■BROTHERS

 

 



「今日はパンを焼くぞ」
唐突に兄が言った。

前夜、ガルルが久しぶりに帰宅した。
夜遅くまであれこれ土産話をねだったギロロは、朝になっても尻尾を立てて兄にまとわりつき、何か新しい驚きがないかとあちこち探っている。
兄は入隊した一年前以上に精悍になり、その身体にくっついて鼻を付ければ、硝煙や火薬の物騒な臭いが漂ってきそうだった。
今日は一緒に外出して、俺の兄ちゃんをみんなに見てもらおう。
兄ちゃんと一緒にいると、何だか俺もかっこよくなった気がする。
ギロロは一人そんな事を思いながら、気分よく一日の計画を立てていた。

パン製作は、そんな矢先の兄の提案だった。

「えー、パン? 何でわざわざパンなんだ?」
どうせなら軍人となった兄の日常、則ちギロロにとっては想像するしかない『非日常』を覗けるような事をしたい。パン製作&対決など、訓練所の友達とだってできる。
「俺、パンなんか作るより、兄ちゃんの話が聞きたいぞ」
不満気に口を尖らせたギロロに、ガルルは嗜めるように言う。
「そう視野狭窄では、軍人としても一流にはなれない。パンを焼く事がつまらないとお前は言うが、そういう態度はこの世の森羅万象から目を背けるのと同じ事だ」
「ええっ、パンを焼かないとそんなスゴイ事になるのか?」
ガルルの言う事は、幼いギロロには半分もよくわからない。
しかし、尊敬する兄の言葉である。きっとすごく深い意味が込められているのだろうと、素直に頷く。
「ギロロ、戦場で最も大切な事は感覚を磨くことだ。そのためには出来るだけ沢山の経験をしなさい」
「う、うん、兄ちゃん」
「『うん』ではない。『はい』だ」
「ハ、ハイ」
思わずギロロは直立不動で敬礼していた。


そんなこんなで、兄弟のパン製作が始まった。
「えーと、まず宇宙小麦粉と、宇宙ドライイーストと……」
「ギロロ、用意している所悪いが、今日は少し違う材料を用いて面白いものを見せてやろう」
「えっ!」
面白いもの、と聞いてギロロの目が輝く。
やはり兄のやる事は一筋縄ではいかない。きっとすごいパンが焼けるのだろう。
「これを見なさい」
兄が取り出した袋。それはただのジュート袋であったが、何となく「通」っぽく見えるのは何故だろう。
その袋から更に小さな粉袋を二つ取り出す。
そこに書かれた文字は……
「読んでみなさい」
「えーと、きょうりきこ、と、はくりきこ…… だろ? 小麦粉なんだし」
ギロロが文字を読むと、ガルルは満足気に頷き、ニヤリと笑った。
「ギロロ、既成概念に囚われるという事はそういう事だ。先刻私が言った『視野狭窄』が、いかにお前の成長を阻害しているか、よく理解しただろう」
「え、えええっ!? 俺、ダメなのか?!」
何を言われているかよくわからないが、きっと兄から見た自分は相当ダメなのだろう。
もしかして、俺、すごいバカで人間失格!?
あまりのショックにギロロは言葉を失っている。
「兄ちゃん、俺これからパンもがんばって作るよ、だからシヤキョウサクとか、もう言わないでくれよ」
慌てているギロロを他所に、ガルルはその袋に書かれた文字を読み上げる。
「これの読み方には実は落とし穴があったのだ。わかるか? 落とし穴が原始的なゲリラ戦でいかに効果を発揮するか、お前も知っているだろう。……これは小麦粉だ。だから誰もが『ハクリキコ』『キョウリキコ』だと考える。そして、誰もが自信を持って発言する。そこで『ドカン!』だ」
ギロロは首を竦める。
間違った答えが即命取り。戦場とは何と厳しい所なのだろう。

「これは実は『ハクリョクコ』『キョウリョクコ』と読むのだ」
なるほど、「迫力粉」「強力粉」という文字には、小さく読み仮名がふってあった。


その粉を練って作ったパンは凄まじかった。

宇宙ドライイーストの効きが通常の三倍。
元形とは似ても似つかない見る者を圧倒させるパン。
実際はケーキなどに使われる粉らしいが、その芳香とは似ても似つかない凶悪な膨らみ方に、おそらくこれを使ってケーキを焼く者はいないだろう、と思わせる。
「す、すげぇ! これ、軍隊式なのか!?」
「パンを焼いて正解だっただろう? ギロロ。これが『ハクリョクコ』を使ったパンだ」
エプロン姿も凛々しい兄が眩しい。
新しい世界を知った気分だ。

一方、『キョウリョクコ』のパンは、一見通常のパンと変わらないが、ガルルが持ち出したバズーカにも耐える強靱な皮を持っている。
ガルルによれば、対衛星兵器を持ち出して尚、その原形を保つという話であった。
「形はウサギさんやクマさんなのに……、これ自体が兵器みたいだ……」
ギロロはその「すごすぎる」パンを前に只震撼した。
ちなみに、形を作ったのは兎担当=兄、熊担当=弟である。




「わかったか? ギロロ。パンと一口に言っても、それぞれが様々な特色を備えている。いや、この世の全ての物がそうだと言っていい。それを見極められる者だけが、一流になれるのだ」
「わかった! 俺、がんばって一流になる!」
目を細め、ひと回り成長したかのような弟を見るガルル、そしてそんな兄を眩しく見上げるギロロ。
二人は粉塗れであったが、満足そうであった。



「それにしてもこんなすごい粉、一体どうしたんだ? 軍事機密とかじゃないのか?」
ギロロは小麦粉を落とすため早めに沸かした風呂の中で、ずっと気になっていた事を兄に質問してみた。
「それか。本部の研究所に面白い子供がいてな。恐ろしく頭が回る癖に、他の子供と全く協調しようとしないものだから、なかなかプロジェクトのメンバーに入れてもらえないと言っていた」
「えっ、まさかあれ、子供が作った物なのか!?」
「そうだ。お前よりずっと小さな子供だ。……世の中には末恐ろしい子供がいるものだ」
ガルルは弟の頭を洗ってやりながら、しみじみと言った。

その賢い子供とやらはやはり「シヤキョウサク」じゃないのだろうか。
ギロロは素直に感心する。
世の中には、何てすごいヤツがいるんだ。会って顔を見てみたい。
ギロロがそう思った頃、ガルルもまた弟の視野を広げさせる意味で、いつか『彼』に会わせてみたいと考えていた。


そんな兄弟の願いは、後に思いもかけない形で叶う事になる。
その「子供」が後に如何に兄に関わり、如何に弟にとって「忌むべき」存在となるか。

―――――まだ平穏の中にいる彼等は知らない。



                    

                        <終>