■HIGH&LOW
雨が降り続く惑星からの微弱な救難信号。
果たしてそれはどこまで届き、どこで受け取られるのか。
末端からの山のような情報が錯綜する中で、緊急を要する通信内容として処理されるのはいつの事か。
想像してみるものの、あまり希望は持てそうにない。
本国では雨は身体の状態を最高に保つために好ましいものであった。
しかし、この惑星は。
殆どのサバイバルキットが役に立たなくなる程の湿度。そして中途半端に高い気温は微生物を活性化し、虎の子の食糧や水の腐敗を早める。
これでも本格的な雨期ではないという。
太腿にまで浸かった水に、既に官給品のブーツは役に立っていない。
立っている場所が元は道なのか、沼なのか、草原なのか、それすら判らない。
想像するのもぞっとするが、おそらく歩く度に水音を立てるこのブーツの中には、病原菌やアメーバがてんこ盛りになっているだろう。
ギロロは舌打ちをして、仲間の待つベースへと急ぐ。
生い茂る熱帯植物が途切れた場所に僅かな高台があり、そこが見渡せる範囲で唯一、地面の露出した地点となっていた。
地盤は雨で緩く、テントを張って拠点にするには脆弱すぎる。
しかしこの場で選択肢などなかった。
「ああ、ギロロ。どうでありましたか?」
テントの中は湿度調節が上手く働かないのか、更にむっとする暑さであった。
「半径2キロは水没している。何もない」
あちこちに濡れた雨具が気休めのように吊るしてあるが、これでは室内の湿度を上げるだけで、気分よく乾く事はないだろう。
「……困ったでありますなぁ……」
「それより、タママニ等の状態はどうなんだ」
「よくないね」
答えたのはクルル。
ずっと悪戦苦闘し、水に浸かって馬鹿になってしまった精密機器を修理している。
「今、薬を飲ませたけれど、熱がまだ下がらないんだ。こんなに水があるのに、全部汚れているから……」
ゼロロが溜息を吐く。
そう、蒸留システムすらが動かない。
原始的な方法で蒸留水を作ろうにも、火を起こす手段が限られている。
「救難信号、うまくどこかが拾ってくれる事を祈る…… でありますよ」
小隊がこんな雨の惑星に居る訳。
近頃本国を騒がせる星間テロ組織の通信がこの地点から発信されたとの情報があり、例によって身軽なケロロ小隊がその調査に任じられた、という単純な理屈である。
上からの命令は絶対、と言ってしまえばそれで終わりだが、どうもその根底には下らない事情も隠されているようだった。
ともかく隊長であるケロロはその裏事情もある程度は把握していたであろうし、それと知りながら大事な部下を連れてこんな場所へ赴く事について、それなりの悩みもあっただろうとギロロは思う。
五日前、この惑星に降り立った。
星の自転周期はケロン時間に換算して約二十六時間。
降下地点の計算も万全であった筈が、僅かな衝撃がダム状になって塞き止められていた水を放流する結果を呼び、小型宇宙艇はそれに巻き込まれる。
乗員の安全より軽量化が叫ばれた時代に建造された老朽艦は、いつしか浸水を許し、まず二日目に精密機器がやられた。
あらゆる処理をそこに頼っていた動力、そして大元の電力もダウン。
予備電源すら使えない深刻な状況。
これまで想像もしなかった「敵」がそこにいた。
当然船の除湿や温度調節の設備も動かぬまま、ほんの三日で黴が増殖し、乾燥ミールや真空パック以外の食糧は次々と腐敗した。
飲料水までもが早々と汚水に変わろうとした時、ケロロは水没を続ける艦を捨てる判断を下した。
結果、この簡易ベースで二日を過ごす事になり、その間に最も経験が浅く、他環境に抵抗力の低かった若いタママが発病した。
「こんな所に隠れるテロリストがいるかよ。ここへ降り立った時点で任務完了って事ぁわかってたよな」
「連中、特に末端は常に身軽さを求められるからな。いくら潜伏できる貴重な場所とはいえ、こんな惑星にいては消耗するばかりだろう」
珍しく意見が一致しているクルルとギロロ。
「しかも、調べがついているところでは、我々のような湿性種宇宙人でもないらしいし……」
「湿性でもここは限度越えてるでありますよ。こういう時こそニョロロに大挙して攻めてきてほしい……ってか、つくづく疲れたよネ……」
ケロロは振り向いてタママが横たわる簡易ベッドを振り返った。
「悪かった。我輩、こんな所に連れてきて、ホントに悪かった……」
軍人がその職務に対して、特に部下に否定的な言葉を吐く事はタブーに近い。
しかしこの状態で他に言える事は何もなかった。
「もうよせ、お前が悪いわけではない」
「……ケロロ君の所為ではないよ」
「……」
「後でもいっかい信号送っとくからよ。……こうなったらどこの星系の信号でもブチ込んで、敵性国家の艦も呼び込んでドンパチさせるか?」
クルルの言う事はあながち自暴自棄な戯言とも言い切れない。
不確定な要素を調査に出た『末端』の救難信号は黙殺しても、新たな敵と交戦状態に入った『友軍』の危機にならばいち早く反応するのが軍隊である。もっとも、反応が救援増援に繋がるとは限らないが。
「馬鹿者、こんな状態で戦闘状態になったら逃げ場がないだろう。それでなくとも明日アメーバ赤痢でくたばるかも知れんというのに」
「……本気で言ってねェよ」
軍用ランタンのオレンジ色の光の下での雑談は続く。
これまで様々な危機に遭ってきた。
しかし今度のように八方塞がりな状況は初めてであった。
忌々しい水のために。彼等それぞれが持つ特性は封じられている。
特に最新鋭の機器や情報ネットワークが使えないクルルは苦戦を強いられていた。
「好き勝手に生きるには実力が要るんだぜェ」
それが彼の持論である。
しかし、今回の事態には流石のクルルも閉口していた。
ほぼ脳内に万物の成り立ちについてのアウトラインを持つクルルにとって、必要なのは原理や手段そのものではない。
何より貴重だったのは、物をイメージから形にするための「時間」である事に気付く。
全くのゼロから通信機ひとつ使用可能にするために費やした時間、そして手作業に消耗した体力。更にこの過剰な湿度と気温は、充分彼を疲れさせた。
力なく発信される微弱な信号。
長点と短点の単純な組み合わせによる、原始的なSOS。
全ての牙をもがれながら、果敢に逆境に喧嘩を売った今のクルルの姿に似ている。
そしてそれが唯一の小隊の命綱であり、希望であった。
誰でもいいから、さっさと拾いやがれ
俺様の頭脳が惜しくねェのか
気がつくと掌に汗をかいている。
明らかに手元が震え、目の焦点が合わなくなっている事に気付き、クルルははっとして立ち上がろうとした。
脚に力が入らない。
膝をついたクルルにケロロ、ギロロ、ゼロロの三人が振り返る。
しかし、当のクルルはそれにすら気付く事なく、そのままじっとりと湿った床に倒れた。
六日目、クルルが発病した。
シンと静まり返ったテントの中に、いつまでも雨音だけが響いている。
「つくづく、これまで運がよかった事を痛感するな」
ギロロが溜息を吐く。
一個のスープ缶を三人で順繰りに回しながら、病床の二人を窺う。
「敵のいない戦争……か。これほどストレスが溜るものだとは」
ゼロロはタママの額に置かれた濡れタオルを返した。
濡れタオルとは言っても、飲料水にする清浄な水に浸したものではない。
倒れた二人のためにできる事が、時間を追う毎に限られていくのが、ゼロロには恐ろしかった。
「しかし、このままでは埒が開かないよネ。……我輩、後でもう一度周囲を偵察に行ってくるであります」
「偵察? この雨の中をか? 五里霧中だぞ」
「もし救援が来ても…… この状態じゃ気付かれないしね。何か手を考えないと」
艦は既に水底で沈黙している。
ケロロはこうなってしまった責任を感じている。
そしてこんな命令を下した軍本部にも、少なからず憤っていた。
「この任務、多分意味ないヨ。……年度も変わるし、予算調整のための作戦じゃない?」
「国の事情になんぞ興味はないが、歴戦の俺達を回す先を間違えているぞ」
「むしろ『だから』だと思うんだヨネ。今どこの戦況も均衡取れてて、限りなく休戦に近い小康状態じゃん。……なんかサ、我輩達みたいにあくせく勝ちにいく小隊って、今みたいな世相には歓迎されないっていうかサ」
ケロロはそれだけ言うと、吊るしてあった雨具を降ろそうと背伸びした。
「そんな膠着した状態が長く続いた試しはなかろう。せいぜい何十年といったところだ」
「ダヨネ。そうなったら我輩達、また急にかり出されて持ち上げられるんだろうネ。……ま、それも生き延びられたら、の話だけどさ」
部下を命の危険に晒した事が、思いのほかケロロを苛んでいる。
本来母星との間を往復するだけで完了した任務であったのだ。
表向き閑職に追いやる事のできない衆知のケロロ小隊を、誰もが納得する形で納めるべき場所へ納めるという茶番。
「そんな所へ帰ってやる事はない、馬鹿馬鹿しいよ」
沈黙していたゼロロが怒りを帯びた口調で吐き捨てる。
「我輩もそう思うでありますよ。ここにいるのが、……我輩ひとりだったらね」
ケロロは発熱し、荒い息を吐き続ける二人の部下に目をやった。