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年下の☆男の子 ……………



「先生って、処女ですか?」
と、一宮裕太(いちのみやゆうた)が質問されたのは、家庭教師を始めて、かれこれ一ヶ月が経過した頃の事だった。裕太は、一瞬、思考をストップさせる。一体、どこをどう突っ込んでいいのか、それとも、馬鹿正直に訂正するべきなのか考えて、結局のところ、裕太は後者を選んだ。
「ええと…蓮川? 俺は、男だから、その質問は間違ってるんじゃないかな?」
 なるべく、当たり障りの無い笑顔を浮かべて裕太は諭してみる。けれども、諭された人物、つまり家庭教師の生徒である蓮川要(はすかわかなめ)は、呆れたような顔をして溜息を一つ吐いただけだった。そんな顔をしていても、その端正な顔は少しも損なわれない。目元の泣きボクロが年齢にふさわしからぬ、奇妙な色気を放っているのも、いつもと変わらなかった。
「知ってますよ? だから、俺が知りたいのは、バックバージンかどうかって事なんですけど。もっと、ぶっちゃけて言えば…先生は一志の『お手つき』なんですか?」
 しごく真面目な顔で尋ねられて、裕太は絶句する。何と答えて良いのか分からずに、ただじっと目の前の生徒を見つめていると、なぜだか、生徒の顔が近づいて、しまいには唇が触れた。つまり、キスしてしまったのだ。
 相手は男だ。しかも二つも年下の。だのに、裕太は抵抗できなかった。不快感さえない。もっと言えば。心のどこか奥の方で、こういう状況を望んでいた自分を否定できなかった。
 もしかして、いや、でもまさか、を繰り返してきた一ヶ月間だった。意味深な笑み、意味深な言葉、そしてほんのちょっとした、けれども意図的だとしか思えないスキンシップ。それらに、特別な意味を見出そうとしていた自分が嫌で、裕太はずっと見て見ない振りで来た。
「嗚呼、でも、一志のお手つきかどうかはともかく…バックバージンは有り得ないか。随分、男慣れしてて、かわし方も上手いし。第一、その顔で周りが放っておくワケ無いですよね。ずっと思ってましたけど、先生の顔っていやらしいですよね? 特に、その泣きボクロが」
 唇が離れた途端に言われた言葉が、やっぱり裕太は理解できなかった。男慣れだとか、かわし方だとか、今まで言われたこともなければ、聞いたこともない。そもそも、周りが放っておかない顔とは一体何の話だ。誰の顔の事なのかと本気で裕太は首を傾げてしまった。それに、泣きボクロがいやらしいというのなら、蓮川の方が余程なのではないか。
けれども、更に続いた、
「俺とも一度、セックスしてみませんか? 絶対、がっかりさせませんよ?」
という言葉を聞いた途端、裕太の手は反射的に上がり、パンと軽快な音を立てて、蓮川の頬を叩いていた。平手だったし、勢いはあったけれど、あまり力は入っていなかった。だから、音だけは派手だった割に、さして、蓮川は痛そうには見えなかった。それよりも、驚きの方が余程大きかったようで、目を皿のように見開いていた。
 そりゃ、驚くだろうなと裕太はどこか頭の冷静な部分で考える。こんな風に、拒絶されたことなんて、ひょっとしたら、一度も無いのではないだろうか。蓮川は、二つ年上の、しかも同性の裕太から見ても、実に女好きも男好きもしそうな少年だったのだから。
「…悪いけど。俺はただの家庭教師だから」
 辛うじて、それだけを言って席を立つ。約束の時間まで、あと十五分残っていたけれど、そのまま、冷静な態度で留まっている自信など全く無かった。だから、逃げるように、帰ってしまったのだ。
 一人暮らしのアパートに辿り付いた時には、フルマラソンでも走った後みたいに、ぐったりと疲れていた。何も考えたくない。ただ疲れた、とベッドに勢い良く突っ伏した。突っ伏して、気が付いた。いつでも、自分が、蓮川と接するときには必ず緊張していたことに。馬鹿馬鹿しい。たかだか高校生の、二つも年下の男だ。それなのに。
「あー! もう、サイアク!」
 口に出して鬱憤を吐き出し、目を閉じる。これ以上、もう、何も考えたくなかった。こういう時は寝るに限る、と思考を放り投げる。眠る直前、一志に一言文句を言わなくては、と、それだけは忘れなかった。



「なあ、裕太。お前、家庭教師やんねえ?」
と、友人の三橋一志(みつはしかずし)に唐突に打診されたのが、そもそものきっかけだった。
「家庭教師?」
「そう。お前、ずっと、割の良いバイト探してただろ。やれよ。家庭教師。時給三千円。週二回で毎回二時間」
 有無を言わせぬ勢いで、そんなことを言い出した友人に裕太は胡乱な眼差しを向ける。別に、この友人を疑っているわけではないが、美味い話には落とし穴があると疑う程度には、裕太は警戒心を持ち合わせている。
「…なんで、そんなに時給良いの?」
 眉間に皺を寄せたまた尋ねれば、一志は、あっけらかんと、
「あーそれはヤバイ家の奴だから」
と答えた。
「はあ?」
「なんつーの。父親がチンピラ上がりの水商売稼業の家なんだよ。ソイツ自体もちょっとクセのある奴で。まあ、でも、裕太なら大丈夫だろうと思ってさ」
「…なんで俺なら大丈夫なんだよ。つーか、そんなヤバイ家ならお前がやれよ」
「だって、本人が俺じゃヤダって言うんだもん。ヤバイつっても、大丈夫だって。それは俺が保障する」
「はあ? なんで、お前が保障なんてできンだ」
 ますます訝しげに、眉間に皺を深くした裕太に、一志はやっぱりあっけらかんと笑った。
「だって、ソイツ、俺の弟だもん。俺が愛人の子で、ソイツは本妻の子。あんだーすたん?」
 唐突に告げられた友人の、ヘビーな家庭環境に裕太は絶句する。何となく、普通の家庭ではないとは察していた。何度か会ったことのある一志の母、涼子もあっけらかんと
「私、愛人なのよ」
と言っていたことがあった。それが本当なのか、冗談なのか突き詰めることが出来ずに、今日の今日まで来たけれど。やっぱり、本当だったのかと、どこかで気の抜ける気持ちになりながら、裕太は一志の顔をじっと見上げた。一志は、裕太の視線を真正面から受けて、器用に片方の眉だけを上げて、不思議な笑みを浮かべた。野性味の溢れる、多分、大抵の女は惹かれてしまうようなそんな笑顔だ。
「裕太。お前、あんまり、人のこと上目遣いで見ない方がいいぜ」
と、その笑顔のまま一志は忠告する。
「…なんで?」
「犯されるから」
 ふっと軽く噴出しながら一志は裕太のおでこを、ピンと人差し指で弾いた。
「ッテ! 何すんだよ!」
「何でだろうなあ。普段の俺だったら、お前みたいなタイプ、絶対、ソッコー食ってるはずなのになあ。なんでか、裕太には手が出ないんだよなあ」
と、やっぱり一志は良く分からないことを続けてから、
「で? 家庭教師やる?」
と再び尋ねた。
 裕太はしばし考える。微かに首を傾げて、
「…ソイツ、問題児?」
「いんや。極めて優等生。絵に描いたような優等生。家庭教師つける必要も無いくらい優秀。でも、志望学部が理学部なんで、一応、化学と物理だけは専門的に教えてもらいたいってハナシ」
「…優等生だけど、性格メチャクチャ悪くて嫌味とか、そういうのは?」
「それもなし。非常に温厚で、温和で、十人いたら十人『蓮川君はとっても優しい』ってハートマーク付きで言うような性格…つっても、アイツの学校の奴らに限るけどな」
「…なんだよ、そのもってまわった言い方は」
「うーん。年齢の割に大人すぎる奴なんだよね。俺なんかは兄として、そこが問題だと心配してるんだけど。でも、裕太なら、案外……なんじゃないかなーと」
「ワケ分かんねーよ。何の話だよ?」
「ま、良いから引き受けとけよ。金は良いし。何かあっても、全面的に、俺が責任取るし」
 真っ直ぐに裕太の目を見つめて一志は言い切った。そこには何の嘘も揺らぎも見えない。一志の不思議な魅力は、こういうところだと裕太は思う。漠然とした信頼感を相手に抱かせる。そして、その信頼を裏切られたことが一度も無い。だから、裕太は一志を友人として慕っているのだけれど。
 その一志がそこまで勧めるのなら、きっと、何かしらの理由があるのだろう。軽いノリで誘っているように見えて、むしろ、裕太にはそれが『お願いしている』ように思えた。だから、案外と軽い気持ちで、まあ良いかと思ったのだ。まさか、それが、こんな馬鹿みたいな状況になるとは思わずに。
「そこまで言うなら、やってみる」
と答えた裕太に、一志はほっとして、そして、家庭教師先の住所と電話番号、そして生徒の名前を教えてくれたのだ。生徒の名前は『蓮川要』と言った。比較的、裕太の下宿アパートから近い高校に通う、三年生の男子生徒だった。



「…一志。アイツ、どういう奴だよ」
「アイツ?」
 一限目の必修科目の講義の後、とっつかまえた一志に、昨日の事を問い詰めた。一志は眠そうに、ふああと欠伸混じりに聞いていて、微かに酒のにおいもした。だが、それは一志が遊び歩いているからではないと裕太は知っている。一志は、母親の経営するスナックバーを、時々手伝っていて、こんな風に、酒の匂いをさせていることがあるのだ。
「だから! 要! 蓮川要!」
 その名前を出すと、ようやく一志は目がはっきりとしてきたのか、
「ああ、どうした? 何かあった?」
と少しは、はっきりとした口調で尋ねてくる。何かあったのか。大アリだ。だが、男の自分が年下の男にキスされたとは言えず、裕太は口ごもる。
「何だよ? 押し倒されて犯された? とうとう、バージン喪失?」
 だが、そう言われて、はっと顔を上げた。その言葉で、一志が『知っていた』ことを裕太は悟る。
「…一志! テメェ知ってたな!」
「知ってた? 何を?」
 謀られて、騙されたのかと思い、一瞬だけ怒りが込み上げて一志の胸倉を掴み上げたけれど。一志は、少しもふざけた表情などしていなかった。むしろ、真剣な表情で裕太をじっと見つめていた。だから、今度は裕太が口を噤んでしまった。
「なあ、裕太。何があった?」
「……何って…いきなり処女ですかとか聞かれて、よく分からないこと言われて、キスされた」
「…それだけ?」
「それだけって…お前! 男にキスされたんだぞ! しかも二つも年下の! 家庭教師してる生徒に!」
「そんなの大した事じゃねーだろ、それより、ちゃんと言われなかったの?」
「ちゃんと言われるって何を?」
「何を、って………その反応だと言われてねーな」
「だから何を! アイツが言ったのは、男慣れしてそうだとか、処女なんてありえないとか、一志のお手つきだとか! そんなワケの分かんねーことだけだよ!」
 勢い良く言っているうちに、段々と裕太は腹が立ってくる。腹が立って、それを通り越したら、なぜだか哀しい気持ちになってきた。なぜ、こんな気持ちにならなくてはならないのか。哀しい、というより惨め、の方が正確かもしれない。
 蓮川のあの態度と言葉は。
「…なんで、俺が、アイツに馬鹿にされたり、ケーベツされたようなこと言われなくちゃならないんだよ」
 思ったより沈んだ声が出てしまって、裕太は自分で驚いてしまったけれど、それよりも、もっと、一志の方がぎょっとしたようだった。
「うわ! ワリ! 完全に俺がマズった! 煽ったつもりが見事に裏目った! だから、お前、そんな落ち込むなー!」
「落ち込んでない! それより、煽ったって何だ! ちゃんと説明しろ!」
 裕太が詰め寄ると、一志は、あーうーと歯切れの悪いことを言っていたけれど。
最終的には、
「じゃあ、俺が言える範囲で教えてやる」
と了承した。そして、なぜか、その日の夜に一緒にある場所に付いて行く約束をさせられてしまった。
聞いた事のないバーの名前。一体、どういう場所なのかと尋ねた裕太に、一志は顔を顰める。
「あんまり、お前みたいな奴は連れて行きたくない場所。結構、ヤバい場所だから、絶対、俺から離れンな」
「はあ? なんで、そんな場所に行くんだよ?」
「百聞は一見にしかず。まあ、言ったら、色々教えてやる」
 やっぱり、どこか不機嫌そうな顔で一志はそれしか言ってくれなかった。


 何本か裏道を曲がり、たどり着いた店は、もちろん裕太が一度も来た事の無い店だった。そもそも、その裏道自体、普通の人間はあまり近寄らないような場所なのだ。裕太はごくごく普通の大学生だったから、行く飲み屋やバーなど大概決まっている。繁華街にある、ありきたりの店ばかり。こんな裏道に潜り込むような勇気は無かった。
 だが、一志は随分と見知った場所のようで、何の迷いも無く裕太をその店まで案内した。店の入り口では二人の厳しい男が立っていて、一瞬裕太を睨みつけたが、一志に気が付いた途端、態度を一変させた。
「一志さん、お疲れ様です」
「あー今日はプライベートだから。適当に遊んでっから構うなよ。あ、コイツ、ダチだから。変な奴に目を付けられないように見てて」
 一回りは年上に見える男たちに、一志は平然とそんな口をきき、驚く裕太をよそに、そのまま店の中に入っていった。地下へと続く階段を下りると、何ともいえない、不思議な雰囲気が漂ってくる。騒がしいわけではない。けれども、どうも落ち着かない、怪しげな雰囲気なのだ。例えば、ここで違法な取引や行為が行われていても、何の違和感も無いような。
 裕太は少しだけ怖くなり、一志にぴったりくっつくようにして、階段を下った。突き当りの頑丈そうな扉を開けて、店の中に入る。店内は全体的に薄暗く、カウンターとボックス席、真ん中に狭いダンスフロアがある、一見普通のクラブにも見える内装だった。だが、客層が違う。普段、裕太があまり接する機会の無いような人種が集まっているように見えた。
 戸惑う裕太の手を引き、一志は一番奥のボックス席に連れて行った。リザーブの札が立ててあったが、全く頓着していないようだった。
「…大丈夫なの?」
 心配そうに裕太が尋ねると、一志は少しだけ困ったように笑った。
「大丈夫。この店、俺のオヤジの店だから」
「え? そうなの?」
「そーなんです。お袋の店みたいな比較的まともな店もやってるんだけどな。実は、メインは、こーゆー店」
 一志はどこからしからぬ、投げやりな口調でそう言い捨てると、向かいの席からじっと裕太を見つめた。
「俺を見る目、変わる?」
 探るような、冷静な瞳に見つめられ、裕太は言葉を失う。じっと一志の目を真っ直ぐに見返したけれど。あまり、自分の中で一志に対する印象も評価も変わっていない事を確認して、首をそっと横に振った。
「別に。変わんねーだろ。一志は一志だし」
 ごくごく自然な、いつもと同じ口調で裕太が答えると、一志は照れたような、けれども嬉しそうな笑顔を薄っすらと浮かべて、
「ん。俺、裕太のそういうところスゲー好きだぜ? でもって…例の問題の生徒はあちら」
と告げた。え、と裕太は一志が顎をしゃくって示した方に視線を移す。視線の先には、蓮川がいた。カウンター席に座って、何の違和感も無くグラスを傾けている。だが。
「相変わらず、変わってねーな。どうしようもないヤツ」
と、呆れたように一志は呟いたけれど。その声も、裕太の耳を素通りしてしまった。
 蓮川は連れと一緒にいた。どうみても、自分よりも年上に見える、華やかな美人の女。素人の女ではないことは、裕太の目から見ても明らかだった。身に着けているものから、表情から、仕草から、全てにおいて隙が無い女なのだ。
「まあ、店の人間にしか手を出さないだけマシかー」
と間延びした声で一志は告げたが、やはり、裕太の頭にはその意味がきちんと入ってこなかった。

 裕太の知っている蓮川は、今、視界に入っている男とは別の少年だった。真面目で、態度もきちんとしている。品行方正で、穏やかな笑みが端正な、整った顔の、そして、背筋のピンと伸びた気持ちの良い少年だった。だから、少なからず、裕太は好意を抱いていたのだ。ただ、時折、ドキリとさせられる接触をしてくることがあった。奇妙な、少年と男の中間のような艶を見せることもある。それが落ち着かなく、だから、裕太はいつも緊張を強いられていたのだ。あの時のキスだって。

 蓮川は女の腰を、ごく自然な仕草で抱き寄せる。その表情は、恋愛にも女にも慣れ切った、一人の男のようだった。到底、高校生になど見えないだろう。女も手馴れたように媚びた笑みを浮かべて、あっさりと二人はカウンター席でキスを交わした。それを見咎める人間など、この店内には誰もいない。おそらく、ありふれた光景なのだろう。何ということも無い、あいさつのような。

 裕太は無意識に自分の唇を噛んでいた。腹立たしく、そして惨めだった。蓮川に腹を立てたのではない。おめでたい自分にだ。ついさっきまでは、次に蓮川に会った時に、何を言おうか真剣に考えていた。あのキスはどういう意味だったのか、勇気を出して聞いてみようかとさえ思っていた。もし。もし、それがほんの少し裕太の望んでいた答えだったら。
 自分も、真面目に考えようとさえ考えていたのだ。なんて愚かなことだったのだろうと、裕太はようやく気が付いた。馬鹿馬鹿しい。実に馬鹿馬鹿しい。意味などありはしない。あれは、ただの遊びだったのだ。たかだか二つ年下の高校生の遊びのキスに、こんなに振り回されて、ずっと悩んでいる自分が腹立たしく、そして惨めだった。
「…一志。俺、帰るわ」
 短く言って裕太は席を立つ。だが、何の皮肉か、その時に、ふいに視線を巡らせた蓮川と目が合ってしまった。蓮川は裕太の姿を見止めると、心底驚いたように目を大きく見開いた。その表情だけは高校生の少年に見えて、裕太は嫌になる。さっと視線を逸らすと、そのまま、カウンターから一番遠い通路を選んで、出口に向かった。
「おい! 裕太! 一人じゃ危ねーぞ!」
と、後ろから一志が叫んだけれど、取り合わなかった。女じゃあるまいし、何が危険だと言うのか。振り向きもせず、裕太は店を出て、階段を駆け上った。ブワッと溢れてきた涙を認めたくは無い。地上に辿りつき、ろくすっぽ覚えてもいない道を歩き出そうと一歩踏み出した瞬間に、パシンと勢い良くその腕を掴まれた。驚いて振り返った先には。
「…なんで、先生が、こんなところにいるんですか」
 こんな時にも丁寧な口調を崩さないのは、きっと余裕があるからなのだろう。男として、完全に負けているようで裕太は俯いて黙り込んでしまった。
「何で、こんなところにいるんですか?」
 今度は、幾らか強い語調で問われ、裕太は俯いたまま、
「…一志に誘われたから」
と小さな声で答えた。すると、なぜか、一瞬、息を飲み込む音が聞こえた。
「……やっぱり、一志と出来てたんだ」
と勘違いも甚だしいことを言われて、裕太は笑い出したくなる。馬鹿馬鹿しい。そもそも、裕太は今まで自分が同性愛者だと思ったことも無ければ男に惚れたこともない。一志と寝るどころか、キスだってした事がないのだ。けれども、何がどうしたのか、この目の前の生徒は裕太がそうだと信じて疑ってない。それならば、それでも良いやと裕太は、どこか捨て鉢な気持ちになった。今、蓮川がここにいるということは、あのカウンターの女を放り出して来たということだ。それだけで、少し、胸がすく気がした。同時に、こんなことで慰められている自分が、惨めだとも思ったけれど。
「だったら何? なあ。俺、一志を放って来ちゃったし、良かったら、これから一緒にホテル行かない? 蓮川、がっかりさせないって言ってただろ?」
 我ながら、物慣れない、陳腐な言い方だと思った。今時、高校生だって、もっとスマートに誘うだろう。
だのに、蓮川は少しだけ怒ったように頬を紅潮させて裕太の腕を引いて強引に歩き始める。
「…良いですよ。がっかりなんてさせない…一志より絶対良いって言わせる」
 独り言のように、まるで意地を張るように言う蓮川は、裕太の知っている高校生の蓮川で、少しだけ安心した。一志とはしたことが無いのだから、一志より良いも何もないんだけど、と心の中で苦笑しながら、けれども、裕太は素直に蓮川に付いて行く。
 連れて行かれたホテルは、あからさまなラブホテルで、裕太は呆れたような笑いたいような気持ちになってしまった。シャワーを浴びてから大きなベッドに押し倒された。息が上がるようなキスをされながら、頭のどこか片隅で、どこら辺でバレるかな、と冷静に考えていた。裕太は、男と寝たことなど無いのだ。正真正銘のビギナーで、多分、蓮川はそうではなさそうだから、きっと、どこかで分かるだろうと思った。

 男とセックスするなんて初めてのはずなのに、裕太の反応は自分で驚くほど過敏で、裕太自身が一番戸惑っていた。蓮川がそれだけ上手いのか、それとも、単に、相手が蓮川だからなのか、いつもとは違う状況と立場だから奇妙に興奮しているからなのか、分からない。いずれにしても、蓮川の手で、あちこちを撫で回されるだけで、裕太の体はビクビクと大げさなくらい反応してしまうのだ。
「…いやらしい体」
と、蓮川が悔しそうに言う。なぜ悔しそうなのか分からなくて、でも、軽蔑されているのでなければ、まあ良いかと裕太は短い喘ぎ声を何度も上げた。
「…ソコ…やっ…」
 普段は滅多にいじられることなど無い乳首を執拗に嘗め回され、指で挫かれ腰が浮くのが居た堪れない。
「嘘ばっかり。真っ赤になって立ってるよ。ここ、好きなんだ。女の子みたい」
 そんな風に言わないで欲しいと思っているのに、体の反応は正反対で、まだ、まともに弄られてもいない裕太の性器は完全に勃ちあがっている。乳首を弄り回していた有能な手がさらりと優しく脇腹を撫でながら、ようやく下肢に達したときは、裕太は恥も外聞も無く足を開いて、刺激をねだった。
「…っとにタチ悪い。いやらしい。そんな風に一志にもねだるワケ?」
「…ってない…アッ! アゥッ! …ンッ、ンッ、ヤダッ! そんなに弄ったら…」
「イク? 良いよ。先生のイクとこ見せてください」
「ンッ! ああ、あ、あああっ!」
 蓮川の巧みな手に触れられて、裕太は自分でするときよりも呆気なく射精してしまう。ビクビクと反射のように揺れる腰が恥ずかしくてギュッと目を閉じれば、貪りつくようにキスをされた。ただでさえ息が上がっているのに、舌を突っ込まれて縦横無尽に口腔内まで犯される。甘ったるい痺れが舌と、腰に広がって裕太は生理的な涙を零した。
「先生の顔ってさ、犯罪的にいやらしいよね。その泣きボクロとか、ホント、どうしてやろうとか思うよ」
 口が離れた隙に、そんなことを囁かれる。言われた言葉を、そっくりそのまま返してやりたい。今、自分の上で微かに息を乱し、うっすらと汗をかいている年下の男は、どうにでもしてくれと叫びたくなるほど色気に満ち溢れている。少年でもない、男でもない。その中間の、微妙な年齢の、どこか清々しさを感じさせるような色気なのだ。
 息を乱したまま、じっと蓮川の顔を見上げていると、伺うように指先でぐるりと排泄器官の周りを撫でられた。
「あっ!」
 反射的に声が上がる。やっぱり、その段階まで進むのかと、覚悟を決めて裕太は目を閉じた。いい加減、そろそろバレるだろう。そこを使ったセックスなど経験が無いことが。けれども、蓮川は手馴れているようで、ドロリとローションを多めに垂らされて、そのまま指がズルリと入り込んできた。グルリとそこを広げるように指を回される。それからゆっくりと指を出し入れされた。
「んっ…ひぁっ」
 奇妙な圧迫感と排泄感。心許無い感覚に裕太は逃げ出したくなる。けれども、あまり不快は感じなかった。相手が蓮川だからなのだろうかと考えて、いい加減、自分の健気さが憐れになった。
「…もしかして、ここ使うの久しぶり?」
 微妙に戸惑った声が聞こえて裕太は目を開ける。蓮川は眉間に皺を寄せ、どこか訝しげな表情で裕太を見下ろしてきた。裕太は、なぜか、急に笑いたくなってしまって、実際に薄っすらと笑って見せた。
「久しぶりも何も。蓮川、この間、俺がバックバージンかどうか聞いたよね。その通り。俺初めてだよ」
 そう言ったなら、途中でやめてしまうのだろうか、やめられたら少し残念だなと思いつつも、騙したままなのはフェアじゃないような気がして、裕太は素直に事実を告げた。引き返すなら、今しかないだろうと。けれども、蓮川は酷く驚いた顔をしただけで、やめるとも、引き返すとも言わなかった。ただ、神妙な顔で、
「なるべく優しくするけど…キツかったらすみません」
と謝っただけだった。
 グチュリとローションを足された二本目の指が入り込んでくる。見えないながらも、ギチギチだという感触がして、裕太は一瞬だけヒヤリとした。切れるかと思ったのだ。けれども、蓮川の方が冷静で、
「大丈夫だから、息吐いて」
と指示される。この時ばかりは年上だとかなんだとか、そんな意地を張ったりせずに、裕太は素直に息を吐き出した。
「そう。上手」
 褒められて、少しだけ力が抜けた途端、やっぱりグルリと広げるように指が回されて、それと同時に、ビリビリと電流のようなものが背筋に走った。
「アアアッ! ヒッ! ヤッ!」
 反射的に、萎えていた性器が反応するのが自分でも分かって裕太は驚く。
「あ、ココか。良かった。ちょっとは楽になるかも」
と、どこか安堵した蓮川の声が耳元で聞こえたけれど、少しも楽だなんて思えなかった。グイグイと指で押されると、逃れようの無い快感がビリビリと足の指の先にまで走る。
「ヤダッ! ヤメ…ッ! ンッ! ンッ! アアッ!」
 ビクビクと腰がはねて、まるで、無理やり射精させられるような、否応の無い感覚が押し寄せる。楽じゃない、ちっとも楽じゃない、むしろ痛いほうがマシだと思えるような感覚だった。裕太は子供のように、嫌々と首を必死で横に振る。けれども、蓮川は全く頓着しない。頓着しないどころか。
「すごい。先生、いやらしくて可愛い。先生のココに入れたい。入れて良いですか」
 グチグチと指を回して広げながら、そんなことを切羽詰った声で耳元に囁くのだ。見上げれば、いつもの蓮川らしからぬ、どこか飢えたような表情が目に入る。冷静さなどかなぐり捨てた、ただ、純粋に自分を求めているだけの顔だった。それを見た途端、ああ、もう、駄目だ、と思う。完全に駄目だ、自分の完敗だと、どこか飛んでしまった頭で裕太は思った。
「イイ! 入れてイイ、からっ! 入れて、イイ、入れて!」
 この感覚をどうにかして欲しくて、助けを求めるように叫んだはずなのに。足を抱えられ、与えられた衝撃は、さらに悲鳴を上げたくなるものだった。けれども、声にならない。
「…ッ! …ッ! ……ンンッッ!」
 体だけをビクビクと震わせて、自分が衝撃で達してしまっていることにも気が付けず、裕太は、必死に蓮川の背中にしがみ付く。助けて欲しくてそうしたはずなのに。
「先生っ!」
 蓮川は完全に抑制を失った声で叫び、ガツガツと激しく腰を動かして、裕太の内部を犯し始めてしまった。駄目、無理、死んでしまう、初心者に何をするんだと頭の中ではグルグルと言葉が回っているのに、そのどれ一つとして裕太の口から出ることは無かった。
「アッ! アッ! ヒァッ! …ヤアッ!」
 出てくるのは、言葉にならない、甘ったるい喘ぎ声ばかり。結局、自分が、一体いつ意識を失ったのか分からないほど、裕太は蓮川に好き放題やられてしまったのだった。



「要は、裕太が家庭教師する前から裕太の事知ってたんだよ」
と、一志が教えてくれたのは、それから三日後の事だった。
 初めて蓮川とセックスして、次の朝立ち上がれなくなった裕太を、蓮川は自分のマンションに連れて行った。連れて行かれたマンションには、一志と、その母である涼子がいて、なぜだか、二人ともさして驚きもせず、裕太を受け入れてくれた。まともに立ち上がることが出来るようになるまで、裕太は蓮川のマンションにいる羽目になり、三日目にようやく帰ろうとした時に、一志がそれを言い出したのだ。その時、蓮川は高校に行っていなかった。
「何度か、お前をお袋の店に連れてった事あっただろ? その時に、要は祐太の事知ったんだよ」
「それより…ここ、お前のうち?」
「そう。要と一緒に暮らしてンだよ。あいつの母親、大分前に死んでるからな。父親はどこの女のトコにいるか分かんねーロクデナシだし」
 それでは、今まで家庭教師をしていた場所は一志の家だったというのか。それなら最初から言えばいいのにと、少しだけ裕太は恨みがましい気持ちになった。今まで、一志が家に裕太を呼ばなかった理由がそれでようやく分かったのだけれど。
「要はさー、スゲエ外面イイ奴なんだよ。半端じゃない猫被り。絶対、気を許した奴にしか本性見せないし。その本性も、年齢の割に、変に冷めててドライで、そういうところが心配だったんだけど。何かさ、裕太を見た途端、急に関心示したんだ。あんな要見たの、俺、初めてだった。面白半分で、俺と裕太が付き合ってる、みたいなこと言ったら、本気で嫉妬するし。でも、俺は、裕太には悪いけど、そんな要が見れて、少しだけ嬉しかった」
 だから、騙すように蓮川と引き合わせたのだと一志は告白し、そして、すまなかったと潔く謝った。
「アイツがあんな性格になったのって、絶対、家庭環境が影響してたと思うんだよ。恋愛とかもさ。親父の店の、後腐れの無い玄人の人間とばっかり割り切った付き合いしてて。大人ぶってるけど、でも、多分、本当に誰かを好きになったこととか無いんじゃないかと思った。だから、別に、お前と付き合えばいいと思ったワケじゃないけど、それでも、何かのきっかけになれば良かったんだよ。年上の友人とか、そういう関係になるなら、それもアリだと思ったし」
 でも、俺が考えてたより要は子供で、しかも、お前に執着してたみたいだな、と一志は苦笑いを零した。裕太は少しだけ複雑な気持ちになる。あの大人びた高校生の裏側に、そんなことが隠されていたとは思わなかったからだ。それに、未だに、裕太は蓮川から何の言葉も貰っていないのだ。好きだとか、付き合いたいだとか、そんな類の言葉を。
「だから、要は本当に誰かを好きになったこと無いんだって言っただろ。普通に告白して、付き合うとか、どうすれば良いのか分かんねーんだって」
 あれほど色事に慣れているように見える蓮川が、逆にそんな恋愛初歩の事が分からないというのは妙な気がしたけれど、一志が言うと、何となく納得してしまった。

釈然としないものを抱えつつも、結局、そのままズルズルと恋人同士のような関係を蓮川とは続けている。

 家庭教師も、そのまま続行中で、蓮川は裕太と同じ大学の同じ学部を志望することに決めたらしい。普段は常に冷静で、穏やかな笑みを崩さない蓮川が、
「来年からは、先生と同じ大学ですね」
と、どこか子供っぽい表情を浮かべたのを見て、裕太は、もう良いかと思った。所詮は、惚れた方が負けなのだ。






 年下の男に振り回されるのも、そう悪くない。



 



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