■2008年・白い白い日
〜裏の『SWEET BITTER CHOCOLATE』に関連して〜







「何クルル。なんか用なの?」
日向夏美の怪訝そうな視線の先には、黄色のケロン人が佇んでいた。
「ほらよ、今日はホワイトデーなんだろ?」
そう言って差し出された手には、小さなプレゼントの袋がある。
「ホワイトデー? ま、まあそうだけど、なんだかあんたに言われると怪しいのよね……」
「チッ、信用ねえな。今回は俺様的にはちーとも面白くねぇけどよ、あんたにくれてやるぜぇ」
「あ、ありがと」
夏美はまだ疑わしい目をしたまま、包みを受け取る。
彼女はまるで中味を開けて確認することすら不味い事のように、即座にポケットにしまい込んだ。
「言っとくけど、326絡みじゃねぇからな」
「えっ326先輩!? ちょっと何言ってんのよあんた!」
夏美の顔が途端に真っ赤になる。
余計な一言を継ぎ足さずにはいられない。そういう性質にクルルは自分で笑ってしまう。
そう、それは夏美が恋焦がれる326の返信などではない。
そして夏美に恋焦がれる、クルルの胸奥に刺さって長い棘のような存在に関わるものでもない。
「それは紛うことなき、俺様からのプレゼントだぜぇ。心して味わいな」
そう言って踵を返した黄色の宇宙人を、不思議そうに夏美が見ていた。




中味はクッキーとキャンディ。
怪し気な宇宙産というわけでもなく、すぐ近場のコンビニでも買える平凡な品物だった。
ソファに座ったまま夏美はそれらを手に取り、眺める。
「……へんなの」
これまで義理チョコを配って、クルルから返ってきたものは碌でもない品ばかりだった。
「あいつ、どういう心境の変化なんだか」
テーブルの上に並べたそれらを突きながら、夏美は首を傾げる。
「今年は326先輩にもチョコ、結局渡せなかったのよね……」




おそらく日頃の言動から、あれこれと碌でもない事を勘繰られているだろうとは思う。
それはむしろ望むところだ。
そして自分の真意などおそらく誰にも理解などされないだろうという事も、痛いほどにわかっている。
クルルは自室にて、今しがた日向夏美に渡したものと寸分違わぬ包みを玩びながら自嘲する。

「何だそれは」
やってきたギロロが不思議そうにクルルが持っている包みを見つけ、言った。
「あー、あんたにもやるよ」
一呼吸も置かず、放り投げられたそれを受け取り、ギロロは不思議そうな顔をした。
「これと同じ物を、夏美が持っていたが…… おい貴様、まさか夏美に何か」
「何もしてねぇよ」
両手を上げ、クルルは笑う。
「ホワイトデーのお返しだろ? あんたにもらった今年の『本命』とやらと、ソレの製造元に」
「余計な事を!」
「あ、日向夏美にゃ何も言ってねぇぜ。326への渡し損ねなんざ庭に穴でも掘って埋めとけとか、酒の入ったやつは先輩食えねぇから止めとけとか」
「クルル!」
のらりくらりとした台詞をギロロの一喝が止める。
「いいんじゃねぇ? たまには裏のない好意を示して気味悪がられるのも楽しいぜェ」
「裏……?」
椅子に座ったままだったクルルが唐突に立ち上がり、ギロロの方へつかつかと近付く。
そしてまだ言いた足りなさそうな表情を余所に、赤い身体を押すように部屋から追い立てる。
「ハイハイハイ、今日はあんたにも用はねぇ。帰った帰った」
「お、おいクルル! オイ!」
「んじゃなー」
目の前で扉は閉じられ、その日は二度と開く事がなかった。
「……いったい、貴様…… ナニを考えて……」
手にクルルから手渡された小さな包みを下げたまま、ギロロは途方に暮れる。




―――――今の俺の気持ちなんざ、どうせ誰にもわかんねぇよ。

一人きりになった自室の中で、クルルは大きな溜息を吐く。
しかしそれは悲観ゆえの溜息ではない。
「むしろ、幸せ故ってトコか?」
そこまで楽天的な次元の話でもない。未だに取り除かれない棘はそこに刺さったままだ。
しかし、積み重ねられた物事の連鎖が今の状況を作り上げてくれたと思うと、クルルは日向夏美という複雑な存在に、どこか歯痒く思いつつも感謝せざるを得ないのだ。

 日向夏美がいなきゃ、あんた一生恋愛の機微なんざ、知らずに終わったかもな。

そしてそんな脆さを露にしている事にも気付けない、したたかな戦場の男にクルルは惹かれた。
隠し果せていると信じきっている哀れさを笑い、痛点をつついて恥に沈ませているうちに、一つ一つに傷ついては懊悩する無垢な魂に触れた。
心底愛おしいと思い、腕の中に抱いて苛んだり愛玩したいと願った。
ギロロとの間に一定の距離があればこそ、知れた自身の思いだった。

だからこそ、全てを手に入れて損をするのは自分かも知れないとクルルは思う。
少なくとも一方向の愛情を全面的に注がれるという事は、他方に向けられていた別の
面が消滅するという事だ。
日向夏美の前で情けないまでに戸惑い懊悩する、可愛らしいあの男の姿を二度と見られなくなるという事だ。

 そりゃ、なにげに勿体ねぇような。

しかし、それでも叶わないままの願いは、切実に全てを欲して闇雲に手を伸ばそうとする。
まだクルルは、ギロロの全力の愛情をその身に受けたことがないのだ。

頭も心もまるで停滞したように機能しようとしない、ぼんやりと乾いた一日。
たった一人でクルルはこれまでにあった出来事を全て、頭の中の机上に並べるように思い起こす。
それらは思い出と呼ぶにはあまりに近すぎて、現実と言うには夢のように心許なかった。

「全く、なんて白々しい一日だ」
呟いてから、言葉の可笑しさに思わず何度も口の中で転がしてみる。
「駄洒落かよ」

そう、今日はホワイトデー。
胸の痛みに苦悶するほどに切なくはないものの、大声で叫び笑い続けられるほどには幸福ではない。
宙に浮いたまま、生殺与奪の権限を対象に丸投げしているような心持ち。
おそらくまだしばらくは、自分への審判は曖昧なままだろう。
それでいいと思う気持ちと、今すぐに1か0かを決定したいという急く思いが、クルルの中では常に鬩ぎあっている。

今年のクルルのホワイトデーは文字通り、まさに白い白い一日となった。
そしてクッキーとキャンディの持ち主もまた、意図を酌めないそれらを並べ、ぼんやりと一日を過ごしたことを彼は知らない。

                        
                       <終>







2008/03/15