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『029:デルタ』 ………………………………

 [1]
 カラカラと音を立てて道場の扉を開くと、独特の匂いが漂ってくる。敢えて表現するなら、木の匂いと汗の匂いが交じり合ったような匂いと言うか。
 良い匂いなのか、悪臭なのかの判断は微妙な線だ。
 だが、慣れてしまえば別段気にならない。内履きを脱ぎ捨てて、すのこの上に裸足の足を下ろすとひんやりとして気持ちが良い。
 冬の間は、この冷たさが地獄のようだが、これからの季節にはもってこいだ。
 一段高くなっている道場の中に足を踏み入れれば、既に、何人かの部員が来ていて、朝練を始めていた。素振りをしている人間や、打ち合いをしている人間。グルグルにマットを巻かれた案山子に打ち込みをしている人間。マチマチだ。
 そんな中、俺の視線はいち早く一人の人間の姿を捉える。
 ピンと背筋の伸びた姿勢の良い人。
 秀麗な横顔は今日も相変わらずで、見詰めていると胸がすっとすくような気分になる。トテトテと木の床に足音を響かせながら、近づいて、
「オハヨウゴザイマス」
 と、声を掛ければ、素振りの手をピタリと止めてくるりとこちらを振り向いてくれた。
 いつもと同じ、隙の無い顔。
「ああ」
 と言う、素っ気無い返事が嬉しいだなんて、かなり終わっているとは自分でも思う。
「…最近、遅刻しないな。珍しい」
 額に浮かんでいる汗を腕で拭いながら、嫌味のような言葉を掛けてくるけど、これは嫌味ではないのだ。会話が下手な人が、不器用に、話題を探しているからこうなるだけだと知っている。
「なるべく長く、部長と一緒にいたいッスから」
 サラリと言うと、少しだけ視線を泳がせて目を逸らす。実は、これは照れ隠し。きっと、知らない人のほうが多いのだろう。あからさまな好意を向けると部長はいつも素っ気無い態度を返す。だから、大抵の人はそれが不快なのだと誤解しがちだが、実は違う。
 嬉しさを表現するのが下手なだけ。
 でも、それを他人に教えるつもりなんて毛頭ない。俺だけが知っていれば良い。
「変なヤツだな」
 抑揚の無い返事が返ってきて思わず笑った。
 照れた時ほど、この人の言葉の抑揚が無くなると、一体、何人の人が知っているんだろうか。
 もっと、からかいたくなって、
「部長と手合わせしたくて来てんスよ。相手してください」
 と言ったら、
「仕方の無いヤツだな」
 と、自分の前髪をクシャリとかき混ぜた。一番、照れたときの仕草。何処か、気だるげに見えて胸の奥が少しだけチリチリとした。
「あっちの空いているスペースで良いか?」
 相変わらずの抑揚の無い口調で、道場の隅のほうを視線で指し示す。場所なんて、何処だって良い。真正面から遠慮なく視線を合わせて許されるのなら、何処だって。
 軽く頷いて、先に歩き出したその人の後ろについてニ、三歩踏み出したときだった。
「周防。足首、まだ、完全じゃないんだろ? 無理は駄目だって言われてるくせに」
 楽しげな声が後ろから聞こえて、俺は忌々しい気分で振り返った。
 案の定、立っていたのはあの人だった。
「常陸。足首なんて、とっくに治ってる。尾張に余計な事を言うな」
 僅かに眉間に皺を寄せ、部長は常陸先輩をじっと見詰めている。頭半分、背が低い俺を通り越して。
 常陸先輩は、相変わらずの穏やかそうな笑顔を浮かべたまま、俺の横を通り過ぎ、周防部長の目の前に立った。
「『後輩』に『心配かけたくない』って気持ちも分かるけど、無理は良くないよ」
 そう言いながら、やんわりと周防部長の肩に手を掛ける。
 殊更『後輩』を強調し、立場の違いを見せ付けるあざとさにも、当たり前のように彼に触れる馴れ馴れしい態度にも、ムッと来た。
 他意が無ければ、腹が立ったりしない。この人は何もかも分かっていて態とやるからムカつく。
 何気なさを装って、チラリとほんの一瞬だけ俺に送った視線が全てを物語っている。
 『周防の横に立つのは僕だけだよ。』と、声が聞こえたような気がした。
「だから、大丈夫だと言っている。余計な事を言うな、常陸」
 焦れたように、部長は言い返したが。
「駄目だよ。そんなに、僕に心配を掛けたいの?」
 そう言って、悲しげな表情を浮かべて常陸先輩は首を軽く横に傾げて見せた。
 その瞬間、俺は、「フザケンナ、この猫っかぶり!」と叫びたくなる。
 部員の殆どは(部長も含めて)皆騙されているけど、常陸先輩は穏やかで優しい先輩なんかじゃない。かなり、あざとくて、腹黒い。
 今だって。
「そんなつもりはない…」
 簡単に、部長はだまされる。そして、困ったような表情で、ちらりと俺を見た。常陸先輩も同じように俺を見下ろして、ふっと笑った。
 余裕の笑みのつもりか? 舐めんなっつーの。
 そっちがそのつもりなら。
「部長、済みませんでした。俺、知らなくて…」
 柄にも無くしおらしい声を出して、俯いてみせる。
「いや。尾張、大丈夫だ」
「大丈夫じゃないです。俺のせいで、部長の怪我が悪化するなんて、嫌だ」
 悲壮な声で言って絶妙のタイミングで見上げてみせる。部長は、困ったような表情のまま、無意識に首を傾げた。こういう、無意識の仕草が、なんか、可愛いっての、分かってないんだろうな。
 別に、女顔でもなければ、中性的なわけでもない。どっからどうみても立派な男なんだけど、普段、全く隙が無いくせに、こんな風に、不意に無防備な表情を覗かせたりするから、堪らない。
 その不意の一瞬を捕まえたくて、なんだか、纏わりついてしまう。
 多分、常陸先輩も、同じ事を感じているんだと俺は推察してる。
「だが…」
 部長は戸惑った表情のまま俺を見ていた。
「良いんっス。その代わり、姿勢、見てもらえますか?」
 『お願い』の視線で見上げると、部長はやはり視線を泳がせて、
「ああ、それ位、一向に構わない」
 と抑揚の無い声で答えた。
 これで、何とか五分に持ち込んだかと思いきや、敵も中々しぶとかった。
「でも、もう、時間が無いよ? 周防、確か、今日は週番だろ? 早めに教室に行かなくちゃじゃないの?」
 にっこり笑ったまま平気で水をさす、この毒に、どうして誰も気がつかないのか不思議だ。
「あ…」
 道場に掛けてある時計に視線をやり、部長は再び困ったような表情で俺を見た。
「放課後で良いっス。お願いします」
 そう言って、勢い良く頭を下げる。誰が引き下がるかっつーの。放課後、態と、型を崩して手取り足取り教えてもらおうと俺は強く心に誓った。
 そっちが、自分から触るのなら、俺は逆に触ってもらう。どうやら、敵は、『後輩』という立場が『不利』だと勘違いしてるみたいだけど。
「ああ、分かった。悪いな」
「いえ。早く行ってください」
「ああ。それじゃ、放課後な」
 邪魔者が口を挟めないように捲くし立てると、周防部長は機敏な動作で踵を返して道場を出て行った。

「…尾張。君は、型を直す必要なんて無いんじゃないのかい? 去年、全国制覇した天才剣士なんだから」相変わらずの穏やかな笑顔だけど、口の端が笑顔を作るのに失敗してますよ、常陸先輩。
「とんでもない。中学と高校じゃレベルが天と地ほど違いますから。それに、敬愛している周防部長に少しでも近づきたいって思うのは当然っス」
 そう言ってフンと鼻を鳴らして見せると、常陸先輩は、スッとその顔から笑みを消した。
「調子に乗るのも程ほどにした方が良いね」
「常陸先輩、猫が脱げてますよ」
「今更。大体、君は三年前から目障りだったんだ」
「それは、こっちの台詞っス。二年ハンデがあるんっス。遠慮はしません」
 真正面からメンチ切って、キッパリと言い放った。
 常陸部長は目を細めて不敵な笑みを浮かべる。いつも言われている「お釈迦様のような笑顔」なんかとは程遠い、意地の悪そうな凶悪な笑顔。
「へえ。じゃあ、僕も遠慮はよすよ」
「卑怯な手段は無しっスよ」
「それを僕に言うの? 無駄だと思わない?」
 ほんっと、この人、性格悪い。何で、周防部長も気がつかないんだよ。鈍いにも程があるっつーの。
「そっちがそのつもりなら、俺だって、考えがあります」
「ふうん。良いんじゃないの?」
 面白そうに首を傾げたけど、常陸先輩、意外と余裕無いっスね。足元、掬われないと良いですけどね。
 バチバチと視線だけで戦っていると。

「最後に素振り50回忘れるな!」

 わざわざ、言い忘れたのを言いに来た部長の声が、暢気に道場内に響き渡ったのだった。





 [2]
 ふと、視線を窓の外に移した途端、目に飛び込んできた。
 姿勢の良い背中と、涼しげな横顔。
 季節はとうに梅雨を過ぎて、照りつける太陽の光は強く、気温は高いのにその横顔は暑さを感じさせない。
 心頭滅却すれば火もまた涼し、なんて言葉が脳裏を過ぎる。
 そう言えば、中学時代の夏合宿でも同じような事を感じていたなと思い出した。三年も前の話だ。あの頃は、彼に対する執着のような感情の根源を全く理解していなかったけど。
 ピンと背筋を伸ばしたまま、颯爽と渡り廊下を歩いて行く。時折、鬱陶しそうに長めの前髪を掻き揚げるのは、きっと本人が気が付いていない癖なんだろう。
 沢山の生徒が渡り廊下を歩いているのに、その人だけを瞬時に見つけてしまうなんて、相当、俺も参っているなあ、と思いながら視線がはずせずに、そのまま見詰めていると。
「随分と熱い視線を送っている事で」
 と、聞きたくも無い声が後ろから聞こえてきた。
 何で、この人は、いつもいつも、こういうタイミングで人に声を掛けてくるかな。天才的な嫌がらせの達人だと思う。
「…常陸先輩…別に、人が何を見ていようが勝手じゃないですか…」
「まあ、見てるだけなら勝手だけどね」
 含みのある、嫌な笑いを浮かべながら常陸先輩は俺の横に立つ。窓際から同じ方向に視線を送り、それから、もう一度、俺のほうを見た。
「夏休み、勉強を教えてもらう約束したんだって?」
 表情は、相変わらず飄々とした笑顔を浮かべているけれど、何となく余裕がないようにも見える。俺の穿った見方のせいだろうか。
「…悪いですか?」
「悪いんじゃない? 周防は受験生だよ?」
 そんな牽制を送ってくるけど、意味は無いんだって常陸先輩は分かっているはずだ。
「…だって、部長も常陸先輩も指定校推薦枠じゃないっスか」
 呆れたように睨みながら言い返してやると、そういう答えが返ってくるのを予測していたかのように常陸先輩は苦笑いをして肩を竦めた。
「そうなんだよなあ…せめて、僕も尾張くらい頭が悪かったら周防に『勉強教えてくれ』って恥も外聞もなく言えるんだけど」
 ホントにこの人は性格が悪い。しかも普段は完璧な猫を被っているから始末に終えない。俺に対しては嫌味、毒舌の嵐なくせに、他の部員に対しては物腰が柔らかく、部長とはまた違った意味で、部員達に絶大な信頼を誇っている。
 大体、俺のほうがよっぽどハンデがあるんだから、あれこれ画策したくらいで目くじら立てんなよ、と言ってやりたい。
「…良いじゃ無いですか。常陸先輩、部長と同じ大学行くんだろ?」
 俺が忌々しげに言ってやると楽しそうに、ひょいと眉を上げた。その余裕の態度がムカつくんだっての。
「まあね。僕の特権だからね」
 特権って何だよ、特権って。ただの友達だろうが! とツっこんでやりたかったが、そうしたところで、「お前はただの後輩だろう」と返事が返ってくるのは想像に難くない。仕方が無いので、面白くない気分で口を噤んだ。
 部長は、とうの昔に向かいの校舎に入ってしまい、その姿は見えない。渡り廊下には燦燦と夏の日差しが照りつけていて、時々、思い出したように生暖かい風が吹き込んできた。
「…暑くなりましたね」
 返事を期待したわけではなく、ただ、何となく夏だなあと思って独り言を漏らしたら、常陸先輩は不思議な表情で笑った。
「そうだね。僕達もあと一ヶ月で引退だ」
 その表情は、常陸先輩らしくなくどこか寂しげだ。常陸先輩の言葉の通り、夏の大会を最後に三年生は部活を引退する。そうしてしまえば、また、二年間、俺は部長と何も接点が無くなってしまう。その繰り返しだ。
 たった二年、生まれてくるのが遅かっただけで横に並んで歩く事が出来ない。この理不尽さは何だ、と、急に遣り切れない気分になってしまった。
「ああ、そうだ。今日の部活、最初の三十分ミーティングするから道場じゃなくて部室に集まれって伝言しに来たんだった」
 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、常陸先輩は急に口調を軽いものに変えて俺に告げる。
「あ、そうなんスか?」
「ああ。一年に伝達しておいて」
「分かったス」
 俺が素直に頷くと、常陸先輩は何がおかしかったのか、不意に声を立てて笑った。
「? 何スか?」
「や、お前って僕の事やっぱり嫌いなワケ?」
 笑いながらそんな事を聞いてくる。や、別にキライっつーか…。
「キライなわけじゃなくて、目触りって言うか。…部長の横に当たり前に並んでるのが悔しいって言うか…」
 突然尋ねられたせいで、思わず、言葉を選ぶ余裕も無くポロリと本音を漏らしてしまうと、常陸先輩は益々声を上げて笑った。
「お前、ほんっとバカ正直だな」
「すみませんね…」
「別に悪かないけど。…逆に、僕はお前のそう言う所が羨ましかったりするけどね」
 目元に悪戯な笑みを浮かべて常陸先輩は俺を見た。何っつーか、後輩を楽しんでからかってるときの顔と同じ顔。この人、ホント、人をからかって玩具にするの好きなんだよな。物言いが優しくて、みんな、あんまり気が付いてないみたいだけど。
「…ホントは、そんな事思ってないんだろ? いっつも部長の隣にいて、大学まで同じトコ行くし。いっつも、一緒にいるじゃん」
「お前、敬語崩れてるよ」
「常陸先輩の事は先輩と思ってねえもん、俺」
「だろうなあ。つーか、お前、周防以外は先輩と思ってないからなあ」
 俺の無礼な言葉遣いに怒るでもなく、常陸先輩は窓の外に視線を移した。
「前から、尾張に聞きたかったんだけどさ、お前って、どういう意味で周防が好きなワケ?」
 世間話をするような軽い口調でコアな話題を振られ、俺は絶句する。突然、そう来るか?
 何て答えようか一瞬考え込んで、そう言えば常陸先輩とこういう話をちゃんとするのは初めてなんだと気が付いた。常陸先輩が、俺と同じような意味で部長に執着しているのは、自然と分かった。でも、それは常陸先輩の口からはっきり聞いたワケじゃなくて、同じような視線を同じ対象に向けているもの同士、何となく空気で分かってしまった、っていうだけで。
 そんで、動物が同じ領域に入り込んだのを本能で察知して、威嚇しあいながら縄張り争いをしてるって構図がいつの間にか出来てたんだけど。
 それを、急にはっきりとした言葉に表した常陸先輩に、強い意志みたいなものを感じた。
 この人、何かしようとしているんじゃないだろうか、って。
「…急に、何でそんなこと聞くんスか?」
 警戒しながら上目遣いに睨み上げ、低い声で尋ねると、常陸先輩はスッと笑いを消した無表情の顔で俺を見た。
「何でだと思う?」
「…その顔は、試合で敵を叩きのめそうとしてる時の顔っスね」
 フンと鼻で笑いながら(半分は威嚇の意味だ)指摘してやると、常陸先輩はいつも部員に見せているのとは全く違う意地悪な笑みを浮かべた。
「よく見てるな」
「敵を倒すには、まず、敵を知れ。アンタの教えだろ?」
「先輩にアンタとか言うなよ」
 鼻白んだように常陸先輩は苦笑する。それから、いつもの作り笑いを顔に貼り付けたまま言った。
「僕は、アイツがいないと生きていけないんだよね。だから、夏休みの間にでもヤっちゃおうかと思ってるんだけどさ。一応、お前には言っておかないと卑怯かな、と思って」
 飛び出した爆弾発言に、頭の中が真っ白になった。
 ヤッチャオウカトオモッテルンダケド。ヤッチャオウカト…ヤッチャウ…。
 ヤッチャウ…って…ヤッチャウって…犯っちゃう?
 頭の中で漢字変換した途端に足元に穴が開いて、奈落に落っこちていくような気がした。
「ア…アン…アンタ、何言ってんだよ? ヤっちゃうって…そんな、そんな事…何…」
 混乱した頭で俺がアワアワしてると、常陸先輩は、さも楽しそうにゲラゲラ笑った。
「やっぱりなー。そうだと思った。お前、そこまで考えた事無かったんだろ? お子様だなー」
 腹を抱えてヒーヒー笑ってる。
「や、まあ、でも安心したわ。それなら暫く放置してても大丈夫そうだし」
 目尻の涙を拭いながら常陸先輩はそう言った。涙流してまで笑う事か?
 俺は酷く侮辱されたような気がして、憮然とした表情でヤツを睨みつけた。
「アンタ…アンタ本気で、ヤルとか思ってんのか?」
 俺が穏やかでない気分で聞くと、ヤツは相変わらず笑ったまま
「さあね」
 と、返事をする。
「卑怯な事すんなよ!」
「なんで? 同意の上だったら卑怯な事じゃないだろ?」
「ど…同意なんてしねえよ! 部長は、そん…そんな変なことしないんだ!」
 俺が、動揺したままそう叫ぶと、ヤツは一瞬目を大きく見開いて、その直後、再び盛大に爆笑した。
「おま…お前、ほんっと面白いわ」
 笑い死ぬーとか言いながら笑い続けてる。俺は羞恥と怒りの余り頭が爆発するんじゃないかと思った。
「あー…まあ、そう思うなら良いんじゃないの? 僕は基本的に無理強いとかは大嫌いだからさ」
 まだ、笑いが収まらないらしくニヤニヤしたまま常陸先輩は言った。
「部長は、絶対に、同意なんかしねえ!」
 悔し紛れに腹のそこから唸ってやると、常陸先輩は「どうだかな」と首を傾げた。
「ま、同意する、しないはさておき。アイツがいないと生きていけないってのは本気だからさ。お前もさ。同じ土俵に上がるのか上がらないのか、はっきりさせてくれよ。お前の出方次第で僕の方針も決まるからさ」
 と、何だかよく分からない事を言い捨てて、窓際から離れる。
「それじゃ、部活、遅れんなよ」
 そのまま、俺に背を向け手をひらひらと振りながら去って行った。

 なんだか、釈然としない気分で俺はその背中を見送る。
 胸の奥には、もやもやとした焦燥感と苛立ちがわだかまっていた。

 同じ土俵に上がるか、上がらないか。
 常陸先輩が言っていた言葉を反芻しながら、俺は考える。
 夏休みが終わるまでに、その答えは出さなくてはならないような気がした。
 夏休みの宿題よりも、厄介で、難解な課題を突きつけられた、16の夏だった。
 



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