■憂鬱に至る病

 

 



ドロロが不調だという。
東谷小雪が数日前から寝込んでいるドロロを抱きかかえ、ケロロ小隊の本拠地である日向家へやって来たのは、週半ばの夕方の事だった。

「最初は食欲がないとか、ちょっと頭が重いとか、それだけだったんです。……でも、今日学校から帰って来たら、何だかとても弱っていて」
簡易ベッドに寝かされたドロロは目を閉じたまま、ぐったりとその身を投げ出していた。
「地球人の薬が役に立つとも思えないし、症状を見ても何の病気だかわからなくて」
優秀な忍である小雪はあらゆる対処療法を知っている。しかし、それはあくまで地球人のためのものである。

「ドロロ、しっかりするであります」
ケロロが耳元で呼び掛けるが、その声にすら反応しない。
クルルの前に置かれたモニターの反応も、心なしか鈍かった。
「ドロロ先輩、苦しそうですぅ……」
「ごめんね、ドロロ。こんな事になる前に、早くここへ連れてきてあげればよかったね」
小雪が涙を堪えながら言う。
「大丈夫よ、小雪ちゃん。冬樹に頼んで今スターフルーツも買いに行ってもらったから。……アレ、ボケガエル達の星の成分が沢山入ってるんだって。だからきっと効くわよ」
夏美が俯いた肩を抱くようにすると、緊張の糸が切れたのか、小雪が泣き出した。




真夜中。

ドロロはまだ目覚めない。
これまで瑣末事にしか使う事のなかった基地の医療施設の機器が、今はドロロのために煌々と液晶を光らせていた。
クルルがその前に陣取り、モニターとドロロの顔を交互に見比べ、眉間に皺を寄せる。
小雪は床の上に膝を抱えたまま、うつらうつらと居眠りをしていた。
肩にかけられた毛布は夏美からモアに託された物で、澄んだ青の柄はちょうどドロロの瞳の色を思わせた。

 ドロロ。
 わたしと同じ、友達を作るのがとってもヘタ。
 だからわたしとドロロは郷を出るときに約束を交したんだったよね。
 わたしたち、寂しい者同士が慰め合うような関係にだけは、ならないでおこうね、って。
 わたし、ここで夏美さん達と友達になれて、とっても嬉しかった。
 ……ドロロは懐かしいお友達と会えて、幸せだった?

ドロロの小さく丸まった背中は何も答えない。
小雪はどうしていいかわからず、その場に立ち尽くした。

闇は重く降り積もり、足下を埋め、小雪とドロロを覆い尽くすように視界を黒く染めていった。



自分のくしゃみで短い夢から覚めると、悪夢のような一日はまだ続いている。
クルルがまだ忙しく動き回っているのを、小雪の夢うつつな目は、既に見慣れた光景として認識していた。

「クルル、さん」
クルルは答えない。
細かく切られたスターフルーツは手付かずのまま、ワゴンの上に置かれている。
寝入る前に一欠片か二欠片口に含ませたが、ドロロは力なく首を横に振っただけであった。
「……クルルさん、天才なんでしょ? ドロロは助かるんでしょ?」
クルルが振り返る。
「さあな。……ま、どうせギロロ先輩が馬鹿の一つ覚えで、宇宙ケルベロスの肝を手に入れる交渉に行ってるだろうから、そっちを頼った方がいいかもな」
口調は普段と変わらないが、さすがにクルルの表情にも疲れが見える。
「ドロロ……。ドロロのお友達、みんなドロロのために頑張ってくれてるよ。……ドロロは忘れられてなんかいないのに」
スターフルーツのためにMGガンプラ代を犠牲にし、隊長の務めだと言ってずっと傍についていてくれたケロロ、せっせと西澤家に連絡をとり、全世界のありとあらゆる民間療法のデータを取り寄せたり、湿度を少しでもケロン星に近付けるために降雨部隊の派遣を依頼してくれたタママ。
「こんなに大事なときに起きてないなんて、ほんとにしょうがないね、ドロロ……」
小雪は眠るドロロの額に頬を寄せる。
「元気になったら、みんながドロロのこと心配してた話、してあげるね」
ドロロの目蓋は重く閉じられたまま、動かない。



クルルは病室から出て、大きく伸びをした。
これまでの経過を観察して、朧げながらにドロロの不調の原因が掴めた気がする。
その直感が正しければ、小雪が心配するように、今すぐに命が左右される事態というわけではない。
「先輩にゃ、休養が必要なのかもな」
長い溜息が吐き出される。

「クルル、さん」
いつのまにか背後に小雪がいた。
いけね。
小雪もまた常人の何倍もの鋭敏な感覚を持つ、優秀な諜報部隊の末裔であった事を思い出す。
「休養が必要って、どういうことなんですか?」


「何でもねェよ。ドロロ先輩はもう少しだけ眠らなきゃならねェって話だ。あんたが心配するように、命が危ないとかそういう次元とは違うぜェ」
その口調は普段のクルルと寸分違わない。
しかし、その語尾のほんの少しの乱れに、小雪はクルルの感情の揺れを見い出してしまう。
「どういうことですか? クルルさん、ドロロのこと、何かわかったんですか?」
チッ。
今度はあからさまな舌打ちが返ってきた。
小雪の前では隠すことができないと踏んで、無駄な誤魔化しを放棄したらしい。
「そんなこと知ってどうすんだ。あんたは地球人、俺達は侵略者なんだぜ」
「ドロロはわたしの大切な友達、です」
「いつまでもそんな悠長な事、言ってられるかね?」
クルルの聞き慣れた不快な笑い声。
しかし、小雪は揺らがない。
そもそもドロロとの関係は、揺らぎようのない心の密約で成立している。
あれほど友達を欲しがって、それでも決してお互いに傷をなめ合う事だけはしない、それは友達に求める事じゃない、そう言い交わしたドロロとの関係。
きっとドロロもわたしに、同じ真摯な気持ちで接してくれていたと思う。
わたしにはわかる。
わたしも長い間、そうして共に歩ける友達を探していたから。
「……中学生日記かよ、先輩もあんたも」
小雪のまっすぐな視線から外すように、クルルは顔を背けた。
「……だがなァ、あんたのその感傷と、先輩の感傷は少し種類が違うぜ」
「……?」
クルルは再びドロロのいる病室へ戻るべく、踵を返す。
「仮説に過ぎねェが、後味悪い話だぜェ。……それでもあんた、聞きたいかい?」


友達という言葉に対し齟齬がある事を、小雪は想像した事もなかった。
クルルがこれから話すのがそういう類の話だったら、少し悲しくなるかも知れない。
しかし、それでもこれまでドロロとの間にあったものが無くなるわけではない。
小雪はドロロの寝顔を見ながら、額に浮いた汗を拭ってやる。
「あんたら地球の諜報部員は、皮膚感覚を常人の何倍も研ぎ澄ます訓練をしてるんだっけな」
クルルの話は唐突に始まった。
「この先輩はそれにプラス、感情面でも相当負担をかけられてるみたいだぜェ」


空調の音が変わる。
盛んに動いていたファンの癇に触る音が消え、辺りは静寂に包まれた。
「感情面? ドロロが悩みやすいとか、そういうことですか?」
「多分、そこばかり攻めたてられたんだろうな。だからあんな歪な波形になるんだ」
「……?」
「ホラ、きれいな球形をひしゃげさせて、原形を取り戻そうとする力だけを得る、みたいなもんだろ」
「わたしにもわかるように言ってください」
「悪イな、解り辛かったら断片だけ拾ってくれ」
小雪は対話をする気があるのかないのか、ひとり先走るようなクルルに戸惑いながら考える。
『元の形を取り戻そうとする力だけを得る』
誰が? 
その主語はどこにある?
「核心だけ言っちまえば、ドロロ先輩は軍に洗脳処置を受けてる、ってこった」

「せんのう……」
小雪は眠り続けるドロロの顔を見る。
「オレ達長命な種族は進化の過程でいろいろ捨ててきたモノが多い、ってことだ。暗殺部隊なんつー、原始的な感覚に頼らなきゃならねぇ部署を作るには、先祖返りさせる必要があったんだろ?」
ずげずけと物を言うクルルらしくもない、奥歯に物が挟まったような、持って回った言い回しの理屈が、ようやく腑に落ちた気がする。
おそらく突き止めた先にあったのは、クルル自身にとっても、不快な結論だったに違いない。
「弱い部分を徹底的に突ついて、常に傷口を新しく保っておけば、鋭敏さは保てるからな」
「そんな……」
「つまり防衛本能の強化、だな。あちこち痛ェと、触りに来るヤツをぶん殴りたくなるだろぉ?……ドロロ先輩はたぶん、周囲360度が自分を壊そうとする敵だと、深層心理に刷り込まれてるぜ」

友達。
あんなにドロロが求めている、友達。
もしかしてわたしもドロロの中では、ドロロを傷つける存在として映ってたの?

「影が薄いだの、目立たないだのも、そういうニセの防衛本能から、自分で気付かず何らかの術を施してる可能性も考えられるよなァ。……全くトラウマの悪循環だぜェ」
「……」
「今回の不調は、そんな精神操作の結果である過剰な防衛本能に、本来の人格が抵抗した結果だってのが俺の解釈だ」

傷つきやすい繊細な心を利用され、突出して戦闘に必要な感覚だけを研摩させるために施された精神操作。
それに逆らうには、想像も出来ない苦痛を伴う事だろう。
だからこそ、クルルは『休息が必要』だと言ったのだ。


「……でも、……諜報部隊としての……忍は…… あらゆる感情を捨て去るように教育されるんです…… 感情を人工的に昂らせるなんて、何だか矛盾してませんか?」
小雪は敢えて『暗殺部隊』という言葉を避けた。
「そりゃ、哲学や思想なんつー学問が未だに形骸化しきってない、短命な地球人故だろぉ? そう言うとあんたら俺達を『鈍感』とか言って嗤うんだろうがなぁ、鈍感上等。俺は些細な事で悩み抜いて、長い寿命縮めるなんて、まっぴら御免だぜェ」
小雪はクルルの口調がだんだん投げやりになっていくのを感じていた。
その言葉の端々には、何事にも超然と傲慢に接するクルルの、静かで秘かな怒りが秘められている。
しかし、ここで対話を終えてしまうわけにいかない。
おそらく、このまま終われば二度とクルルはこの事について口を開かないだろう。
「じゃ、ドロロはそんな状態で、暗殺……」
「取り立てて新たに洗脳を施さなくとも、任務のたびに精神的外傷が追加されていくって事だな。研究者にとっちゃ一石二鳥、金もかからねぇ。……俺様以上に不愉快な事を思いつく所だぜェ、あそこは」
小雪は今立っている足場が、急激にぼろぼろと崩れていくような気がした。


小雪には暗殺の経験はない。
しかし、系図をニ代も遡れば、明治・大正・昭和と激動の歴史の裏で暗躍した祖先に行き当たる。
彼等もまた、己が機械である事を自覚し、そう思い込もうとするだけの葛藤も、少なからず抱えていただろう。

でも、感情を捨て去る事を許されなかったドロロは。

「あんた、この前地球へ来たケロン軍のゾルル兵長を憶えてるかい?」
あまりの話に呆然としていた小雪を、クルルの声が現へ引き戻す。
「……ドロロのこと、追ってきたって言ってた……?」
「あれも何らかの操作の結果臭ェぜ。タネは別にあったとしても、怨恨の感情だけが肥大するよう増幅されてるんじゃねぇか?」
「そんな……」
「鈍感なヤツにアサシンは務まらねェ。敏感に人心の機微を読めたり、緻密に周囲の動向にアンテナを張れるヤツが求められる。……で、繊細なヤツを募って洗脳って訳だな」
「……」
「常人ならそこで壊れる。気が狂う方が楽だろうしな。俊敏な肉体能力を誇るヤツは多い。だが精神に施される操作の末、死屍累々って訳だ。……その位、暗殺兵を作るのは難しい。ドロロ先輩はひとつの奇蹟だったんだろうよ」
クルルは長い息を吐き、椅子の背に凭れた。
小雪は俯いたまま何も言わない。いや、言えない。
ただ涙が溢れ、流れ落ちていくのに任せる。


ドロロはおそらく自分に施された精神操作に気付いている。
だからこそ、あれほど「心」にこだわる。
強い心、それは過剰な防衛本能に塗り込められようとする自分の大切な部分を護る砦。
しかしそれこそがドロロを、壊れる事のない強靱な暗殺兵として成立させてしまう。
クルルが溜息と共に吐き出した『奇蹟』という言葉は、あまりに重い皮肉であった。

小雪は彼が特殊部隊に入った理由を、言葉少なに語るのを聞いた事がある。

 拙者は初めて暖かい心で接してくれた隊長殿やギロロ殿に報いたかったのでござる
 拙者の力が皆の役に立てるなら

友達は依存するものじゃない、そう答えたドロロ。
後をついて走るんじゃなくって、一緒に走りたかった、そう言って笑ったドロロ。
ドロロから学んだ事は山ほどあったよ。
わたしはドロロがどんなでも平気。
ドロロが自分を護りたい本能に負けたくなったなら、わたしは殺されてもいい。
 
 だって、わたしにはドロロが初めての友達だったから
 
小雪は涙を拭い、ドロロの力なく投げ出された手を握る。
その手を額につけ、まるで念を送るように祈る。


クルルは背を向け、モニターに映し出されるデータを読むふりをする。
ワゴンの上のスターフルーツは放り出されたまま、すっかり乾いていた。
クルルはそれを一片摘み、口に入れる。
これ以上気持ちを滅入らせないための、アッパーなサプリメントを身体が要求していたらしい。




目が覚めると、辺りは静寂に包まれていた。
光の差し込まない地下基地だが、小雪にはおおむね正確な体内時計がある。
「……あれ?」
モニター前の椅子に姿が見えなかったクルルは、どこから持ってきたのか、床の上で新聞紙に包まって眠っている。
「……ドロロ」
ドロロの寝顔は昨夜より安らかになっており、小雪はほっとして握ったままになっていた小さな手を離した。
モニターは静かに、ドロロの規則正しい生命活動を映し出している。
「よかったね、ゆっくり休むといいよ。……わたしはどんな事があっても、ずっとドロロの傍にいるからね」
その額を撫で、小雪は少し微笑んだ。



その直後、喧噪は歩いてやってきた。
「おいクルル! 手に入ったぞ! もうすぐ保護が始まる貴重な宇宙ケルベロスの肝だ! ドロロの具合はどうだ?」
昨夜から姿を見せなかったギロロが、大きなアイスボックスを手に病室のドアを開け放った。
万病に効くと言われるそれを入手する過程には、相当の苦労があったらしい。その満身創痍な姿を見ればわかる。
しかし、一晩が経過した後の部屋の中と外では、奇妙な温度差が出来てしまっていた。
「……先輩、相変わらず空気、読めねっスね……」
「な、なんだ貴様ら、その緊張感のない顔はどうした。……というよりドロロ、お前、回復したのか!?」
そう、ギロロが指摘するまでもなく、ドロロは少し窶れた顔を見せながら、ベッドの上で上半身を起こしていた。
「ありがとう、ギロロ君。小雪殿やクルル殿も……」
その言葉が合図だった。
小雪がドロロの身体を持ち上げるように抱きしめる。
「ドロロ〜、元気になってよかったねぇえぇ!」
「こ、小雪殿!」
ドロロに起こった過去の出来事は、心の結びつきを信じる小雪を決して怯ませない。
そして小雪は決して怯まない。
「みんなも、わたしも、すごく心配したんだよ〜!」
「こ、こ、小雪殿、く、くるし……」
力いっぱいドロロを抱きしめ、潤いを取り戻した頬に自分の頬をすり寄せる小雪。
俄にざわついた病室に気付いたケロロ、タママと、日向姉弟が飛び込んでくる。
さめざめと泣く小雪の腕の中で目を白青させているドロロは、まるで病状が更に悪化した挙げ句の、瀕死状態に見えた。
「オイオイ、せっかく回復したのに、また寝込んじまうのかよ……」

その後、窒息寸前だったドロロの全快に、宇宙ケルベロスの肝が大いに役立った事は言うまでもない。


「あんたらの大事なモンは俺にゃわからねぇ。だがな、先輩の中味を弄り回した連中には俺も少しばかり因縁があるからヨ」
二日後、ようやく完全回復したドロロと共に、住処へと帰ることになった小雪に、クルルが声をかけた。
「……因縁?」
「ここから先ははプライバシーの領域だぜェ。……ま、癪に触る連中の鼻を明かしてやりてぇからな。先輩の洗脳を解くキーを見つけて、俺が不愉快なヤツNo.1の座に返り咲いてやるぜェ」
それはクルルらしい言い様であった。
「ありがとうございます、クルルさん」
「礼には及ばないぜェ、俺様を動かしてるのは、ただの怨みと悪意だからな。あんたらはせいぜい清らかなお友達ごっこを楽しんでな」
怨みと悪意。
その言葉は小雪の中の勘を刺激する。
ドロロとケロン軍本部、そしてクルル。彼等をひとつの輪で結び付けるものとは何なのだろう。
ざわついた不安を胸に抱えたままの小雪をその場にひとり残し、クルルは自室へと引っ込んだ。



「小雪殿、どうしたでござるか?」
皆から有難迷惑な全快祝いを手渡されたドロロが、大荷物を抱えてよたよたと小雪に近付いてきた。
「ううん、何でもないの。それよりすごいね、それお友達にもらったの? よかったねぇ!」
「あ……、これ? ……気持ちはありがたいんだけど……」
ドロロが抱えた箱には「ガンダムマーカー用ペンスタンド」「卓上バナナ吊り器」「SM-23(通称:えすえむにいさん)グレネード宇宙戦仕様」等、それぞれの趣味丸出しの印刷が踊っている。
しかしその個性がぶつかり合って火花を散らすような、小隊の雑然とした賑やかさ、明るさが頼もしかった。

 ドロロには、たくさんいいお友達がいるよね。

「ね、ドロロ、この間から急に季節が変わったから、熟した実を付けてる木があるかも知れないよ」
小雪は久しぶりに外の空気を吸い込み、深呼吸しながら言う。
「秋の山を散策するのも一興でござるな」
荷物を抱え、小雪を振り返ったドロロの笑顔。
小雪もまた、思いきりの笑顔を作って頷いた。
「じゃ、みんなのお礼に何か探しに行こうか」
「御意にござる」


真昼の二人の影は短く、小さく、まるではじめからひとつであったように重なった。


                    

                        <終>