祝福の花







この男のことはよくわからない。
時間の経過と、相手への理解というものは、かならずしも並行するわけではないのだろう。サンジーノに関して、つきあいの長さだけで言うならば、ゾロシアにかなうものは他にはいないはずである。けれどゾロシアが、サンジーノの良き理解者かと言えば、それはまったく、かけ離れていると言わざるを得なかった。
いくら年月が経っても、底の見えない男だ。
いつだったかゾロシアがそう言うと、俺だって同じだ、とサンジーノは笑ったものだった。
理解できるものになど興味はないよ。わからないからこそ、お前は、いつまでも興味深い。
「それで」
「それで?」
「これはなんだ」
「見てわからないか」
「花だな」
ゾロシアが答えると、わかるじゃないか、と軽く肩を竦める。愛する者には花だろう、そう続けるから、その石じみて無機質な青い目を、ゾロシアはまじまじと見つめた。
サンジーノは笑っている。とても幸福そうにも、どこか、薄幸そうにも見える。
「相変わらず、お前は頭がおかしいな」
「ひどいことを言う」
言葉のわりには、サンジーノの口調に咎めるような響きはなかった。むしろ、どちらかと言えば、愉快そうにさえ聞こえた。やけに機嫌がよいようだ。
それにしても埃っぽい部屋だった。しばらくひとの住まなかったここは、吸い込む空気の粒からしてどこかくすんでいる。ついさきほどゾロシアは、ひさかたぶりの我が家に帰ったばかりで、すっかりこびりついたようになった窓を開けようとした途端に、来客を知らせるブザーがけたたましく鳴った。
廊下に立っていたのは、花を抱え微笑むサンジーノだった。
大きな花束に、色彩のまとまりはまるで無かった。よく見ると、そのひとつひとつは美しい花なのだが、バランスなど少しも考えずに、秩序なく掻き集められた風情であるからだろう。セロファンさえ巻かれていない。まとめた茎の部分には、おざなりに赤いリボンが結ばれている。 
葉巻に火をつけた、ゾロシアの胸元に、サンジーノはそれをばさりと押しつけた。何度か銃口を向けられたことのある、ちょうど心臓のあるその場所に。
ゾロシアは、中央あたりの白い花を眺めた。花の名になど詳しくはない。紙で折ったような、人工的にも見える、やけにつるりとした花弁だった。水滴がついている。それぞれが外に向け、大きく弧を描き開いて、みずからそのなかを晒している。
飛び出した頼りなく細い花芯は、蜜でてらりとまんべんなく濡れている。
「祝いも兼ねてね」
「祝い?」
「再会と、お前の前途に」
受け取れ、とサンジーノはなおも言い、握ったその手をそこでふいに離した。支えを失い、胸を滑る花をとっさに掴む。甘い香りに混じって、たしかに濃い鉄の匂いが鼻先を掠めた。
なるほど、とゾロシアは納得する。
「あの花屋か」
「ああ」
「俺がやるつもりだった」
「そうか。横取りしてすまなかった」
「……ハ、白々しい。どういうつもりだ」
「お前が、あの醜悪な男を追い回すかと思うとどうにも耐えられなくてね。つい先に手を出してしまった。ずっと考えていたんだろう?」
あの男のことを、来る日も来る日も。
サンジーノは言い、ゾロシアと同じように葉巻を銜えた。見覚えのある、細身のライターで火をつける。灰色の煙が、形のよい指のあいだから立ちのぼった。薄く息を吐き、ゾロシアは花束をもう一度眺めた。
「つい、ね」
エトニア通りの端に、その古い花屋はあった。四代目だという店主はまだ若く、花屋の主人であると同時に、マフィオソとの交流がとても深かった。
つまり、そこで売っていたのは、花だけではなかったということだ。ゾロシアは、男が故意に流した情報で、一年という月日を棒に振ることになった。
たしかに花屋は殺す気だった。先を越されたのは癪ではあるが、奴の死について、特に思うところはない。それよりも一年のあいだ、ゾロシアの心をずっと捉えていたのは、あのとき花屋を動かしたはずの男だった。
裏で画策して、ゾロシアを陥れた男の影だ。
「プリジオーネ(刑務所)の生活はどうだった?」
ふいにサンジーノが言う。まるで天気を尋ねるような気軽さだった。朝の陽の色をした髪は、最後に見たときと同じように、片側だけ撫でつけてある。
一年、顔も見ていなかった。
どこも変わっていないように見えるが、そもそも、では前はどうだった、と言われると返答に窮する。
「どう、と言われてもな。三度のメシは豚のエサで、酒と女と自由がない。つまり最低だ」
「そうか」
「お前は」
「俺が?」
「お前は何をしていた」
「俺は、ドンになったよ」
「それは知っている」
「お前のことを考えていた」
どうしたら、お前が手に入るか、ずっとね。
言って、ゾロシアの顎に指をかける。少し痩せたな、と軽く眉を顰めた。見つめてくる眸に、熱が無いのも変わらなかった。心配しているというよりも、ただ、不快な事実を述べただけ、というふうだった。
愛や執着を、こうして口にするくせに、その目は、指は、セックスのときさえ冷たいままで、ただ注がれる精液だけがひどく熱かったのを、よく覚えている。
やはり、わからない男だ。
「奇遇だな、俺もお前のことを考えていた」
「俺のことを?それはうれしいね」
「花屋を、動かしたのはお前だろう」
サンジーノの表情は、薄く笑んだまま、すこしも変わらなかった。肯定も、否定もしない。ゾロシアは笑った。笑って、葉巻を床に落とし、靴裏で踏みつけた。
サンジーノは、視線をちらとも動かさなかった。床が焦げるぞ、と、やはり口調だけは憂うように言った。
「ゾロシア」
はたして愛されているのか、それとも憎まれているのか、もしや、その両方なのだろうか。
わからないこそ興味が尽きない。サンジーノはそう言った。こういうところばかりが、とてもよく理解できる。また、笑いが込み上げた。
今度はゾロシアが、握った花束をサンジーノの胸に押しつけた。強く、潰すようにしながら、上から下へとゆっくり動かすと、色とりどりの花たちは、かさかさと妙に乾いた音を立てながら散り落ちた。
そのまま、くすぶる匂いをさせる葉巻に向けて放る。光沢のある、上等そうなスーツの布地には、やけに鮮やかな黄色い花粉と、透明な蜜が混ざりあって、子供の落書きのような何本かの線を描いている。
サンジーノはようやくゾロシアから目を逸らした。汚れた自分の体を見下ろして、深いため息をつく。
顎に添えられていた指は、いつのまにか、ゾロシアのシャツのボタンにかかっている。
「お前に会うために、特別に仕立てたんだがな」
「気にするな」
どうせ汚れる。
ゾロシアが言うと、それはそうだ、とサンジーノは言って、花の残骸に向け一瞬だけ、薄い視線を投げかけた。







 (12.06.25)





12年6月24日開催ワンピオンリー「大宴海!3」にて配布したペーパー。
シガーロの二人です。