僕だけの君でいて







じゃあね、また明日、サンジくん。
ひらひらとこちらに振られる手、短い丈のスカートたちが揺れている。花のように可憐な笑みを浮かべた少女たちに、同じように笑みを返すときゃあ、と黄色い歓声がわきあがった。
頬を薔薇色に染めて、名残惜しく何度も振り向きながら去っていく彼女たちの、最後の一人の姿が見えなくなってからサンジはあげていた手をようやく下ろした。お前もよくやるなァと呆れ顔で言う奴らもたくさんいる。おそらくやっかみも混じっているのだろうが、そのたびサンジはわかってねえなとただ笑い飛ばすだけだった。
自分の態度ひとつで幸せな気持ちになってもらえるならば、サンジにとってはこんなことは苦労とすら呼べないのだ。毎年秋の学祭で行われる人気投票で二年連続、しかも二位に大差をつけての一位の栄冠は、異国の血が入った金髪と青い瞳のおかげばかりでなく、サンジのこのサービス精神も十分に影響しているだろう。
女の子は誰もがみなお姫様で、だからそれ相応の扱いをするのがマナーというものだとサンジは思っている。そして、彼女たちはとても賢いから、サンジが自分だけの王子様にはならないことをよくわかっている。ほんとうの王子様が現れるのを待つあいだ、こうして恋の練習をして、どんどんその美しさに磨きをかけていく、それを見るのがサンジはとても好きだった。
「さて、と。……俺のお姫様はどうしてるかな」
一人ごちてサンジは校門に背を向けた。待ち合わせていたはずの相手は一向に姿を見せないが、それはいつものことだから慣れている。どうせまたどこかで迷子にでもなっているのだろうと、だいたいのあたりをつけてサンジは校内を探し歩いた。
梅雨の晴れ間、空はひととき雨を忘れたかのように潔く青く、いまは端のほうからゆっくりと夕暮れが滲みはじめていた。校舎の裏手に回り、紫陽花の咲きほこるカラフルな花壇を通りすぎて、武道場の青い屋根が見えてくる辺りで争う声が聞こえてきた。
あきらかに、聞き覚えのある声がひとつ混じっている。
「――ッらぁ!!」
どごっ、と音がしたのはたぶん骨と骨とがぶつかる衝撃音だ。近づいて見ればあんのじょうの光景に、またかよ、とサンジは深々とため息を吐いた。
部活を終えたゾロの竹刀は武道場の壁に立てかけてある。そこから数メートル離れたところに立つ、サンジと同じ学生服姿は二人だった。
ゾロと、おそらく喧嘩をふっかけてきたのだろう、一見勇ましげに仁王立ちした両足をみっともなく震わせている男が一人。周囲にはまるでドミノ倒しにでもあったかのように、体の一部をめいめい重ねるようにして男が何人か沈んでいた。
サンジが女子生徒のアイドルなら、ゾロは血の気の多い男子生徒のアイドルだった。こうして絡んで来るガラの悪い輩は後を絶たず、好戦的なゾロはこれまた実に生き生きとその相手をする。
はあ、ともういちど深く息を吐くと、サンジに気がついたのかゾロがふいに視線をこちらに向けた。獲物を捉えた肉食獣さながらの凶暴な目つきのまま、サンジに向かってゾロはにやりと笑った。ぞくりと這い上がる感覚を抑えこんで、サンジはそれに、軽く手を上げあえて柔らかい笑みを返した。
そのまま、サンジを視線で絡めとったまま、ゾロは目の前の男に向かって指を立てた。その指を己のほうへくい、と向ける。来いよ。挑発のジェスチャーには見覚えがあった。サンジは過去に何度も、ゾロと本気の喧嘩をしたことがあるからだ。
二十勝二十敗、決着はいまだついていない。
「畜生!!」
竦んでいた男はそれで煽られたのか、やけっぱちな雄叫びをあげながらゾロに飛びかかった。ゾロは相変わらず、サンジを見たまま悠然と立っている。
「悪ィがよ」
俺の相手はてめえじゃ役不足だ。
腹にめり込んだ重い拳が男の体を重力から解き放った。靴のつま先が地面から離れ、二つに折れた体がふわりと宙を飛ぶ。着地点を見届ける前に、ゾロは竹刀を掴んで男に背を向けた。まるで、さっきまで夢中で遊んでいたおもちゃに急に興味を失った子供のようだった。
すこし遅れてどすんという音がして、土埃がむわりと立つのをサンジは厄介げに片手で払った。近づいてきたゾロの肩をねぎらうようにぽん、と叩く。
「おつかれ」
「疲れるまでもねえよ」
「いや、部活のこと」
サンジが苦笑いしながら言うと、ゾロは地に伏したままもぞもぞしている男達にちらと視線を流した。
張り合いのねえ。吐き捨てるように言って顔を戻す。
「ほんっと、凶暴だよなァおめえは」
「俺が悪いみてえに言うな。あいつらが勝手に絡んでくんだよ」
「相変わらずもてるね、お前。……てか、無節操に誘いすぎ」
サンジが言うと、おかしな言いかたすんじゃねえ、とゾロは嫌そうに眉を顰め言った。事実だろうが、と笑えばぎろりと眼光鋭く睨みつけられる。
実際そうだと思う。本人は気がついていないけれど、ゾロには他人を刺激するような面がたしかにあるのだ。女の子が大好きな自分に彼女たちが引き寄せられるように、荒事を好むゾロにはきっとそれが付いて回るのだろう。
サンジもはじめはそうして煽られた一人のはずだった。こいつにだけは負けねえと、そういう感情なのだと思っていたし、まさか男にと気がついたときにはなかなか手酷い衝撃を受けたものだ。
「誘ってんだよ」
声を低めて、ゾロのほうにサンジは指を伸ばした。夏服の白いシャツはしなやかな体に貼りついていて、陽に灼けた太い首すじは汗が流れて光っている。
撒いたばかりの水のような匂いと、どこか懐かしい気分になる土の匂い。打撃が掠めたのか少し腫れぼったくなった唇の、脇のところからは薄く血が滲んでいた。
サンジはそれを、親指の腹でぐいと拭った。ゾロは抗わない。指についた目の醒めるような赤を、サンジはじっと見つめた。
いくら王子様だなんだと騒がれていたって、ほんとに欲しいのはこの男だけなんだから我ながら笑える。
たとえば俺がいま何を考えているか、知ったらゾロはどんな顔をするだろう?

考えに沈んでいると、ふいにゾロが手首を強く掴んだ。顔を上げれば鳶色の瞳がサンジを見ている。息が詰まった。
てめえが、とゾロは言った。
「てめえが、相手しねえからだろうが」
「……は?」
「他の奴とやってもおもしろくねえんだ。燃えねえんだよ。だから俺が誘ってるってんなら、そりゃあ、てめえのせいだ」
むっと唇を尖らせてゾロは言う。拗ねたようなその顔で、相手しろよと、真摯に目を見つめたまま駄目押しをする。
ああ、こいつってばほんとうに。
喧嘩のことだとわかっていたってこれは無い。頭を掻きむしりたいような、いますぐ好きだと叫びたいような気持ちになって、ただ立ち尽くしているとおら、行くぞ、早くなんか食わせろとゾロは続けた。
手を離しさっさと先に歩き出す。胃袋から懐柔作戦はしっかり功を奏しているようで、ゾロは部活帰りにときどきサンジの実家であるレストランで食事を取っていく。もちろん、サンジの手料理だった。
「なあ、ゾロ」
こちらを向いたゾロの、顔の半分は夕陽を浴びて橙色に染まっている。ぬるく湿った風が、もうすぐそこにある夏の気配を密やかに運んでくる。
「俺な、お前とは、ああいう喧嘩はしねえって決めたんだよ」
「なんでだ。勝負はまだついてねえぞ」
「引き分けでいいんじゃねえの?」
「ばーか、引き分けとかねえよ。勝たなきゃ意味ねえ」
「でもなァ、もう決めちまったし」
お前を構うなら、もっと違うやりかたでって、な。
言って、数歩先で立ち止まっているゾロに近づいた。首を傾けにっこりと笑いかければ、怪訝そうな表情をするゾロにそのまま顔を寄せる。まだ血の浮いた唇の端にちゅうと吸いついて、サンジはすぐに離れた。鉄分の苦味に混じって、ゾロの唾液の味がした。
ゾロはぴきりと固まった。
すこし遅れて、顔を夕焼けよりももっと赤く染め、それからそれは、シャツから覗く皮膚のすべてにまたたく間に広がっていった。
「な、な、て、めッ」
全身をぶるぶると震わせてゾロはきれぎれに呻いた。そのぐっと握られた拳をほどかせて指を絡めて手をつなぐ。
ゾロのてのひらは、しっとりと汗ばんでとても熱かった。
「こんな感じで、これからはもっと構うからさ。あんま他の奴刺激しねえでな?」
「だから刺激してねえ!」
怒るとこそこなんだ、と言えばとうとう頭をはたかれた。意味がわかっているのかいないのか、とりあえずさっきのは嫌じゃなかったらしい。握った手も、振りほどかれることなくぎゅうと繋がれたままだった。
うれしさに自然と顔が緩んでしまう。それが気に触ったのだろう、なおも腕を振りあげようとするゾロに、やめて、アイドルは顔が命ですからとサンジは笑いながら顔面をガードした。







 (11.06.26発行)





11年6月26日開催ワンピオンリー「大宴海!」にて配布したペーパーです。
局地的アイドル祭り参加でもあったんだけど、しごく地味ですな…地味です…