その日、ロズウェルから西の方角へ飛び去った奇妙な光の玉の目撃証言は多い。
それはどこまでも速度を増し、唐突にある場所で消え去った。
リオグランデ河より更に奥、広大な緑の金網に囲まれた軍の直轄地であった。

数十分を過ぎる頃からトリニティサイト周辺の軍に、何度も地元警察からの問い合わせが入る。
しかし何度確認するもフェンスの中は普段と変わらず、ただ乾いた風が吹き抜けるのみであった。




旧式の探査艇内部は、まるで自分の失われた半身を求めるかの様に鳴り響き続ける。
すぐ近くにメモリーボールが在るという証明。
それはオルルの身体となった旧い探査艇そのものが増幅させる、不可思議な共鳴だった。
ギロロはそれを皮膚で感じ、自分の身体がすっかりオルルに協力する事を選んでしまっている事に気付く。
自分は立場上どこまでもニュートラルであった筈だ。
何も明かさぬままの卑怯者に、何故協力など。
そう思うと、屈辱に四肢が震える。

―――――ギロロ、悪かった。
―――――あなたを必要以上に揺さぶってしまった様だな。

「そういう問題か!」

―――――俺は人と解りあうために、殴り合わなければならない旧式の大馬鹿なんだよ。
―――――もうそうする身体もなくなってしまったがな。

その言葉は確かにオルルに与えられた記憶の中に存在した。
しかし殴り合うと言いながら、こいつは俺に殴らせない。
俺の最も弱い部分を掻き回して、協力する事を選ばせた。
そんな一方的な喧嘩を、誰が喜んで買うものか。
ギロロは四肢の先端がびりびりと感じる濃厚な気配に、身体中を緊張させる。

―――――それは違う、ギロロ。
―――――俺は充分に殴られている。
―――――あなたの気持ちが、身体のない俺にも充分に響く。

何も隠せないという事か。
馴れ合ったクルルという相手への傾倒する気持ちも、理不尽に巻き込まれた事への怒りも。
充分に殴られていると主張されたところで、自分の中味が簡単に知れてしまうという事が、いかにアンフェアか。
ギロロは自分がオルルに、充分なリードを許しているのを感じている。

そうしながらも身体中には、メモリーボールの気配がざわざわと纏わり付いてくる。
オルルに内的侵食を受け、彼の感覚器を直接神経に接続されてしまったかの様だった。
このメインブリッジに入ってすぐに受けた干渉と、ほぼ同じ感触が甦る。
しかしあの場にはない、何か気持ちをびりびりと逆撫でするような不純物の混入があった。
それが何なのか、身体だけは先に気付き、警戒を強めている。
「……オルル、これは何だ」
心の中を更にざらざらとした粗雑な粒子が周回する。
「おい! 一体何が来た! ……何故、これほど……」
不快。たまらない不快。
思わず咳き込みそうになる、喉をぐいぐいと締め付けられるような苦痛。
「……オルル!」
オルルは無言で混乱するギロロの中へ介入してきた。

ケロンの宇宙艇が丸い光の玉となって飛来する。
乾いた大地の上を、この場所を真直ぐに目指して。
そこから降りて来るのは二人のケロン人。
『彼等』はまるで番うように、ぴったりと寄り添い、この地中深くまでやって来る。




腹の中に入り込んで来た異分子が、招かれざる客である事を、オルルの身体となった探査艇は全力で訴える。
その感覚は直接ギロロの中へ、苦痛という形で流れ込んでいた。
嘔吐感、そして頭痛。
全力で排除すべきという、身体の自浄作用だった。
しかし、そんな忌むべき異分子が、求めて止まない艇の半身を携えている。
メモリーボールを求める吸引力と、異分子を排除しようとする力が、激しくぶつかり合い、大きな混乱となって渦を巻く。
近付いて来る敵。
おそらく全ての元凶『出品者』。
夏美を早くこの場から退避させてよかった。
こんな薄気味の悪い感覚を味わわせる訳にはいかない。
ギロロがそう思った瞬間、このメインブリッジへと繋がるドアが遂に開いた。


ドアには何重ものトラップが存在する事を、オルルの意識が伝えていた筈だった。
しかし後天的なトラップ以前に、メモリーボールに呼応する艇の仕組自体が勝ってしまった。
火花が散るような過剰な反応が、オルルの制御を越えて暴走する。
まるで長く離れていた愛おしい相手に出会い、狂喜するかのように。
そしてギロロは目眩のするような心身の混乱の中、メインブリッジに現われた人物の正体を知る。



そこにはギロロがよく見知った、黄色い男が立っていた。
どうにも自分で直せなくなった旧式のライフルを、整備を兼ねて修理してやると言ったその日に、約束を破って遠くの惑星へと発った相手だった。
おそらく何事もなければ、一昨日は修理に専念する素振りを見せながら、馴れ合いの果てに寝る事になっただろう。
あまり道徳的な関係とは言えないと思いつつ、完璧に振り解く事なくここまで来てしまったのは、相手が切実なまでに自分を欲している事を知ったからだ。
いや、そもそもそう思わせられてしまった結果、始まった関係なのかも知れない。
ギロロが縋られ求められる事に弱いと知れば、恥も外聞もなくそれをやってのけられる、抜け目のない男だった。
身体を合わせ、何度も共に絶頂しながら、全てを交換した事にはならない事を、痛い程に感じさせた相手。
そんな油断のならない存在ながら、信じて命を預けても釣りが来そうな、奇妙な信頼感だけは常に消える事がなかった。
クルル曹長。
小隊が編制された当初、周囲が心配する程にぶつかり合った相手。
いつしか関係が実りとなった事に、何より自分が驚いた。
しかし、軋轢の日々があればこそ、現在があるのだとも思える。
そんなクルルがまるで全てを初期化したように、自分に向けて真直ぐに銃を構えている。


「……クルル」
何の冗談だ。
そう言おうとして背後に立つ見知らぬケロン人に気付く。
オルルの意識はクルルの立っている場所を越え、既にそこにあった。
長く感じ続けていた忌わしさ、そして激しい生理的嫌悪感。
それはこの男が醸し出す禍々しい気の所為だったのか。
しかし、オルルは何も言わない。
ただその憎悪を剥き出し、ギロロの身体に黒々とした思いを流し込み続ける。

「誰だ。特殊先行工作部隊の下士官か。……そこを退け。命令だ」
ギロロの皮膚にざわざわと触れるのは、オルルの身体中から発せられる恐怖と、そして怨恨の渦。
オルルの記憶の中にある「出品者」は、常に何らかの実験用の医療機器と共にあり、極限までの心身への苦痛を齎す、正に災厄の根本だった。
「聞こえないのか、貴様。上官命令だ、そこを退け!」
オルルの叫び。
まるで断末魔にも近い、恨みと悲しみと怒りの混じり合った、聞くに耐えない苦悶の声がギロロの中に響く。
そのあまりに凄惨な様を、衝撃と共に受け止めたギロロには、もうオルルに対する理不尽な思いは消えていた。
この男「出品者」は、オルルを壊した張本人なのだ。
そして今この場から遠い惑星を結ぶ災厄の、全ての元凶。
意地でも退くまい、そんな決心がギロロの中で固まる。
自分の背後にある機器こそが、メモリーボール解読に必要とされている「出品者」の狙いそのものなのだ。

「……命令無視は重罪だぞ。何に意地になっているかは知らないが、この装置がどれ程我が軍にとって重要な機密であるか、貴様のような末端の兵士には解るまい」
我が軍。
そう言った「出品者」にギロロは牙で報いたいと思う。
こんな物が重要な機密などである筈がない。
重要だと思い込んでいるのは、私利私欲に逸るこいつだけだ。
そう叫ぼうとした瞬間、唐突に上がった黄色の腕が、改めてギロロに照準を合わせる。
「……クルル曹長、君の部下だろう。そいつを何とかしたまえ」
「クルル!」
その指先はあまりに軽く、引金を引く。





地球までの距離はあと僅か。
ケロロ達は冬樹からの通信を受け、遂に「出品者」がトリニティサイトへ到達した事を知る。
「出品者」の残像が明らかになるにつれて、ノルルの動揺は深く激しくなった。
「大丈夫でござる。……地球には我が隊のギロロ伍長がいる故」
ドロロはそんな彼女に声をかける。
「そーそー、奴一人で一個中隊分ってな頼もしい男なんでありますよ。心配ない心配ない!」
「軍曹さん、それドンブリ勘定しすぎですぅ」
強引に話を明朗な方向へ持って行くケロロとタママを、ドロロは眩しく見ていた。
彼等がいてくれてよかった。
心の深い奥底からそう思った。
守ると誓ったクルルを奪われ、弟と対話もできぬままにこの場にいる自分の身体にまで、その前向きさが伝わる様だった。
漲るのは力、そして意志。
ドロロはクルルの救出と「出品者」の意図を挫く事を誓う。
「でもサ、ギロロ出発前、なんか怒ってたみたいだから『そんな人質どうにでもしろ』なんてヤケ起こさなきゃいいけど」
「まったく、あの人達は仲いいんだか悪いんだかわかりませんねぇ」

ドロロはふとオークション会場の地下通路での対話を思い出す。
―――――奴はその頃の、オルルと俺がデキてるって噂も知ってたからな。腹に据えかねたんだろ?
―――――俺が同性愛者ってのは本当だからよ
そして、開催前夜クルルがどこか誇らし気に提示した、奇妙な通信内容の事も。
―――――そんなに卑猥かい?
唐突に、頭の中に散らばった断片が整理される。
どんな経緯があったかは知らぬものの、彼等はいつからかそういう仲なのだ。
そしてその事に、兄であるガルルは複雑な思いを抱いている。
奇妙な覚醒だった。
ドロロの中で謎の多かったクルルという存在が、人としての輪郭を持ち、身近になった気がした。
彼等は彼等だけに通じる言葉を持ち、遠く離れて尚互いの持ち場を守り続けている。
それはどこまでも力強く、澄んだ絆に思えた。

瞬間。
突然ノルルの身体が何の前触れもなく痙攣し、前のめりになって倒れかかる。
「ノルル殿! 大丈夫でござるか?」
彼女の四肢はまるで何者かに見えない糸で操られるかのごとく、ぶるぶると震え、強張っている。
「……これは……」
ケロロとタママがこちらを振り返り、慌てて先刻のごとく暗示の解除に乗り出そうとする。
しかし今回の彼女はそれを拒否した。
「死んだ事になっている私に「出品者」が命じる事はありません。……むしろ……」
むしろ。
ドロロは続く言葉を固唾を飲んで待つ。
「……私が影響を受けるという事は、誰かが私と同じプログラムで動かされているのでは?」
震える手を挙げて見せ、彼女は深呼吸するように大きく息を吐き出した。
「『出品者』が私に施した仕掛けは、兄に対して行った念入りな手術による物とは違う筈です。おそらく『出品者』自身の作った簡易なシステムで発動する仕掛けとなっています」
ノルルが簡易な拘束を施された両手を組み合わせるようにして差し出し、その指先の震えを示した。
「確かノルル殿の暗示は耳腔に仕掛けられた極小のレシーバーが、何種類かの不可聴周波数を読み取る事で走るプログラムだとか」
「そうです。暗示を解除されないままの私の身体が、ここまで影響されるという事は……」

「出品者」の傍で、仕掛けを施される傀儡となる者。
それは人質として拘束されたクルル以外にあり得ない。
どこまでも優れ有能でありながら、御する事が容易ではない難解な人格故に、彼は常に孤高だった。
誰にも支配されず、誰をも頼む事のないクルルを、思い通りに動かせる手綱。
もしそんなものが存在するならば、天上を目指す者はおそらく誰もが欲するに違いない。
「……まさか、クルル曹長が!?」
モアが口に手を当てて小さく叫ぶ。
「そんなぁ、あんなに強かでイヤな奴のクルル先輩がそんな手管に乗せられるなんて事……」
ドロロは考える。
「出品者」が心から欲するメモリーボールの解読に、クルルはなくてはならない存在であった。
オルルの怨念が遺したとされる兵器の記録は、彼が手にする事によって更に実用化が早まるだろう。
ノルルに目を落とすと、彼女の手は依然として震え続けている。
彼女の代わりに動かされている何者かが、まさに今、活発に行動している事を証明するかのように。





引金が引かれた直後、ギロロの右側の側頭部を掠めた弾丸は背後のパネルを貫いた。
クルルは無表情のまま、銃口をこちらに向けて佇んでいる。
艇の苦痛がギロロの内側へ流れ込み、渦を巻くように主張を始める。
オルルは無言だった。
メモリーボールと艇の共鳴、そして異分子排除という混乱の中で、制御を取り戻すための戦いを強いられていたオルルは、更にクルルという旧友に再会した事、そしてその内側が忌むべき敵の物になっている事に動揺したのか、ギロロに語りかけてくる事を止めている。
更にもう一発。
今度の弾丸はギロロの軍帽の左側を掠めた。
「クルル曹長、艇の機器はなるだけ傷つけるな。影響があっては困る。さっさとこいつを撃って退かせろ」
「出品者」の言葉がクルルを促す。
声に呼応するように、その黄色の腕は再び上がり、ギロロに向けて銃を構える。

「……そうか、思い出したぞ。この男は君の記憶の中にいた、君の愛おしい情夫だったのだな」
情夫という響きにギロロの身体が強張る。
何も知らない他人に、しかもこんな碌でもない奴に、安っぽい言葉で詮索されてたまるか。
クルル、貴様は平気か?
こんな奴に操られて、こんな奴に好き勝手に解釈されて。
「しかしもう君には必要のない平凡な相手だ。私が君をきれいに初期化して、詰まらない過去は忘れさせてやろう」
「出品者」は嗤う。
まるで全能の神になったかのように。
「遊びには相応しい相手を私が作ってやる。……君の親友だったあの異星人のように優秀な人形を」

瞬間、オルルのざわついた気配が怒りと共に「出品者」を取り囲むのがわかった。
ギロロの背筋を震わせるような、底深い激昂だった。
しかし、オルルの昂りは「出品者」に阻まれる。

―――――クソ、こいつには介入できない。何か特別な『壁』が存在する。
―――――ギロロ、メモリーボールを頼む。

そんな言葉が突き刺さるように響く。
そう、メモリーボール。
それが「出品者」の手にある限り、オルルの意志は艇の意志と反発し合う事になるのだ。
と、突然背後でクルルが先刻撃ったパネルの一部が崩落する。
軽い音と共にひび割れた部品が足下まで転がって来た。
ほんの僅かな音が、異様な程に反響する。
その銀色の破片を見下ろしながら、ギロロの中にひとつ、疑問が生まれていた。

何故ここはこれ程静かなのだ。

消音仕様の銃、そして勝ち誇りながら、極力押さえた声で対話する「出品者」。
この場ではまるで申し合わせた様に全員が沈黙している。
二発のうち、クルルが狙って来たのは頭部両側だった。
まさか、そこに。

「クルル曹長、君が遊び好きな男である事は知っている。が、そろそろ私も待ちくたびれた。宝を前に指を銜えているのは性に合わない。……始末しろ」
「出品者」は再び低く、クルルに向かって囁くような調子で命じる。



……久しぶりだな、クルル。
いや、不在だったのはたった二日だったか。
ギロロは沈黙したまま佇む黄色の男に、心で語りかける。
クルルは動かない。しかしギロロの中に生まれた確信が、無表情の中に温みを見い出せるようになっていた。

 この場所へ俺を寄越した貴様はやはり見上げた策士だ。
 旧い友人と、後で気が済むまで話せ。
 俺はその後でいい。
 貴様が望むなら、いくらでも褒めてやろう『よくやった』と。
 だが、その前にしなければならない事が山程ある。
 クルル。
 早く俺のところへ戻って来い。

ギロロは大きく息を吸い込む。
そしてメインブリッジ中、いや、この数十年前の探査艇内部全体に響き渡る程の、腹の底からの大声で叫ぶ。
「クルル、俺の心臓はここだ! しっかり狙え!」

静寂に満ちていた室内が、急激に発火したような生命力に溢れた。
ギロロの赤が燃え移るように、背景の輪郭がくっきりと浮かび上がる。
周囲の空気の色が急激に変化した気がした。

「どうした、そんなに俺が恐いのか!」
もし予想が外れていたとしても。
後の事はこちらへ向かっているであろうケロロやドロロが始末をつけるだろう。
少なくとも自分の持ち場を守る事だけは出来る。
ギロロは真直ぐにクルルに向き直る。
そして更に声高に叫ぶ。
「下手糞め。早く撃って来い!」

ギロロは恐れていない。
例えクルルが本当に自分の心臓を狙撃するのだとしても、それは作戦遂行を優先するという意味で、決して無価値ではない。
窮地でのクルルの一挙一動に、意味のない事などあり得ない。
それは揺るぎのない信頼であった。
離れていた二日間がなければ気付けなかったであろう関係の熟成を、ギロロは感慨深く受け止めている。
「出品者」は先刻の余裕を失いつつあった。
唐突にメインブリッジに響き渡るような、必要以上の大声で叫び始めたギロロを、動揺した様子で凝視しつつ、銃を構えたままのクルルに命じる。
「おい! クルル曹長! 何をしている、早くこいつを撃て!」
しかしクルルは沈黙したままだった。
「クルル曹長! 親友だったオルル少尉の望みを叶えてやりたくないのか!」
ざわざわと皮膚が粟粒立つ感覚に、ギロロはオルルの憎しみを感じ取っていた。
地の底から沸き上がるような深い憎悪、そして艇を震わせる怒り。
ギロロにも「出品者」の言葉が如何に的外れな事かが簡単に理解できる。
オルルはメモリーボールをこの男の自由にさせる事など望んではいない。

銃を握ったままのクルルが一歩ずつ近付いて来る。
ギロロが狙えと指し示した心臓に照準を合わせたまま。
しかし恐れる事は何もない。
ここで袋の鼠なのは「出品者」だ。
彼は今現在身を置く、この艇にすら好かれてはいないのだから。