「俺のことは……そうだな、プリンスと呼べ」 見たこともない珍妙な眉毛をした男は、顎を軽く上げ、フン、と偉そうに鼻息を吐いた。それから、やけに気障な仕草でシガレットに火を点ける。 健康に著しい害を及ぼす、とかで、全世界的に撲滅運動が起こったのは、はるか昔の話だ。裏ルートではいまだ流通しているし、貧民街育ちのゾロには見慣れたものだったが、その、吸い慣れたふうな仕草を見るかぎり、この男の星では違法物ではないのだろう。 漂ってきた煙に顔を顰める。ただでさえ狭い船室の、換気システムはけして上等とは言えなかった。もともと、賞金首から奪った小型艇は前時代もので、いまだ大した問題なく使えているのは、格安で改造を施してくれたフランキーの手腕が大きいと思われる。ドッグに預けるたびに、もっと大切に扱え、とため息を吐きながらも完璧に補修してくれるのだ。 オイ一本にしとけ、と言うと、目が合った。ばち、と火花が散った、ような感覚が走る。 あァ? とガラ悪く身を乗りだし、眉毛星人(便宜的にゾロはそう呼ぶことに決めた)は負けじと眉根を寄せてきた。 「いま何つった」 「煙いんだよ。大事な空気を汚すんじゃねえ。ここは俺の船だ」 「知ってるさ」 「なら言うことを聞け。嫌なら出て行くんだな」 「ふざけんな。好きでこんなムサ苦しいとこにいるわけねえだろうが」 「あ?」 「出て行こうにもな、俺の船を粉々に壊したのは、どこのどいつだ?」 「…………」 ハッチのほうを指していた手を、ゾロは、ゆっくりと下ろした。しばらく黙って、俺だな、と渋々言えば、眉毛星人は勝ち誇ったように笑った。これまでにやはり見たこともない、これから先も到底見る気がしない、とても腹立たしい笑顔だった。 そもそも、ここで誰かと面と向かってまともに話をするのもひさしぶりだ。打ち捨てられた闇ゲートの周囲を漂って、そこから出てくるお尋ね者を狩るのがゾロの生業だった。だからこの船に乗るのは、捕縛し、猿轡でも噛ませた者であるのが常なのだ。 人工造設ゲートは地上で言うなら港のようなもので、この惑星の大気圏内に侵入するには、必ず通らなければならないようになっている。防衛上の対策、らしく、無視しようものなら衛星に感知され、迎撃を受けて宇宙の塵になる運命だ。 開発バブルの一時期、過剰に建設されたゲートのうち、使用頻度の少ないものは惑星非公認とされ取り壊されていったが、まだ手つかずのままひっそり残っているものがいくつかあった。 監視の目も薄いそこを通ろうとするお尋ね者は、ゾロにとっては、罠に嵌まったネズミと同じようなものだ。だがたまに、こうして、ネズミ以外が迷い込むこともある。 賞金首の情報は随時チェックしていても、使用艇の特徴までわかるケースはめったにない。攻撃前に一度通信を取って、ゲート出口付近の避難所に停泊させ、人相改めをするのがいつものゾロのやりかただった。 名は知れているから、賞金稼ぎのロロノア・ゾロだと言えば、大抵の場合は言うことを聞く。もちろん、応答せず逃げた場合はクロ、と判断だ。容赦なくミサイルを撃ち込んで、脱出ポッドが出てきたところを迎え撃つ。 だが、目の前でぷかあ、と煙をくゆらせる、自称眉毛星プリンスの場合、これまでのどの反応とも異なっていた。 「てめえが止まらねえからだろ」 「はァ?」 「警告したぞ。俺はちゃんと名乗ったろうが」 「知らねえし、んな名前」 「……知らねえのか」 「レディなら一発だがな。会ったこともねえ男の名前なんざ、どんだけ有名かは知らねえがそうそう記憶に残るわけねえだろうが」 しらばっくれたわけじゃねえのか、そりゃ悪かったな、と一応ゾロはわびた。通信の際、知るか! とキレられたのは、つまり本当に知らなかった、というわけだ。 それにしても、歯向かってきたのも問題だろ、と言えば、売られた喧嘩は買うしかねえ、と応じる。まあ、そこは同感だった。一発威嚇してみたら応戦してくるし、おまけに操縦がうまく射撃の腕もいい。ひさびさの手応えに、ゾロは昂ぶって、ついついやりすぎてしまった。このあたりはもう庭のようなものだから、意識的にポイントを絞って追い込んでしまえば圧倒的にこちらの有利だ。 脱出ポッドに逃げる暇もなかったのだろう、派手に損壊した船から生身で投げだされた男は、しかし、宇宙空間を無力に漂うことにはならなかった。舷窓のガラス越し、金属片の散らばる黒い虚無の中、憤怒の形相をしたスーツの男がくるくる回転しながらすごい速度で近づいてくる、という、シュールな光景にゾロは呆気に取られた。そしてそのまま、ガン、と船体が揺れたかと思うと、外部ハッチが開く音がしたのだ。 乱れた金髪を手櫛で整えながら、どすどすと船室へ乗り込んでくるなり、このクソ野郎が! と男は怒鳴り散らし、いきなり蹴りかかってきた。ゾロも携えていた刀で応戦し、訳も分からないまま大乱闘となり、お互いあちこちに体をぶつけ、操縦パネルを壊しかけてようやく、こうして休戦の運びとなった。 尻を落ち着けて話してみれば、どこぞの星の王子さまだとぬかす。惑星の名も聞いたが、あまりに長ったらしくて瞬時に忘れてしまった。たしか、カマ、がどこかに入っていたことだけは覚えている。 もうすぐ二十歳の誕生日を迎えるにあたり、お忍びで「お嫁さん探し」に来たのだと眉毛星人は説明した。なんでも、成人となる年の誕生日に婚約者をお披露目するのが、代々続く王族のしきたり、なのだそうだ。 「だがよ、なんでまたわざわざここまで。その眉毛星、」 「眉毛星じゃねえ。さっき言っただろ、正式名称は――」 「無駄だ、どうせ覚えられん。続けるが、てめえの星で探せば済む話なんじゃねえか? 時間もねえんだろうに」 それとも女がいねえのかよ、と、冗談混じりで言ったら、眉毛星人はいきなりがくん、と肩を落とした。煙草の先が激しく震え、魂が抜けたような虚ろな表情になり、背後にはどんよりとした黒い靄が見える気がする。 「お、オイどうした」 「……その……とおりだ……」 消え入りそうな小さな声だった。男のすべてから、この世の終わり、という感じの暗い閉塞感が漂っていた。さっきまでの自信に満ちあふれふんぞり返った態度との落差に、またゾロは驚いた。この短時間で、なんだか驚かされてばかりだ。 「俺の星ではな、なぜか、なぜか男しか産まれねえ……」 「そう、なのか?」 「見事に全員が男だ。そのうち半分以上がオカマになる」 「そりゃあ……へえ……なんつーか……難儀だな」 「難儀なんてもんじゃねえよ! レディはみんな誰かの母ちゃんだぞ!!てめえにこの絶望がわかるか!?」 今度は立ちあがって、男泣きにおんおんと泣きはじめる。よほどのこと、らしい。労ったのに怒鳴られたことより、その勢いに呑まれ、すまん、わからねえ、とゾロは素直に謝った。謝罪も二回目だ。ゾロは基本的に、誰かに頭を下げさせることはあっても、自分は下げないほうだから、これも新鮮な出来事だった。 ぐすぐすと切なげに鼻を鳴らしながら眉毛が続けた話によれば、眉毛星ではそうした事情から、運よくオカマにならなかった五割弱の男たちは、他の星で嫁を探すのだという。つまり、女はみな異星人なのだ、と。それはわかるが、宇宙船がなかった時代はどうなってたんだ、と尋ねたら、百年ほど前までは普通に女が産まれていたそうだ。環境破壊で遺伝子変異がどうとか、こ難しい説明は右から左に流した。 そこまで聞きだすのにも、いかにも哀れに肩を震わせ何度も声を詰まらせるから、その都度ゾロは、がんばれ眉毛、がんばれ、と、背中をトントンしてやらなければならなかった。途中からは不思議なことに、いじらしい、ような気持ちさえ、抱きはじめていた。 ゾロの真摯な態度で心を開いたのだろう。どれだけエッチな夢想だけでこの二十年近くを過ごしてきたか、眉毛は切々と語った。妄想力なら誰にも負けねえ、と気迫のこもった顔つきをする。その情熱は、とても理解できないが感嘆には値する、とゾロは思った。 「……お前、見かけによらず結構イイ奴だな。でも俺の名前、眉毛じゃねえから」 サンジだ、と、ようやく激情が収まったらしい男は言い、泣き腫らした赤い目で、はじめて、笑った。 「――っ!」 「? どうした」 ああ、いや、なんでもねえ、とゾロは首を傾げる。たしかにいま、胸のあたりになにかが刺さった、ような気がしたが、見おろしても、もちろんなにもなかった。気のせいだろう。 「事情はわかった。たしかに船を壊したのは俺だしな、下まで送ってやる」 「助かるぜ」 「いい女が見つかるといいな」 ありがとう、と照れくさそうにサンジがふたたび笑い、ゾロもまた、胸の痛みを覚えた。たださっきとは違って、絞られるような、息苦しいような感じだった。 こいつが原因なのはたしからしい、と思い、じっと見つめていると、視線が絡み合う。サンジは、頬のあたりをぽっと赤く染めた。そうして、ゾロと同じように、自分の胸元あたりを確認して、首を傾げた。 「とりあえず行き先は決まったとして……」 「なんか問題あるか?」 「お前、童貞ってことだよな」 「童貞、ってのはなんだ」 まったく動揺を見せずに尋ねてくる。二人が使っているのは銀河公用語だ。通じないはずはなかったが、もしかすると、結婚するまでまず性交の機会のない眉毛星では禁忌の言葉で、巧妙に隠ぺいされているのかもしれない、とゾロは思った。 「いや、気にすんな。まあ、そうだな、皇帝みたいなもんだ」 「皇帝か。たしかにそりゃあ近いな」 気をよくしたふうなサンジが、少し不憫になってくる。話は変わるが、と実際は変わらないもののゾロは言って、お前、したことねえんだよな、とあらためて確認してみた。 今度は、サンジの反応は顕著だった。う、うるせえ! でけえ世話だ! とはじめのように怒鳴った。顔は真っ赤だった。 「あるわけねえだろ!」 「だろうな」 「キ、キ、キスとか!」 「えっ」 素で、声をあげてしまった。ゾロにとって「する」はイコール挿入であるから、まさかそこから来るとは思わなかったからだ。 バカ! 言わせんなクソ! とサンジはしきりに照れて、床を足でげしげしと蹴っている。その様子を見ていたら、けして世話焼きなどではない、むしろ他人のことなど基本どうでもいいはずだというのに心配になってきた。これほどピュアで、しかも王子だ。悪い女にでも引っかかって、身ぐるみ剥がされて終わる可能性もあるだろう。 腕を組んで考えていると、サンジはみるみる不安げな様子になっていった。やっぱマズいか、経験ねえの、と粗相をした子供のような顔をする。表情の種類の多い野郎だ、と思って、ゾロは笑った。また、心臓のあたりがぐっと来る。悪くない、感じだった。 よし、と自分の膝を叩いてから立ちあがった。乗りかかった船だ、と、妙な使命感のようなものが湧きあがっている。 「練習しとくか、俺で」 近づいて手を取ると、サンジは目を見開いた。しばらく固まって、それから、いいのかよ、とぎこちなく声を押しだした。 「そこまで世話になっちまって」 「気にすんな、問題ねえ」 「……そうか。じゃあ、」 してえ、ゾロ。 間近から青い目で見つめられて、低く名前を呼ばれたら、頭の中でなにかが弾けた気がした。しろよ、と答えた自分の声が、掠れたのがわかった。指を絡ませてから、サンジは顔を近づけてきた。恐る恐る、押しつけてくる。強く、煙草の匂いがして、けれどそれが不快ではなかった。 たしかめるように何度か、ただ重ねるだけのものを繰り返されて、ゾロは、じれた。首の後ろを掴んで、唇を舌で割った。サンジの肩がびくんと跳ねて、ふ、と息が漏れる。音を立てて、濡れた粘膜が触れ合うと、びりびりと全身に痺れが走る。 続けるうちにサンジは、ゾロがするのを真似るようにして、舌を使いだした。それが、妙に上手い。無意識だろうが、腰のあたりを指がさまよっている。呼吸が乱れ、ゾロは膝の力が抜けて、気がつけば二人で床に転がっていた。 髪に沈んだ指が、熱い。ゾロ、と呼ばれるたび息があがる。 「すげえ……」 ようやく唇を離したサンジが、言った。なにが、と尋ねたら、キスってなんかすげえ、と放心したように言う。ゾロは頭を浮かせて、もう一度、その口に齧りついた。 他の誰にも見せたくないような、顔をしている。言うことはかわいいが、興奮しているのか、すっかり男くさい表情をしていた。 「すげえか」 「おう」 「続きはたぶん、もっとすげえぞ」 「していいか」 いい、とゾロは光の速さで即答した。まずはどうすんだ、と訊いてくるから、てめえのしてえようにしてみろ、と答えた。 「考えてたんだろ、ずっと。その妄想を現実にすりゃあいい」 「……いいのか?」 「男に二言はねえよ、ドンと来いだ」 ドヤっとした顔で答えてから、ちょっと待ってろ、と言い置いて、ゾロはふたたび立ちあがろうとした。すると、イヤだ、待てねえ、なんかちょっとも離れたくねえよ、などと、サンジはまたきゅんと来ることを言う。 「すぐだから待ってろ」 「俺も行く」 「……アホ」 ゾロは穏やかに笑い、急いでパネルに近づき、目的地を入力して、船を自動操縦モードに切り替えた。 なるべく、時間がかかる設定にするのを、忘れなかった。 (14.03.10) 14.03.02サンゾロオンリーイベントで配布したペーパー。 局地的SF祭り用に書きました。 製本がイヤでいいとこで切ったら、読んだともだちにめっちゃ怒られました。 |