■I'll Be Back 〜12巻正月帰省話から〜






1/

ケロンまでの帰省にかかる距離。そして時間。
途方もなく遠い場所でありながら、三が日の滞在期間を含め、五日で行き来が可能なのはいい事だ。
しかしその五日が時として、うんざりするほど長く感じられる事もある。
「今、先輩と俺との間には深くて長い河があるってこった」
まさに大河だ。
深くて長い、銀河という名の。


面倒だ何だと言いながら、嬉々として帰路につく気持ちがわからない。
そんなに面倒ならこの場に残ればいい。
どうせ帰省したところで、家族と顔を突き合わせて近況報告をし合い、去年に比べて痩せた太っただの言いながら、炬燵に入って過ごすという恒例行事が待っているだけだ。
「……ったくよう、親戚のガキでも来やがったら無駄に年玉までやらなきゃならねェってのにな」
ああ物好きだ、馬鹿の一つ覚えだ、そう言いつつクルルは静まり返った地下基地の最奥、ラボに特設した押し入れ仕様の寝室に隠り、毒づく。

元はと言えば、日頃の喧噪から逃れるために作った逃げ場所だった。
あの騒々しい小隊の、特にあの―――――
思い浮かべるのは赤。

 おい貴様、いつまで寝ている
 全く、弛んどる

ああうるせぇ。
想像の中ですらその男は額に青筋を立て、怒り狂っている。
しかし、今のクルルにはその表情と怒鳴り声がたまらなく懐かしい。
「早く帰って来いよォ、オッサン。……あんたがいねェと、なーんかあちこちノリ切れねェぜェ」
呟きは静まり返った部屋の中で、意外なほど響き渡った。
隊の半分が帰省した地下基地。
隊長は年末から眠り惚けたままだった。

クルルはリモコンを操作し、まるでカプセルホテルのような寝室の中に、宇宙空間のホログラムを映し出す。
地球の重力に囚われている筈の身体が、ふわりと軽くなった気がした。

 なあ、先輩。
 こうすると、あんたと俺を隔ててる大河とやらを、流れに任せて漂ってる気になるぜェ。

音もなく、光もない。
目を閉じると遠い喧噪が甦る。
地球の、あっけらかんとした新年。
多くの折込チラシを呑み込み、肥満した朝刊が刺さったポスト。
注連縄の飾られた洗車したばかりの車。
クルルが今いる世界は、まるでそれらとは無縁な虚無に満たされていた。

 まるで、この世にたった一人になっちまった気分だぜェ。
 早く帰って来いよ、先輩。

まるで永遠のように思える沈黙の時間を、クルルはただ漂い続ける。
ほんの畳を二枚繋げた程の広さの、押入の宇宙の旅だった。





2/

タママの操縦する高速宇宙艇で、地球への帰路につきながら、そういえば何も土産らしい物は買わなかった事を思い出す。
家族と久しぶりに話し、懐かしいあちこちを散歩し、帰省中の友人達と会っただけの平凡な正月だった。
とはいえ、その平凡さが何事にも代えがたい事を、既に軍に所属して長いギロロもその友人達もよく理解している。
ケロンがこの先どうなるとか、近頃輸入されて流行した食べ物が美味だったとか、取り立てて差し迫らない話題ばかりを選ぶ事。 それは、特に軍属になってから顕著になった事のひとつだった。
じゃあ、また来年。
そう言って別れた友人と、今生の別れになる事もあるだろう。
そして自分もまた、次の年が明けるまでを生き長らえるとは限らないのだから。

ギロロは腕組みしたまま、目を閉じる。

「先輩、お正月はどうでしたぁ?」
タママの声に生返事をしながら、ギロロの記憶は年末の帰省前へと遡っていた。


―――――何だヨ、帰っちまうのかよ
ああ帰る。正月くらいは顔を見せんと、色々面倒だからな。
そう言うと、舌打ちと共に嘔吐するような仕種を見せた相手。
クルルは明らかに不機嫌だった。
貴様は帰らんのか、そう聞こうとした時には既に、妙に間の抜けた動作で背を向けるところだった。

 クックックッ、俺様、不倫相手みてェ
 『アタシは愛人、アナタの家族になれないのォ 盆と正月ひとりで過ごすワァ♪』
 ……おっと、あんた今日明日、事故る相が出ちまってるぜェ
 止めとくなら今の内、じゃなー

不愉快な言動は今に始まった事ではない。
しかしその時は、不愉快を通り越して思わずぽかんと口を開けてしまった。
どこまでも捻れに捻れている筈のクルルの気持ちが、ストレートかつシンプルに心に伝わる。
―――――帰るな
―――――俺が寂しいから、帰るな
―――――俺がここにいるのに、あんたは何故帰る
それは余りにあからさまな感情の流れだった。

「おい」
思わずギロロが手を伸ばしかけた時、既にクルルは部屋を出て、ムービングウォークに乗った後だった。
特に手渡せるだけの具体的な言葉があった訳ではない。
しかしせめて今の、まっすぐに伝わった思いにだけは、誠実に応えてみたかった。
それなのに、運ばれていくクルルの背中はどんどん遠くなる。

何となく気まずい別れ方をしてしまった。
実は帰省中、ふとした折に耳に甦っていたのは、クルルの調子っ外れな鼻唄だった。


「ああーん、すごい渋滞になっちゃってますぅ」
タママの声で我に返る。
正面のモニタに映し出された航路情報は、確かにひどい渋滞を示し、音声でも帰省Uターンラッシュを伝えていた。
「もう、渋滞避けて回り道したのに、裏目に出ちゃいましたぁ。これじゃ地球に着くのは明日になっちゃいますぅ」
予定ではそろそろ到着する筈の時間になっている。
「……第一回の、侵略会議に間に合わんな」
焦燥感とともに、不機嫌なクルルの顔が甦る。
―――――遅ェ
―――――俺がいつまでもあんたを待ってるとか、思わねェこった
そんな言葉までもが脳裏に過った。
「早く帰って軍曹さんに会いたいですぅ……」
心底、正直な言葉を吐けるタママが羨ましい。


既に十数時間。
自動操縦に切り替えた宇宙船は、大渋滞の中進んでは止まり、止まっては進むという亀の歩みを続ける。
当初は前向きに今後を話し合ったり、時間潰しのためのカードゲームで対戦したりしていた二人も、六時間が過ぎる頃にはうんざりして全てを放り出してしまっていた。
地球の基地に連絡を取ろうとしたが、何故か残っている筈のケロロは出ない。
「軍曹さん、まだ寝てるんですかね〜……」
「日向弟とどこかへ出かけているのかも知れんな。しかし誰も出んとは不用心な」
「えー、でもぉ、軍曹さんがいなくても、クルル先輩がいるんじゃないんですかぁ?」
何気なく出された名前にちくちくと胸が痛む。
クルルが基地にいる事は間違いがない。
それなのに通信に出ないという事は、まだ拗ねているのか。

今すぐに目の前に澱む宇宙船の群れを蹴散らし、この光も直ぐには届かない距離をひた走って、懐かしい青い星へと帰りつきたい。
帰り着いたら何よりも早く、新年早々引き隠っているあの男を引きずり出し、喝を入れてやる。
―――――俺は帰ってきた
―――――だからさっさとその辛気臭い態度を何とかしろ

想像の中でだけは威勢良くなれる。
ここにきて自分は何と厄介な弱点を持ってしまったのか。
戦場の赤い悪魔と呼ばれたギロロが、おそらく唯一、心底忌々しいと感じる相手。
そしてそんな相手に絡まってしまった自分もまた、心底間抜けだと思う。

何しろ近頃のギロロはクルルに対し「そんなに性根は悪くないのではないか」「意外に可愛い奴なのではないか」等と思い始めているのだから。





3/

宇宙船が数日振りに地球へ帰ってきた。
格納庫の監視カメラに映し出された帰還者を、クルルは寝起きのぼんやりとした頭で傍観している。
暗い押入の中の光源は、持ち込んだノートパソコンの画面のみ。
往復にかかった時間は予定より一日も長い、遅い到着だった。
ああ、やっと帰ってきやがった。
昨夜、通信が入った痕跡があったものの、例の押入宇宙遊泳の最中にあったクルルはそれを受信し損ねた。
宇宙旅行情報のサイトで、帰省Uターンラッシュによる渋滞を知り、拍子抜けしたまま酔い潰れたのだった。
頭は眠気で朦朧としている。
しかし無事に帰って来たならもういい。
間に横たわる果てしない大河に呑み込まれる悪夢を、もう見ずに済む。
俺はこのまま、安らかに寝るぜェ―――――

どろりとした眠りの中に落ち込もうとする意識を、強引に引き止めようとする声があった。
「おい! ……何だ、この酒臭い空気は!」
……何だ、あんたか。
悪いけどな、今は眠い。
「おいっ、起きろ、クルル」
何しろ昨日は目が冴えちまって、殆ど眠れなかったんだからヨ。
これもみんな、帰って来ないあんたが悪い。
「正月はもう終わったぞ! 起きろ!」

開け放たれた押入の中に、眩しい光が入って来る。
こうなるともう、再び夢の世界に戻るのは不可能だった。
「ああうるせェ。……あんたに一体何の権利があるんだ?」
ゆっくりと身体を起こすと、この押入型寝室の入口の前に立ち、じっとこちらを見上げている懐かしい顔が目に入った。
「帰って来たぞ。……少し時間がかかってしまったが……」
心底申し訳ないという表情を見せ、ギロロはこちらを見上げている。
「……チッ、待たせて悪いなんて顔、すんじゃねぇよ。……俺様が一日千秋の思いで待ってたみたいじゃねェか」
「済まん。……しかし」
「しかし、何だよ」
間抜けなやりとりだった。
まさか新年早々、こんな間延びした対話をする事になるとは。
今年一年が思い遣られる―――――
そう思った矢先だった。

「心底、ここを遠いと思った。……なぜ、通信に応答しなかった?」
―――――会いたかった
―――――声が聞きたかった
―――――少しでいい、言葉を交したかった

クルルはギロロの吐き出す短いセンテンスの中に、まるで拾い上げろと言わんばかりの感情を見い出す。
ゆるやかな流れの大河を泳ぎ、わずかな声と光を頼りに溢れる水の中を渡り、求める相手を探す。
真闇の、まるでねっとりと絡むような感触と、重い身体が見せる悪夢をものともせず、真っすぐに腕を伸ばす。
沸き上がったイメージが、握られた手と手で完結した時。
既に眠気はきれいさっぱりと消え去り、頭の中は嘘のようにクリアになっていた。


「……正月はずっとここに隠っていたのか?」
「宇宙遊泳で楽しんだぜェ。先輩は何やってたんだヨ?」
「宇宙遊泳? 何だそれは。……昨日今日で心底疲れた。宇宙などしばらくは出るのも嫌だ」
「んじゃ、ここへ上がって来いよ。……俺と寝正月のやり直し、しようぜ?」
クルルが伸ばした手を、先刻のイメージ通り、赤い手が指を絡ませるように握る。
その手がまだ室内の温度に暖まる前であった事に気付く。
……オッサン、本当に直でここへ来たのか。

上がって来たギロロは早速その場へ横たわる。一人でも充分狭かった押入の中は、二人では更に狭い。
「……ふう、やっと帰ってきたという気がする」
そう言って伸びをするギロロに苦笑しながら、クルルも隣に横たわる。
「さっきから帰った帰ったと言ってるけどな、あんた、ここは別に故郷でも何でもないぜェ」
まさか日向夏美が居るから地球が故郷だとか、寝惚けた事を言うんじゃねェだろうな?
そう嫌味を言いかけた時だった。
妙に確信を含んだ物言いが返ってくる。

「隊の背後を守る貴様がいる場所を、とりあえずのベースと定めている」
―――――お前が俺の帰還する場所だ

クルルにはギロロの本意はわからない。
しかし、そういう解釈でいいと思う。
「だったら、俺様を心配させんなヨ」
そう出かかった言葉を飲み込み、クルルはただ笑い出した。
……なんで俺、こんな堅ッ苦しいオッサンをこんな熱烈に好きなのかね?
訳、わかんね。
「何を笑っている。……全く、貴様という奴は」
不満を呟こうとした口を、まだ半笑いのクルルの口が塞ぐ。
その感触が既に懐かしく感傷的で、たった六日の不在が、互いにとって思いのほか長かった事を思う。

しばらく抵抗していた赤の腕はやがて静かになり、黄色の背中に回された。

もう大河を泳ぎ渡る必要はない。
二人の間は今、0距離になった。

                       

                        
                       <終>