※サンジレストランネタですが、行かれてなくても読めると思います。






ほんとは、飛び降りて抱きしめてえ、くらい、なんだけど。

「あーあー……」
どっち行ってんだか。
そう独りごち、サンジはふは、と小さく笑った。唇から出た丸っこい煙が、目の前ですぐにふわりと消える。バルコニーから見下ろす緑頭は、それはそれは秩序のない動きをしていた。何度見たって飽きないし、その都度、感心さえしてしまうほどである。
毎日、同じことを繰り返しても、いまだ出入り口がわからないのらしかった。レストランの窓側から、店の中を覗き込んでは、席についた客たちに方角を教えられる始末で、それでもまだ、周囲をウロウロとしている。せっかく該当の場所に近づいても素通りしたり、すぐ手前で方向転換をしたりして、ゾロの覇気はどうやら、その方面を伸ばすことはまったくできなかったらしかった。
いまも何度目か、サンジの下を、少しの焦りも感じないのんびりとした様子で通り過ぎていく。ふうっとそのつむじに向け、白い息を吹きかけてみた。風向きから、煙草の匂いは届かないはずだ。だからこそ、できることだった。もう身に馴染みきったそれは、そのまま自分へと返って来る。
香りが薄れると、夏の匂いが強く、鼻先を流れた。空の色が濃い。今日も陽射しは苛烈を極めて、ときおり吹く風も生ぬるく、汗で湿ったシャツを乾かしはしなかった。
「……クソ迷子」
呟いた自分が、どんな顔をしているかはわからない。まったく言葉どおりで、単なる迷子、なのだ、アレは。
わかってはいるのだけれど、たまには、こっちが探されてる気分、みたいなものを味わっていたいのだ。そう、気づいたときにはそれこそ呆れた。
よりによって、なんて、自嘲は腐るほどだ。


辿り着いた夏島は丸ごと、大きなレジャー施設になっていた。麦わらの一味は、ナミの指令で、麦わらの一味として働いている。
もちろん、ニセの、ということであった。名が知れ渡るうち、ルフィ率いるこの海賊団は妙な人気を博しはじめたらしかった。ここでは、一味にまつわる様々な催し物が開かれている。その一つが、海賊レストラン、というもので、サンジは料理のプロデュースから一任されていた。
仕事は他に、架空の冒険譚を元にしたショーなんかもあって、ギャラは相当にいいらしい。ナミが飛びつくのもしかたはなかったし、しかも、期間限定だ。それでもはじめは一番難色を示していたゾロが、やりだすと意外にノッているのは驚きだった。
うまくやってるわよね。サンジと同じように感心したのはナミだった。ほら、手なんか振っちゃって、あいつにサービス精神、なんてものが存在するとは思わなかったわ。
レストランには、ルフィとナミとブルック、それにゾロがやってくる、という演出だった。サンジとゾロは、非常に仲が悪い、という設定になっており(もちろんけして間違った認識ではない)、張り切って喧嘩をしてくださいね、お客さまが喜びますから、という指示が出ている。
だがいつもやっていることでも、いざわざとやろうとすると意外とうまくいかないものだ。だいたい、ゾロが妙に機嫌がいい。まるきり、この状況を楽しんでいるようなのだ。だからこっちも調子が狂う。狂って、顔を見合わせて、ごく自然に笑う瞬間があったりする。
今日も、サンジのレストランに、迷いながらもゾロはやってくる。


     ***


「『俺のパン』ねえ」
「なんだよ」
「名前、つけたのてめえか」
「だったらなんだ」
「別に」
くるくるとなったパンをてのひらに置いて、く、とゾロは笑った。巻きが足らねえんじゃねえか、とは、思ったが言わなかった。それから、大口を開けてそれに齧りつく。ショーのあとで、腹が減っていた。今日の余りぶんだという、小さなそのパンは、ゾロならたった二口で胃袋行きだ。
視線を感じたが、そちらは、あえて見ないようにした。どうせ顔を上げたときには、きっとサンジはもうよそを向いている。ゾロがいるテーブルの隅に、浅く腰掛けていた。日頃マナーがどうとかうるさいわりに、こういうところは意外と大雑把な男だった。
かたん、と革靴の足先が、床を叩く音がする。それがやけに響いた。それほどに、人気の絶えた夜のレストランは静かだ。サンジだけは、仕込みやらの問題だとかでここの二階に寝泊まりしている。がらんとしてだだっ広い部屋は、いつもは物置がわりのようで、古いテーブルセットが一つと、サンジのために用意されたらしい簡易ベッドが一つきり、窓には、カーテンすらもかかっていなかった。
開け放してある場所から、申しわけ程度に風が入り込むが、ひどく蒸し暑いのには変わりなく、ショーで熱の巡った体は汗を滲ませ続けている。
光と音の洪水のような、賑やかなパレードも終わり、明かりがすべて落とされた、濃い闇のほうをゾロは眺めた。二人きり、がめずらしいわけじゃない。だが、漂う空気はあきらかにいつもとは違う。
船なら、他の場所にたいてい誰か仲間がいる。陸なら、とうにどちらかが手を伸ばしている。
言葉や理由は置いてきぼりなままで、腹に溜まる感情は伝えないままで、ここまでそうして、やってきてしまったのだ。
「で」
なんで、とサンジは言った。掠れているのは夜の、二人だけのときの声だった。昼間にはけして出さない、少しだけ柔らかく甘さを含んだそれ。意味などとうに知っていて、けれど、いまだときどき、耳を塞いでしまいたくなる。
視線は、まだ感じていて、ゾロは自分と同じように汗をかいた、コップに指を絡めた。
「なにが」
「……いろいろ」
「それじゃわからねえ」
「じゃあ」
訊くけど、と言って、ライターを取り出した。火を点ける音がして、それから、いかにも高級そうな光を放つそれを、長い指先がこと、とテーブルに置いた。
ナミが前に、目の色を変えていたのを思い出す。大変に高価なもの、なのだそうだ。どうやって手に入れたのか、誰かからの贈り物なのか、サンジに尋ねているのに出くわして、ゾロはその場を黙って離れた。
知りたいような気も、知りたくないような気もして、その矛盾に、臆病さに、自分でひどく苛立ったからだった。
「なんで今日、来た」
「腹が減った」
「ここじゃなくていいだろ。船でも食えるようにしてる」
「まあな」
「酒だって、ここにゃ客用しか置いてねえし。てめえに出すぶんなんざねえぞ」
「要らねえ。催促もしてねえだろ」
「はぐらかすな」
らしくねえな、とサンジは言った。そんなことは、重々わかっているのだ、お互い。本当に訊きたいのは、抱えてんのはそんなことじゃねえだろう。
かりん、と澄んだ音がコップから立った。氷のぷかりと浮いた、そこだけがとても涼しげだ。
「質問を変えるぜ」
「ああ」
「なんで機嫌がいい。この島に来てから」
「いいのか?」
「は」
「機嫌だ。そんなつもりはねえが」
「……そうなのか」
問い直され、少し考えて、言われればそうかもな、とゾロは思った。だからそう言ったら、いま気づいたのかよ、と今度は、呆れきった声がする。なんだ、理由考えてた俺がバカみてえだ。ため息とともに、慣れた煙草の匂いが、上のほうから漂ってきた。
気が抜けていたのだろう、顔を上げてみれば、めずらしくちゃんと目が合った。青い色が、こちらにじっと向けられている。ああ、そうか、とそのときにわかった。
少し困ったように眉を顰め、いつものようにすっと逸らそうとする、その前に、唇を開いた。
「見てるからだ」
「?」
「てめえが、俺を」
そこから、とゾロは、言った。言うつもりは、なかった。気づいていると、気づかせるつもりはなかった。そうしたら、たぶんもう見なくなると思った。
なのにいま、勝手に口が動き、そして同時に、ひどく恥ずかしいことを言ったと遅れて自覚した。
「気づいてた、のか……」
今度は、ゾロが目を逸らす番だった。それで機嫌がよかった、って、おめえ。呻くような台詞に、追い打ちをかけられる。
いろんなことを、置いてきぼりなままで来た。だから、いまさら言えないことがたくさんあった。顔から、火が出そうだとはこういうのを言うのだろう。
この俺が、と、自嘲なら飽くほどに。
「ゾロ、見ろよ」
お前も、俺を。そう、サンジが言う。二度、硬い音がしたのは床に下りたのだった。
すぐそばから、じっと見下ろしてくる。もう存分に強い陽に晒されたはずの、うなじが、ちりりと焼けそうだ。思っていたら、同じように熱い、指先がそこをさも優しく撫ぜた。
見て、と言われて、チクショウ、とまた勝手に飛び出した。声が少し震えるのさえ、抑えることができなかった。懇願に弱いことも知っていて、けれどいまのいままで、泳がされていたのだ、と思った。追い詰めることさえもせず、なのにもう、俺には逃げ道などどこにも見あたらない。
サンジが、しゃがみ込む。
ゾロはようやく、そちらを見た。
「明日からは、飛び降りちまうかも」
なあ、覚悟しとけよ、と売り言葉には、わけもわからず、望むところだ、と答えてしまった。どうにもなにか、負けちまった、ような気ばかりがする。
だがはじめて、行為の最中でなく近づいて来た顔が、ひどい陽焼けのあとように赤かったから、閉じかけたまぶたが、泣く寸前の子供のように震えていたから、まあ、痛み分けなんだろう、とゾロは思った。
重なった唇は、流れる汗で塩の味がして、舌さえも触れ合わない、どこか拙いようなそれは、この夏の暑さが誘う、欲情のせいにはできなかった。





(13.08.19)



13年08月19日インテペーパー。
サンジレストランの迷子ゾロイベントのときに、Jサンジだけ二階のバルコニーから煙草吸いながらゾロを見守ってるのが恋以外のなにものにも思えなくて萌えがつらすぎて書きました。