■紫の煙突

 

 



「この前サ、ガルル中尉が来た時冬樹殿に聞かれて、色々思い出したんだけどサ」
「ああ?」
会議の後、ケロロが唐突にフって来た話を、ギロロは聞くともなしに聞いていた。
「我輩、友達の兄ちゃんの事、あんまり知らなかったよな〜、なんて」
「そうだったか?」
「うんうん」
ほんの十日程前、休暇中のガルルが来た。
父に頼んでおいた「炭水化物系植物/YMO-104号」を手土産に。
それは直後、ちょっとした事件の切っ掛けとなるのだが、大事に至る前に収拾がついた。
ギロロは久しぶりに兄と共闘する事になった、その日の事を思い起こす。


「で、聞かれて一体どう説明したんだ」
「それがさァ」
これと言って取り立てて思い出すエピソードもなかった事。
そして唯一脳裏に浮かんだ思い出を話し、いたくがっかりされた事などをケロロは手短に説明した。
「何を言ったか知らんが、じゃお前、秘密基地の話とか、忘れていたんだな」
「エー、ソレ何だっけ?」
他人にはそんなものだろうと思う。
ガルルのやる事にいちいち思い入れたり、羨望したり、嫉妬混じりの憎悪を向けたり、時には我が事のように誇ってみたり、過剰に突き詰めてしまうのは、兄弟という血のつながりだけが為す必然だろう。
越えるべき存在であり、越えられない障害でもあり、そしてどこかに越えたくないという複雑な思いも孕んだ兄との関係。それは物心ついてから、常にギロロの中で強く意識されてきた。
「ま、そう珍しくもないという事だな。俺も近頃の奴がどんな任務を帯びて、どんな事をしているか知らん」
「んー、でも中尉殿の事だから、きっとスゲー予算をつぎ込んだプロジェクトとかに噛んでたりするんじゃないの?」
「さあな。しかし奴にとっては大きな特命も小さい任務もさして変わらんだろう」
ガルルにとって受けた命令の遂行は、日々の営みにも等しい。
走れと言われれば走り、止まれと言われれば止まる。
当たり前の動作の中で、期待された以上の成果を上げる、それが兄である。
どんな難題も、ガルルの中で咀嚼され、消化された瞬間から実行可能となる。
そんな目に見えない信頼が積み重なって、今の階級と軍本部に於けるポジションがあるのだろう。
士官学校出のエリートと肩を並べて遜色のない、叩き上げのガルルの輝かしい戦歴と実力。
しかし、反面ギロロは自分と似た部分の多い兄に、危惧する面も少なからずある。
「え、何? 心配する事なんかないじゃん」
「奴も俺と同じで、意地っ張りだという事だ」
「……あー……」
そんな事で即納得されるのもどうかと思いつつ、やはり他人であるケロロすらが頷く一面なのだろう。

おそらく軍本部に敵も多かったに違いない。
あの気質では、官僚化した上層部と頻繁にぶつかった事だろう。
「生っ粋の現場人間だからな。水面下では気苦労も多かろう」
「……うーん、確かに……。中尉殿もなんか生真面目そうだしネ……」
そう、生真面目でありながら四角四面ではない。
兄が持つのは組織の腐敗や形骸化を憂い、そこへ染まる事に抵抗する、そういう種類の生真面目さだ。
見え過ぎる目がいかに厄介か、目や耳を塞ぎ、流れに任せて楽に生きようとする者に、いかに愚直に邪魔に映るか。
しかし、ギロロはそういう安逸な道を選択をしない、兄の清廉さを愛している。
「奴は俺よりずっと頭がいいから、強かに見せるのも上手い。だがな、決して器用者ではないから、無理をしている部分も多いように感じる」
「……ン」
「……そういう所は俺や親父にも似ている」
「逆っしょ? 親父さんやガルル中尉にギロロが似てんだって!」
ケロロは笑う。確かにそうだ。ギロロも笑う。
「でも、格好いいよネ。なんかシビレルって。……ホラ、男は黙って宇宙サッポロビール、みたいな」
「何だそれは」
例によってよくわからない例えだ。
「それにサ、頭のよさと世渡りとは別なんじゃん? ホラ、誰とは言わないけどサ、我が小隊にもすんげーヒネクレ者いるジャン」
「……あれと一緒にするな……」


何となく長話になってしまい、気がつくと立ち上がりかけた会議室の椅子に再び座っている。
「おじさま、お茶入れてきました。ギロロ伍長もどうぞ!」
ドアが開き、気を利かせてポットと湯呑みの盆を持ったモアが入って来た。
「おおモア殿、ご苦労様であります」
「すまんな」
「じゃ、ごゆっくりー」
再び辺りは静寂に包まれる。


「でもサ、ガルル中尉、何の音楽聴いてたんだろーネ」
茶をずずっと啜ったケロロが呟くように言った。
「音楽? 何の話だ」
「いやネ、この前冬樹殿に聞かれて、コンポ買った話を……」
「コンポ?」
今度はギロロが忘れている。
互いに印象の度合いが違えば、憶えている箇所も違うという事なのだろう。
ギロロは腕組みしながら考え込んだ。コンポ……
「ホラ、ギロロん家遊びに行ったら、すんげー重低音で何にも聞こえなくって、俺、何度も呼んで……」
「ああ……、何となく思い出してきたぞ。……まだ尻尾付きの頃か」
「ギロロ音楽の趣味とかないから、あんま憶えてなさげだヨネ。影響は受けなかったの?」
「……言われてみれば、そうだな。俺はどちらかというと親父の趣味そのまんま、だったからな」
幼い頃風呂に浸かりながら散々聞かされた、父の調子っ外れの軍歌。
それがギロロの音楽趣味に大きく影響した。いや、そもそもどちらかというと兄より自分の方が、父DNAをより多く受け継いでいる気がする。
「……軟派な趣味だからサ、意外って言や意外だったよネ」
ようやくそこまできて、そういう事があったのを思い起こす。
音楽、コンポ、重低音。
しかもそれが少しだけ甘酸っぱい、思春期の思い出にまで続いている事を、ギロロはたぐり寄せてしまった。


「ケロロ、あのコンポだがな」
「……ン? 何?」
目の前に置いてあった湯呑みの茶は既に冷めかけていた。
それを片手で取り、ぐっと飲み干した後、ギロロは少し笑いながら話す。
「あれが大音量だった理由を、お前は知っているか?」
「えー、何? 迫力重低音を聴くため以外に何かあるの!?」
期待感たっぷりに身を乗り出すケロロ。
そして下らないことこの上ない真相。
「……俺もあの頃はまだ子供だったからな。長い間気がつかなかったんだが…… 兄貴がアレを鳴らす時は法則がひとつあって……」
「何ッ、何!」

忘れもしない。
家中が揺らぐような重低音の中、宿題に必要な辞書を借りに隣室の戸を開けたあの日の事。
目に入ったのは整頓された机の上に置かれた、二つのタンブラー。
二人分の皿と、食べかけて放ったままの二つのケーキ。
―――――そして。

「ヒー! それって、もしかしてッ!」
既にケロロは話の展開を読んでいた。
笑う準備まで完了している。
「……多分貴様の想像で当たっている」

そう。
机にも、座布団にも、いつもいる筈の場所に兄はいない。
この様子では誰か客がいる筈なのに。
ケーキを放って、音楽をかけっぱなしで、一体どこへ行ったのかと部屋を見回し、自分の立っている場所から死角となっていたベッドの中で、知らない誰かと固まっている兄を発見した時の衝撃といったら。
「……兄ちゃん……?」
しかし幼かったギロロには、理屈が腑に落ちるまで長考を要した。
「……ギロロ、部屋へ入る前には、……ノックをしなさい」
「う、うん。ゴメン、……じゃあな、兄ちゃん」
よくわからないながらに、長居してはまずいという空気だけは伝わり、ギロロは慌てて部屋を出たのだった。

「ノ、ノックって、お前んち襖じゃん! ヒー面白ぇ!」
既にケロロは足をバタつかせ、全力で爆笑している。
「机の上に定位置でないティッシュがあって、チョコレートみたいな箱が…… 今思えばアレはコンドームだったんだろうな。……悪い事をしたと思っている」
「そー、かあ、だいおんりょうのじゅうていおん、そーいう理由だったんだー!」
「だから、お前が来た時もその可能性はある」
「イヤ、すげ、いい話聞いたっ!」
ケロロの笑いはそれから小一時間続き、収まる頃には息も絶え絶えだった。



その後再びモアが入って来た時、既にかなりの時間が経過していたようで、彼女は日向家の夕食時間を告げた。
「もうそんな時間か」
「イヤ〜、つい長話してしまったであります」
ポットと湯呑みを片しながら、モアは少し首を傾げるようにして聞く。
「おじさま達、今日は一体何のお話だったんですか? すごく楽しそう、ってゆーか『意気投合』?」
「んー、何だっけ。……えーと、紫色の重低音?」
「ま、そんな所だ」
立ち上がり、部屋を出ようとした時ふとギロロは思う。
―――――あの時兄と同衾していたのは誰だったのだろう。

しかし確かめるすべもない。
それが起こったのはもう遠い昔の事である。
ギロロはあの日兄が聴いていた地球産らしき音楽を、何とか探してみようと思う。
それを聴けば、何となく肖った縁起を担げそうな、そんな気がした。

兄の呪縛から自由になる日。
それは近いようで、まだ遠い先の事かも知れない。



                        
                       <終>