squilibrio





 日付が変わった。
 場所を移すのだろう、主だった連中がぽつぽつと席を立ちはじめ、ゾロシアは壁際から動かずにそれを眺めていた。目が合った相手からの挨拶には片手を上げて答え、そのままグラスを煽る。容れ物は大層な値打ちものらしいが、中身がよくない。うまい酒が飲みたいと思った。
「ゾロシア、おまえは行かないのか?」
 言葉と同時に、空いたばかりのグラスに酒を注がれた。視界に入ってくる赤い髪を認めたゾロシアは溜め息をこぼす。この集まりの中では最も上にいる人間だが、集まりが終わった後までも態度をそれらしくするつもりはない。だから返事もせず、それどころか礼も言わずにグラスに口をつけた。
「…それとも、アイツを待ってるのか?」
 にやにやと表情を崩し、赤髪が寄り掛かってくる。酒臭い呼気から顔を逸らせば何がおかしいのか大声で笑い出した。顔を顰めたゾロシアに更に近付き、赤髪は上機嫌だ。
「おまえね、あんまり虐めてやるんじゃないよ」
「……それは、命令か、赤髪」
「いいや、大事なバンビーノへの親心だ」
 肩に乗せられた手、枯れた声が触れるほど近くから響く。やめろと払おうとした直前、べろりと耳を舐められた。ぞわり、肌が、粟立つ。
「……離せ」
「なぁゾロシア、一晩、奥の部屋を貸してやろう。もちろん好きに使っていい。どうせ今夜はそのつもりなんだろう?」
「………」
 大きな世話だと、断るのも面倒だ。ゾロシアは笑ったままの赤髪のジャケットに手を入れ、胸ポケットから鍵を抜いた。それから、顎に伸びてきた手が促すままに顔を上げ、酒臭い舌を噛んでやる。ひひ、と響く笑い声が喉奥に消えた。
 
 赤髪の、右手、その指。器用に動くそれが顎から耳へ、耳から鎖骨へと下りていく。シャツのボタンを外されたところで、顔を離した。
「あれ、終わり?」
「…行け」
「いいねェおまえのフレッデッツァ、癖になるよ」
 薄暗いバーの入口、揺れて不安定な明かりの下、闇に馴染まぬ金色があった。気付いていないはずがないだろうに、赤髪はこれみよがしにゾロシアの体を撫でている。
「次は俺の相手をしてくれ」
「…ノッスィンニョーレ」
 わざとらしく慇懃に答えてやれば、赤髪がさも楽しそうに破顔した。音を立てて顳かみに落とされたキスに目を眇め、ゾロシアは片手で赤髪を追いやる。その間にもゾロシアの好むあの色は近付いてきていた。
 ぱさついた金色、その下の青、白い肌。サンジーノの視線はほんの一瞬、赤髪を見た。けれど大きな歩幅を変えず荒々しい音を立ててゾロシアへと向かってきている。あと数歩。きつい眼差し、怒りに染まっている表情。ゾロシアの気に入っているものがそこに揃っていた。
 サンジーノが目の前に立つ、そして挨拶も抜きに、胸ぐらを掴まれた。
「ゾロシア、あれは−ッ」
 だからゾロシアは、グラスを持ったままの手で無造作にサンジーノを殴った。砕けたグラスが飛び散る。切れた指先から血が滲み、サンジーノの顳かみからも血が流れた。
 バーの中が猥雑な音楽を残して静かになる。低く笑ったのは赤髪だろう。その声がドアの外へと出てしまえば、他の人間もそれに従い出ていった。
「…サンジーノ、五分後に来い」
「−−−−」
 髪とジャケットを安酒に濡らし、額と瞼を血に濡らし、俯いて動かないサンジーノにそれだけを言って背中を向けた。そのまま、奥の部屋に向かう。短い廊下を抜ければすぐだ。
 
 
 
 
 
 錆びたドアノブに鍵を差し、開けてみるとそこは意外と広い作りになっていた。思わず、赤髪らしくないなと思う。あの男が使う場所はどこもが雑然としているのだ。が、巡らせた視線、デスクの上には煙草があった。その銘柄を見て納得した。ここは赤髪の部屋と言うよりもその参謀の男のものなのだろう。無駄なもののない硬質な雰囲気に整えられた室内に、唯一色があるとすればこの煙草と棚に並ぶ豊富な酒。口数少なくあの男に付く、銀色。
「…………」
 だったら、とりあえず信用していい。ゾロシアは大股で部屋に入り、適当な酒を物色してデスクに凭れた。部屋の隅には広いベッドがある。大きな窓はひたりとカーテンが閉められていた。一通り見回して瓶に直接に口を付け傾けた直後、ノックの音が響く。
 
 ゾロシアは返事をせずに、ただ待った。ややして、ドアがゆっくりと開く。廊下から中を窺い、けれど逡巡を見せずに男は足を進めた。サンジーノだ。顳かみの血は拭われていない。濡れて乱れた髪もそのままだ。与えた五分、この男はただ立っていたのだろうか。
「………ゾロシア、どうしてあんな、」
「サンジーノ、詫びはどうした」
 ぐ、と声が飲まれる。ゾロシアは小さく笑った。
 詫びなどどうでもいいことだが、サンジーノがこうして表情を固くするのを見るためなら別だ。感情豊かな男だ、いくらでも表情を変えるが、こういう顔を見せることは滅多にない。己を抑えるような、なのに、その目だけが裏切っている、暗く冷たい青。
 
 サンジーノは目を閉じ、短い呼吸を挟んで、もう一歩、前に出た。それからゾロシアの手を取り、酒と血に濡れたままだった指と手のひらを自らのハンカチで拭いはじめる。小指と、薬指の付け根が切れていた。疼く痛みなど大したものではないが、くいとその指を動かしてみせる。サンジーノの手が止まり、僅かの間を置いてそこに唇が押し当てられた。
 傷口に、舌が、触れる。
 サンジーノの顳かみから流れた血が、瞼の縁を辿り、目尻から落ちていく。赤く縁取られた青い目は伏せられ、薄い唇から覗く舌が器用にゾロシアの血を拭った。
「サンジーノ、処分したのか」
「………」
「答えろ」
 サンジーノが吐いた溜め息が手のひらに当たった。顔を上げぬまま、声だけが返ってくる。
「…そうさせるために、したんだろう、ゾロシア」
「あァ」
「殺したよ、俺が、今朝」
「どこだ」
「−−顳かみ、に」
 サンジーノの長い指が銃を構え、引き金をひき、破裂音と共に飛んだであろう部下の血と肉片、声にならぬ悲鳴。それらのシーンを浮かべ、ゾロシアはうすらと笑う。この男に寄せられる評価は、情に脆く優しいマフィア。確かにそうかもしれない。けれど、それだけじゃ、ない。
「…即死か、優しいな、サンジーノ」
「−−ゾロシア、どうしてあんなことを」
「裏切りだろう、あれは」
「………」
「だから、おまえに殺させた、それだけだ」
 サンジーノの部下が、薬を捌いていた。その現場をゾロシアが押さえた。処理は、その男のドンであるサンジーノにさせた。なにもおかしいことじゃない。
「気に入らないのか」
「−−−」
「サンジーノ、答えろ」
「−俺は、」
 そこでようやく顔を上げ、青い目を細め、サンジーノは唇を震わせた。
「俺の、ミスだ」
「………」
「俺が甘かった」
 つ、と、血が流れた。寄せられた眉根、悔しさにだろう、固い声音。ゾロシアは不意にサンジーノのネクタイを掴む。弾かれたようにサンジーノが叫んだ。
「ッ、殺さなくても、よかったはずだろう!」
「だが、殺した」
 そのままで、ゆるく、手を引く。ふらりと揺れた体が、止まらずに倒れてくる。重なった唇に笑いがこぼれた。
 叫びに歪んだ目、吐けなかった言葉を飲んだ喉、まるでその代わりのように暴れる舌先。ゾロシアのシャツを掴む、長い指。
 
 滅多なことでは顔を出さない、サンジーノの欲がそこにある。バランスを崩した瞬間、甘さを覗かせたその隙間に、ひどく乱暴な、熱。
「サンジーノ」
「……ッ」
 顳かみの傷をなぞった。いまだ溢れてくる血を指先に取り、サンジーノの目の前に差し出す。
「おまえの、血だ」
 舐め取れば、広がる錆の味。ゾロシアは爪の間に滲んだものまで丁寧に舐った。サンジーノが途切れ途切れに息を逃す。どうして。掠れた声には答えなかった。
 
 肩を掴まれ、押し倒された。己の体でゾロシアを抑えてサンジーノが懐から銃を抜く。見上げた視界、その一番手前に銃口がある。ゾロシアは笑った。青い目が増々歪む。
「俺を、殺すか、サンジーノ」
「−−−ッ」
 殺せるならば、それでもいい。ゾロシアは特に抗いもせず、ただ、手を伸ばした。腰に乗り上げている男の、その中心に。サンジーノが目を見開く。やわく揉めばそこが微かに形を変えていることがわかった。
「どうした」
「−ゾロシア、やめっ、」
 銃口がぶれる。引き金にかかった指先が緩む。薄く開かれた唇が、弱く震えた。制止の声を無視してゾロシアは手を動かし続けた。手のひらを押し付け、上下に擦り、固い生地に爪を立てる。びくりとサンジーノの腰が跳ねた。怒りに染まっていた表情が耐えるそれに変わる。やめろ、繰り返して、サンジーノは熱い息を吐いた。
「殺さないなら、これを退けろ、邪魔だ」
「−−、−」
 昂りに両手を添えた。ジッパーを下ろし、薄い布越しに柔らかく握りしめる。やめてくれ、震える声は生娘のようだ。笑ってしまう。
「サンジーノ、銃を下ろして、ベルトを外せ」
 ぐ、とゾロシアの腰を挟んでいる腿が強ばった。一々に素直な反応をする男だ。その腿を右手で撫で、左手で、下着を掻き分けてそれを引き出した。
「−−、っ、ぁ」
 眉根を寄せてまるで切なげな声を漏らして、サンジーノはそれでも銃を下げない。けれどゾロシアの眉間を狙っていたはずの銃口は、今や腹に向いている。これでは撃ったところで一発では殺せない。一発で殺せないなら、無駄だ。ゾロシアはもうそれに構わず、外気に触れてひくついているペニスを本格的に扱きはじめた。
「−ッ、」
 充分に固さが出るまで上下に擦り、それから、先端に指を置いて円を描く。強く押し付ければ乱れはじめた呼吸が耳に届いた。熱を孕んだ吐息に、ぞわりと、背が騒ぐ。己のものもまた熱くなってきていた、だがこの体勢ではどうしようもない。だったらこの男を先にいかせてしまえばいいと、ゾロシアはペニスの小さな穴に爪を立てた。
「−−アッ、ァ」
 がく、とサンジーノの体が倒れる。あ、あ、と断続的な声、両手に掴まれた銃、いまだやめろと繋がれる言葉。跳ねる肩が、ゾロシアの胸元に当たる。
「…サンジーノ、体を起こせ」
「ゥ、−−ッ、」
 動かしにくいと唸り、ゾロシアは無理矢理にサンジーノの半身を起こさせた。それから、両手でペニスを擦りたてる。先端にぷくりと先走りが溢れ、今度はそれを広げるように手のひらでなぜた。裏筋に擦り付ければサンジーノが唇を噛み締めて背を撓らせる。褪せた金色が散り、閉じられた瞼の横を、血が流れた。ゾロシアは唇を湿らせより一層追い立てる。息が荒くなる、はやく、はやくその銃を握ったままの指を、
「ゾロシ、アッ」
 欲に掠れた声に切れ切れに名を呼ばれ、思わず強く握ってしまった。
「アッ、−ア、−−−ッ」
「−−−」
 とぷ、とぷ、と白濁が溢れる。ぶるりとサンジーノの体が震える。離さずに更に根元から擦り上げてやれば、低く甘い声を響かせ、サンジーノの腿がきつくゾロシアの体を挟んだ。ひくりと白い喉が震えている。紅潮した目尻が、血を滲ませている。ゾロシアは目を細め、それを眺めた。
 たまらない、男だ。
 
 
 
 
 ジャケットも、銃を持つ手も、白く汚れている。
 荒い呼吸を繰り返すサンジーノが、ごとりと銃を落とした。ゾロシアはその手を引き、手首に飛んだ精液を舌にすくい取る。広がる苦味を喉を鳴らして飲み込み、体を起こした。
 動かぬサンジーノのベルトを外す。引き出したシャツのボタンを外し、ネクタイを外し、肌に触れる。引き締まった腹を撫で、腰を撫でた。は、吐き出された熱い息が、首筋にかかる。
「−−なんで、こんな、」
「ッ」
 弱い呟きに反した強い力で、起こしたばかりの体を倒された。打ち付けた肩にじんと痛みが走る。体勢を整える暇もなくシャツのボタンが飛び、引き裂くように前を肌蹴させられてゾロシアは声を出さずに笑った。
 サンジーノの手のひらが胸を這う。潰すように押さえられて喉が震えた。ベルトが抜かれ、それに汚れたままの両の手を纏められてしまう。それでも笑っているゾロシアに、サンジーノが顔を歪めた。
「…ゾロシア、おまえ、なにがしたいんだ」
「−−−わからねェか?」
「…………」
 泣きそうだと、思った。そんな顔だった。けれどサンジーノは小さく悪態を吐き出し、ゾロシアの服を剥ぐ。晒されたペニスは既に固く立ち上がり濡れていた。サンジーノの痴態と、声と、手が、そうさせたのだ。ますます歪んだ男の顔に、ゾロシアはゆったりと笑う。
 直後、一息に銜えこまれ、びくりと腰が逃げを打った。
「ウァ、−−ッ、あ、あっ、」
「逃げるなよ、ゾロシア、これでいいんだろう?」
 欲に濡れてしまった青が、睨むようにゾロシアを見上げる。きつく根元を戒められて引き攣った声が漏れた。舐る舌も、押し付けられる喉奥も、すべてが痛みと同時だ。そうだ、それがいいと、ゾロシアは腰をくねらせる。
 
 情だとか、優しさだとか、そんなものをゾロシアは欲しない。差し出されたとて受け取る理由はない。だからだ。惚れていると、言ったのはサンジーノだった。そうか、とゾロシアは笑った。おまえを気に入っていると、そう答えた。それから、笑みを向けられるよりも、肩を抱かれるよりも、乱暴なまでの欲を見せろと、そう強く思った。だからこうしてサンジーノを煽る。上品な笑みを乗せる表情を剥がして、穏やかな色を乗せる目を暴いて、優しくあろうとする男を、笑う。
 馬鹿正直に煽られ、曝け出すこの男は、いっそ従順だと言えるのかもしれない。だが、けしてそれだけじゃない。なによりもそこを、気に入っていた。
「−−−ッ、」
 溢れた滑りを後ろに塗り込まれ、高く尻を上げさせられる。ろくに馴らさずに熱い固まりを捩じ込まれた。反らした喉からは喘ぐ声すら逃げない、押し付けられる痛みと熱に、目を開けることすら叶わない。獣のような呼吸が耳に届く、突っ張った両手が軋んだ、サンジーノが首筋に歯を立てた。感じ過ぎて、おかしくなりそうだった。
 
 
 
 引き攣った喘ぎの合間にサンジーノの名を、呼んだ。何度も繰り返して、口にした。その度にサンジーノの目が歪む。怒りに似た色を滲ませ、なのにゾロシアだけを映して、欲に浸っていく。
 もうそこに、常の優しさなど覗かない。己を律することも忘れた、ただの男がゾロシアを犯している。それにひどく満足した。
 口端を歪めて笑えば、加減なしに揺さぶられた。根元を塞がれたままだと言うのに、何度、達しているのだろうか。ぶれる意識に抗うように、戒められた両手でサンジーノを殴った。血が飛ぶ。薄い唇が、血をこぼす。舌を伸ばして舐め取れば、サンジーノの青い目が、ゾロシアを映して、閉ざされた。
 
 
 
 
 
 
 
 俺は、とサンジーノが言う。俺は、おまえに、惚れてるよ。ゾロシアは襲う眠気に目も開けずにそれを聞いていた。低く掠れた、甘い声。おまえは、どうして。手が、何かに包まれた。その熱が心地よくて、ゾロシアは緩く息を逃す。サンジーノの声が途絶えた。
 首に、肩に、腕に、もう一度手に、微かな熱が触れては離れる。
 どうして。
 ふつりと意識が途切れる寸前、ゾロシアは、それを逃さぬように力を込めた。





squilibrio = unbalance / freddezza = heartlessness / nossignore = No sir,









網戸さんの書く、雄くさくも色っぽいゾロシアがめちゃくちゃすきなんです。
それで、網戸さんのサイト、ODIMAさんのなにかのときに(曖昧)、ゾロシアを嫁にください、とリクエストをしたところ、インテでこれを無料配布本として出してくれた、と。
許可を得て、こちらにも載せさせていただきました。