■Within an Hour
長い雨が降っている。
屋外の景色を映し出してみても、明るさは室内とそれ程変わらない。
しかしクルルはこの景色が好きだった。
ちょうどいい湿度とちょうどいい気温。
もう少し自分が酩酊しやすい体質であればよかったと思う。
目の前には供物としての赤い男が横たわっている。
あと一時間は目覚めないという細工を施し、クルルは手製の簡易型物質転送銃(テンゴクヘイッチマイナガン)にて、テントからこの場へと移動させたのだった。
壁面、天井、床の四面は全部スクリーンとなり、雨の降る広大な草原を映し出している。
そして中央には眠り続けるギロロ。
クルルは緑の世界に横たわる一点の赤を見下ろしていた。
その身体に斜めにかけられたベルトに手を触れた時、ギロロが抵抗するように腕を動かす。
しかし薬で強制的に眠らせられたままの身体には、いつもの鋭敏さも反射神経もない。
クルルはゆっくりと重い腕を通し、ベルトを外した。
ああ、剥き身になった。
クルルは笑う。
無防備に横たわるだけの身体は、濡れた草原の中にあって小さく、とても心許なく映る。
その場に腰を下ろし、頬杖をつくように寝顔を見下ろしながらクルルは溜息を吐いた。
その身体に試してみたい事は山ほどある。
今なら大抵の欲望は叶うだろう。
しかし敢えてクルルは手を触れず、ギロロを見下ろす事を楽しんでいた。
すぐ傍に置いたボトルとグラスを取り、Spirytusを注ぐ。
なあ、先輩。
あんたが飲めたら、酒の勢いにできるのにな。
勢いよく揮発するアルコール分の匂い。
酩酊したい、このままどこまでも酔って、全部を夢にしたいと思う。
しかし、クルルは醒めたまま、その場に座り続けている。
周囲を取り囲む濡れた草原も、どこまでも続く曇り空も、全ては偽り。
そしてたった一時間、この場で眠るギロロの存在もまた、幻影と同じ。
クルルは一定の距離を保ちながら、飽きずに間抜けな寝顔を眺めている。
作られた雨音が作られた部屋を満たす。
映し出された緑の草は濡れ、まるで見えない湿り気を発しているようだ。
冷房が切られた小さな部屋の気温は、どこまでも上昇する。
赤の肌に汗が浮くのを見ながら、クルルはゆっくりとその場へ横たわる。
自分の息が変わっていくのを自覚しながら、弛緩したままの身体に腕を回す。
ひやりとした肌が触れたところから暖まるのがわかった。
人形のように、死体のように力のない身体に、熱だけが別物のように存在する。
クルルはその身体に並んで横たわりながら、人工の雨空を見上げた。
灰色の雲の隙間から覗く陽光。
光を反射して降り続けるきらきらと輝く雨粒。
それはクルルが作った、最も美しい季節の故郷の幻影だった。
間抜け面して寝てる場合かよ。
共にこうして何をするでもなく、空を見るとか。
悪態を吐きながら、並んで座っているとか。
それは手を伸ばせば簡単に叶いそうで、最も難しい願いかも知れない。
横たわった身体の胸のあたりの、白い部分に頬をつける。
官能と、歓喜と、叶わない切なさが喚起されるギロロの匂い。
例えば、こうしている自分が醸す匂いは、ギロロに何を思い起こさせるのか。
憎悪か、嫌忌か、それとも災厄の予感か。
ああ、俺はそんな大それた存在でなくていい。
あんたの癪の種くらいでいさせてくれヨ。
嘘の雨音。
嘘の景色。
嘘だらけの言葉。
嘘に満たされた部屋。
クルルはそこに横たわる身体に頬をつけ、確かな鼓動を聞きながら目を閉じる。
テントに強制送還まで残す所はあと数十分。
銀色の雨が降り続く草原で眠る男が二人。
今日は天気雨。「狐の嫁入り」である。
<終>