ROSE BUD 







長い指が、するすると滑らかに動く。
黒いネクタイにきゅ、と結び目を作ると、ベストを着せ、小ぶりのボタンを留め、やはり黒のジャケットをはおらせる、その流れるような動きにはまったくといってよいほどよどみがない。
彼の指はとても器用なのだ。
それは、料理に限ったことではないのだった。
「できあがり」
満足げに言って、サンジはくわえ煙草のまま器用に片方の口の端をあげてみせた。
一歩、後ろに下がる。目を細め、頭のてっぺんから靴のつまさきまでなんどか視線を這わせて検分する。それから煙草をひと吸いすると手を返して、ぽん、とその甲でつやつやとしたベストの胸の辺りを叩きゾロの耳元に顔を寄せ、完璧、と囁いた。
いちどだけ着たことがある、この服はすべてサンジが着せた。ゾロはただ突っ立っていただけだ。これを着たゾロと、ともに出かけるのがサンジの望みなのらしい。いわゆるデート、がしたいのだと。自分の誕生日に望むことがそのていどなのだから、かわいらしい男じゃないのとナミは笑った。ゾロは、とりあえず鼻で笑っておいた。
レストランは女たちが選んだ。高級ホテルのなかにあるとても有名な店、なのだという。ゾロはサンジの、冗談みたいな眉があってさえややもすれば中性的にも見える端整な横顔を見た。サンジもゾロを見返す。はにかむように笑っている。ゾロは笑い返したりしないけれど、サンジはとくに気にしない。
そのまま、幼くも見える表情のまま、サンジの空いている手がやはり流れるような動きでゾロの腰に回る。
「行こうか」
サンジが言う。
その指先が、上質な布越し丸く隆起した尻にじんわりと食いこんでいく。たしなみのない中指が、ちょうど真ん中の、くぼみのあたりをつう、と上下に撫でる。いつもサンジを受けいれ楽しませるその場所をたしかめるみたいに、いとおしむかのように、ゆっくりと。
「――行くんじゃねえのか」
ゾロは言う。
軽く、息が混じったのはため息のせいばかりではなかった。
サンジは、指の動きを執拗にしながらちょっとだけ、と目尻をさげて甘えるような顔をしてみせる。ゾロはナミの言葉を思い出していた。
たしかに、かわいい男であると言えなくはない。
だがかわいいばかりの男ではない。



船を降り、夜が染みわたりはじめた街並みを彼らは歩く。街の中心部に近づくにつれ、色とりどりの電飾がきらめく怪しげな店が増えていった。歓楽街らしい。ひとの通りは多かった。あちらこちらに立つ派手な看板とあいまって、ひどくけばけばしい雑多な印象を受ける界隈だった。情欲剥きだしのだらしない顔をした男たちと、どこか倦んだ表情を化粧でごまかした女たちであふれている。そんななか、ぴしりと隙なくスーツを着こなした見目のよい男二人、連れ立って歩く姿はどこか場違いで人目を引いた。
すれ違うひとびとはほぼ例外なく二人を注視していく。
ゾロの腰にぴったりと回されたままのサンジの手を驚いた顔で見る。
からかうように口笛を吹くものもいたが、サンジはやっぱりとくに気にしない。軽く手をあげて反応すら返している。ゾロはといえばもともと無頓着だ。
「あちいな」
ゾロが舌打ちをすると、サンジはいつものように道行く女を品定めしながらまあなあ、とのんびりと言う。湿度が高い島なのだ。それに加えこのひといきれのせいで、ゾロの身体は汗ばんでいた。さきほどの軽い行為のせいもある。焦らされたまま放置されたそこも、おそらくは、ゾロのこめかみと同じようにじとりと湿っているはずだった。
サンジは、青い地に柄の入ったシャツのうえから、やはりゾロと同じようにジャケットを着ている。ベスト一枚の差のはずなのに、サンジの顔は涼やかで汗のつぶひとつ浮いてはいなかった。ゆったりと煙草をくゆらせている。機嫌がよいらしい。いつ変わるかはわからない。気分にむらのある男である。
「ちょっと待て」
ふとサンジが足を止めた。
ゾロも立ちどまる。
外灯のしたに立つ花売りの少女が、頬を赤らめて彼らを見ていた。サンジは彼女に踊るような軽やかないつもの足どりで近づいた。ゾロもゆったりとしたいつもの歩調で、それに続く。
サンジがまだ蕾のバラを二輪買う。
白と、赤。
茎を折ると、白を自分の、赤をゾロの、胸元に挿して彼女に向かってやわらかく微笑む。ゾロには呪文のようにしか聞こえない、舌を噛んでしまいそうな、彼女を褒めたたえる言葉をサンジはすらすらとくちに乗せた。そのまま手を振って立ち去る。
ゾロに近づきふたたび腰を抱き寄せると、サンジは首をかしげゾロの顔をのぞきこんだ。
「妬いた?」
「阿呆か」
心の底からゾロは言った。
ひでえなあ、とサンジは笑う。
「俺はいつも妬いてんのに」
「……何に」
「すべてに」
ゾロを間近で見つめたままサンジは答える。スミレの花色を思わせる瞳がゾロを映しこみ閉じ込めている。
すべてに、と、ゾロは繰り返した。
「もう、開いてきてる」
サンジが低く言い、ゾロの胸元に指を伸ばした。ゾロも視線を落とす。蕾はその先端をすこしだけほころばせている。白い指先が、めくれあがった赤いそこに、そっと、触れる。あつい。ゾロはまた思う。痛みと錯覚するほどのひどいのどの渇きを感じる。
サンジはかがめていた身を戻しフィルターぎりぎりまで吸った煙草をぽとりと落とした。踵で、つよく踏みつけると、潰れたそれからかぼそい煙が立ちのぼりやがて消えた。
「とりあえず今は、さっきからおめえをじろじろ見てるやつらぜんぶ蹴り殺して回りてえよ」
サンジが冗談めかして言う、その目はまったく笑っていない。


過剰な色彩と音にあふれた、じつにごみごみとしたその道をまっすぐに彼らは進んだ。数メートルおきに呼び込みらしき男がすり寄って来ては、遊んで行かねえかい兄ちゃんたち、と二人に声を掛け、そのたびサンジにすごまれたり蹴られたりして離れていく。
下品な街だ、とサンジは吐き捨てたが、ゾロはこの雰囲気がけして嫌いではなかった。懐かしいような感じさえするのは、遠い昔訪れたことのあるイーストブルーのとある街並みを思わせるからかもしれない。貧富の差の激しい、欲望にまみれた泥臭い場所だった。誰もがぎらついた目つきを隠そうともしていなかった。肌に合う、そう言ったら、サンジはどんな顔をするだろうかとゾロは思う。
「見えてきたな」
あれだ、とサンジが言い、ゾロはその指し示すほうを見た。
地べたにはりつくように低い建物ばかりのこのあたりで、近代的な高層建築であるそれはにょきりと杭のように突き出していて奇妙なほどに現実味が薄い。どうみても浮いている。どうせどこかの金持ちの道楽なのだろうが、ずいぶん酔狂なことだとゾロはなかば感心するように思った。
サンジが時計を確認して、まだ時間があるな、とつぶやいた。ゾロがはぐれる可能性を考慮して早く船を出たのだった。ちょうど屋台街に出る。赤く塗られたランプが軒下にいくつもぶらさがる、古ぼけた屋台でしばらく食前酒を楽しむことにする。
屋台の周りには、いかにもゴミ捨て場から拾ってきたような、ちいさなテーブルがまったく秩序なく並べてあった。酒を注文して受け取ると、そのうちのひとつに二人は向かい合わせに座った。
「俺の誕生日に乾杯」
ゾロが言うはずもないのでサンジが自分で言い、かん、と軽快な音を立ててゾロの手のなかの酒瓶と自分のそれとを合わせる。ゾロは瓶のふちにくちびるをひっかけるようにして一息に飲んだ。口角からこぼれた液体を、手首の表面でぐいとぬぐいとる。よく冷えたアルコールは、一瞬だけのどを冷やしはしたが、ゾロの火照った身体をしずめることまではできなかった。
座っていても、目的地であるその豪奢なホテルが、闇に浮かびあがるように白々とライトアップされているのが視界に入る。なんど見てもこの場所には不釣合いなその姿を眺めながら、ゾロは想像してみる。
落ち着かないほどに白いクロスのかかったテーブル、品のよい微笑をはりつけた慇懃なウェイターたち、上質だがべらぼうに値の張る酒に、複雑な味のするちまちまと凝った料理――
そこまで考えて、ゾロは、すべてが馬鹿馬鹿しくなった。
ゾロはジャケットの胸元に挿されたバラを、しみだらけのテーブルの中央に置いた。人指し指で硬い板を叩いてことり、と音を立てると、周囲を見やっていたサンジがこちらに目を向けた。
ゾロはジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩め、シャツのボタンをひとつ開ける。胸の筋肉のあいだを汗が垂れ流れていくのを感じた。濡れて光る、太い首すじには、さきほどサンジがつけた吸いあとがひとつ刻まれている。
サンジはゾロを見ている。余裕とも取れる微笑を浮かべていた、その顔つきが次第に変化していく。
「ゾロ、」
ゾロはテーブルのしたで片足を伸ばした。革靴のつま先を、膨らみはじめたサンジのそこに押しつける。サンジが船でしたように、上下に、よく知った形をゆるゆると、なぞる。
「そろそろ行かねえと」
「気が変わった」
「……祝ってくれねえの?」
そういうわけじゃねえ、とゾロは言った。
「ただ、俺なりの祝いかたってもんがある」
ゾロはサンジと視線を合わせたまま、軽く足に力を込めた。すっかり充血したものがじわりと押し返してくる、その感触を楽しむように。
押して、緩める。なんどか繰り返す。
いたずらにもてあそぶその動きのたび、サンジの指のあいだにはさまれた煙草の先端がかすかに震えては灰を散らす。ゾロは満足げに笑った。
「てめえだってそうだろう?」
「な、に」
顎をわずかにあげ、その動きでゾロは、サンジの背後にそびえる建物のほうを示した。
「あの高級レストランとやらで、お上品な飯を食うのがてめえの望みか?」
覚えのある粘っこい視線がゾロの全身に絡みついている。服のなかにまでしのびこみ、くまなく這いまわり舐めつくすような。これまで幾度、こうして視姦されたかわからない。
見た目よりもずっと野蛮な男なのだ、ほんとうは。

「欲しいものを言ってみろ」
場合によっては、かなえてやらなくもねえ。
ゾロは不遜に笑んだ表情のまま言った。さきほど潤したはずの、のどの渇きはひどくなるばかりだった。熱が身体にこもりつづけている。ふたたびそこにぐっと力を込めると、サンジはびくりと身をこわばらせ、感じいったように細く、長く、息を吐いた。その拍子に、さらさらとした金髪が夜の光をあつめて揺れた。
ゾロはその細い髪をわし掴み、ぐしゃぐしゃに乱しながら腰を揺らすのがすきなのだった。いつもの気障ったらしい表情が剥がれおちた、欲望と執着に汚れたサンジの顔を見ながらはしたない声をあげるのが。
「――ゾロ」
サンジが呼ぶ、その声は深く色を変えている。
それが彼の答えだった。
いつ聞いてもいい声だ、とゾロは思う。



お前のその服、いますぐ俺のでぐちゃぐちゃに汚してえ。
サンジが言う。
俺もだ、とゾロが答えると、戦闘とセックスだけは気が合うなとサンジは笑った。
卑猥な形にあがった薄いくちびるは、テーブルを飾るバラの赤よりなお赤かった。







                                        (10.12.19)





10年3月のサンゾロプチオンリー「Two Top World」のイベントアンソロジーに寄稿したもの。SWのサンジの美しさと恰好よさといったら!ゾロのベスト姿の匂いたつ色気といったら!という萌えのみで書かれたものだということが一目瞭然ですね…。
ちなみに「エデン」の二人です。