■Small Talk

 

 



例の敗北(『第壱百伍拾壱話『サヨナラ・ケロロロボ』…の巻)以来、トロロは凹んでいた。
かつての大敗に比べればそれほど大規模な落胆ではなかった筈が、意外と傷は根深かったらしい。

「隊長、トロロ新兵が消耗しています。このままでは任務にも支障をきたしかねません。何とかならないでしょうか」
遂にプルル看護長は隊長であるガルルに直訴した。
「隊の健康管理、並びに心のケアは看護長に一任してある筈だが?」
「力及ばずで申し訳ありません。今回のケースはやはり同性である隊長の言葉が効果的かと思われます」
その選択は決してセオリーとして間違ってはいない。
女性兵士も数多く存在するようになった現代で、古色蒼然とした話のようだが、異性には言い難い悩みもあるだろう。
ましてやガルルはベテランである。新兵の挫折や悩みひとつ取ってみても、様々なケースへの対処法を持っているだろう。
そういう部分が悔しくもあり、プルルにとっては頼もしくもある。
「よしわかった、話を聞こう」
ガルルの返事に吐いた一息には、安堵と共に様々が入り交じっていた気がする。
ともあれプルルは心残りを抱きつつも、重責からは解き放たれた。
――――― 今後の課題は増える一方であったが。





トロロは様々な物が散らかったベッドの上で寝転がってぼんやりと天井を見ている。
手足を動かせば紙束やゲーム機や空のスナック菓子の袋などに行き当たるが、それらを片付ける気力もなかった。
その脳内では起きた一部始終が何度逸らしてもくっきりと映し出され、トロロを更に憂鬱にさせる。
―――――ボク、アイツには勝てないままなのかな?
そんな筈はないと否定しても、現に二度の敗北を喫した事実は変えられない。
自分の実力には自信があった。だからこそ表舞台へと上がって来たのだ。
―――――それなのに、ボクの前にアイツがいた。
クルルという存在はトロロにとってまさに「目の上の瘤」だった。
―――――アイツがいる限り、ボクはアイツと比べられ続ける。
そう、苦労の末に作戦を成功させても。

トロロの個性はクルルにあまりに多く似通っていたばかりに、どこか模倣的な目で見られた。
二番煎じ、エピゴーネン、偽物。
それだけならまだいい。トロロにとって最も許し難かったのは「代用品」という扱いだった。
―――――ボクはアイツの能力の代わりに、小隊に居るのかな?
時折トロロを悩ませたのはそんな疑問だった。当然誰かに問いただした事もないし、はっきりとした回答を聞いた訳でもない。
―――――なんか、疲れちゃった。
考える事は得意だった筈だ。しかし今回はそうする気にもならなかった。
いくら気持ちが否定しても自分は負けた。
その事実が身体にのしかかってくるのが辛かった。


ベッドに突っ伏して沈んでいるトロロの部屋に来客があった。
続くノックの音を無視しようとしたが、相手はキーの認証コードを持っているらしく、強引に入って来た。
そんな事が出来る人物は身近に一人しかいない。トロロは伏せていた顔を上げる。
「……隊長……」
「入るぞ、トロロ」
ガルルの特徴的な体色が目の前を横切り、ベッドの傍に置かれた様々を避けるように進む。その動作には何の躊躇もない。
ピザの箱が置かれた椅子を引き、乗せられているあれこれを空いた空間へ移動させると、ガルルはその場へ座った。
「どうした? お前らしくもない」
こういう時のガルルは普段の隊長然とした空気が稀薄だった。まるで息子か年の離れた弟のような声のかけ方をする。
「……何でもないヨ。何にもしたくなかっただけ!」
わざとふて腐れてしまうのは、そういうガルルに甘えてみたかったからかも知れない。

「奴に負けたらしいな」
「…………」
ガルルは単刀直入だった。しかしその言動はありがたかった。腫れ物に触るような言い方をされるのは、最も腹立たしい事だとトロロは思う。
「悔しいのか?」
「悔しいヨ」
「そうだな」
「アイツに勝ちたい」
「ああ、勝て」
「ン! 今度こそ勝ってやる」
不思議だった。
先刻までは失われていた闘志が、ガルルとの短い受け答えだけで鮮やかに甦る。
まるで奇蹟のように、即座に身体中に漲った闘志が我が事ながら力強かった。
「だがトロロ新兵、その前に作戦だ」
ガルルが続ける。その巧みな誘導にも気付いている。しかし反抗する気にはならなかった。





作戦のための短い説明が終わり、実行への最終会議は翌日以降に持ち越される事になった。
「では明日、頼んだぞ、トロロ新兵」
そう言って部屋を出ようとするガルルにトロロは頷き、そして尋ねた。
「ボクまたいつかアイツと勝負できる?」
「そのための経験を身につける事だ」
「だね。悔しいけどアイツ、実戦の経験だけはボクより豊富だし」
闘志は衰えないものの、クルルに勝つために一体どれほどの努力を重ねなければならないか。想像するとその途方もなさに小さな溜息が出た。
「ボクが進む間にもアイツも進むんだよネ? かなーり先になりそうだけど、頑張るヨ」
心ならずも心中が口調に出てしまった。瞬間的な後悔が過るが、後の祭りだ。
振り向いたガルルがそんなトロロを凝視している。
出来ればそのまま素通りしてほしいと願ってしまうのは、これ以上子供扱いをさせたくなかったからかも知れない。
―――――いつまでも厄介なガキじゃ隊長を困らせるから。
そう思った瞬間だった。

「トロロ新兵、分野に拘らないか?」
「へ?」
「クルル曹長に勝つ戦場だ。正面からフェアに勝ちたいならそれでいい。だがゲリラ戦という選択もある」
突然何を言い出したのかとトロロは戸惑う。しかしこういうガルルは面白い。
時折作戦遂行中にも見る、対外的ではない方の隊長の顔だ。
「勝てるんなら何だっていい! プププ、ボクがフェアプレイなんか選ぶと思う?」
「よし、それならば問題はない」
ニヤリと笑ったガルルは更に面白い。

「ではひとつ話を聞かせてやろう」
嬉しそうに語るガルルはやけに早口だった。
「成長期、奴はひとつの愚かな選択をした。何だと思う?」
「……え?」
「我々の成長グラフはほぼ全てのケロン人が同じカーブを描く。結果的に同一の身長体重の成体が出来上がる」
一体成長曲線とゲリラ戦に何の関係があるというのか。トロロは面食らう。
「そして、それは軍帽と素体という基本的なスタイルあっての事だ」
「ンー、そうみたいだネ」
確かにケロン人は成体になれば、全員が55.5センチメートル、5.555キログラムという数値に落ち着く。
「何故そうなるのかは未だによく判っていない。いや既に研究されて尽くしているという噂も聞くが、広まっていない所をみるとそれらはケロン人の弱点にも通じる、重要機密事項になるのかも知れない」
思わず「まっさかぁ!」と言おうとしたトロロを無視し、ガルルは尚も続ける。
「……故にケロン人にはひとつの規格が存在する事になる。これは規律を重んじる上では好都合なのかも知れないし、そうではないのかも知れない」
「ま、服とか靴とかあんまり使わないけど、作る方はワンサイズでいいもんネ」
「問題は…… この成体の数値は厄介なことに、どんな条件下でも超自然の力で辻褄合わせをされてしまうという事だ」
「辻褄合わせ?」
ますますゲリラ戦から外れて来た気がする。しかし話は依然として続く。
「幼年訓練校では、成長期の子供にうるさく言っている。『決して負担になるような重い荷物を常時持ち続けてはいけない』と…… 何故だかわかるな?」
「うん。ずっと重い物持ってたら身体が荷物分を体重の一部と認識しちゃうから、大人になってどこか足りない部分が出てきちゃうって」
特殊部隊等では故意に一部を犠牲にし、アビリティを先鋭化させる事もあると聞いた事がある。しかしそれが一体今の話に何の関係があるというのか。
不思議そうなトロロの返事にガルルは大きく頷いた。そして言った。
「奴が子供の頃からヘッドホンに様々な物を仕込んでいたのは知っているな?」
「……ん…… 知ってるケド、それが何?」
「当時、周囲の者が何度も取り上げようとして、成長の妨げになるからと諭したらしい。しかしあの男も馬鹿ではない。結果は承知の上だったのだろう」
何か話がとんでもない方向へ行きそうな予感がする。
そう、どちらかといえば「それを広めるのはどうなのか」という碌でもない方向へ。
例の「対外的」ではない顔を見せるガルルは、どこまでも辛辣だ。
しかしトロロも自分が勝利するためならどんな道をも選択できる、仁義なきクソガキである事を自覚していた。

「これは機密事項である。トロロ新兵、絶対に何があっても他に漏らすなよ?」
「ウン! 漏らさない漏らさない!」
ガルルの勿体をつけたような口調に苛立つ。
「よろしい。ではここだけの話だ」
「早く早く!」
もはやこの場に及んで意味のない勧告である事を、ガルル自身も知って行っている。
「反面教師にするといい話だ。お前も心して聞け」
「はーやーくー!」
もう待ち切れない。敵は引きつけて叩けというセオリーを、トロロはすっかり失念していた。
対ゲリラ戦は通常の何倍もの忍耐力を要する。敵の全貌が知れない事の方が多いからだ。
隊長はそれを身をもって教えようとしている。
トロロがそう思い、迎撃態勢を取った瞬間だった。
ようやくガルルが重い口を開く。

奴の場合、ヘッドホンに仕込んだ細工がその後の運命を決定した。影響は局部に出た。……わかるな? 簡単に言えば『短小』という事だ」

―――――ケロン時間午後惨時弐拾六分参秒。
第一級の機密事項はこうして漏洩した。
直後から堅く口止めされた筈の情報は箍が外れたように拡散し、新たな尾ヒレを拾って伝播し―――――

翌日にはケロン軍全体の者が知る事となった。





「んで、あのクソガキは元気になったのかよ?」
当のクルルは涼しい顔でいつもの不愉快な笑みを浮かべ、モニタ越しにガルルを見た。
「礼を言うべき…… なのかな?」
「そりゃそうだろ。一時的とはいえ勝った気にさせてやったんだからな。……即行でケロン中に広めやがって」
更に甲高いクックックッという笑いを響かせる。
プルルからトロロの消耗について聞かされた直後、どんな心境と経緯の果ての気まぐれなのか、この男が送って来た奇妙なメッセージを受け取る事になった。
そこに書かれていた言葉はただ一つ。
―――――いらねぇオモチャはくれてやる。
ガルルは言葉を見たままに解釈した。
その後トロロは見事に立ち直り、ケロンの未来を占う局面で恐るべき活躍ぶりを見せた。

「きっちりココまで伝わってるぜぇ、当の俺様の下半身に関する噂。尾ヒレが二十倍くらいになってたが、んな話が面白ぇのかよ?」
「情報とは取捨選択する物だ。興味のある者には堪えられんだろうな」
「じゃケロン軍は下世話な奴ばかりって事だな」
形の上でトロロは勝利している。が、決してこの男も敗北したつもりはないらしい。
―――――よく言う。どちらが下世話か。
ガルルは無意識下でクルルがトロロとやり合う事に心躍らせ、楽しんでいるのを感じ取っている。
何度も完膚無きまでに叩き潰しながら目の前に餌を散らつかせ、相手が太々しく復活し自分に向かって来るのを待っているのだ。
そしてトロロも血を吐くほどの無念を抱えつつ、立ち上がり際に厚顔にもクルルの足下を掬おうとする。
それはまるで悪趣味ギリギリにも見える、彼等だけの真剣勝負だった。

これ以上踏み込む事はないと判断し、ガルルは話題を変えようとする。
しかし対話は依然として深淵に近い地点を行き来することになった。
「……まだその余計な装備を外す気はないという事か? それさえ廃せばホメオスタシスは働く筈だが」
「ああ、サイズがどんなだろうが誰かを悦ばせるのに問題はねぇけどよ、コレがなきゃ身を守れねぇしな」
「一体何から身を守る?」
「何って、寝ぼけてんのかよ? 俺がいるのは最前線だぜ?」

ガルルは口籠る。これ以上続ければ、心ならずも吐き出してしまいそうだった言葉を飲み込む。
「ともあれ、今回は……」
「よせよ、あんたとのそういう折り合いはナシだ」
礼を言おうとした舌先を躱されたばかりか、モニタ越しの通信までが切れた。
勝った筈が負けた気になっている。ガルルは先刻の言葉の端くれを、未だに口の中で転がしていた。

「ギロロがいる場所で、貴様が自分自身を守る必要がどこにある?」





作戦終了後、つかの間勝利感の恍惚に浸っていたトロロは、時が経つにつれて再びクルルとの対決を望むようになっていた。
プルル看護長は「負けてあんなに凹んでたのに喉元過ぎれば」と呆れたものの、それが戦う者の本能だとガルルに言い切られ、不可解そうな表情のまま納得したらしい。
ふと想像したのは、成長期に周囲が止めるのもお構いなしにヘッドホンで武装したクルルの心中だった。
「アイツって、ヘンな奴」
危険性を知らない訳でもなかっただろう。いや、取り戻そうと思えばいつでも取り戻せる、しかもたかだか性器に影響する程度の弊害など、ものの数ではなかったのかも知れない。
とはいえ、成長期の子供にそこまでさせた理由とは何なのか。
クルル自身のロジックを知らずして真の勝利はない気がした。
「いつかアイツ、正面から攻めて絶対負かしてやる」
あの男にとって取り立てて響かない粗なら、そこを突いた所でたいしたダメージにはならない。それでは何の意味もない。
クルルを敗北感に追い詰め、歯噛みさせるためには、彼の最も得意で自信のある分野で勝つ必要がある。
それはとても難しい。しかし叶った時の達成感は今回の矮小な勝利感とは比べ物にならないに違いない。
不毛な執念だと感じつつ、半ば意地に似た思いはどこまでも強くなる。
トロロはまだ小さい握り拳を作り、目の高さに持ち上げた。
「いつまでも後ろにいると思うなヨ!」

その表情が男の顔になりつつある事に、トロロ自身はまだ気付いていない。





ちょうどその頃、地球のケロロ小隊作戦会議室にて、ケロン軍の情報を傍受していたアンゴル・モアが不意に顔を上げ、
「クルルさんは『たんしょう』なんですか? 『たんしょう』って何でしょう。ってゆーか不得要領?」
と、疑問符を頭上に点滅させ、小隊一同を驚愕させていた。

向けられたモアの瞳はきらきらと何の翳りも無い。
クルルはその時点で初めて敗北を自覚した。
トロロによって機密が漏洩して一日と三時間後の事だった。




                        
                       <終>





2009/07/13