■毎日記念日
今日も今日とて、ケロロ小隊の会議室では侵略作戦会議が開かれている。
今回の議題は例によって『地球文化への干渉』であり、『地球資本の流出』を狙った作戦であった。
「……というわけで、地球人は大変祭り好きであります。しかし祭りとは簡単に言えど、古来より伝わる祭りの類に新期参入するのは難しい。幼い種である地球人にとって、我々の文化はまだ理解し難いでありますからな!」
声高に演説するような調子の隊長を熱心に仰ぎ見るのはギロロ。
幾度となく裏切られても、やはり侵略という任務に精を出すこの男を見るのは嬉しいのである。
「そこで考え方を変えて、宣伝戦略で現代生活にマッチした若年層にアピールするライトな祭を考案し、経済面から攻めていこうという作戦なのであります!」
おお、おお、今回は何となくイケそうだ。
いつになく言葉に説得力がある…… ような気がする。
ギロロの胸には既に熱いものが込み上げている。
「あー、モア殿!」
「はい、おじさま」
モアがモニタのスイッチを入れると、そこにはデパートの食品街が映し出された。
「これが何だかわかるかね? タママ二等!」
「えっ? えーと……」
タママはじっと画面を見る。そこには長い巻き寿司を買い求める主婦の姿がある。
「太巻き、ですか?」
「そーう! これは恵方巻と言って、節分に売り出される祈願と厄除けのための太巻きであります」
「ええー、軍曹さん、もう節分なんかとっくに終わっちゃいましたよぅ?」
タママの答えは既に予想の範囲内であったらしい。
ケロロは人さし指を左右に振り、目を細めた。
「チッチッチッ、まさかタママ君、我輩のアイディアを『節分に太巻きを作って売る』なんつー、地球文化をそのまんまパクったつまんない作戦だとでも?」
「えー違うんですか!?」
「あったり前だヨ〜。我輩の話はまだ途中であります!」
では、ケロロの言いたい事の概略とは何なのか。
「あー、我輩、この恵方巻きについて調査したところによると、この風習、意外と新しいという事がわかったであります。大元になった祭事は一度廃れているものの、ここ数十年で見事復活を果たし、しかも一部地域でのみ行われていたものが、今では全国区へと広まった。何故か。全てはイベントに結びついた宣伝が齎した結果であります! この功罪とも言える広告の恐るべき効果について我々もよく学び、利用すべきだと、そう思う訳でぇ」
ゴホン、と咳払いするケロロ。
「さすが僕の軍曹さんですぅ! 何だかよくわからないけど、すごいみたいですぅ!」
感激のタママ、そしてもうギロロは涙を堪えない。ようやくここまで来たかと号泣している。
「全ては宣伝、広告の力。そしてそれを持って我輩が今回提案するのは!」
提案するのは何だ! 何ですかぁ!?
そうギロロとタママが身を乗り出すのを狙ったようにケロロがニヤリと笑う。
「新しい記念日をこの国に広める事であります! 名付けて『カラーデー作戦』!」
カラーデー作戦とは何か。
つまりはバレンタインデーのお返し行事として広まった、翌月14日のホワイトデーという行事を更に拡大し、毎月14日に別々の色の記念日をデッチ上げ、その都度売り出すギフト商品を考案するという作戦である。
「だからさ、これまで既にある記念日に乗っかっての作戦だからうまくいかなかったって事ヨ! だってチョコの日に団子買ったりういろう買ったり、なかなかしないじゃん!」
いや、そもそもそれを提案したのは貴様だ。
何となく作戦内容に不安を覚えるギロロがそれをストレートに口に出してみる。
「ああ、それはわかった。が、例えば一体、何をどうする気だ」
ただでさえバレンタインデーやホワイトデーという言葉には、最近ついたばかりの精神的外傷がまだヒリヒリする。
「ん、だからさ、既によその国じゃ『ブラックデー』とか、そういうのあるけど、この国にはまだないみたいだからサ」
ブラックデーとは。
韓国だかが発祥の、バレンタインデー、ホワイトデーに縁のなかった、もてない男性のためのイベント日らしい。
話によると、そういう寂しい人々が黒い服を着て集まり、ジャージャー麺やコーヒーを飲むという、いまひとつ明るさに欠ける、悲壮な空気の漂う祭であった。
「なんか景気が悪そうですぅ……」
「結局二番煎じか!」
不安げな表情丸出しのギロロとタママを他所に、再びケロロは涼しい顔で指を振って見せる。
「んだからさァ、全く同じのじゃなくってさ、何かもっと別の内容を考えてさぁ」
「別のってどんなのですかぁ?」
「んー、じゃ対抗して、できあがったカップルのための日にするとか!」
「ちょっと待て、バレンタインデーやホワイトデーをきっかけに纏まるカップルなんか、そんなにあるのか!?」
精神的外傷のカサブタを力いっぱい剥がされそうな予感に、ギロロはそっと横を見るが、件の男は音楽プレイヤーをヘッドホンに繋いでいるらしく、こちらには無関心だった。
「そりゃ逆に考えればいいんでありますよ。ほら、クリスマス前になれば『とにかく纏まっとけ!』みたいな感じじゃん。この記念日が世間に広く流通した暁には、皆妥協しまくり譲りまくりで糊みたいにくっついちゃうって! すっごい経済効果が期待できるよぉ〜?」
そんな自転車操業的な気楽な考えで果たしてよいのだろうか。
ギロロの中に不安が過る。
「でね、我輩が考えてるのは、ほら、温州ミカン! あれって冬場安いじゃん。アレを宇宙冷蔵庫で保存して、ジュースにしたのを『初々しい恋人のための甘酸っぱいオレンジジュース』として売る! 名付けて『オレンジデー』!」
「うわぁ、それなら元手も安くすみそうですね、さすが軍曹さん!」
「ゲロゲロリ、これが我輩の底力って奴であります! 愚かな地球人共、我輩の掌の上でオレンジジュースを求めて精々這い回るがよい!」
……いいのか、本当に?
本当にそれでいいのか!?
ギロロの胸にはとてつもない不安の予感だけが広がっているのだが、タママはまるで何も感じていないようで、ケロロの作戦を絶賛している。
「ンじゃ、決取るよ、ケツ!」
その言葉はよせ、精神的外傷が痛い……
そう言おうとするギロロの逡巡は無視され、欠席のドロロを覗いたタママと、音楽を聴きながらのクルルの、二人の挙手が確認された。
―――――その後。
4月14日を目標に作戦は本格始動した。
ストックされていた箱買いミカンは、数パーセントの黴ものを含んでいたとはいえ、ほぼ在庫良好でジュース生産には打ってつけである事が確認された。
あの日やる気なさげだったクルルもまた、ジュース製造マシンを鋭意製作中。
ケロロは店内テーマを『君にジュースを買ってあげる』に定め、町中に貼るポスターの作成に入った。
タママもモアも、ドロロまでもが「前向きな作戦」ということで、生き生きと働いている。
この状況を傍観しながら、ギロロは胸に過った例の不安を、そろそろ払拭すべき時が来たかと感じていた。
いや、油断は禁物だ。
今回の作戦、いつになくうまく行き過ぎる。
……こういう時は何か。
過去の負の遺産が蓄積されるにつれ、後ろ向きな想像ばかりが積み重なるギロロの心中。
それは果たして杞憂なのか否か。
時は流れ、ついに4月14日の朝がやってくる。
「あまった試作品でありますよ〜! ギロロどう、飲んでみる? 試飲を兼ねてサ!」
早朝から嬉々としてケロロが缶ジュースを手渡そうとするのを、ギロロが思わず拒否してしまったのは、過去二度の災厄が過ったからだ。
「なんだよーけち、美味しいのに! ……じゃこれ、冬樹殿にあげよっかな。ふーゆーきーどーの!」
ギロロの不安は思い過ごしであったらしく、缶を開けた冬樹は美味しそうに飲み干し、笑う。
「うわぁ、温州みかんの味だね。美味しい!」
「でしょでしょでしょー? 我がケロロ小隊の自信作であります!」
胸を張るケロロの姿に、これまで疑念ばかりを抱いていた自分を恥じてしまうギロロであった。
そこへ夏美がやってきた。
「何? ジュース? あたしにもちょうだい!」
「どぞー!」
ケロロが手渡すオレンジジュース缶。
これはバレンタインデー、そしてホワイトデーで互いの気持ちを確かめあった恋人達のためのジュースである。
そして今日は今後記念日として定着させる予定の『オレンジデー』。
そう思うと、ギロロは今日この日に、夏美にジュースを自分で手渡せないのが残念で仕方がない。
しかし、作戦が軌道に乗り、来年の今日が記念日として認識されるようになるならば、その時こそは。
気持ちが別方向へと昂ったその時であった。
美味しそうに試作品のジュースを飲み干した夏美が笑顔で言う。
「そういえば今日って、愛媛県だかが決めた『オレンジデー』よね」
思わず「エ?」と振り返るケロロ。
固まるギロロ。
傍で様子を伺っていたタママ。
缶を取り落とすドロロ。
当然、作戦は極秘に進められた。
『オレンジデー』の企画の事など、夏美は知る由もない筈である。
「……な、夏美殿、い、今……なんて……」
毎日その言葉を聞き過ぎて、空耳までが聞こえる様になってしまったかとケロロが震える声で尋ねる。
願わくば、間違いであってほしい。
あんなに自信満々で考えた、我輩の素晴しいアイディアが…… 丸…… 被りの……
ただの…… にばん…… せんじ……
「何って恋人達の『オレンジデー』でしょ? まだあんまり広まってないけど、記念日協会とかにも登録されてるって、この前623さんのラジオでも言ってたじゃない」
協会登録。
ということはそのまんま、オマージュ&インスパイアどころの話ではなく、更にヤバい事になってしまう。
もし訴訟沙汰にでもなれば、不法滞在&不法就労の宇宙人には到底勝ち目はない。
いや、そもそも地球の、この国の法律は宇宙人である自分達に適応されるのか?
ケロロの頭は激しく混乱し、突然の作戦の亀裂に動揺するだけである。
脳裏に浮かぶのは、地下基地に山と積まれたジュースの在庫。
更にまずいことに、御丁寧にも缶には『オレンジデー』の名前が入っている。
夏美と冬樹が「ごちそうさま」との言葉を残し、去った後には、見るも無惨に冷えきった雪原の雪像のような小隊メンバーが残された。
結局こうなったか。
ギロロはあまりのショックに発熱し、部屋へ隠ってしまったケロロを見舞った後、基地に置かれた在庫の缶ジュースの箱を見上げ、溜息を吐いた。
今回の作戦の目の付けどころは悪くなかった。そう気休めを言ってきたものの、よく考えればこれまでの作戦と大差はない。
しかし、ギロロには今朝の夏美の、美味しそうにジュースを飲み干す姿が焼き付いていた。
作戦の中止は残念だったが、内容自体は悪くなかった。
今日はどちらにしても『オレンジデー』。
ギロロは手近にあった商品の入った段ボール箱をナイフで開き、中からジュースを一缶取り出す。
恋人達のためにある日。
恋人達が揃ってオレンジをどうするかは謎だが、こうして夏美と同じジュースを飲むという行為が、かけがえのない幸福な事に思え、ギロロはそんな自分の感傷に赤面してしまう。
これを同じ日に飲むという事に、きっと意味があるのだ。
そう思えば思うほど、心臓は高鳴り、体温も上昇する。
まるで作戦遂行のためにあるこの場所で、孤独な秘め事を行うかのような緊張感に目眩がする。
意を決し、プルトップを引き。
間接キスのように、震える唇を缶につけ。
仄かに醸されるのは、香り高い、温州みかんの優しい甘さ。
目を閉じて舌で味わう、甘酸っぱい、恋の味―――――
突然、うっとりと閉じられていたギロロの目が見開かれる。
……甘酸っぱい恋? いや……これは……
……この味は、どちらかというと……
後味がピリピリと舌を刺激する、……身体を突き刺す情熱の……
確かにそれは香り高い飲み物であった。
しかし、何かが違う。
それはつい最近味わった、おそろしく記憶に新しい味である。
例えようもなく美味でありながら、禍々しい記憶に直結する、まさに精神的外傷に繋がるスパイシー&ジューシー。
思わず手の中の缶を取り落とすと、中からほどよく煮込まれたニンジン、ジャガイモ、タマネギが黄色い液体と共に散乱する。
「……あー、勿体ね。全部食えよぉ、先輩」
ギロロは声の聞こえた背後を振り向こうとして、振り向く事ができない。
「……オレンジデーは既にあるって、調べがついちまったからな」
背筋には確かに、薄暗い段ボールの林の奥から、忌わしいオーラがヒタヒタと辿り着いている。
「……急遽俺様が機転を利かせて、中味を取っ替えといてやったぜぇ」
その気配の正体は既にわかり過ぎる程わかっていた。
「特製のカレースープ、試作品のオレンジジュースより旨いんじゃね? 今日は『イエローデー』として宣伝のし直しだぜェ」
ギロロは自分の中に、モニュメントのごとき新たな精神的外傷が追加された事を知る。
―――――『スープ缶がいいぜと俺様が言ったから、4月14日もカレー記念日』
その後のギロロの運命については特筆するまでもない。『例によって、例のごとく』である。
では、急遽変更された『オレンジデー』もとい『イエローデー』はどうなったか。
実はこの『イエローデー』もまた翌月5月14日、実際に韓国で行われている「その日に黄色の服でカレーを食しないと恋人が出来ない」とされる、孤独な男の最後通告のような行事が存在する事が明るみに出てしまい、没になった。
そんな訳で、今も基地にはカレースープの缶がぎっしりと箱に詰められたまま、いつ来るかわからない出番を待っている。
ちなみにあれ程『毎日がカレー記念日』を豪語して止まないクルルが、5月14日にはカレーを食べなかった。
理由は『恋人はもういるから』だそうである。
<終>
*このまえホワイトデーもののネタ探しに色々調べて初めて「ブラックデー」だの「オレンジデー」だのを知りました。世間の知名度はどのくらいなのでしょう。