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『012:ガードレール』 ………………………………

 ウィーンウィーンとモータの回る音と、グチャグチャと粘膜の引っ掻き回される音がする。室生光太郎(むろうこうたろう)はタオルで目隠しされているので見えないが、相当みっともないことになっているのは容易に想像できた。必死に声をかみ殺そうと噛み締めている枕のカバーは唾液でグチャグチャだし、頭の上で一括りに縛られている手首は擦れて痛みを訴えている。目を覆っているタオルも涙で湿っていた。
「わあ、凄いネ。もう、三回目なんだけどなあ。イっちゃいそう?」
 暢気な声が、少し離れた場所から聞こえる。そのすぐ後に体の中に突っ込まれているソレをグリグリと動かされ、室生は「ヒィ!」という悲鳴と「やめてくれ!」という言葉を同時に発しようとしたが、それは枕に吸収されてくぐもったうめき声にしかならなかった。
 先端についている疣がちょうど前立腺の辺りを刺激しているのだろう。突っ込まれる前に、そのグロテスクな物体を楽しそうに見せ付けられたので余計に形が想像できて、室生は情けなくて仕方がなかったが、生理的な欲求には勝てずに、あっさりと射精してしまった。
「あ!」
 と言う驚いたような声の後、すぐにズルリとそれを乱暴に引きずり出される。それと同時に室生の腰を支えていた腕が離れて行き、力を失った腰はそのままくず折れるようにベッドの上にドサリと落ちた。
「何だよートコロテンしちゃったの? 俺だってまだそれは出来なかったのに。何か機械に負けるなんて屈辱〜。オジサン、愛が足りないんじゃない?」
 まるで、子供が拗ねているような声で言われたが、室生には反論する体力など微塵も残っていなかった。もう何もかもがどうでも良い。早く眠らせて欲しかった。
「でも、凄いよね。四十歳になっても一晩で3回ってイけるもんなんだ。オジサン、結構顔は淡白そうなのに人は見かけによらないよね」
 そんな言葉を聞いても、怒りさえ起きない。睡魔と疲労に負けて室生はウトウトと眠り始める。もう、どうでも良い。プライドだとか尊厳だとか。そんなものは、あのガードレールに捨ててきたのだと、とうとう室生は意識を手放した。



 それは、最悪の夜のコトだった。室生は人生の岐路に立たされていた。それも、自殺するかホームレスを選ぶかと言う究極の選択を目の前にして。
 それなりにエリートコースを歩んでいたはずの人生だった。自動車一流企業の営業として、最前線を突っ走ってきた室生には仕事が全てだった。30代の前半までは営業成績トップを取り、報奨金を貰ったことさえあったのに、一体、どこで歯車が狂ってしまったのか。気がつけば世の中は不況の嵐で、室生の営業成績も35歳を境にパタリと振るわなくなってしまった。それに追い討ちをかけるかのような会社の経営不振。赤字の増大に伴っての経営者交代。経営方針の転換による大規模なリストラ。それは最近の世の中ではあちこちに溢れている構造で、室生は哀れにもその構造の犠牲になった男だった。
 気がつけば仕事も失い、家族も失っていた。仕事に明け暮れ、家族を省みないしっぺ返しが今になってくると言うのは実に皮肉な話だ。ローンの担保にしていた土地と家も取り上げられ、室生はそういった経緯でまさに無一文の状態になり路頭に放り出されてしまったのだ。そんな状態でふらふらとあても無く街中をさ迷い、まともなものを口にしなくなって三日ほど経った夜のことだった。
 深夜の繁華街。ガードレールにだらしなく座り込みながら室生は葛藤していた。目の前にはファミリーレストランの裏口。そして、歩道を挟んだガードレール脇にはそのゴミ捨て場。その残飯を漁るべきか否か。深夜まで営業しているファミリーレストランからは美味しそうな食べ物のにおいが漂ってきている。室生の空腹は限界に達しようとしていた。人間としてのプライドと尊厳を捨ててゴミ箱を漁り、ホームレスの身に落ちるのか、それとも、自殺でもするか。一時間以上もその場所に蹲って、悶々と悩んでいる時に室生はその少年に出会ったのだった。
 深夜であるにも関わらず、制服姿でその少年はガードレールに腰を下ろしていた。身なりのきちんとした少年で、恐らく高校生なのだろう。そのきちんとした風貌から室生は塾の帰りなのだろうかと思った。最近の高校生は、こんな夜遅くまで塾通いなのか。大変だな、などと考えていると少年は制服のポケットから煙草を取り出し、何の躊躇もせずにそれを吸い始めた。
 制服を着たまま、そんなことを始めた少年に室生は驚く。最近の高校生はモラルが低いとは聞いていたが、実際にその姿を目にすると呆気に取られてしまった。暫くして、室生は注意すべきかと悩んだが、こんなホームレス同然の男に注意されて少年が聞くとも思えない。それどころか、逆切れして暴力を振るわれる方が恐ろしいと思い、室生は無視を決め込もうとした。しかし。
「ねえ、オジサン。ホームレスなの?」
 突然、少年は室生を見下ろして訪ねた。一瞬、室生は否定しかけて、ハタから見ればそれと大差ないだろうと思いなおす。
「まあ、そんなもんだ。見れば分かるだろう」
 とぶっきらぼうに答えた。少年は、何を思ったのかじっと室生を見詰めてから、
「いや、見て分かんないから聞いたんだけど。まあ、イイや。オジサン、俺が拾ってあげようか?」
 と、唐突にそんな事を言った。
 拾ってあげようか、とは何事かと思って目を皿のようにして少年を見返すと、少年は幼さの残るその顔に、あどけない笑顔を浮かべて、
「お腹すいてない? ご飯上げようか? かってやるよ」
 と続けたのだ。その『かってやるよ』が『買ってやるよ』ではなくて『飼ってやるよ』だったと室生が気がついたのは、もう、引き返しようの無い最悪の状況に追い込まれてからだったが。
 結局、室生は愚かにも空腹に負けてその少年について行ってしまったのだ。

 そして現在に至る。

 その少年は名前を北原達治と行って、どうやら高校二年生のようだった。だが、高校生にしては不審な部分が多すぎる少年だった。まず、3LDKの新しいマンションに一人暮らしをしている。調度品が不自然なほど豪華で、どう見ても質素な生活をしているとは思えない。室生に与えられる食事は、どこぞの一流ホテルのデリバリーだとか、料亭の仕出し弁当だとかで、時々北原が作ったりもするが、その食材も高級和牛だの旬の高級魚だのと、決して安価なものではなかった。基本的に、室生はそのマンションに閉じこもっているが服だの本だの日用品だのが欲しいといえば、ポンと万札を渡される。一体、どういう少年なのかまったく不明で、一ヶ月近く一緒に生活していても室生にはさっぱり少年の事が分からないのだった。
 ただ、分かるのは自分が犬猫のように飼われていること。そして、夜になれば北原の玩具にならなくてはならないということだった。初めて北原に拾われてきた日から、とにかく室生はとんでもない目に合わされ続けている。極々平凡な学校を卒業し、平凡に結婚し、働いてきた室生だ。真面目な性格だったので風俗にも行ったことが無ければ、同性愛と言う言葉にすら殆ど触れたことなど無かったのに。
 一体、ホームレスになるのとどっちがマシなのだろうかという行為を強要されて、それなのに室生はヒーヒー喚きながら何度も北原にイかされた。今でも、縛られたり、バイブだのローターだのを突っ込まれたり、望まないことを施されているが、結局、最後には室生は散々喘いでイってしまうのだ。
 男に、しかも親子ほども歳の離れた高校生にそんなことをされてよがり狂っている自分に室生は激しい嫌悪を覚える。けれども、不思議と北原を恨んだり憎んだりする気にはならなかった。そもそも、こんな状態が明るみに出て罪を問われるとしたら倍も年長者の室生だろう。それに、逃げようと思えば逃げられるのにそこから逃げ出さないのは結局は室生なのだ。夜の変態じみたセックスを除けば、極めて安穏とした贅沢な生活。それに甘んじている自分に時折吐き気を催しながら、結局、状況を甘んじて受け入れている室生だった。

 そんな生活に転機が訪れたのは、とある平日の昼間のことだった。北原は高校に行っているらしく不在だった。唐突にインターフォンが鳴らされ、誰かの訪問を告げる。今まで、北原が不在の時にマンションを訪ねてくるのは、セールスか保険か何かの勧誘しかなかったので、最初、室生もその類の客だろうと思って受話器を取った。
「達治か?」
 不躾にも、声の主は唐突に尋ねてきた。室生は、一体誰だろうかと首を傾げ家に招き入れるべきかどうか迷ったが、結局、相手の強引な態度に押し切られて北原の留守宅に男を上げてしまった。男は名前を北原豊治と名乗り、達治の兄だと言った。
 豊治は見るからに身なりが良く、年の程は30前後だと思われた。恐らく室生よりは十は年下だろうが妙な覇気があって、室生は一目見ただけで気圧されてしまった。背の高いがっしりとした体格に、鋭い目つき。なまじ顔が整っているだけに、ジロリと睨みつけられると迫力があった。
「アンタは誰だ? 達治の何だ?」
 じろじろと舐めるように室生の頭の天辺から足の爪先まで観察しながら豊治は尋ねた。誰だ、と尋ねられても室生には答えられない。一体、自分が北原の何なのか自分でも分かっていないのだ。まさか北原の玩具だとかペットだとか答えるわけにもいかない。答えられずに室生が黙り込んでいると、豊治は不意に思いついたのか、
「嗚呼。新しく犬を飼いはじめたとか何とか言っていたが、アンタのことだったのか。あいつも、どうしようもないな」
 と、心底軽蔑しきったような呆れた声で言った。その言葉がグッサリと室生の胸に突き刺さる。分かっていたはずだったが、そんな風に見ず知らずの人間に言われるとさすがにこたえる。豊治は相変わらず室生にジロジロと不躾な視線を送っていたが、不意に、
「幾らだ」
 と、口を開いた。
「え?」
 と室生が間抜けな顔で尋ね返せば、フンとバカにするように豊治は鼻で笑った。
「幾らだと言っているんだ。幾ら出せば、アンタはここから出る気になるんだ?」
 そう言われて室生は顔面蒼白になる。要するに手切れ金を払うから出て行けといわれているのだ。北原の家族にならば、そう言われても仕方が無いだろう。そもそも、北原は高校生で、未成年なのだから。経緯はともあれ、室生がたぶらかしていると思われるのは至極当然のことだった。冷静な頭で考えれば簡単に分かることだったのに、室生は今の今まで考えることから逃げていたのだ。扶養者の身である北原に体を切り売りして養ってもらう意地もプライドも無い今の自分。惨めなことこの上なかった。
 室生は顔色を失ったまま、フラフラと立ち上がる。
「お金は…お金なんて、いりません。すぐに、出て行きます」
 そう言い捨てると後先など考えずに、部屋を出た。後ろの方で豊治が何かを言っていたが、その言葉も全く耳には入らなかった。



 北原と初めてであったガードレールに、あの時と同じようにもたれて蹲る。結局、最初から室生には何も無かったのだ。自殺するにしろ、ホームレスになるにしろ、北原に拾われるにしろ、捨てたものは結局一緒だったような気がする。この場所で、室生は最初から選びようも無く何かを捨ててしまっていたのだ。
 いつの間にかすっかり日が暮れて、街灯が照らし出す繁華街を帰宅途中の学生やサラリーマンが通り過ぎていく。それを虚ろな瞳で見詰めながら室生はただひたすらぼんやりとしていた。ポツリポツリと小雨が降り始め、室生のシャツの肩を濡らして行く。微かな寒さを感じながら、室生は、もう、このままここで餓死でもしてしまおうかと投げやりな気持ちになっていた。しかし、暫くの間じっと濡れていくアスファルトを見詰めていると、不意にスニーカーとグレーのズボンの裾が目に入る。室生はギクリとした。初めて会ったときに北原が着ていた制服のズボン。それと同じ色。
 案の定、室生が顔を上げれば、少しだけ頬を上気させ怒ったような表情の北原が立っていた。
「何で、勝手に出て行くんだよ」
「…こんなことは、間違っている」
「何が間違ってんだよ。良いから来いよ。帰るぞ」
 北原は強引に室生の腕を引くと立ち上がらせようとする。しかし、室生は従わなかった。頑としてガードレールに体を押し付けて、必死にその場所に留まろうとする。それでも無理矢理北原が腕を引っ張るので、室生は思い切り腕を降って、それを引き剥がした。
「俺は犬じゃない!」
 そう叫んで北原の顔を睨み上げる。北原は室生が突然叫んだことに驚いたような表情をした。
「俺は犬じゃないんだ! ちゃんとプライドだって、意地だってあったはずなのに! お前のせいだ! 人間として生きられないなら、ここで飢え死んだ方がマシだ!」
 まるで、駄々をこねる子供のように室生が叫び続けると、北原は戸惑ったような顔をした。そんな風に困惑した表情はどこか子供らしく、歳相応に見えて室生は後悔する。20以上も年下の男になぜこんなことを訴えているのか。しかも、今まで散々金銭的に世話になっておきながら、この言い草だ。
「…死ぬなんて言わないでよ。ちゃんとオジサンの言うこと聞いてあげるから」
 それでも、北原にそんな風にあしらうよなことを言われるとささくれ立つ気持ちを抑えることは出来なかった。
「うるさい! オマエは俺のこと犬だと思っているんだろう! いい玩具だって! それが証拠に、一度だって俺のことを名前で呼んだことは無いじゃないか! 俺はオジサンなんて名前じゃないんだ!」
 もはや八つ当たりに近い言いがかりをつけると、北原は途端にムッとした表情になる。
「…アンタだって…室生さんだって。俺のこと『キミ』とか『オマエ』とか呼んで、一度だって名前を呼んでくれたこと無いじゃないか」
 ポツリと北原はそう零すと、不意に泣きそうな顔になる。その表情に室生は慌てて立ち上がった。まるで、小さな子供を苛めたような気分になってしまったのだ。
 そう言われてみれば、確かに北原のことを名前で呼んだことは無かったかもしれないと思い当たる。一ヶ月以上も一緒に暮らしているのにだ。北原は、泣き出しそうな表情のままキュッと室生の袖を掴む。まるで、迷子の子供が頼りなげに誰かに縋っている姿のようだった。
 ふと、室生は今更のように北原がたった17歳の高校生であることを思い出す。それから、ひどく冷めたような目をした北原の兄の顔を思い出した。もしかしたら家庭的に恵まれない少年なのかもしれない、と室生は漠然と想像してしまい、そうしたら、北原の手を振り解けなくなってしまった。ノロノロとした足取りで、北原に連れて行かれる。
 結局、室生の反抗もそれ以上は続かず、家出は半日足らずで終了してしまった。




 ソファの上にひっくり返り、腹を抱えてゲラゲラと北原は笑い続けている。
「いや、室生サンってほんっと思考回路がマニュアル通りって言うか、ベッタベタなんだね」
 笑いすぎて浮かんでいる涙を指で拭いながら北原は言った。
「悪いけど、おれ両親には溺愛されているんだよね。兄貴も歳離れてるから甘いしさー」
 マンションに戻り、室生がそれとなく北原の家庭について尋ねれば、北原は笑いながらそう答えた。聞けば北原の家は『北原組』という全国規模の土建会社を経営していて、北原はそこの次男坊だった。しかも、両親の歳が行ってからの子供で末っ子と来ているので、バカみたいに甘やかされているという。
「いわゆるダメな親にボンクラ息子ってヤツ? 会社は兄貴が継ぐし、俺は親の金で死ぬまで楽々生活できるしさ」
 ケロケロとした顔で北原はそう言った。このマンションも親の干渉が鬱陶しくて、むりやりわがままを言って買ってもらったらしい。月々振り込まれているという生活費は室生がリストラされる前の月給のほぼ4か月分だと言うのだから、反す言葉も無い。
「まあ、室生さんなんかリストラされちゃったんだし、世の中は不景気で真っ暗なのに悪いな、と思うけどさ。そういう人種も世の中にはいるワケよ。質素、倹約、勤勉が日本人の美徳ってのも分かるけど、別に全員がその価値観で生きなくちゃならない時代でもないでしょ?」
 と、北原は高校生とは思えないような生意気な口を利く。
「まあ、室生さんはマニュアル通りに生きてきた優等生っぽいから、頭が固いんだろうケド。大体、セックスだってさ、その固い頭が邪魔してるだけで、本当はああいうのが室生さんは好きなんだって。絶対に」
 でなければ、ああもよがったり簡単にイったりしないと言われてしまえば室生には何も言えない。
「別に良いじゃん、高校生に養われてたって。他人に迷惑かけてなければ」
 本当に良いのだろうか、と室生はグルグルと悩んではみたが、北原のイマドキの高校生らしい能天気さを見せ付けられると、考えることが馬鹿馬鹿しくなってしまう。
「ま、別に家出したかったらしても良いけど。ちゃんとあのガードレールのトコにいてよ。拾いに行くから」
 それでは家出と言わないのではないかと室生は思ったが。北原は、軽い口調でそう言ったきり一方的に会話を中断してしまった。嬉々とした表情で室生の服を脱がせながら、小さな玉が幾つも数珠繋ぎになっている怪しげな道具を出してくる。
「今日は、これ試してみて良い?」
 あっけらかんとした表情で尋ねられてやっぱり室生は絶句する。
「あ、そうそう。今度俺がいない時に兄貴が来たら、家に上げないでね。室生さんは何か勘違いしてるみたいだけど、兄貴は室生さんをここから追い出そうとしたんじゃなくて、俺から取り上げようとしてたんだよ。あの人、奥さんいるくせに悪い癖があってさー。しかも血筋って言うの? 俺と好みがメチャメチャ被ってるんだよね。だから、ちゃんと室生さんも気をつけてね」
 更に、そんな事を言われて室生は思考を放り投げてしまった。
 金持ちの考えることは分からない。分からないことは考えても仕方が無い。そう投げやりに結論付ける。



 明日は明日の風が吹く。
 明日のことは明日考えれば良いのだと、堅実な自分らしくないことを考えたが、それが明らかに北原の影響だとは未だに気がついていない間の抜けた室生だった。



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