時間は恋心を弱めてしまう。



「じゃぁな。」

その言葉と共に、鉄製の扉がガチャリと閉まり、自動的にオートロックがかかる。
こうして、半日宍戸さんと会えないなんて事を認識させられて。
僕はこの言葉が嫌いだ。



「ダメだ、却下。」

跡部部長と忍足先輩がそうしている様に、
当然そういう成り行きで、そうなると僕は思っていたのに。
同居の提案は、即却下だった。

一年年下の僕は、当たり前だけど宍戸さんよりも一年遅く進学を決め、
上野に住居を持つことにした。
もっと詳しく言ってしまうと、持たされてしまった。
今の音大に受かった途端、祖父母がグランドピアノを購入してくれ、
父母がそのピアノが置ける素敵な住居を選んでくれたのだ。
僕としては、優先順位的に1・宍戸さん、2・ピアノ、なんだから、
部屋にピアノの一つや二つなくたって、宍戸さんがいればいいとまで思ってたのに。

宍戸さんは学校の都合上、池袋に住居を持っている。
そこを動く事は出来ないし、だからここに同居する事も不可だ、と。
じゃあ僕が池袋に、なんて言う提案は、

「折角こんな環境用意してもらって何言ってんだっ!」

なんていうお叱りと共に、却下。

2・3日泊まりに来る時もあれば、普通どおりに帰る時もある。
僕達は、大学生活彼是2年間、この半同居生活と言う名の下に交際を続けていた。

駄々をこねても、縋ってみても、

「俺の所為で、お前がピアノを練習出来なくなるのは嫌だ。」

とこちらよりも泣きそうな表情で呟かれれば、
結局同意の返事を出すしか、僕に方法はないのだ。



ピアノを奏でる長太郎が好きだ。
鍵盤に触れる細くて長い指先も、少しだけ揺れる骨格の良い身体も、
グランドピアノと一体になるその光景も。
とても、綺麗だから。

長太郎と一緒にいたい気持ちは十分にあれども、
さすがに自分の家を空けてまでずっと入り浸る事は出来ない。
長くても2・3日で帰る様にしているのは、
それ以上を過ぎると、どうしても帰りたくなくなってしまうからだ。

「もう帰っちゃうんですか?」
「あぁ。」

自然消滅なんて言葉がある。
少なからず、それを望んでいる訳ではない。
ただその原理で、時間を置いて少しだけ、高まったこの心を静めたいのだ。

俺ん家は長太郎ん家みたいに、裕福って訳じゃないし、普通の一般家庭。
グランドピアノなんて置ける部屋を探してくれる様な親じゃぁない。
何か専業主婦みたいな事言ってっけど、それなりに俺にも生活ってもんがある。

大体ちょっと愚痴を言っちゃえば、
氷帝男子テニス部はどうしてあんなに金持ちばっかなんだ?
長太郎を初め、跡部だって、忍足だってそうだし。
まぁ、元々監督が榊太郎(43)って時点で、意味不明に納得できるってのもある。

「じゃぁな。」

理由は色々あれども、そんなわけで結局未だに俺と長太郎は半同居生活。
確かに俺が長太郎の家に住んじゃえば、何もかも収まるのかもしれないけど。

「はい・・・、じゃあ。」

その言葉と共に、鉄製の扉がガチャリと閉め、自動的にオートロックがかかる。
こうして、半日長太郎と会えないなんて事を認識させられて。
俺はこの言葉が嫌いだ。



宍戸さんは偶に突然こんな事を言い出す。

「長太郎、何か弾け。」
「はい?」

ソファに座り、宍戸さんはテレビを、僕は楽譜を眺めていた時だった。
リモコンでテレビを消すと、横に座っていた僕の顔を見つめてこう言った。
途端、有無を言わさず椅子に座らされ、もう一度言うのだ。

「何か弾け。」

一言、もう一度聞き返そうとした口を閉じ、
深呼吸を一度すると、指先を鍵盤の上に乗せた。
こういう時の宍戸さんは、大抵何か考え事をしている時が多い。
どうしようか。

迷った結果。
僕が弾き出したのは、chopin作曲・エチュード op.10-11.



ずっと、考えていた。

この端正な横顔とか、楽譜を見つめる真っ直ぐな目線とか、
さらさらとした柔らかい髪だとか。
もっと、もっと、長く見ていたいと。

ピアノは響き続ける。
何かがそこで吹っ切れて、ポツリと思い浮かんだ考え。
大学生活なんて、もう後1年半じゃないか。
そう、一年半。



「宍戸さん?」

曲が終わった。
そんな事脳内ではわかっていたけど、なぜか一言も言葉を発する事が出来なかった。

ふと、長太郎の顔を見つめる。

そうだ。

俺はこの一歳年下の、鳳長太郎というこいつが、欲しくて欲しくて、たまらなかったのだ。

「・・・長太郎。」
「はい。」

長太郎が座る椅子の空いたスペースへと腰を下ろす。
横から凭れ掛る様にして、呟いた一言。

「・・・後、一年半待て。」

今度はしっかりと、正面から。
視線を合わせて言葉を発した。

「大学卒業と同時に俺は、ここに住む。」

瞬間、時が止まった。
長太郎の口は塞がらないまま。

張り詰めた糸が切れた様に、俺はそんな長太郎の間抜け面に爆笑してしまった。

「だ、だっせ・・ぇ・・・・っ・・。」
「ちょ、だ、そんな、宍戸さんがいきなりそんな事言うからじゃないっすか!」

笑いすぎて腹が痛くなるほどに、俺は大声を出していた。
そして、もう一度、もう一度だけ言い直す。

「なぁ・・・、それまで待てるか?」

今度は?マークを浮かべた疑問形へと表情は変化する。
次から次へとこの男は、本当に見ていて飽きないと思う。
その一方でほんの少しだけ、
不安が混じっていた俺の声色に、この男は気付いてしまっただろうか。

そんな長太郎の返答は、たった一言だった。

「愚問ですね。」

この微笑みが、この表情が、
俺の心を高鳴らせる。

少しの不安が取り除かれた俺の口からは、安著のため息が発された。
そんな俺を見ると、

「そんな不安がらなくても、待たない訳ないのに。」

長太郎はこんな言葉を呟いた。
思わず、身体を抱きしめられれば、その腕に全てを任せてしまう。

「バー・・・カ、・・・。」

しっかりしたフリをしてみても、
結局甘えたくて、頼りたくているのは俺の方なのに。

また離れる時がやって来れども、今はまだこの腕の中に。



もう少し、後一年半。
時間という障害が、未だ目の前に立ちはだかっているけれども、
弱まっていく恋心に負けない様、適度な半同居生活を送って行こう、
そう思う。




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