巻をびよーんと引っ張りぱちんと離す。
びよーん、ぱちん。びよーん、ぱちん。
十回ほど繰り返すとやっと諦めたようにゾロが、お前さすがにしつこいな、なんて言いながら目を開ける。
こうして、いつも結局は譲ってくれるゾロを、ナミは、好ましく思う。
まだ甲板に寝そべっている彼の腹巻の上に手を置く。温かくって心地よい。有精卵を入れておけば孵るか
もしれない。
「あんたみたいなのにつかまって、振り回されて」
ゾロの傍にしゃがみこんだままナミは言う。
「サンジくんは本っ当にかわいそう」
「いいんだよ、あいつは」
「どうして」
「二人ん時は好き勝手やらせてやってる」
ゾロは物言いがあけすけだ。
「ふうん、あんたが下なの、それは意外」
「俺の『初めて』が欲しいっていうもんでなぁ」
――童貞はもうやれねえからな。
言ってからくああ、とあくびをする。
からかったつもりだったのに、さらりと返された。顔色一つ変わらないのがまた悔しい。
それにしてもまあ、こんな傲慢な男相手に、何と健気な。
ナミはキッチンで食事の支度をしているはずの金髪のコックを思い浮かべる。


船長とこの剣士の、迷いなく高みへと突き進む潔い姿。
ナミやサンジのような諦めることに慣れすぎた者にとって、それは暗闇に射す一筋の美しい光だ。
けれどもその輝きは、いつふいに目の前で消えてしまうかわからない危うさを孕んでいる。
光を知ってしまった後の闇は、きっとそれまで以上に過酷だろう。自分には耐えられない、とナミは思う。

サンジは多分、目をつぶす覚悟をしたのだ。



「あんたを好きにならなくて本当によかった」
ゾロを見下ろしたまま、心を込めてナミは言う。
「そうか、俺はお前のこと、結構好きなんだが」
でたよ天然、始末に負えない。
サンジくん、苦労するわね。

日が暮れかかり、冷たくなってきた風が、ナミの髪をふわりと揺らした。
ゾロがナミの頭の上に手を置く。
固くてナミより随分と大きな手。
お父さん、とか、お兄ちゃん、とかがいたら、こんな風なのかもしれない。
ふとキッチンの方向に目を向けると、丸窓からサンジが心配そうな顔を覗かせている。ナミが顔を上げた
瞬間に引っ込んだが、あれは相当前から見ていたに違いない。
ゾロに向き直ると、彼も視線に気付いていたようだった。
「あんまりやきもち焼かせて、悲しませるんじゃないわよ?」
広い額をこづきながら言ってやると、
「どっちに妬いてんだかな」
と呟いて、ナミの好きな悪い顔でにやりとする。
あきれたように一つ、肩を竦めてやった。



夕飯の準備が整ったことを知らせるサンジの声が甲板に響き、ほらもう行くわよ、ともう一度ゾロの腹巻
を引っ張る。
伸びちまったらどうすんだとぼやくのに、そのときは買い換えるお金貸したげるわよ利子つきで、とナミ
は笑った。

                                   

                                    (08.04.28)



ナミ視点。ナミゾロも好きですが、兄妹のような2人の関係が好きです。